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第6巻「願い石の戦い」

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第16章 星のきらめきの少女

60.白塔

 世界の上空をすべるように飛んでいく天空の国。

 その国の姿は地上の人々や生き物の目には見えません。太陽の前を通り過ぎても、日の光をさえぎることもありません。何千年もの間、この魔法の国は誰にも気がつかれないまま、世界の上を飛び回り続けてきたのでした。

 天空の国には高い死火山がそびえ、その頂上に光り輝く天空城があります。正義の天空王が住む城です。貴族と呼ばれる強力な魔法使いたちが出入りし、正義と平和を守るために、風の犬に乗って地上へ降りていきます。

 城の中庭には、そんな貴族たちが時折のぞき込む泉がありました。地上の様子を映し、彼らになすべき事を告げる鏡の泉です。普段は泉の周りに人気はなく、ただ魔法の植物が揺れ、風が穏やかに吹き抜けていきます。泉と植物園の周りを、色とりどりの花が咲くバラの生け垣が取り囲んでいました。

 

 ルルはその植物の陰に隠れるようにしながら、毎日、泉のほとりにいました。毎朝、夜明けと共に風の犬になって城まで飛んでくると、誰もいないのを見計らって生け垣の内側に入り、人目につかないようにうずくまります。人の気配がすれば、すぐに隠れ、人が泉から立ち去れば、また戻ってきて泉をのぞきこむのです。

 ルルが泉で見ていたのは、ジタン山脈を目ざして旅を続けるフルートたちの姿でした。十日ほど前、偶然中庭で立ち聞きした天空王と泉の長老の話が気になっていたのです。

「また金の石の勇者が失われるかもしれません」

 と天空王は泉の長老に向かって言っていました。とても深刻そうな声でした。金の石の勇者が失われる、ということが、具体的にどういうことなのかはルルにもわかりませんでした。でも、地上を行く一行、特にフルートに恐ろしい危険が迫っているのだろう、とルルは判断して、その時からずっと、魔法の泉で旅する彼らを見守り続けていたのです。

 天空王のことばの通り、フルートたちを強敵が何度も襲っていました。特に、ランジュールという若い魔獣使いは、とんでもない敵でした。強力な魔獣を率いて襲いかかってきて、一度などは、風の犬になったポチまで操られそうになっていました。ルルとしては、見ていて気が気ではなかったのですが、幸い、フルートたちが負けるようなことはありませんでした。

 本当の危機は、夜の暗がりに紛れて、彼らに襲いかかっていました。リザードマンやセイレーンたちです。ルルは夕方には家に帰らなければならなかったので、夜の間の事件は直接目にしませんでしたが、翌日の彼らの様子を見ると、なんとなく、ただごとではないことが起きたらしいと知ることができました。

 何者かが、フルートたちの命を狙い続けていました。執拗なまでに。ルルは、とてもやきもきしながら、泉を見つめ続けていました。彼らが呼べば、自分一人ででも助けに地上へ駆けつけようと思っていたのですが、こんな時に限って、彼らは天空の国の仲間のことなど少しも思い出さないのです。ルルは貴族ではないので、勝手に地上に下りることはできません。呼んでもらえなければ助けに行くこともできず、ルルは本当に、ただいらいらしながら泉を見つめ続けていました。

 

 ついに最悪の事態が起きたのは、ルルが見張り始めて十一日目のことでした。

 いつものようにランジュールがキマイラを連れて襲いかかってきました。キマイラは恐ろしい怪物です。さすがのフルートたちも、絶体絶命かと思われました。

 ところがそこへ、黒い鎧兜の大軍団が襲いかかってきたのです。たった四、五人の一行に向かって、百名以上の大集団で突撃してきます。矢が飛び、剣がひらめき、フルートたちに迫ります。

 キマイラが軍勢相手に暴れ回っていました。見境のない怪物です。あっという間に周囲に死体の山ができ始めます。

 ルルは身震いしました。恐ろしさに息が詰まりそうになります。みんな、逃げて! と隠れていることも忘れて、思わず大声を上げましたが、泉に映る彼らは逃げようとしません。逆に、敵を倒すキマイラに立ち向かっていくのです。「殺すな!」とフルートが叫んでいるのが見えました。炎の剣を高くかざしています。

「フルート!」

 ルルは涙を浮かべながら叫びました。

「ダメよ、敵を助けようなんてしちゃダメ! あなたが殺されるわよ! 逃げて――!」

 けれども、どんなに叫んでもルルの声は地上の仲間たちには届きません。フルートがキマイラに向かって炎を撃ち出します。怪物が炎に包まれ、ゼンの矢をくらい、風の犬のポチにひっくり返されて、激しく燃え上がります。怪物が倒れたのを見て、敵の軍勢がまたフルートたちに襲いかかってこようとします――。

 

 ルルは立ち上がりました。

 頭をきっともたげて、天空城の一角にそびえる塔を眺めます。光り輝く天空城の中で、ただ一箇所、くすんで見える白い建物です。そこへ、ルルは思い切り心の声をたたきつけました。

 ポポロ!! ポポロ、聞こえる!? フルートたちが大変よ!!! ――と。

 

 けれども、返事はありませんでした。自分の心の声が、塔を包む見えない壁に跳ね返されたのを感じます。あそこは修行の塔です。中で修行する者たちが外から心乱されることがないよう、魔法の結界で包まれているのです。

 ルルは風の犬に変身しました。巻き起こった風が鏡のような泉の表面にさざ波が立て、そこに映る戦場の光景を乱します。ルルはうなりをあげて上空に舞い上がりました。まっしぐらに修行の塔へ飛んでいきます。

 ポポロが塔のどのあたりにいるのか、ルルにはわかりませんでした。でも、中にいるのは感じます。ポポロがどこにいたって、ルルにはその存在が心で感じられるのです。

 ルルは塔の周りを飛び回り、どこかでつながり合っている心を通じて、声を限りに呼び続けました。

「ポポロ! ポポロ! 聞いてちょうだい!! フルートたちが大変よ! みんな、殺されてしまうわ――!!」

 返事はありません。どんなに大声で叫んでも、声はすべて塔の表にはじき返されてしまいます。

 ルルは必死で飛び続けました。塔はつるりとした白い石の壁に包まれていて、入口も窓も見あたりません。魔法で完全に閉じられているのです。思いあまって、ルルは塔に体当たりをしました。彼女は風の刃を持っています。それで塔の壁を切り裂こうとします。

 が、とたんに、まるで雷にでも撃たれたような衝撃が全身に走り、ルルは危なく気を失いそうになりました。修行の塔は、魔法使いの中でも特に力の強い者が修行するための場所です。どんな攻撃や衝撃にも耐えられるよう、強力な障壁で守られているのでした。

 かろうじて地面に激突する前にルルは正気に返り、また空に舞い上がりました。でも、塔に入る方法がわかりません。どうしたらポポロを呼べるのかもわかりません。彼女は半年間の修行の真っ最中です。修行が終わって彼女が出てくるまでには、あと三ヶ月もかかるのです――。

 ついに、ルルはすすり泣きだしました。こうしている間にも、フルートたちは襲われています。黒い軍勢が彼らに押し寄せ、いっせいに切りつける光景が思い浮かびます。

 ルルは泣きながら言いました。

「ポポロ……ポポロ、気がついてちょうだい……。フルートが大変なのよ……。死んでしまうかもしれないのよ……」

 優しい、優しいフルートなのに。敵さえも怪物から救おうとするような、そんな心優しい勇者なのに。助けた敵の手にかかって、命を落とそうとしているのです……。

 

 すると、出しぬけに心の中に声が響きました。

「今すぐ行くわ!! 待ってて!!」

 ルルが仰天して思わず空中で飛び上がるほど強い返事でした。ポポロの声です。

 続いて、どんな攻撃にも耐えるはずの修行の塔の壁が、ドン、という爆音と共に崩れました。大きな岩の破片がゆっくりと地上へ落ち、ずしん、と地響きを立てます。

 壁にぽっかり口を開けた場所に、星空の衣を着た小さな少女が立っていました。赤いお下げ髪を吹き上げてくる風になびかせ、頬を髪の色に負けないくらい赤く染めています。

 すると、少女は、建物の奥に向かって頭を下げました。

「すみません、すみません……! 帰ってきたら直しますから……! ごめんなさい……!」

 今にも泣き出しそうな顔と声で言っています。

 ルルは叫びました。

「ポポロ!」

 少女が顔を上げました。空飛ぶ犬を見上げて、両腕を大きく広げます。

「ルル!!」

 

 ルルはうなりをあげて舞い下りました。ポポロのところまで急降下すると、あっという間に背中に小さな体をすくい上げ、地上目ざしてまっしぐらに飛び始めます。

 飛びながらルルは言いました。

「ポポロ、フルートたちが――」

「うん、わかってるわ」

 とポポロが答えました。ルルとつながった心を通じて、彼らを襲っている危険な光景を見たのです。ルルの背中にひしとしがみつきます。

「急いで、ルル! 全速力で! 大丈夫よ。あたし、絶対に振り落とされないから――!」

「わかった」

 ルルは、ぐんとスピードを上げました。これまでになかったほどの速度で空を飛び始めます。天空の国から、地上を目ざして、まるで稲妻のように駆け下りていきます――。

 

 天空城の最上階にあるバルコニーで、一人の男性と老人が地上へ向かう風の犬と少女を見送っていました。男性は光り輝く銀の髪とひげに黒い星空の衣、老人は背丈よりも長い白い髪とひげをたらし、色合いの変わる青い衣を着ています。天空王と泉の長老でした。

「ついに行きましたな」

 と天空王が言いました。深い目で泉の長老を見ます。

「あの子どもたちに彼を救うことはできましょうか?」

「わからぬ」

 と泉の長老は答えました。低い静かな声です。

「運命の歯車の力は強い。だが、そこから彼を救える者があるとしたら、それはあの子どもたち以外にはおらぬ。それは確かじゃ」

 天空王はもうなにも言いませんでした。遠ざかっていく風の犬と少女を、泉の長老と共に見つめ続けます。少女たちが向かっていくのは、一面の雲におおわれた、見通しのきかない白い空でした――。

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