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第6巻「願い石の戦い」

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77.老人

 見知らぬ場所にフルートは立っていました。

 あたりは乳白色の靄に包まれていて、自分がどこにいるのか、まったくわかりません。

 この景色は以前にも見たことがありました。夢と現実の境目の、この世にはない幻の場所です。現実にはいないもの、現実には見えない出来事と、出会う場所でもありました。

 自分は何故ここに来たんだろう、とフルートはあたりを見回し続けました。怖くはありません。ただ、とにかくわけが分からなくて、とまどっていました。

 

 すると、背後から声をかけられました。

「待ってたよ、フルート」

 小さな少年の声です。フルートは、はっと振り向きました。思った通り、鮮やかな金の髪と金の瞳の少年が、そこに立っていました。

「金の石」

 とフルートは言いました。魔法の石のペンダントは、今もフルートの胸の上で、穏やかな金色に輝き続けています。けれども、目の前にいるこの小さな少年も、まぎれもなく金の石そのものなのだと、フルートにはわかっていたのでした。

 すると、少年が言いました。

「君がここに来てくれるのを、ずっと待ってた……。話があるんだ。一緒に来てくれるかい?」

 見た目は幼い子どもなのに、ずっと年上の者のような話し方をします。深い金色の瞳でフルートを見つめながら、おもむろに小さな片手を差し出してきます。その顔は、真剣そのものの表情をしていました。

 フルートは金の少年を見つめました。会うのは三度目なのに、もうずっと前から知っているような、とても親しく一緒にいたような、身近な感じがしています。

 フルートはうなずきました。

「いいよ。行こう」

 と手を伸ばして、差し伸べる少年の手をつかみます。

 すると、少年は金の目を細めました。ほほえむように、悲しむように。

 フルートの手を握り返してきた小さな手は、石のように、ひやりと冷たい感触でした――。

 

 

 岩屋の中で、子どもたちは立ちすくんでいました。

 フルートがどこにもいません。彼らの目の前から消えてしまっていました。

 皇太子も座りこんだまま、たった今までフルートがいた空間を、呆然と見つめてしまっています。

 ゼンが跳ね起きました。皇太子に飛びつき、石の床にたたきつけてしまいます。

「この野郎……!! フルートをどこへやった!!?」

 と皇太子をねじ伏せながらどなります。

 ゼンはまったく手加減をしていませんでした。猛烈な怒りのままに皇太子の腕をねじ上げていきます。皇太子は腕を鎧ごと引きちぎられそうな気がして、痛みと恐怖で悲鳴を上げました。

「や、やめろ――!! 知らん! 私は何も知らんのだ――!!」

「知らないわけがあるか!! あの赤い光はなんだったんだよ!? おまえは何を企んでやがった!?」

 わめくゼンの頭の中を、魔の森の泉のほとりで、泉の長老から言われたことばがぐるぐると回っていました。いよいよ定めの歯車が回り出す。フルートを守れるのはおまえたちしかいない。彼を守ってやるのじゃ――と。

 フルートはいなくなりました。どこにも姿が見あたりません。ゼンは言いようのない恐怖に襲われていました。どんなに手を伸ばしても探しても、もう二度と親友に会えないような気がします……。

 

 ゼンに本当に腕を引きちぎられそうになって、皇太子がまた悲鳴を上げました。

 我に返ったメールが、あわててゼンに飛びつきました。

「よしな、ゼン! よしなったら――!! 殺しちゃうよ――!!」

 と必死になって引き止めます。

 ポチとルルが吠えながら岩屋の中を駆け出しました。

「ワンワン、フルート! フルート――!」

「フルート! どこなの、フルート!?」

 死にものぐるいで探すのに、どこにもフルートは見あたりません。本当に、匂いさえ、どこからも伝わってこないのです。

 ポポロは立ちすくんだまま泣き続けていました。魔法使いの目でも、どこにもフルートが見つけられません。まるで本当にこの世から消え去ってしまったようです。

 恐ろしいほどぽっかりと口を開けている空白に、ポポロは身震いしながら泣き続けました。どうしていいのかわかりません――。

 

 すると、半狂乱の子どもたちの声が響きわたる岩屋に、別の声が聞こえてきました。

「やれやれ、うるさい、のう」

 ひどく年を取った男の声です。ごく低い声なのに、何故だか耳にはっきりと聞こえてきて、一同は思わずそちらを振り向きました。

 十メートル以上も離れた壁際に、小さくうずくまるものがありました。灰色の岩の塊かとも思ったのですが、よく見ると、それはもじゃもじゃに絡み合った大きな木の根でした。そして、さらによく見てみると、それは木の根ではなく、生きた人間の髪の毛とひげなのでした。伸びほうだい伸びた髪とひげは、絡まり合い、もつれて木の根のようになり、さらに絡み合って、その人物をまるで岩の塊のように見せていました。

 すると、木の根のような人物が動き出しました。髪とひげを石の床に引きずりながら、ゆっくりとこちらに向かってきます。もつれ合った毛の隙間から、汚れきってぼろぼろになった服の残骸がちらりとのぞき、またひげの中に隠れてしまいます。

 犬たちが顔をしかめました。その老人が近づくにつれて、ものすごい悪臭が漂ってきたのです。何年間も風呂に入らずにいれば、人もこんな匂いになるのかもしれません。鼻のよい犬たちは、匂いに耐えられなくなって、じりじりと後ずさっていきました。

 

 老人は子どもたちと皇太子の前に立ち止まりました。

 一同は匂いもさることながら、老人のあまりに異様な姿に驚いて、声も出せずに立ちすくんでいました。そもそも、この岩屋に人がいたということにさえ気がつかないでいたのです。それくらい、この老人は、まったく気配をさせていませんでした。

 すると、老人は部屋の真ん中で岩の柱が砕けているのに気がつきました。驚いたように頭が動き、破片が飛び散った床の上を見渡し――やがて、深い深い溜息をつきました。

「やれやれ、願い石の持ち主が、現れてしまった、かね。残念な、ことじゃ」

 妙な感じに間延びした口調で話します。それから、老人は後ろを向いて、そのまま動かなくなりました。何も言わずに壁の方をただじっと見ています。

 

 ようやく我に返ったメールが尋ねました。

「おじいさん、誰だい……? フルートがどこに行ったか、知ってんの?」

 すると、老人がゆっくりとメールに向き直りました。長身のメールの肩ほどまでしかない、小柄な人物です。重なり合った髪とひげの間から、じっと見上げてきます。

「フルートというの、かね、今度の金の石の勇者は――。勇者は、連れて行かれたの、じゃよ。願い石のところまで。かなわぬ願いをかなえてもらう、そのために、の」

 子どもたちは思わず顔を見合わせました。やっぱりわけがわからなくて、何をどう考えたらいいのかもわかりません。

 すると、老人はひとりごとのように、こう続けました。

「やっぱり、金の石は願い石を呼ぶのじゃ、な。二千年前のあの戦いの続きを、もう一度やり直そうと、しとるのじゃ、ろう。今度の勇者は、勝てるかの、それとも、負けるかの。久しぶりに面白いものが、見られるかもしれん、のう」

 ひゃっひゃっひゃ、と耳障りな笑い声が響きます。それは岩の割れ目を吹き抜ける、鋭い風の音にも似ていました。

 黒く磨き上げられた大理石の床、虹色に輝くオパールの岩壁。一面に並ぶ何万もの鏡に囲まれた岩屋の中で、子どもたちと皇太子は、不思議な老人を目の前に、ただただ、呆然と立ちつくしてしまっていました――。

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