地中深い場所にあった岩屋の中で、子どもたちと皇太子は謎の老人を見つめていました。長い髪とひげに全身をおおわれた老人は、どれほど年をとっているのか、どんな人物なのか、外からはまったく想像がつきません。あまりに異様な姿に、一同は声も出せずにいました。
けれども、ふいに一人が口を開きました。ポポロです。宝石のような瞳から大粒の涙をこぼしながら、必死に言います。
「おじいさん、フルートはどこ……!? お願い、フルートを返してください!」
フルートは彼らの目の前から赤い光の中へ消えていってしまいました。ポポロの魔法使いの力でも、その居場所はまったくつかめません。事情を知っているらしい老人になら、フルートの行方がわかるだろうとポポロは考えたのでした。
はて、と老人は答えました。汚れきって、ふけと埃が石灰のように固まった髪の隙間から、ポポロを見返した気配がします。
「わしにはできん、のう。あんたたちの友だちは、石に連れて行かれたから、な。これから、願い石に願いを、かなえてもらうのじゃ、ろう」
本当に、この老人は妙な話し方をします。声もごく低くて、風がどこかを吹き抜けていくような音にも聞こえるのですが、何故だか、言っていることは子どもたちの耳にはっきりと伝わってきました。
とたんに、子どもたちは口々に言い出しました。
「連れてかれたって、どこへさ!?」
「ワンワン、願い石ってのはいったいなんですか!?」
「どうしてフルートはそんなことになったの!? あなたがさっき言っていたのはどういう意味!?」
一番最後の質問はルルです。さっき、老人はひとりごとのように、金の石は願い石を呼ぶのだな、と言っていました。そのことばが、以前天空の国の中庭で聞いた、天空王と泉の長老の話を連想させたのです。
「石と石とが呼び合っております」
と天空王は泉の長老に向かって言っていました。
「同じ石同士です。その呼び声を妨げるものはありません」
と。
そして、天と泉の王たちは、他にも思い当たることをたくさん話していたのです。時が巡って、願い石がまた目覚めようとしている、とか。また金の石の勇者が失われるかもしれない、とか――。
ぞうっとルルの体を悪寒が走り抜けていきました。恐怖に全身の毛が逆立ちます。
ルルは思わず叫びました。
「もう戻ってこないの!? フルートは、失われてしまったの!!?」
一同はぎょっとルルを振り向きました。皇太子でさえ、青ざめて目を見張っています。少女たちが悲鳴を上げます。
すると、突然ゼンが拳を床にたたきつけました。
ズゥン、と地響きがして、黒い大理石の床にひびが入り、深くめりこみます。
驚いて息を飲んだ一同に、ゼンは言いました。
「落ちつけ、おまえら――。ピーキャー騒ぐな」
すごみさえ感じる低い声でそう言うと、ゼンは謎の老人に目を向けました。
「おい。何がどうなってんのか聞かせろ。俺にわかるように、簡単に話せよ」
「簡単に、のう」
老人が面白そうに言いました。
「それなら、本当に簡単、じゃ。願い石は眠りから目覚めた。そして、自分の持ち主として、金の石の勇者を選んだ。それだけのこと、じゃ」
ゼンは渋い顔になりました。
「それじゃ、簡単すぎて、何が何だかわかんねえよ。――事と次第によっちゃ、こいつを生かしちゃおかねえんだ。もう少し詳しく聞かせろ」
とかたわらにいた皇太子の首もとをつかんで、片手でつるし上げます。大柄な皇太子も、ゼンの怪力には為すすべがありません。ゼンの手をつかんで、死にものぐるいでもがくだけです。
老人がまた、風の抜けるような音を立てて笑いました。
「殺してしまうのは、かわいそうじゃ、よ。人は願い石の前では無力に等しいから、の。それが願い石と知っておったら、おまえさんたちだって、危なかったんじゃ、よ」
それから、老人は皇太子の前に来ました。ゼンに、下へおろすよう態度で示すと、自分の前に放り出されて座りこんだ青年を見下ろしました。
「おまえさんは、何を願いたかったのか、ね? ロムド国の王子。願い石は、かなわぬ願いをかなえる魔法の石、じゃ。その不思議な力で、どんな望みを実現したかった、かね?」
皇太子は悔しさに奥歯をかみしめました。けれども、すぐ隣でゼンが本当に今にも皇太子を殺しそうな顔でにらみつけています。返事をしないわけにはいきませんでした。
「偉大な王になりたかった」
と皇太子はうなるように答えました。
「父上を越えるような王にだ……。公平で寛大で、人望のある……金の石の勇者も越える王になりたかったのだ」
子どもたちは、はっとしました。ゼンでさえ、思わず驚いた顔をします。オリバン、とメールがつぶやきました。
ひゃっひゃっ、とまた老人が笑いました。面白そうに話します。
「願い石に断られた、じゃろう? おまえさんは自分の主人じゃない、とな。よかったのぅ、ロムドの王子。願い石に選ばれとったら、おまえさんの人生は、大事なものを奪われて破滅しとった、ぞ。願い石とはそういう石、じゃ」
たちまち子どもたちはまた顔色を変えました。そんな危険な石に、フルートは選ばれて連れ去られていったのです。その身に何が起きているのだろう、ととてつもなく心配になります。
けれども、老人は片手を上げて子どもたちを抑えました。もつれた髪とひげの間から上がった手は、かさかさに枯れきった、細い木の枝のようでした。
「まあまあ、そう焦りなさん、な。おまえさんたちの友だちは、とりあえず今は無事じゃ、よ。今頃、石と話をしとるはず、じゃ。石の話は、長いから、の。それまでの間の退屈しのぎに、おまえさんたちに、面白いものを見せて、やろうな」
言いながら、枯れ枝の指を近くの壁の鏡に向けました。突然、それまでとはがらり違った流暢な声になって叫びます。
「映せ、鏡! 時の夢、時の幻! 過去の記憶、現在の出来事、未来に訪れるひな形を! 時を見通せないものたちの前に映し出して見せよ!」
とたんに、岩屋の中の何万という鏡が、いっせいに明るく、暗く、輝き出しました。鏡の上に映像が現れます。それは、岩屋の中の景色ではありませんでした。鏡の一つ一つの中に、さまざまな光景が映っています。野外、建物の中、町、海、山、荒野、人のいる景色、誰もいない景色、戦いの場面、穏やかな夜のしじま、春夏秋冬、ありとあらゆる違った光景が、無数の鏡の上に映し出されています。
同時に、ものすごい音と声がうねる大波になって、全員に襲いかかってきました。すべての鏡から聞こえてくる音が合わさって、一度に聞こえてきたのです。
子どもたちと皇太子が悲鳴を上げて耳をふさいだので、老人が言いました。
「おっと、しもうた。鏡、鏡、一つだけでいい、ぞ。うるさくてかなわんから、の」
とたんに、一番近くの一つを残して、すべての鏡が暗くなりました。灰色の曇りガラスのように、何も映し出さなくなります。
その様子に、ルルが飛び上がりました。ルルはまた、中庭での天空王たちの会話を思い出したのです。
「おじいさん! もしかしてあなたが、時の翁(おう)――!?」
すると、木の根のように絡み合った髪とひげの老人は、また笑い声を上げました。
「おぉ、まだわしを知っているものが、おったか、の。とっくに忘れられたと、思っておったのに、な。そう、わしは時の翁。時間と一緒に、ずっと生き続けとるじじいじゃ、よ。ついでに、願い石の番人もしとる、のさ」
そして、時の翁と名乗った老人は、また皇太子に目を向けました。
「見せてやろうな、王子。おまえさんの願いが、かなえられたとき、どんなことがおまえさんに、起こったか――。それでまだ、願い石がほしいと思い続けられたら、おまえさんは、大したものだ、わい」
ひゃっひゃっひゃ、と楽しそうに笑いながら、翁は細い指先で鏡を指さしました。たった一つ、場面を移し続けていた鏡です。
「そら、見るがいい。あれが、おまえさんに訪れた、もうひとつの未来じゃ、よ」
そこには、金と宝石の王冠をかぶり、白テンのマントをはおった皇太子の姿が映し出されていました――。