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第6巻「願い石の戦い」

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53.裏切

 ――ユギルが我に返ると、すぐ目の前の席から鍛冶屋の長のピランが自分を見つめていました。灰色の衣を着たユギルの膝の上には、黒い占盤がのっています。それに目を向けながら、ピランが、にやりとしました。

「どうやら、今回はそう悪い思い出でもなかったようだな。占盤は泣いておらんかったぞ」

 まだ昼間だというのに、ピランは早々に酒瓶を開けて赤い顔をしています。

 ユギルは穏やかに笑って見せました。

「少し前のことを思い出しておりました……。皇太子殿下が願い石の話を旅のノームから聞いたときのことです」

「願い石か」

 ピランは一瞬で真剣な目になりました。酔っているように見えますが、どうやら、実際にはほとんどしらふでいるようでした。

「あいつらが探しに向かっているのは堅き石だからな。願い石がそばにある可能性は高い。皇太子はそいつを探しているのか?」

「わかりません。――が、二、三日前から占盤に気になる動きが現れております。一行の行く手に大きな力の存在が見え始めているのです。もしかしたら、これが願い石なのかもしれません」

「魔石はそれをほしがる者の想いの強さに惹かれて姿を現すからな。皇太子が願い石をほしいと思えば思うほど、石の存在もあきらかになってくるということだ」

「本当に殿下が石を求めているのかどうかはわかりませんが……」

 と言いかけて、ユギルは口をつぐみました。占盤を移動していく五つの象徴を見つめ続けます。金の光、銀の光、星の光、青い炎、そして、皇太子を象徴する青い獅子――。このメンバーの中で、行く手に願い石が待つのを知っているのは皇太子だけです。やはり、皇太子が願い石を心で呼んでいると考えるのが妥当なようでした。

 殿下、とユギルは少年の瞳をした大柄な青年を思い描きました。殿下、己の道を見失いますな――。けれども、いくら心で呼びかけても、ユギルに想いを遠く伝える力はないのでした。

 

 その時、占盤の別の場所で三つの象徴が動き出しました。旅する一行からは東の彼方の、王都ディーラの中での動きです。

 ユギルはそれに目を注ぐと、やがて、静かに言いました。

「企む者たちがまた動き出しておりますね……。どうやら、いよいよ最後の勝負が始まるようです」

 ピランはそれを聞いて小さな肩をすくめました。まったく物騒なこった、と表情だけで言っています。

 ユギルは窓の外へ目を向けました。馬車の走る音が響いてきます。それは西へ向かう者たちを巻き込もうとする、巨大な運命の車輪の音のように聞こえていました――。

 

 

 王都ディーラの一角にあるスロウズ伯爵の屋敷に、三人の共謀者たちが集まっていました。

 部屋の近くに人の気配はありません。それでも、誰にも聞かれないように用心した静かな声で、スロウズ伯爵は言いました。非常に恰幅のよい体つきの貴族です。

「金の石の勇者と皇太子の一行は間もなく大荒野を渡りきる、と今朝ほどの謁見式で陛下が言われました。彼らがジタン山脈にたどりついて、目的の物を見つけるのも間もなくでしょう。そうすれば、金の石の勇者の名声はいっそう高まるばかりです。万事自分に任せておけ、と卿は言われましたが、どのようになっているのでしょうか、キーレン伯爵」

 丁寧な口調ですが、かなりの揶揄と非難が含まれています。問われた灰白の髪の老貴族は、じろりと相手をにらみ返しました。

「手の者に命じてはある。すでに二度ほど追い詰めたが、あと一歩というところで仕留めそこねているのだ。だが、向かっているのは優秀な術者だ。金の石の勇者に三度目はあっても、四度目はもうないだろう」

 つまり、この次こそは必ずフルートの命を奪う、という意味です。

「ですが、二度も失敗しているのならば、三度目も怪しいのではありませんか?」

 と一番年若いシーラ子爵が、遠慮のなさ過ぎる物言いをしました。老貴族はさらに不機嫌な顔になりました。

「殿下自らが、金の石の勇者を守ってしまわれるのだ。殿下を傷つけるわけにはまいらん。思うようにゆかぬのだ」

「皇太子殿下が?」

 恰幅の良い貴族は目を丸くしました。たちまち計算するような顔つきになります。

 そんなスロウズ伯爵にキーレン伯爵は言いました。

「次は貴公がやるかね。殿下は非常にお強いぞ」

 皮肉たっぷりです。スロウズ伯爵はあわてて首を振りました。

「めっそうもない。キーレン卿がすでにご命令になっているのです。そこへわたくしまで手の者を送れば、出くわして、相打ちになってしまうやもしれませんから」

 本当はそろそろ自分の出番を考えていたスロウズ伯爵でしたが、急遽予定を変更して、また後ろに下がっていきました。皇太子が金の石の勇者を守っている、ということを考慮したのです。自分の手出しで勇者を殺して、それが皇太子の怒りに触れてしまったら、皇太子に取り入って出世を狙う計画が水の泡になってしまいます。

 

 すると、キーレン伯爵は年若いシーラ子爵へ厳しい目を向けました。

「入ってきた知らせによると、金の石の勇者の一行を別の者たちが襲っていたという話だ。リザードマンの刺客集団だ。貴公がまた勝手に命じているのではあるまいな?」

 子爵は驚いたように目を丸くして、あわてて大きく頭を振りました。

「と、とんでもございません! 失敗は一度で充分です! 私は何も……!」

「それならばよいが」

 老貴族はまだ疑う顔つきのままでシーラ子爵に言い続けました。

「わしが命じている者以外にも、たびたび刺客が彼らを襲っているようだ。スロウズ伯爵の言われるように、同時に複数の者に命じていると、現場で相打ちが起きてしまうかもしれんからな。そのあたりを充分わきまえておいてもらわぬと」

「で、ですから、私はなにも――!」

 弁解するようなシーラ子爵の声は無視して、キーレン伯爵は続けました。

「焦る必要はない。ジタン山脈で勇者が堅き石を手に入れたとしても、それをディーラに持ち帰るまでにまた時間がかかる。事を成し遂げた帰り道というのは、安心感から気持ちも緩むものだ。チャンスはまだまだある」

 最年長らしい、老獪(ろうかい)なことばでした。他の二人の貴族たちは、黙ってそれにうなずきました。

 

 スロウズ伯爵の屋敷からの帰り道、シーラ子爵は馬車の中で物思いにふけっていました。密かに伯爵を訪ねていたので、馬車は質素なもので、窓もしっかり閉めてあります。

 すると、その窓が外からコツコツと小さくたたかれました。子爵が我に返って窓をほんの少し開けると、外から一羽の鳥が飛び込んできました。鳩よりも小ぶりな茶色の鳥です。翼の下が赤い色をしたツグミでした。

 ツグミはまた窓を閉めた子爵の前の座席に留まると、くちばしを開いて、人の声で話し出しました。

「シーラ子爵、一行はまもなくジタン山脈に到達する。少人数での襲撃では彼らを止めることはできない。我々は総攻撃をもって彼らを壊滅させることにした」

「総攻撃ですか」

 と子爵は驚いて聞き返しました。

「それでは人目についてしまいましょう。殿下の命を絶ったのが誰のしわざか明らかになってしまいます」

「あの近辺は住む者のない場所だ」

 とツグミは言い続けました。鳥自身が話しているのではなく、遠いどこかの場所にいる誰かが、その口を通じて話をしているのです。

「矢と刀だけを使えば、皇太子と金の石の勇者たちが仲間割れをして殺し合ったと見えるだろう。我が国は国境を越えて軍隊を派遣することはない。ロムドから問い詰められても、そんなことは知らぬと答えるだけのことだ」

 けれども、シーラ子爵は難しい顔のままでした。

「急いては事をし損じると申します。この国には優秀な占者がおります。あまり直接動くのは危険かと……」

「彼らをジタンに踏み入らせるわけにはいかぬ。我々は決行する」

 頑として相手は譲りません。子爵はしかたなく頭を下げました。

 すると、鳥が翼を広げました。外へ出たそうにするので、子爵が窓を開けてやると、その隙間からまた外へ飛び出していきました。

 

 それを見送ることもなくまた窓を閉じて、子爵は苦い顔をしました。

「まったく、あの国のやりようは直接的すぎるな……。殺して消し去ることが一番の方法だと信じているのだから」

 とひとりごとを言います。単純で危ない方法です。いくら隠そうとしても、軍隊を使って皇太子を襲えば、地面にも倒れた者にも、大勢がそこで戦った痕を残してしまうに違いありません。

 とはいえ、成功すれば一番効果的な方法でもありました。皇太子さえいなくなれば、ロムドの王位はザカラスの血を引いた皇女が継ぐことになります。合法的な方法で、ザカラスがロムドを手に入れることができるようになるのです。どんなにロムド王から疑われても、おまえたちの仕業ではないかと問い詰められても、しらを切り通してもらいたいところでした。

 どのみち、このままロムドに留まっていても、シーラ子爵が出世していける望みは薄いのです。ロムド王の目に止まるほどの能力が自分にないことは、子爵自身が承知しています。ならば、隣国に恩を売っておいて、そちらで重臣になっていくことを目ざす方が得策と考えて、軽率な若輩のふりをしながら、仲間と皇太子たちの動きをいち早く隣国へ伝えてきたのでした。

 走る馬車の中、若い貴族はまたひとりごとを言いました。

「そろぞろザカラスへ逃げる算段を始めるか――」

 いかにも裏切り者らしいつぶやきでした。

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