頭がライオン、背中にヤギの頭と前半分の体、尾が蛇の怪物は、目の前のフルートを見据えました。ライオンの口が大きく開き、激しい炎を吐こうとします。
とたんに、金の鎧の少年は両手の剣を大きく振りました。ごうっと音がして、炎の弾が切っ先から飛び出し、ライオンの口へ飛んでいきます。吐き出したばかりの火と弾がまともにぶつかり合い、無数の炎のかけらになって飛び散ります。フルートは炎に炎をぶつけて相殺させたのでした。
「へぇ、やるねぇ」
とランジュールがキマイラのライオンの頭の上から感心しました。が、次の瞬間には、冷ややかにまた目を光らせます。
「それじゃ、もっと強力な火だったらどうかな? その剣から出る火より、もっと強い火だったらね?」
ライオンがまた口を開け、先よりも激しい炎を吹きました。フルートはまた炎の弾を撃ち出しましたが、相手の火力を返しきれなくて、飛んできた火炎にさらされました。あわてて身をひねり、熱を防げない左肘をかばいます。
「フルート!」
ゼンが百発百中の矢を放ち始めました。ワン、とポチが風の犬になって飛び出し、メールが花を呼びます。
「ポチ、ダメだ! 雪が降ってる!」
自分自身が危ないのに、フルートはポチの心配をしました。激しい雨や雪の中では、風の犬は消滅してしまいます。すると、ポチが叫ぶように答えました。
「ワン、大丈夫ですよ! これくらいの雪は平気です!」
吹きつけてくるみぞれ混じりの風に逆らい、キマイラに上から飛びかかっていこうとします。ゼンの矢も、まっすぐランジュール目がけて飛んでいきます。
とたんに、ランジュールが声を上げました。
「メェメェちゃん!」
すると、キマイラの背中のヤギが顔を上げました。迫ってくるポチと矢に向かって、長い二本の角が生えた頭を振り上げます。
「メェェェ……」
それはただのヤギの鳴き声に聞こえました。が、それが響いたとたん、ゼンの矢は一瞬で粉々に砕け散り、ポチの風の体が、ばっと霧散しました。
「ポチ!!」
フルートは思わず声を上げました。何が起こったのかわかりません。ポチの白い幻のような体が、半分以上吹き飛んでいます。
「ギャン!」
ポチが大きく叫んで向きを変えました。逃げる体の後ろにまた霧のようなものが集まり、長い風の体を復活させていきますが、それは先の体よりもいくぶん薄くなったように見えました。
うふふふ、とランジュールが満足そうに笑いました。
「ヤギだから弱いだろうと思っちゃダメだよぉ。このメェメェちゃんはね、鳴き声で何でも壊すことができちゃうんだから」
「ワン、鳴き声の振動で相手を強く揺すぶって破壊させてるんです! 気をつけて!」
とポチが空から叫びました。音波攻撃と言われるものでしたが、フルートたちにはそんな名称はわかりません。ただ、キマイラのヤギがライオンの頭に劣らず強敵なのだということを悟りました。
「さあ、ラーちゃん、あいつらを焼き肉にして食べようね」
とランジュールがライオンの頭に言います。それを聞きつけてゼンが言い返しました。
「ヤギがメェメェちゃんでライオンがラーちゃんなら、蛇の尻尾は何だよ! またビーちゃんか!?」
「それじゃつまんないから、蛇はしっぽちゃんだよぉ」
とランジュールがのんびり答えます。ゼンは顔をしかめました。ばっかじゃねえか、と思わずつぶやいてしまいます。
メールは半泣きになりながら必死で呼び続けていました。
「花たち! おいで、花たち――!」
ところが、どんなに呼びかけても花はメールの元にやってきません。頂上では雪さえ降っているジタン山脈のふもと。みぞれが降り、冷たい風が吹き抜けていく高原に、もう花は一輪も咲いていないのでした。
メールは毛皮のコートを着た自分の体を思わず抱きしめました。痛いほどに両腕をつかんで、怪物と向き合っている仲間たちを見つめます。メールは花使いです。花がなければ一緒に戦うことができないのです。悔しさに歯ぎしりをします――。
フルートが仲間たちに言っていました。
「ポチ、鳴き声に気をつけて炎を防いで! ゼンはぼくの援護だ!」
そう叫ぶなり、一人で駆け出します。向かう先は、蛇の頭があるキマイラの尾の部分です。
それに向かってライオンが火を吹きました。ワン、とポチが急降下して、炎の渦を体に巻き込み、上空へそらしてしまいます。
ゼンがまたランジュールへ矢を放ちました。メェメェちゃん、と青年が叫び、ヤギの頭がフルートから矢の方に向き直ります。鳴き声が響いて、矢が砕け散ります。
その間にフルートはキマイラの後ろまで走っていました。鎌首をもたげて威嚇してくる蛇の尾を、炎の剣で断ち切ろうとします。
すると、突然シャーッと蛇の口が真っ黄色い霧のようなものが吹き出してきました。フルートはぎょっと立ち止まりました。蛇は毒の息を吐いたのです。霧になった猛毒がフルートの全身に吹きつけられてきます。フルートは避けられません――
その時、いきなりフルートの目の前が暗くなりました。黒い布のようなものが全身を包み込み、絡めとってしまいます。太い人の腕が、フルートの小柄な体をつかまえて強く引きます。
と、黒いものがほどけて、またあたりが明るくなりました。視界が開けます。
フルートの目の前に立っていたのは皇太子でした。黒いマントがフルートの体から離れていきます。皇太子は自分の腕とマントの中にフルートをくるみ、毒の息からフルートをかばったのでした。マントが、吐きつけられた毒でたちまちぼろぼろになっていきます――。
フルートが思わず声も出せずにいると、皇太子が突然どなってきました。
「きさまは本当に馬鹿か! どうしてそう無謀なことばかりするのだ! 命がいくつあっても足りないではないか!」
ものすごい剣幕でそう叱られて、フルートはまた呆気にとられてしまいました。皇太子は以前と変わりません。あれほど暗く沈んでいたのが嘘のように、フルートの前に大きく立っています。
ランジュールが口をとがらせて話しかけてきました。
「ダメだよぉ、王子様。キミがそこにいたら勇者を攻撃できないじゃないか。キミには関係ないことなんだしさ、ちょっとそっちの方にどいててくれないかなぁ」
「そうしていようかとも思ったのだがな」
と皇太子はランジュールを見上げて答えました。
「だが、やはりそういうのは私の性分には合わない。きさまに金の石の勇者を殺させるわけにはいかん。私と勝負をしろ!」
「困ったなぁ」
とあまり困ったような調子でもなく、ランジュールが言いました。空をついて飛んできたゼンの矢をヤギにまた破壊させ、襲いかかってくる風の犬のポチを追い返して、また目の前の青年と少年を見下ろします。
「ボクの依頼主は、絶対に皇太子だけは殺すな、って言ってるんだよねぇ。怪我ひとつさせちゃいけない、って。それさえなければ、キミたち全員をまとめて鳴き声でひき肉にして、ラーちゃんの火で料理してあげるんだけどなぁ」
細い眼がちろちろと残酷な光を浮かべていました。舌なめずりするようなまなざしです。まるでランジュール自身が彼らを料理して食べたがっているように感じられて、フルートたちは思わずまた背筋が寒くなりました。このとぼけた言動の青年は、心の内側に怪物よりもっと危険なものを秘めているのです――。
ゼンがフルートと皇太子の元へ駆けつけて、エルフの弓矢を構えました。皇太子のそばなら炎も鳴き声も出せないだろうと踏んだのです。ポチがごうごうと風の音を立てながら、彼らをキマイラの攻撃から守ろうと身構えます。
「しょうがないなぁ」
ランジュールが口元を歪めて笑いました。とたんに、まるで仮面を外したように、その顔つきが変わりました。とぼけた笑いものんびりした表情もあっというまに消し飛び、冷酷な目が彼らを見据えます。
「戦いってのは、何が起こるかわからないものなんだよね。予定外の人が巻き込まれて死ぬことだってある。依頼主には悪いけど、どうやら皇太子殿下も戦いのとばっちりをくらって死んじゃったみたいだなぁ。――そう報告することにするよ。いいね?」
口調だけはあくまでもとぼけながら、恐ろしいことを宣告してきます。
フルートは思わず皇太子の前に出ようとしました。
「殿下、下がってください! こいつはぼくの――!」
「だから、無茶をするなと言っているのだ!」
皇太子が小柄な少年をつかまえて引き戻します。
ランジュールがそれを見て笑いました。
「かばい合ってる場合かなぁ。ま、いいけどね。どうせメェメェちゃんにかかれば、みんな一瞬で木っ端みじんだから」
そして、魔獣使いは後ろを振り向きました。ヤギの頭に命じます。
「メェメェちゃん、あいつらを――」
その時、一人離れた場所に立っていたメールが、怪物とは違う場所を見ながら金切り声を上げました。
「なにさ、あれ!?」
指さしたのはジタン山脈のふもとです。山の手前に横たわる浅い谷間から、土煙がもうもうとわき起こっています。続いて聞こえてきたのは、大勢の人間がいっせいに上げるときの声でした。おぉおーーっと空と大地に響き渡ります。
フルートたちもランジュールも、驚いて思わずそちらを見ました。吹きすさぶみぞれ混じりの風の中、土煙はいっそう濃く立ち上ります。
やがて、その中から姿を現したのは、黒い鎧兜で身を包んだ騎馬兵たちでした。地響きを立てながら後から後から谷を駆け上がってきて、途切れることがありません。あっという間に彼らの目の前に大軍勢が姿を現します。その数、実に二百騎以上。所属を示す旗印も盾の紋章もない、謎の軍団です。
すると、騎馬兵の後ろから弓矢を持つ歩兵たちが走り出てきて前列に並びました。騎馬兵たちがいっせいに剣を抜き放ちます。暗い空の下、矢尻と剣の刃先が白く光ります。
それを見たとたん、皇太子は叫びました。
「私を狙う軍勢だ! 逃げろ!」
その声が聞こえたように、フルートたち目がけて矢が放たれました。それと同時に騎馬兵たちが駆け出します。弓矢部隊の間をすり抜け、黒い波のように突進を始めます。
ときの声と蹄の音が揺るがす大地。矢と黒い軍勢が押し寄せる先は、ひとかたまりになって立ちすくむ皇太子とフルートたちの小さな集団でした――。