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第6巻「願い石の戦い」

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50.妖歌

 三羽のセイレーンが一行の上空に来ました。大きな翼で羽ばたきながら、魔法の歌を歌い続けます。その後に続いてやってきた十羽あまりの人面鳥が急降下を始めます。呆けたような顔で魔鳥の歌に聴き惚れるフルートたちに向かって舞い下りて、足に抱えてきた岩を投げ落とそうとします。

「花たち!!」

 メールが泣きそうになりながら叫びました。枯れた晩秋の荒野に咲く花は、あまりにも少なすぎます。仲間たちの上に花の網を広げて守ろうとしても、かばいきれないのです。かろうじて、ゼンの上に落ちかかる岩ははじきましたが、フルートにはまともに岩が当たり、小柄な体が、がくりと膝をつきました。幸い、鎧が怪我を防ぎましたが、歌の魔法は解けません。次々と岩の雨が降る中、座りこんで恍惚と歌を聴き続けています。ゼンと皇太子も同様です。

 メールは金切り声を上げました。セイレーンの歌声をかき消そうとするようにわめき立てます。

「お黙りよ、魔女たち!! あんたたちの下手くそな歌なんて聴きたくもないよ! この音痴!!」

 とたんに、セイレーンの一羽が歌うのをやめてケェーッと鋭い鳴き声を上げました。セイレーンたちは自分たちの歌声に絶対の自信を持っています。メールに音痴呼ばわりされて腹を立てたのでした。美しい顔を歪めてメールにつかみかかり、かみつこうとします。メールは思わず悲鳴を上げました。怪しい旋律を歌い上げる口には、サメのように鋭い歯がずらりと並んでいます――

 

 とたんに、ゼンが我に返りました。

「メール!」

 と一声どなると、メールに襲いかかっているセイレーンに飛びつき、引きはがします。

 同じメールの悲鳴に、フルートも正気に返りました。あわてて飛び起きると、炎の剣を構え直します。空からは、次々と人面鳥が襲いかかり、岩の雨を降らせてくるところでした。子どもたちも皇太子も区別することなく狙ってきます。フルートは唇をかむと、炎の剣を精一杯大きく振りました。巨大な炎の弾がほとばしり、空を駆けていきました。三羽の人面鳥を一気に巻き込んで燃え上がらせます。

 ゼンがセイレーンを殴り飛ばしました。女の上半身をした怪鳥が、地面に転がって動かなくなります。

「怪我はないか?」

 とゼンはメールを見ました。ついさっきまでの呆けた顔が嘘のように、しっかりした表情になっています。少女はなんとなく目を丸くしながらうなずきました。

「う、うん……大丈夫」

「今度は自分を守ってろ」

 そう言い残すなり、ゼンは駆け出しました。エルフの弓を構え直して、空を飛ぶ別のセイレーンへ矢を放ちます。悲鳴が上がって歌声がとだえ、セイレーンが地上に落ちました。

 フルートは人面鳥を剣で撃退し続けていました。炎の剣をかたわらに置いたかがり火は、ごうごうと音を立てながら夜を照らしています。その光の輪の外から、黒い人面鳥が突然飛び込んでくるので、油断ができません。人面鳥の羽音を頼りにすばやくそちらへ向き直り、姿が見えた瞬間に炎の弾を撃ち出します。

 すると、まったく正反対の方向から二羽が同時に飛び込んできました。フルートが一羽を撃退する間に、もう一羽が皇太子に飛びかかっていきます。

 皇太子だけは妖歌から解放されていませんでした。まだ呆然と立ちつくしたまま、一羽だけで歌い続けるセイレーンを見つめています。その兜に、人面鳥が抱えてきた岩が当たり、兜がはじけ飛びました。それでも皇太子はまだ正気に返りません。

 セイレーンが皇太子の目の前に舞い下りてきました。羽ばたきながら、とろけるような美声で歌を奏でます。背中に大きな翼を持ち、体の下半分は怪鳥の姿をしているセイレーンですが、上半身は麗しい女性そのものです。声に負けない魅惑を瞳に込めて、皇太子を見つめてきます。誘われるように、皇太子が一歩また一歩とセイレーンに歩み寄ります。

 セイレーンはにっこりほほえみ、両腕を広げて皇太子を首を抱きました。血のように紅い唇を唇に寄せてきます。鋭い歯が並ぶ口で、皇太子の顔を食いちぎろうとします――

 

 その時、セイレーンの体が、ぐいと引き戻されました。誰かが背中の翼をつかんで引っ張ったのです。怒って振り向いたセイレーンの目の前に、金の鎧兜の少年が立っていました。少年は大きな剣を構えています。

 セイレーンはとっさに逃げようとしました。翼で少年を打ち、上空へ舞い上がろうとします。その背中へ、フルートが炎の剣を振り下ろしました。深く鋭い傷が女の裸の背中に走り、次の瞬間、猛烈な炎を吹き上げます。セイレーンは、あっという間に火だるまになり、すさまじい悲鳴を上げながら地面に落ちました。

 歌声がとだえたとたん、皇太子も我に返りました。自分のすぐ目の前で、フルートが剣で切りつけた格好のままでいます。その顔色が真っ青なのに、皇太子は気がつきました。まるで自分自身が傷つけられたような表情をしながら、それでも剣を握る手をゆるめることなく、燃えるセイレーンを見つめ続けています。敵が燃えつきる最後の瞬間まで、油断をしていないのです。

 こいつは……と皇太子は考えました。こいつは、この勇者は……。

 ところが、その時、かがり火の光の外からまた人面鳥が飛び込んできました。足に握っていた岩を投げつけてきます。

 岩が、兜の外れていた皇太子の頭に当たりました。激しい衝撃と共に鈍い痛みが頭に走り、皇太子は、その場に崩れるように倒れました。

「殿下――!?」

 金の石の勇者が悲鳴のように叫ぶ声が、暗くなっていく意識の中に響いて、遠ざかっていきました……。

 

 誰かがオリバンの目の前に立っていました。

 どうやら男のようなのですが、あたりが薄暗くて、いくら目をこらしても、相手の顔は見えません。皇太子が身構えていると、男が話しかけてきました。

「金の石の勇者にあって、おまえにないものが何かわかったか、皇太子」

 オリバンの知らない声です。オリバンはさらに身構えました。自分の剣を捜しますが、腰には空っぽの鞘が下がっているだけで、どこにも剣がありませんでした。

 男は言い続けていました。

「おまえに欠けているのは背後を守る『味方』だ、皇太子よ。おまえには味方がいない。いつだっておまえは、たった一人で戦ってきた。誰にも守られず、誰にも助けられず。それがおまえの人生だ」

 オリバンは思わず、かっとしました。それは、自分がそうありたいと思って努力してきたことです。非難されるようなことではないはずでした。

「私は守られる者ではなく、守る者になるのだ! 私には助けなど必要ない! 自分の身くらい自分で守れる!」

 むきになって言い返すと、声が笑いました。まるで子どものたわごとを笑い流すような調子です。

「味方がいないということが何を意味するかわかるか、皇太子? おまえは信頼されていないのだ。おまえは人心を集めることができない。国民の信頼を得ることができない者は、一国の王になどなれないのだ」

 オリバンは愕然としました。立ちつくしてしまいます。味方がいない。信頼されていない。――ずっと、見えそうでいて見えなかったものが、突然目の前に姿を現していました。

 

 うろたえている青年の目に、遠く、子どもたちの姿が映りました。金の鎧を着た小さな少年。とても戦うことなどできそうにない、軟弱そうな子どもです。けれども、その少年の周りには、強い仲間たちが集まっていました。ドワーフの少年が弓矢を構え、緑の髪の少女が花を飛ばし、巨大な幻のような風の犬がうなりをあげています。そして、皆に守られながら、少年自身も剣を高く構え続けているのでした。いつでも仲間の危機を救いに飛び出そうとしているのが、見ただけでわかります。

「あれがおまえに欠けているものだ」

 と男の声が言っていました。

「おまえにはおまえを守ろうとする者はいない。皆は、皇太子というおまえの身分に仕えて、頭を下げているだけだ。人の心を集めることができないおまえは、王にはなれない。王にふさわしいのは、あの少年の方だ」

 声に宣言されて、オリバンは歯ぎしりしました。拳を握ってどなり返します。

「私は皇太子だ! ロムドの王になる人間だ!!」

 すると、突然背後から奇声が上がりました。ぎょっと振り向いた目の前に、ナイフをかざして襲いかかってくるリザードマンがいました。リザードマンは笑うように叫んでいました。

「遅いぞ、皇太子! 後ろががら空きだ! おまえには背中を守る者がいないのだからな――!」

 オリバンは剣を抜いてナイフを防ごうとしました。が、手が宙を握って空振りしました。腰に剣はなかったのです。リザードマンが襲いかかってきます。オリバンはいつの間にか鎧を脱いで、普段着の姿になっていました。敵のナイフを防ぐことはできません――。

 

 すると、その瞬間、誰かが彼らの間に飛び込んできました。ガキン、と鋭い金属の音が響きます。フルートでした。炎の剣を両手で握って、リザードマンのナイフを受け止めています。

 オリバンが驚いていると、フルートが叫びました。

「こっちはぼくに任せて、殿下は前を――!」

 はっとまた前に向き直ると、そちらから男が襲いかかってくるところでした。顔を半ば布でおおった刺客です。大剣を振り上げて切りかかってきます。オリバンはとっさに剣を構えました。――何もなかったはずの鞘から愛用の剣が現れ、敵の剣を防ぎます。

 とん、とオリバンの背中に少年がぶつかってきました。リザードマンのナイフを跳ね飛ばした拍子に、押し返されてよろめいたのです。フルートがちょっと振り向き、子供じみた笑顔を向けてきました。

「すみません、殿下」

 けれども、オリバンが何か答えるより先に、少年はまた信じられないほど厳しい顔に変わりました。再び襲いかかってきたリザードマンを鋭い目で見据え、炎の剣で上から下へ真っ二つにします。激しい炎を立ててリザードマンが燃え上がります。

 その時、フルートは一瞬つらそうな顔をしました。セイレーンを殺したときに見せたのと同じ、痛みをこらえるような表情です。

 ああ、こいつは本当は殺したくはないんだ、とオリバンは考えました。人に似た形を持つ怪物たちに、人を殺しているような気持ちにさせられて、苦しくなっているのです。

 けれども、フルートの太刀筋にはためらいがありませんでした。それが何故だか、オリバンにはわかりました。助けるためだったからです。自分ではない、誰かの命を救うために、金の石の勇者の少年は躊躇することなく人の姿を切って捨てたのです。

 前から襲いかかっていた刺客は、いつの間にか姿を消していました。フルートと背中合わせに立っている空間に、どこからか大きな声が響いてきます。

「あっぱれ。これこそ真の王。見やれ、新王の誕生の瞬間を!」

 ざわめく波の音のような、大勢の声です。金の鎧を着た少年の前で、たくさんの人間がいっせいにひざまずき、頭を下げるのが見えました。その光景が金の光に包まれて、まぶしさに見えなくなっていきます――。

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