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第6巻「願い石の戦い」

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67.早朝

 夜が明けました。

 前の日に空をおおっていた厚い雲は、夜の間の風に追い払われ、ジタン山脈の上には青空が広がっていました。高原に降った雪はもう消えていましたが、山頂は雪におおわれていて、朝日に照らされて薄紅に輝いています。

 それを見上げてゼンが大きく伸びをしました。

「さあ、いよいよだ! 山に入るぞ!」

「嬉しそうだね、ゼン」

 とメールが声をかけます。長いコートのポケットに両手を突っ込み、一つに束ねた長い緑の髪を朝風になびかせています。その姿は野山にすらりと立って緑の葉を揺らす若木のようです。

 ゼンはにやりと笑い返しました。

「あたりまえだ。俺は山の民だぞ。山にいるのが一番落ちつかぁ」

「ま、あたいもそうなんだけどさ」

 とメールも笑いました。

「あたいも森の中に入れるのはすごく嬉しいからね。これで花も咲いててくれたら最高なんだけどなぁ」

「そりゃ無理だろ。どう見たって、もう冬の山の様子だぞ」

「冬でも咲いてる花ってないのかい? 雪や氷でできた花とかさ」

「んなもんあるか。北の大地でだって見かけなかったぞ」

「まったくもう。このへんの花って根性ないねぇ」

「根性の問題かよ。無茶言うな」

 ぽんぽんと言い合いますが、ゼンもメールも機嫌は悪くありません。自然をこよなく愛する二人です。いよいよ山に入れるというので浮き立っているのでした。

 

 ポポロはルルとポチと一緒にジタン山脈を見上げていました。首をかしげています。そこへフルートがやってきました。まだ鎧を着ていないので、防寒用にマントをはおっています。

「どうかしたの?」

 と聞かれて、ポポロは驚いたように振り向きました。

「フルート、もう大丈夫なの?」

 前の日には本当に弱り切っていたフルートですが、今朝は顔色もだいぶ良くなっていて、いつもとほとんど変わりないくらいに見えていました。

「うん。一晩寝たらすっかり元気だよ」

 とフルートは笑顔で答えました。昨夜、ゴーリス相手にあれほど悩んでいたことなど、みじんも感じさせない穏やかな顔です。

 ポポロは安心したような表情になると、目の前の山を指さして見せました。

「あの山……今朝見たら結界が消えていたのよ。昨夜寝るまでは、確かに結界があったし、近づく人を追い返そうとしているのも感じられたんだけど。どうしてかしら?」

 フルートも驚いて山を見ました。

「昨日、君が結界を魔法に使ったからかな……?」

「ううん、そんなはずないわ。あたしの魔法は、そういうのじゃないから。誰かが結界を解いたんだと思うんだけど」

 すると、足下からワン、とポチが口を開きました。

「もしかして、ぼくたちを呼んでるんでしょうか?」

「あの山には堅き石があるんでしょう? 山が取りにいらっしゃい、って言っているとか?」

 とルルも言います。

 ポポロはさらにとまどったように首をかしげました。

「そういう感じもしないのよ……。そこまでの意思を持った山じゃないわ。誰かがこの山に結界を張っていたの。ものすごく広範囲で強い魔法よ。だから、このあたりには人が誰も住みつかなかったのよ」

「確かにね。この山はこんなに自然豊かに見えるのに、誰も住んでないってのは不思議だもの。ゼンたちみたいな猟師が住みついていたっておかしくないのに。ここは昔から人がいない未開の地なんだけど、だとすると、山の結界もずいぶん昔からあったってことになるんだろうな」

 そう言いながら、フルートは誰が何のために結界を張っていたんだろう、と考えました。おそらく何百年間という時間だったような気がします。よほど強力な魔法使いか、人以外の者の仕業に違いありません。

「ワン、山にはいるのはちょっと待ってみますか?」

 とポチがフルートを見上げました。あまりにもタイミング良く結界が消えたので、逆に用心したくなります。

「ううん、行くよ……。どっちにしても堅き石は絶対に見つけなくちゃいけないんだ。そこに何かあるって言うなら、山に入ればきっとわかるよ」

 あっさりした口調で、なかなか剛胆なことを言います。少女のように優しい顔をしているくせに、この少年は意志が強くて、ちょっとやそっとのことでは考えを変えようとしないのです。いかにもフルートらしい返事に、仲間たちは思わず笑ってしまいました。

 

 すると、フルートが改めて少女を見ました。朝日に輝く赤いお下げ髪を見ながら言います。

「ポポロ、昨日はありがとう、助けてくれて……。昨日はお礼を言ってる余裕もなかったからさ。遅くなってごめんね」

 ポポロは真っ赤になりました。フルートが、わざわざそれを言うために自分のところへ来たのだと気がついたのです。あわてて大きく頭を振ります。

「ううん、いいのよ、そんなの。あたし――たちは、フルートが助かってくれただけで本当に嬉しかったんだもの」

「うん、本当にありがとう。おかげでまた命拾いしたよ」

 フルートがほほえみかけます。ポポロはますます赤くなると、ためらいながら少年にほほえみ返しました。今度はフルートが顔を赤らめました。いっそう優しく微笑を返します――。

 ルルがポチを鼻先でつつきました。気をきかせましょ、と目で伝えてきます。ポチはピンと耳を立てて犬の表情で笑い返すと、ルルと連れだって、こっそりその場から離れようとしました。

 

 ところが、そこへ陽気で元気な声が近づいてきました。

「おうおう、勇者はすっかり元気になったようだな! 天気も上々だし、絶好の石探し日和じゃないか!」

 鍛冶屋の長のピランでした。わずか六十センチほどの小さな体から、驚くほど大きな声で話しかけてきます。フルートとポポロはすぐにそちらを振り向きました。

「おはようございます、ピランさん。おかげさまで」

 とフルートが答えます。

「そりゃ本当に良かった。勇者はさすがに丈夫だな!……お、なんで犬どもはそんなににらんどるんだ? わしが何かしたか?」

 ピランはルルたちの表情に気がついてそう言いましたが、次の瞬間にはまた、フルートに向かって遠慮もなく話しかけました。

「鎧兜の修理が終わったぞ。取りに来い、チビの勇者!」

 フルートは顔を輝かせました。自分より小さなノームにチビと呼ばれたことも気にせず、すぐに老人についていきます。その後にポポロと犬たちがついていきました。

 金の鎧兜は、外見はどこも変わっていないように見えました。これまでの戦いでできた大小の傷も、歪みも、そのままです。

 鍛冶屋の長が言いました。

「そういうのはここでは直せん。材料もなければ、設備もないからな。ただ、つなぎ目の修理だけはしておいた。前と同じように、鎧を着ただけで全身が守られるぞ。左肘のところも直しておいたから大丈夫だ」

「ありがとうございます!」

 フルートは歓声を上げました。これで左腕に鎖かたびらを巻かなくても良くなります。鎖を編んだ布は重たくて、それをつけていると腕が動かしにくくて、フルートはひそかに閉口していたのでした。

「ワン、他の守りの力の方はどうなんですか? 熱を防ぐ力とか、ずいぶん落ちてしまっていたんですが」

 とポチが尋ねました。大事なフルートの命を守る鎧です。質問する口調も真剣になっています。

 ピランは苦笑しました。

「少しは回復したが、完全ではないな。さっきも言ったが、材料と設備が足りん。時間も足りなかった。一番大事なところの応急修理だけだ。暑さ寒さはあまり防げんし、攻撃の防御力も、前よりはずっと下がっとる。組み込んであった大地の魔法が完全に解けてしまったから、衝撃を防ぐ力もなくなっとる。だが――こいつらは勇者を守りたがっとるからな。できる限りの力で、おまえさんを守ろうとするだろうよ」

 こいつら、とピランが言っているのは、魔法の鎧兜のことだとフルートたちは気がつきました。鍛冶屋の長は、物たちの声を聞くことができるのです。

 フルートは足下の地面にひとかたまりに置いてある金の鎧兜にかがみ込んで、そっと手を触れました。冷たい朝の空気の中で、防具はすっかり冷え切っていましたが、フルートが触れると、それがほのかに暖かく感じられました。鎧の奥から伝わってくるようなぬくもりです。

 フルートはほほえみました。なんとなく感じていたのです。昨日、戦場で敵に胸を刺し貫かれたとき、傷だらけの鎧は、消えかけていた防御力を振り絞って、最大限自分を守ってくれていたんじゃないだろうか、と。だから、剣の切っ先はわずかに心臓をそれ、自分は即死をまぬがれて一命をとりとめたんだろう、と。

「ありがとう、金の鎧……これからもよろしくね」

 フルートがそっとつぶやくと、鎧兜が朝日の中できらめきました。その様子を見て、鍛冶屋の長が満足そうに何度もうなずいていました。

 

 すると、離れた場所で燃えていたたき火のそばから、ゴーリスが呼びかけてきました。

「腹ぺこ坊主ども、朝食ができたぞ! 集まってこい!」

 そのそばには皇太子とユギルも立っています。フルートたちは歓声を上げると、いっせいにそちらへ向かって走り出しました。ゼンとメールも走ってきます。降りそそぐ朝の光の中、子どもたちは本当に元気です。

 すると、ピランが鎧兜にうなずきました。

「まったくだ。おまえたちの主人はたくましいぞ。あんなひ弱そうななりをしてるのにな。……ああ、わかっとる、わかっとる。おまえらがしっかり守っているからだ。それは当然だ。だからな……」

 鍛冶屋の長は、いつまでも鎧兜と会話を続けていました。

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