いよいよ出発の時間が近づいて来ました。
子どもたちと皇太子は、ロムド軍の辺境部隊やゴーリスたちに別れを告げて、ジタン山脈に入っていくのです。
「我々はザカラス軍の捕虜を連れてディーラへ戻る」
とゴーリスが子どもたちに言いました。
「一足先にディーラで待ってるからな。ちゃんと堅き石を見つけて戻ってくるんだぞ」
「これから国王陛下も大変ですね。ザカラスの企みがわかったわけだから」
とフルートが大人のような口調で言いました。すでに金の鎧兜を身につけ、剣と盾を装備して、すっかり戦士のいでたちに戻っています。
すると、灰色の衣のユギルが静かに答えました。
「それこそが、我々の目的でしたので。今までどうしても捕まえられなかった暗殺計画の動かぬ証拠です。この一件はもう、早鳥でディーラに知らせてございます。今頃陛下はザカラス相手に交渉を始めていらっしゃるでしょう」
それを聞いてゼンは肩をすくめました。いい顔はしませんでしたが、口には何も出しませんでした。
ピランが小さな体で偉そうに腕組みしながら言いました。
「ジタン山脈に入ったら、その目でしっかと確かめてこい、チビの勇者ども。堅き石はこの山の中で待っとる。ついでに、おまえらが仰天するようなものも、きっと見られるからな」
「仰天するようなもの? なにさ、それ?」
とメールが聞き返しましたが、ピランはにやにやするだけで、それには答えません。
「ちょっとぉ、教えなよ、鍛冶屋の長!」
「ワン、何かあるんですか?」
「そんなにもったいぶられたら、気になるじゃないの!」
メールと犬たちがノームの老人に迫ります。
そのかたわらで、ゴーリスがフルートとゼン相手に話し続けていました。
「おまえたちの馬と荷物はそこだ。足りないものは補充しておいたが、確認して、他に必要なものがあれば言え」
前日、ランジュールのキマイラに驚いて逃げていったフルートたちの馬を、辺境部隊の兵士たちが見つけて連れ戻してくれていたのです。フルートとゼンはうなずいて、さっそく荷物のチェックを始めました。鍛冶屋の長を問い詰めるのに失敗したメールも、しかたなくそこに加わってきます。ポポロがそれを手伝います。
すでに荷物の確認を終えていた皇太子が、少し離れた場所に立っていました。腕組みをしたまま、ジタン山脈を見上げています。
そこへユギルが近づいていきました。黙ったまま、皇太子と一緒に山を眺め、やがて話しかけます。
「殿下、山中へ入れば、道はおのずと堅き石まで続きます。案ずることなくお進みください」
皇太子は黙ってうなずきました。まだ山を見続けています。
すると、ユギルが静かに言いました。
「堅き石のそばには、おそらく願い石もございます。石の呼び声は、今もまだ聞こえていらっしゃいますか?」
皇太子はぎくりとしたように占い師を振り返り、すぐに苦笑いの顔になりました。
「まったく、ユギルにはなんでもお見通しだな……。聞こえなくなった、と思うがな。いや、だが、よくわからん」
それを聞いて、ユギルは続けました。
「かの石は強い願いの心に応えて姿を現します。ですが、殿下はお望みのものをすでにその手にお持ちになっているのです。石に願いをかなえてもらう必要はございません。殿下は、殿下自身のお力で王におなりください」
皇太子はまた苦笑いをしました。
「昨日までなら、それもただの気休めに聞こえたのだがな、今日は少し違って聞こえるぞ。なんだか、本当にそうなりそうな気もしないではない」
「本当にそうなってまいります……。宮中から敵は排斥されます。これからは殿下も公の場に堂々と姿を出せるようになりますし、そうすれば、ますます殿下を慕う者は増えましょう。誰も王位継承者を疑わなくなります」
皇太子は何も言いませんでした。少し不安そうに、それでも、どこかでそのことばを信じたがるように、微妙な表情をのぞかせます。皇太子が占い師の予言を確信するには、今なお時間が必要なのでした。
馬のそばで子どもたちが賑やかに話し合っていました。どうやら、自分の馬を持たない魔法使いの少女を、誰の馬に乗せるかでもめているようです。
「俺の馬だ! 俺は山歩きに慣れているんだからな!」
とゼンが大きな声を上げています。
「ゼンは先に立って道を見つける役だろう? ぼくの馬のほうがいいんじゃないか」
と控えめながら、譲らないところを匂わせるフルートです。
「たくもう! あんたたちの馬に乗せたら、またもめるじゃないのさ! あたいの馬に決まってるよ! ねえ、ポポロ?」
とメールがひときわ大きな声で少年たちを抑え込んでしまいます。少年たちがいっせいに抗議します。ワンワン、と犬たちが賑やかに口をはさみます……。
それを振り返って見ていた皇太子が、また言いました。
「私は、あいつがいなくなればいいと思ったのだ」
ユギルはちょっと驚いた顔をしました。皇太子が「あいつ」と呼んでいるのがフルートのことだと、すぐに気がつきます。
「それこそ、私にないものを持ち、私から王位を奪う者に思えた。あの時、私は本当に願い石の呼び声を聞いていたのだろうと思う……。いや、私自身が、願い石を呼んでいたのかもしれんな。あいつなど、私の目の前から消えてしまえばいいと、本気で願っていた」
「ですが、殿下はそうなさらなかった。勇者殿が襲われるたび、殿下が助けに駆けつける様子が占盤に現れておりました」
とユギルが言います。
皇太子は頭を振りました。
「見殺しにするのが私の主義に反していただけだ。あいつを良く思っていたわけではない。あいつも、そんな私の気持ちには気づいていたはずなのだが――」
フルートを遠く眺める皇太子の目が細められました。不思議そうな表情が浮かびます。
「あいつは、私が辺境部隊から讃えられているとき、それを本気で喜んでいた。余計な想いも何もなく、ただ一緒になって喜んでいたのだ。――何故だ? 何故、あいつはあんなふうに寛大なのだろう? まだほんの子どもだというのに」
ユギルは色違いの目を子どもたちに向けました。金の鎧兜を身につけた、小さな少年を眺めます。子どもたちはまだ他愛もない言い争いを続けています……。
「勇者殿が何故あんなふうなのかという理由は、わたくしにもわかりません。占盤では読みとれないことですので」
とユギルは答え、釈然としない顔をしている皇太子に向かって続けました。
「ですが、人はいつも過去の出来事に今を左右されているものです。勇者殿には勇者殿なりに、あんなふうにおなりになる理由があったのかもしれません」
「あの歳でか? ちょっと考えられんな。まあ、生まれつきそんなふうに恵まれている奴がいる、というだけのことなのだろうが」
と言って、皇太子は思わず舌打ちしそうになりました。なんとなく、やっぱりおもしろくない想いはつきまといます。自分が皇太子として認められているとわかってきても、自分を越えるほどの資質を感じさせるフルートには、どうしても嫉妬を覚えずにはいられませんでした。
すると、ユギルが静かに言いました。
「自分ではないものを目ざしなさいますな、殿下。殿下は殿下らしくあればよろしいのです。そうすれば、おのずと人心はついてまいります。――殿下に願い石は必要ございません。わたくしは殿下を信じております」
銀髪の頭が深く下げられます。
皇太子はあいまいにうなずきました。顔を上げて自分を見つめてきた占い師の目を、まともに見返すことはできませんでした……。