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第6巻「願い石の戦い」

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59.初雪

 ジタン山脈のふもとの高原に雪が降り出しました。みぞれがついに完全な雪に変わったのです。みるみるうちに地面が白くなり、空は冷たい灰色に変わっていきます。初雪でした。

 雪を蹴散らしながら兵士たちが戦っていました。銀の鎧はロムド軍の辺境部隊、黒い鎧は所属の知れない謎の軍隊です。どちらも馬に乗っていて、駆け寄りざま剣と剣とをぶつけ合っては、激しく切り合います。たちまち、そこここで血しぶきが飛び、悲鳴が上がります。悲鳴を上げるのはロムド兵のこともあれば、謎の敵兵のこともあります。積もったばかりの雪が蹄に黒く掘り返され、血に紅く染まります。

 ロムド軍と敵軍とはほぼ同じくらいの規模でした。さらに奥まった場所に、それぞれの弓矢部隊を配置しています。弓矢部隊は高原で接近戦が始まると、矢を飛ばす先を騎兵隊から敵の弓矢部隊に変えました。双方で敵陣に矢を撃ち込みあいます。弧を描いて飛んでくる矢に、互いの陣営で人が倒れます。

 

 フルートたちの中で一番最初に自分を取り戻したのは皇太子でした。皇太子は幼い頃から辺境部隊と共に実際の戦場で戦ってきています。激しい戦闘に立ちすくむ子どもたちを尻目に、自分の剣を握って飛び出していきました。馬から落ちたロムド兵に今まさに切りつけようとしていた敵兵を、一刀のもとに切り伏せます。

 それを見て、ゼンとメールも我に返りました。

「俺たちも行くぞ」

 とゼンは駆け出しました。背中からまたエルフの弓を外します。

 すると、メールがそれに追いついてきて、ゼンが収めたばかりのショートソードを腰の鞘から引き抜きました。

「お、おい……」

 思わず驚くゼンに、メールが一言叫びます。

「借りるよ!」

 炎が消えた風の犬のポチに飛び乗ると、そのまま空に駆け上り、上空から切りかかっていきます。メールは身を守る防具をまったくつけていないのですが、そんなことはお構いなしです。ポチが急降下をするたびに、敵兵の悲鳴が上がり、血しぶきが飛びます。

「あのはねっかえりめ」

 ゼンはいまいましくつぶやくと、エルフの矢を放ち始めました。どんな混戦の中でも、ゼンの矢は狙ったものを外しません。メールやロムド兵を狙っていた敵を次々と馬から射落としていきます。

 

 フルートは一番最後までその場に立ちすくんでいました。

 戦いはキマイラ対人間から、人間対人間に移り変わっています。獣の鳴き声の代わりに人の叫び声が響き渡り、炎や毒の息の代わりに、剣がうなり、矢が飛びかいます。

 けれども、それは怪物が暴れているときの様子と何も変わりはありませんでした。人と人が戦い合えば、やがて、どちらかの剣が相手の体を切り裂き貫きます。血があふれ、悲鳴が上がり、人が倒れます。戦いが激しさを増すごとに、戦場は凄惨を極めていきます。切り落とされた手や足、兜ごと体から跳ね飛ばされた頭。足止めを食らわせるために攻撃された馬が、腹の傷から内臓をはみ出させて、死にものぐるいであがいています。怪物の戦いも、人の戦いも、何も変わらないのです。戦いとは、命を殺すことそのものなのです――。

 フルートのすぐ近くで激しく戦う男たちがいました。黒い鎧で身を包んだゴーリスです。馬に乗ったまま、馬に乗った敵と斬り合っています。ゴーリスが劣勢というわけではありませんが、敵も強く、なかなか勝負は決まりません。

 ぼくも戦わなくちゃ、とフルートは考えました。冷たく汗ばんだ手で、自分の剣を握り直します。本物の人と人との戦闘が、どんなに残酷でも、どんなに無惨でも、それでも自分は戦わなくてはならないのです。人を守るために――。

 

 その時、ふいに少女の悲鳴が上がりました。フルートは、はっとしました。メールです。

 風の犬のポチに乗って攻撃していたメールが、敵の剣をかわした拍子に、ポチの背中から地面に落ちたのでした。たたきつけられた衝撃で動けなくなります。そこへ敵兵が襲いかかります。

「危ねぇ!」

 ゼンが矢で援護しようとした時、後ろからいきなり切りつけられました。いつの間にか迫っていた敵が、ゼンに切りかかってきたのです。剣は青い胸当てに当たってはじき返されましたが、ゼンは不意を突かれて思わずよろめきました。その隙を狙って、敵がまた剣を突き出してきます。ゼンはとっさに弓矢を手放し、敵の腕をつかみました。力任せに投げ飛ばしてしまいます。

 敵兵がメールに剣を振り上げました。細い少女の体に、ためらいもなく刃を振り下ろそうとします。

 と、その刃を黒い剣が止めました。フルートが飛び込んで防いだのです。小柄な少年が大人の太刀筋を止めたので、敵は驚いたようでした。フルートの剣を力ずくで押し切ろうとします。

 

 ポチが空から舞い下りてメールに飛びつきました。

「ワンワン、メール! 大丈夫ですか!?」

「あいたた……背中打っちゃったよ……」

 メールが手を伸ばしてポチにしがみつき、ようやくのことで起き上がってきました。それでも、ゼンから借りたショートソードは手放していません。

 フルートは敵兵と剣を合わせていました。小柄なフルートより頭二つ分も大きな大人が相手です。本当ならば、あっという間に切り伏せられて勝負が決まっているはずなのに、剣を構えるフルートの手はびくともしません。やがて、敵の腕の方が力尽きて震え始めました。信じられない事態に男は兜の奥で目を見張りました。

 その時、男はやっと気がつきました。自分と戦っている少年は、金色の鎧兜で身を包んでいるのです。

「お、おまえが金の石の勇者なのか――!」

 と敵の男は言いました。切り伏せられないのも当然でした。思わず気持ちがひるみ、剣を引いてしまいます。

 それへフルートは剣を振り上げました。逃げようとする敵に切りつけようとします――

 

 その瞬間、フルートの脳裏に燃え上がる男の姿が浮かびました。フルートが握っているのは炎の剣です。ひとかすりでもすれば、相手は炎に包まれて焼け死んでしまいます。

 フルートの剣が止まりました。心の中で激しい葛藤が起こります。いるはずのないランジュールの声が笑いながら言っていました。

「割り切りなって、金の石の勇者。殺さなくちゃ勝てないじゃないかぁ」

 それっておかしいよ、と心の別の場所でフルート自身が答えていました。人を守るのに人を殺さなくちゃならないなんて、そんなのは矛盾してる。絶対におかしいよ……と。

 キマイラの炎に包まれて絶命していく兵士たちの顔が浮かびました。みんな、普通の大人の男の人たちでした。シルの町の牧場や畑で働いているような。旅の途中に通る町や村で暮らしているような。今、自分が魔剣で殺そうとしているこの兵士も、兜を脱げばきっと同じように普通の人の顔をしているのです。極悪非道な罪人面でも、悪魔のような闇の怪物の顔でもなく――。

 

 フルートがためらって止まった瞬間を、敵の兵士は見逃しませんでした。一度は逃げ出しかけたのに、踏みとどまり、剣を握り直します。ためらいもなく突き出した剣が、フルートの左の脇の下に突き刺さりました。金の鎧でおおわれていない場所です。鋭い刃が少年の体の中を深く貫きます。

 歪み傷ついた魔法の鎧。その守りのほころびは、いつの間にか、左肘の部分だけでなく、左腕全体、鎧全体にまで広がって、防御力を著しく下げていたのでした。

 敵が剣を引き抜きました。傷口から血が吹き出します。かろうじて心臓はそれましたが、肺を深く傷つけられました。フルートは悲鳴を上げ、咳と共に血を吐きました。

 

「フルート!!」

 すぐ近くにいたメールとポチが悲鳴を上げました。

「フルート!」

 ゼンが真っ青になって走ってきます。

「馬鹿な!」

 皇太子が血を吹いて倒れていくフルートを見てどなりました。駆け寄りざま、フルートを刺した男を切り倒します。

「フルート!」

 ゴーリスが叫びました。戦っていた相手を強烈な一撃で馬からたたき落とすと、馬の首を巡らして駆けつけます。

 

 フルートは雪の薄く積もった地面の上に座りこんでいました。脇腹を押さえた手の下から血があふれ続けています。痛みで息をすることができません。駆け寄ってくる仲間たちも見えなければ、その呼び声も聞こえません。頭の中は真っ白です。

 その白い世界に、鮮やかな金の少年の面影が浮かびました。小さな少年は、金の瞳でじっとフルートを見ています。

 フルートは少年を見つめ返しながら尋ねました。

「人を守るには――世界を守るのには、人を殺さなくちゃならないの?」

 問いかけに金の少年は何も答えません。フルートは苦しさにあえぎながら首を振りました。

「わからないよ、金の石……。ぼくには、わからない。どうしたらいいのか、わからないんだよ……」

 フルートは、咳と共にまた大量の血を吐きました。その場に力なく崩れていきます――。

 

 と、その体を二つの手が抱きとめました。

 強い太い腕ではありません。か細いほどの両腕が、必死でフルートの体を支えます。その腕は、小さなきらめきをちりばめた黒い袖に包まれていました。

 駆け寄っていた人々は、驚いてその場に立ちつくしてしまいました。誰も声が出せません。

「フルート……! フルート、しっかりして……!」

 泣きそうな声になりながら、懸命にフルートを抱き止めていたのは、赤い髪に緑の宝石の瞳の少女でした――。

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