「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第6巻「願い石の戦い」

前のページ

第17章 夜明け

65.戦士

 ジタン高原に夜が来ました。

 ロムド軍の辺境部隊があちこちにかがり火を焚き、野営をしています。高原の空気は澄んで冷え切っていますが、火の周りで照らされている男たちは一様に陽気です。自分たちで夕飯を作って食べ、上官から配られた若干の酒を飲んで上機嫌でいます。

 そこから少し離れた静かな場所にフルートたちはいました。

 やはりかがり火を焚き、そのぬくもりの届くところに毛皮や毛織物を重ねて敷き、毛布をかけてフルートが眠っています。赤い炎の光に照らされていても、その顔はまだ青白い色をしています。危なく死にかけたダメージから回復していないのです。

 フルートは金の鎧を脱いでいました。傷を負ったときに血に染まった服も着替えています。鎧兜はピランが抱えていって、別の場所に焚いた火のそばでせっせと何やら作業していました。馬車に積み込んできた器具で、鎧の応急修理をしているのです。時折、「だがなぁ」とか「おう、まったくそのとおりだ」などとひとりごとを言う声が聞こえてきます。どうやら、ノームの鍛冶屋の長は、鎧たちと会話しながら修理を進めているようでした。

 眠るフルートのそばにはゴーリスが座っていました。黒い鎧は身につけたままですが、兜はかたわらに置き、燃える火を眺めながら一人静かに酒を飲んでいます。

 他の子どもたちは、また別の火を囲んで座っていました。ゼンとメールとポチ、それにポポロとルルです。しばらくぶりで勢揃いした仲間たちと積もる話に花を咲かせていますが、疲れて眠っているフルートに気をつかって、その話し声は静かでした。

 高原を吹き渡る風がたき火の炎を揺らしました。冬の到来間近を思わせる、とても冷たい風でした。

 

 すると、寝ていたフルートが、目を閉じたまま、ふう、と溜息をもらしました。ゴーリスは振り返りました。

「なんだ、まだ起きていたのか?」

 フルートは目を開けました。夜目にも鮮やかな青い瞳が師匠を見上げます。

「考えてたんだ……」

 と少年は答えました。十三歳という年に似合わない、大人びたまなざしをしています。悩むような表情が優しい顔に漂っていました。

 なにを、とゴーリスは静かに尋ねました。この黒い剣士は、いつだって決して質問の答えをせかしません。少年が、ことばを選び、やがて自分から口を開いて語り出すのを待ちます。

 フルートは、ぽつりと言いました。

「ぼくは、どうしても殺せなかったんだ」

 ゴーリスは少し表情を変えましたが、口ははさまずに、さらに少年のことばを待ちました。フルートはまた考え込み、とつとつと話し出しました。

「ずっと、考えてたんだ……どうして、人を守るのに人を殺さなくちゃいけないんだろう、って……。襲ってくるのは悪い奴で、倒さなかったら、こっちや他の大勢の人たちが殺される。だから、しかたないと思っていたんだけど……。だけど……」

 少年はまた考えるようにことばをとぎらせました。

 ゴーリスはただ黙ってそれを見守り続けました。フルートの枕元には二本の剣が並べて置かれています。黒い炎の剣と銀のロングソードです。大勢の敵を倒して世界を守ってきた剣ですが、この小さな勇者は、まだこれで人を切り殺したことはないのでした。

 フルートはまた言いました。

「悪い奴にだって、家族はいるよね……その人を生んだお母さんやお父さんや、奥さんとか子どもとかきょうだいとか……。その人は、ずっとそれまで生きてきて、そして、戦闘の場面でぼくと出会った……。ぼくだって殺されたくはないし、みんなを殺されるのは絶対に嫌だから、本気で戦うんだけど、でも……切りつけようとした瞬間に思い出しちゃうんだ。目の前にいるこの人は人間なんだ、って。剣を振り下ろしたとたんに相手が死んでしまって、その人の人生が終わるのかと思うと……急に体が動かなくなっちゃうんだ……」

 人間だと思うからダメなんだよ、割り切りなよ、と言っていたランジュールの声がフルートの頭の中によみがえってきます。それはフルートだってわかっているのです。そんなふうに考えているのは感傷だし、戦士である以上、戦いには非情で臨まなければならないことは承知しているのですが――どうしても、感情の部分が納得しないのです。フルートは優しすぎる勇者でした。

 

 フルートはまた考え込み、低い声で続けました。

「ゼンは、ぼくがそんなふうなのをわかってる。だから、戦闘の最中に、ぼくの代わりに敵を殺そうとしてくれたんだ……。おまえには無理だ、俺がやる、って言って……。だけど、ぼくはそれもどうしても嫌だった。ゼンは猟師だから獣は殺すけれど、それだって、生活にどうしても必要な分だけだし、山の生き物たちを本当に大切にしてる。ゼンだって、まだ人を殺したことはないんだ。他のみんなもそうさ……。ぼくのために――ぼくひとりが綺麗でいるために、他のみんなに人殺しをさせるのは、絶対に嫌だったんだよ……」

 フルートは横になったまま唇をかみました。焦るような、いらだつようなその顔は、今にも泣き出しそうに見えました。

 ゴーリスは手を伸ばして黙ってその頭をなでました。ちょっと癖のある金髪をかき混ぜます。

 フルートの苦しみは、実は、多くの戦士たちが通り抜けてくる悩みそのものでした。初めてまともな戦闘に臨み、無我夢中で敵を倒して、ほっとした時。あるいは、敵を倒した喜びに酔いしれる時期が過ぎた時。若い戦士は、自分が切り殺してきた相手が自分と同じ人間だと気がついてしまって、なんとも言えず嫌な想いにかられるのです。

 けれども、戦士は敵を倒し、同胞や国を守ることが勤めです。その不愉快な感情を飲み込んで、やはり戦い続けなくてはならないのでした。大きな矛盾を抱え込みながらも、自分と仲間たちを守るために、敵を殺していくのです。

 だが――とゴーリスは心の中でつぶやいていました。自分たちと同じように守りの剣を持ちながらも、この少年は、どこか自分たちと違うようにも感じられるのです。うまくは言い表せません。けれども、普通の戦士たちとはまた別の場所にフルートはいるように、ゴーリスには思えるのでした。

 少年は目を見開いたまま、何もない夜を見つめていました。暗がりの中に光を見いだそうとするように、じっと。

 

 ゴーリスは口を開きました。

「昔、おまえに教えたな。戦いというのは、人を倒したり殺したりすることではない。自分の命や大切な人たちを守るためにするものなんだ、と。戦闘で敵を大勢切り殺しては、その人数を誇る奴も確かにいるが、それは実際には英雄でも勇者でもなくて、ただの乱暴者だ。人など、殺さずにすむなら、それにこしたことはないんだ」

 フルートはゴーリスを見ました。数々の戦闘を剣一本で切り抜け、大きな戦争もくぐり抜けてきた戦士です。そのことばには重みがありました。

 フルートは思わず泣きそうになって、あわててまた唇をかみました。また何もない闇に目を向けて、つぶやくように言います。

「ぼくは、どうしたらいいかわからないんだ」

 自分の迷いがためらいを生み、自分自身の命を危うくし、仲間たちまで危険な目に遭わせているのはわかっているのに……。

 すると、ゴーリスがまたフルートの髪をくしゃりとなでました。

「考えろ。思う存分悩め。それで答えが見つかるかどうか、俺にはわからんが、考えた分だけ前には進める」

 フルートはまた目を上げて師匠を見上げました。その瞳には本当に涙が揺れ始めています。

 ゴーリスは笑って言いました。

「さあ、もういいかげん寝ろ。悩むのにも気力と体力がいるんだ。しっかり寝て回復する方が先だぞ」

 フルートはうなずくと、ゴーリスに背を向けて眠る体勢に入りました。そうしながら、ひっそりと涙をこぼしている気配が漂います。

 ゴーリスは苦笑いをして夜空を見上げました。

 この優しすぎる勇者がどこまで行くのか、どこへたどりつくのか、師匠の彼にももうわかりませんでした。ひょっとしたら、占者の占盤には将来の姿が映っているのかもしれません。けれども、それもまた、どちらへ向かうかわからない、とてもあいまいな未来に思えるのでした。

 神々の守りあれ――。黒い剣士は、夜空に輝く星々に向かって、心でそっとつぶやいていました。

素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク