金の石の勇者の一行は旅立ちました。
馬にまたがり、辺境部隊やゴーリスやユギル、ピランに見送られて、ジタン山脈へと高原をまっすぐ上っていきます。
先頭を行くのはゼン、そこにフルート、メール、しんがりに皇太子の馬が続きます。フルートの馬にはポチが、メールの馬にはポポロとルルが一緒に乗っています。
辺境部隊はそんな彼らの姿が山中の森に消えるまで、敬礼の姿勢を崩さずに見送り続けていました。
やがて、一行が本当に山の中に見えなくなると、辺境部隊は隊長の号令で移動を始めました。たくさんの戦死者や捕虜を乗せた馬車を間にはさんで、整然とジタン高原を立ち去ります。高原には、荼毘(だび)に付された敵兵の遺骨を埋葬した、真新しい塚ができあがっていました。
ゴーリスとユギルとピランも、馬車に乗って、辺境部隊と共にディーラを目ざし始めました。来るときには軍勢の指揮をとってきたゴーリスも、帰路は馬車の人です。鎧もすでに脱いで、いつもの黒ずくめの服に着替えていました。
ガラガラと車輪の音を響かせる馬車に揺られながら、ピランが急に笑い出しました。
「まったく。あいつらが山の中でどれほど驚くか、その顔を見られないのが残念だな」
「気がつくかな。堅き石とは別の場所にあるのだろう?」
とゴーリスが尋ねました。
「遠くはありません。きっと気がつかれる、と占盤にも出ておりました」
とユギルが答えます。
ふむ、とゴーリスはつぶやきました。
「それを見れば、あいつらもわかるだろう。ザカラスが何のためにあれほど執拗に襲ってきたのか」
「魔金の大鉱脈か」
とピランが言いました。面白そうな顔をしています。
「ジタン山脈の地下にそんなものがあるとは、ノームの我々も知らなかったぞ。よほど深く隠されていたと見えるな」
「見つけたのはユギル殿だ。もう十年以上も前のことになる。以来、ロムドでも決して口外してはならない重要機密になっていたのだ」
とゴーリスが答えます。
魔金の大鉱脈――それこそが、ザカラスの陰謀の真の理由でした。ロムドの南西の国境近くにあるジタン山脈には、魔金と呼ばれる貴重な鉱物の鉱脈が眠っています。国境を接しているザカラスは、それを狙ってロムドの乗っ取りをたくらみ、そのために皇太子を暗殺しようとしたのでした。
ユギルは言いました。
「そもそも偶然あれを発見したのはザカラスです。それを奪おうとして、幼い殿下を人質にしようとしたり、国王陛下を暗殺しようとしたりしたので、その動きでわたくしにもわかったのです。ジタン山脈の魔金は膨大な量です。それを公にすれば、ザカラスは皇太子暗殺などではなく、全面戦争をしかけて、ロムドを征服しようとしたに違いありません。そのまま中央大陸を巻き込んでの大戦争に発展すると、占盤は告げておりました。ザカラスの狙いに気づいていると悟られないようにしながら、殿下をお守りするのには、非常に気苦労がいりました」
それを聞いて、ピランは肩をすくめました。
「すまんな。そんな事情とはつゆ知らず、鎧の強化には堅き石が必要だ、なんぞと言い出して」
「いいえ。いずれは決着をつけなくてはならないことだったのです。その時期が到来するのを待ち続けておりました。……殿下たちがジタン山脈に向かえば、ザカラスが動き出すのは間違いありませんでした。堅き石も、勇者殿の守りのためには絶対に必要なものです。堅き石がジタン山脈に隠されていたことは巡り合わせだったのでしょう。時を迎えていたのです」
なんとはなしに、馬車の中が沈黙になりました。三人の大人たちは、その山中へ踏みこんだ子どもたちを思います。
やがて、また口を開いたのはピランでした。
「ザカラスだが、まさか、願い石の存在にまで気がついていたんじゃあるまいな?」
ユギルは、ほほえみました。
「ザカラス王がそれを知っていたら、それこそ即座に全面戦争です。わたくしたちでさえ、あの山に願い石が眠るとはまったく知りませんでした。堅き石の場所を占って、初めてわかったのです」
「世界中のごうつくばりどもが、願い石を求めて今日も占い師に占わせとるはずだ。願い石は占いには反応しないから、堅き石を探すのだがな。だが、誰もそれに成功してはおらん。それを見事見つけ出してしまうのだから、おまえさんは確かに天下一の占い師だな」
とピランは手放しで誉めましたが、銀髪の占い師は静かに首を振り返しました。
「いいえ。わたくしの占いは、まだまだ頼りないものです。いつも、肝心の所で読み切れなくて、多くの方々にご苦労をおかけします。もっと精進せねば、と思っております」
うつむいた拍子に銀髪の間からのぞいた首筋が、細い線を描いています……。
「で、その願い石だが、殿下は本当に大丈夫なのだろうな?」
とゴーリスが尋ねました。ゴーリスは、彼らと戦場近くで合流してから、初めてその石の話を聞かされました。王位継承者と噂されるフルートと競うあまり、皇太子が願い石に走るかもしれない危険には、ゴーリスも気がついていたのでした。
「大丈夫……と思います。ザカラス軍との戦いが始まる以前に、殿下は願い石を求めなくなっておられましたから」
とユギルは答え、かたわらの座席の上に置いてあった占盤を取り上げて、膝の上に載せました。占者はジタン高原に向かう間中、こうして占盤をのぞき、子どもたちの様子や敵の動きを占い続けていたのでした。
「殿下は大事なものをもう見つけ始めておられました。まだご自分でお気づきになっていないだけです……。今はまだ迷いが捨てきれずにおられますが、必ず自分自身で願い石の誘惑を跳ね返されるはずです」
と占盤をのぞき込み、一行の象徴を追い始めます。金の光、銀の光、青い光、星の光、そして青く輝く獅子――。皇太子を示す象徴は、今も、他の勇者たちに劣らないほど美しく堂々と輝いています。そして、そこに今度はポポロを示す緑の光と、ルルを表す翼も一緒に見えていました。一度は闇に心奪われて黒く染まった翼の象徴も、今は白く輝いています。
彼らはジタン山脈の山中へ分け入っていました。行く手に次第に堅き石が近づいてくるのがわかります。彼らが求めるものと出会うまで、あともうほんの一息でした。
その時、ユギルはふいに息を飲みました。身を乗り出して黒い占盤をのぞき込みます。
「どうしたね?」
とピランが尋ねましたが、ユギルは返事ができませんでした。食い入るように占盤の表を見つめ、そこに映る象徴を追い続けます。その顔色が、みるみるうちに青ざめていきました。
「彼らがどうした!?」
ゴーリスがどなるように尋ねました。凶兆が現れたと察したのです。
ユギルは必死で象徴を読み直していました。何度も何度も、その動きと姿を確かめ直します。けれども、何度占い直しても、見えてくるものは同じでした。占盤はまったく同じ予言を語ってくるのです。
ユギルは青ざめきった顔を上げて、ゴーリスたちに言いました。
「勇者殿を取り巻く危険が去っておりません……。得体の知れない力が手を伸ばして、勇者殿を捕まえようとしております」
「フルートの命を狙うディーラの貴族どもか!?」
自分自身がロムドの大貴族なのに、ゴーリスはそんな言い方をしました。ユギルは首を振ります。
「違います。彼らはザカラス王と同様、もう勇者殿たちに何の力も持ちません。まったく別の何かです――それが、勇者殿を待ちかまえています!」
占い師は必死で占盤の象徴を追い続けました。フルートとその仲間たちに起ころうとしていることを読みとろうとします。
と、ユギルはまた息を止めました。占盤の上に、まるで扉が開くように、新しい未来が開き始めていました。
鮮やかな光が、まるで爆発するようにあふれてきます。その光はあまりにも強すぎて、占盤の上の象徴も、占うユギルの目さえもくらませます。ユギルは顔の前に手をかざし、光をさえぎろうとしました。が、光は消えません。象徴の光は実際の光とは違うのです。
ユギルは心の目をすさまじい光に照らされ、痛みさえ感じて、思わず悲鳴を上げました――。
とたんに、腕を強くつかまれて、ユギルは我に返りました。ゴーリスがユギルをつかんでのぞき込んでいます。占盤の光は消えていました。ゴーリスのおかげで、占いから戻ることができたのです。
「何があった」
とゴーリスは尋ねました。低く真剣な声です。
ユギルは答えました。
「勇者殿たちを……いえ、勇者殿を光が襲います……」
情けないほど声が震えます。二十年以上も占いをしてきましたが、これほどのものを見たのは初めてでした。
「光が?」
ゴーリスとピランは、たちまちいぶかしい顔になりました。意味がわからなかったのです。
ユギルは身震いしました。
「わたくしにもあの光の正体がなんなのかはわかりません。ただ、強烈な光が勇者殿を飲み込もうとしております。このままでは――」
占い師は、我知らず、ごくりと咽を鳴らしていました。
「――勇者殿が失われます」
ゴーリスは、馬車を引き返すよう、外の御者にどなろうとしました。
けれども、それを抑えて、ユギルは言いました。その目は再び黒い占盤をのぞきこんでいました。
「駄目です、間に合いません……運命の扉が開きます。……あとは……」
ユギルは苦しそうに目を閉じました。
「あとは、仲間の皆様方に、勇者殿の運命をお委ねするしかありません……」
ゴーリスとピランはそれを聞いて立ちすくみました。誰も声も出せません。
窓の外からは、走り続ける馬車の音が響いてきます。それは、勇者とその仲間たちを巻き込んで、大きな流れの中に連れ去ろうとする、運命の車輪の音のように聞こえていました――。