「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第6巻「願い石の戦い」

前のページ

64.微笑

 ジタン高原を冷たい風が吹き渡っていました。

 雪はもうやんでいます。地面に薄く降り積もった雪が、白と黒の寒々しい景色を繰り広げています。

 ユギルの話を聞きながらゼンに寄りかかっていたフルートが、ぶるっと身震いをしました。魔法の鎧はその守りの力の大部分を失ってしまっています。鎧の隙間から寒さがしみ通ってきて、弱ったフルートの体を冷やし始めたのでした。

 ゼンがそれに気づいて、あわてて自分のマントを脱いで友人に着せかけました。そのまま、少しの間考え込んで、やがて口を開きます。

「なんでだよ?」

 重い声です。一同は思わずゼンを見ました。

 ドワーフの少年はユギルを見上げました。その目には、はっきりとした怒りの色がありました。

「なんで、それだけのことがわかっていたのに、黙ってヤツらにフルートたちを狙わせていたんだよ? ヤツらは何度も襲ってきたぞ。本当に何度も――。そのたびに、こいつや皇太子がどれほど危険な目にあったか、わかってるのかよ? こいつは二度も死にかけたんだぞ! 皇太子だって怪我をした! 敵の尻尾をつかむため? へっ、立派な理由だな。いかにも人間の考えそうなことだぜ。――こいつらを、なんだと思ってやがる!! 敵を捕まえるためなら、こいつらがどうなっても良かったっていうのかよ!? 馬鹿にするな!!!」

 ゼンはロムドの占者を大声でどなりつけていました。先の皇太子よりも、もっと激しい怒りが声の中にあります。その迫力に、居合わせた者たちは誰も口がきけなくなりました。

 ゼンは力なく寄りかかるフルートを抱き寄せて、そっと話しかけました。

「よう……もういいだろう? こんな人間どもを守ってやる必要なんてないさ。こいつらには、こいつらの好きなようにさせておけよ。それでデビルドラゴンに全滅させられようが、大戦争を起こして国が滅びようが、そんなのはこいつらの自業自得だ。おまえが助けてやる必要なんてないんだよ」

 ゼンの声は優しく静かです。一同は、いっそう何も言えなくなりました。銀髪の占者は目を閉じて頭を下げました。そんな青年が黙ったまま深く傷ついたように、ゼン以外の者たちの目には見えました――。

 

 すると、ピランが口をはさんできました。

「まあ、そう怒るな、ドワーフの坊主。おまえらの気持ちはわかるがな、こっちだって何もしてなかったわけじゃないんだぞ。ユギル殿は毎日、それこそ朝から晩まで占盤をのぞき続けとったんだ。旅先のおまえらのことも、ザカラスの動きも、ディーラのうざったい貴族どもの様子も、ずっと見張り続けておった。なんでも、占いってのは、時々刻々変化していくものなんだそうだ。ザカラスが軍隊を動かす気配が見えてからは、ゴーラントス卿に辺境部隊を率いさせて、ジタン高原に向かわせた。それも状況に変化が見えるたびに、早鳥(はやどり)に知らせを運ばせてな――。いよいよザカラスが軍を動かし始めたのを見てからは、ユギル殿自身が直接馬車でここに向かってきた。変化の激しい戦場の動きに対応するためにだ。わしはそのおまけだが――。占い師が安全な場所でただ高みの見物をしていたと思えるのか? だがな、ユギル殿はおまえらが旅立ってからずっと、ほとんどまともに寝ておらんのだぞ。ずっと、占盤でおまえらを見守り続けとったんだ」

 子どもたちと皇太子はユギルを見つめてしまいました。

 銀髪の青年はなにも言いませんでした。たださらに深く頭を下げて、そのままうつむいています。その細い姿が、彼らが旅立ったときよりいっそう痩せて細くなっていたことに、皇太子は気がつきました。

 

 フルートが顔を上げました。顔色はまだ青ざめていますが、それでも、はっきりした声で言いました。

「ユギルさん……ありがとうございます」

 占い師は頭を振りました。目は伏せたままです。

「礼を言っていただけるようなことではございません。ゼン殿のおっしゃるとおりなのです。確かに、勇者様も殿下も、ザカラスの魔手から逃れるだろう、と占盤には出ておりました。ですが――これほど過酷な状況から助けられるのだとは、わたくしの占いでも読めてはいなかったのです。ポポロ様が駆けつけてくださるのがあとほんの少し遅かったら――占いの結果はまた、大きく変わってしまっておりました――」

「でも、ぼくはこうして生きています。ユギルさんの占いのとおりです」

 とフルートは言いました。ユギルが目を上げます。フルートはそれに向かって、ほほえんで見せました。何のわだかまりもない、穏やかな笑顔です。青年はなにも言わず、ただ深く深く一礼を返しました――。

 フルートは怒ったようにそっぽをむいたままの友人に言いました。

「ゼンも。ぼくは無事だったんだからさ。機嫌なおせよ……」

 と、こちらにも笑って見せます。ゼンは思わずそれを殴りそうになって、懸命にこらえました。拳が震えます。

 フルートはちょっと声を立てて笑うと、すぐに、疲れたようにゼンの首に腕を回しました。そのまま広い肩に寄りかかって言います。

「ありがとう、ゼン……。君たちのおかげで、ぼくは金の石の勇者をやってられるんだ……」

 ゼンは思わず泣き出しそうになりました。涙の代わりに拳を地面にたたきつけると、乱暴にフルートを抱き寄せ、吐き出すように言います。

「どうして、おまえはそう俺たちの殺し文句を知ってやがんだよ。卑怯だぞ!」

 フルートはまたちょっと笑うと、目を上げて他の仲間たちを見回しました。メールが、ポポロが、ポチが、ルルが、自分たちのすぐそばに立って見守っています。それへ笑いかけると、仲間たちも笑い返してきました。優しい優しい笑顔が行きかいます――。

 

 皇太子はそれを見ていました。何故だか妙に空っぽな気分になります。

 遠いどこかから、また誰かの声が聞こえるような気がしました。「彼らはおまえにないものを持っているな、オリバン」と。

 それは知らない誰かの声のようにも、ロムド国王である父の声のようにも思えます……。

 

 その時、皇太子はゴーリスから話しかけられました。

「お考えごと中失礼します、殿下。この者がぜひ殿下とお話ししたいと、ずっと待っておりますので」

 それはロムド軍の辺境部隊の隊長でした。銀の兜を小脇に抱え、皇太子の前で敬礼をしたまま不動の姿勢でいます。皇太子は我に返って相手を眺め、ああ、と言いました。

「おまえのことは覚えているぞ。確か、私が第七辺境部隊にいた頃、同じ小隊にいたな。名前は――ジパシエ、だったか?」

「覚えてくださっておいででしたか。光栄至極です」

 と隊長は顔を輝かせました。この人物が、遁走しようとしたロムド軍に「皇太子殿下が戦場に残っているぞ。とどまれ!」と呼びかけてくれたのです。

「殿下が我が第七部隊にいらっしゃったのは、もう十年も昔のことです。まだお小さい頃でしたから、お忘れになられてしまったものとばかり思っておりました。ですが、我々第七部隊は、殿下のことを忘れた日はございませんでした」

 皇太子は思わず隊長の顔を見返しました。単なる社交辞令かとも思ったのですが、それにしては、相手がいやに真剣な口調だったからです。すると、隊長が笑いました。隊長は大柄な男でしたが、いぶし銀の鎧を着た皇太子は、それよりさらに大きな体をしています。

「本当に大きく立派になられました」

 と隊長はしみじみと言いました。

「殿下はご存知だったでしょうか? 我々は、十年前にも殿下をお守りしていたのです。殿下が常に命をつけ狙われておられることは、国王陛下やユギル殿から聞かされて存じておりました。我々は辺境部隊です。数ある部隊の中では、階級も身分も低い者が集まった雑多な隊で、同じ国王軍の他の部隊からは粗野と呼ばれ、馬鹿にされることも多いのです。ですが、国王陛下はその我々を信用して、殿下の命を託してくださった。……殿下にご心配をおかけしてはならないと、そのことは決して口に出しませんでしたが、我々は二十四時間、幼かった殿下の身辺に気を配り続けていたのです。むろん、私もです。私は、同じ小隊の中で、殿下に近づく者をチェックする役目を言いつかっておりました。食事を毒味する役目の者も、殿下の宿舎を警備する役目の者も、新入隊員を監視する役目の者もおりました。辺境部隊は、皆が一丸となって、殿下をお守りしていたのです」

 皇太子はとまどいました。父に疎まれて追いやられていたとばかり思っていた辺境部隊です。ことさら隊員たちと仲良くしようとも思わなかったので、同じ小隊にいたこの男とも、ろくに話したおぼえもありません。名前を覚えていたのは、自分の身を守るために、隊の中の人間の名前と顔を記憶しておく必要があったからです。

 すると、ゴーリスが穏やかに話しかけてきました。

「殿下。陛下とユギル殿は、常に殿下が一番安全に過ごせる場所を求めて、殿下を辺境部隊に置かれたのです。ユギル殿も話したとおり、殿下の命を狙っていたのは、隣国のザカラス王自身です。ザカラス王は今の王妃様の父上に当たられるし、ザカラスは我が国の同盟国でもある。当然、王宮にはザカラスからの使者や客人が多くあります。その中に殿下の命を狙う刺客が紛れ込む可能性が高かったので、殿下を王宮に置いておくことができなかったのです」

 皇太子はゴーリスを見つめてしまいました。あまりに意外な話に、とっさには何も言えません。

 

 すると、隊長がまた笑いました。

「王宮というのはしょうもない、大貴族どもがいばりくさっているから、こんなお小さい殿下まで命を狙われるのだ、と我々は発憤したものです。おっと、これは陛下にはご内密に願います。辺境部隊ゆえ、ことばづかいや礼儀作法は不充分でございますので」

 最初のしゃちほこばった態度はいつの間にか崩れ、辺境部隊の隊長らしい、ざっくばらんな様子が見え始めていました。そうです。辺境部隊とはそういう場所でした。皇太子が同じ部隊にいても、ことさらちやほやと扱うわけでも、形式張った礼儀を払うわけでもなく、ただ、そっけないほどに隊の一員として扱ってくれていたのです。まだ子どもだった皇太子を――。

「私は、知らぬ間に皆に守られていたのか」

 と皇太子はつぶやくように言いました。苦い思いが胸の中に広がります。臣下を守っても、守られる者にはなるまい、と精一杯がんばってきたつもりでしたが、実際には、大勢の大人たちの手の中で踊らされていただけだったのだ、と考えます。

 すると、隊長は笑顔のまま首を振りました。

「それは違います、殿下。殿下も、我々辺境部隊を守ってくださっていたのです」

 いつ、どこで!? と皇太子は思わず厳しく問いただしました。我ながら子どもじみた口調になっている、と感じます……。

 隊長は、穏やかに答えました。

「殿下のおられる辺境部隊が、常に戦闘で負け知らずだったことは、ご存知でしたでしょうか? 我々第七部隊だけでなく、他の部隊もそうです。皇太子殿下がおられる間は、ただの一度も負けたことがありません。――殿下は、戦闘になると、いつも先陣を切って飛び出して行かれた。無鉄砲とも違います。きちんと戦況を見極めて、自分に戦えそうな場所を見つけて駆けて行かれる。味方の兵が危なくなれば飛んできて助けてくれるし、自分より大きな敵兵にも勇敢にかかっていかれる。幼い殿下にそれだけの活躍を見せられて、発憤しない兵はありません。『殿下は戦場におわす、殿下をお守りしろ』それが我々の合い言葉でした。誰もが勇敢に戦い、そのことによって、すべての戦いに勝利を収めたのです。殿下は、我々の勝利の軍神だったのです」

 皇太子は、また何も言えなくなりました。あまりにも思いがけなくて、意外な話です――。

 

 隊長は続けました。

「さきほど、殿下は我々に、窮地を救ってくれたことを心より感謝する、ありがとう、と言ってくださいました……。あれがどれほど我々にとって嬉しいことばだったか、おわかりいただけますでしょうか? 部隊には、十年前の殿下を知っている者も大勢おります。あの頃の我々の働きを殿下に認めていただけたようで、皆が本当に嬉しく感じたのです」

 それをぜひ殿下にお伝えしたくて参りました、と隊長は言いました。殿下がおられた辺境部隊は他にもいくつもありますが、殿下から直接感謝のことばをいただいたのは、我々第七部隊が一番最初です、他の部隊の連中に自慢できます、とも。ひげにおおわれた顔を照れたように赤く染め、得意そうに笑っています。

 皇太子は完全にことばを失いました。

 とまどいながら目を上げると、座っているフルートと目が合いました。フルートはまだ親友にもたれたままでしたが、皇太子の視線に気がつくと、にこりと笑いかけてきました。皇太子と辺境部隊の隊長とのやりとりを、自分のことのように喜んでいるのがわかります。

 皇太子はますますとまどって、立ちつくしてしまいました――。

素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク