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第6巻「願い石の戦い」

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49.魔鳥

 暦が十一月に移りました。

 フルートたちがロムド城を出発してから、すでに十日が過ぎています。

 ロムドの西の大荒野を馬で進む一行の周りで、景色が急速に変わり始めていました。どんどん秋が深まっていくのです。草原が鮮やかな赤や金褐色から、くすんだ灰茶色に変わり、色を変えた木の葉が雪のように梢から舞い散ります。荒野を渡っていく風も、ぐっと冷たくなってきます。彼らは国境に近い山脈に向かっています。進むにつれて、標高が高くなってきて、季節の移り変わりが早まっているのでした。

 地平線の向こうには目ざすジタン山脈が見え始めていました。すでに木々の紅葉もあせ、山全体が枯れた茶色と黒っぽい緑に沈んだ晩秋のたたずまいを見せています。そんな目的地を眺めながら、ゼンが話していました。

「俺たちの北の峰ほどじゃないけど、あそこも冬が早そうだな。あの感じだと、間もなく山に雪が降るぞ。そんなんで堅き石が見つけられるのか?」

「でも、ユギルさんは、ジタン山脈に行けば必ず堅き石に出会えるって言っていたからね。間違いはないよ」

 とフルートが答えると、ゼンは肩をすくめました。

「別にユギルさんの占いを疑ってるわけじゃねえよ。ただ、雪になったら石を捜すのが大変になるんじゃないかと思ったのさ。そもそも、俺たちは堅き石がどんなものなのか、それさえ知らないんだからな」

 すると、フルートの鞍の前の籠から、ポチが口をはさんできました。

「ワン、ゼンはドワーフでしょう? 堅き石のことは聞いたことなかったんですか?」

 とたんにゼンは渋い顔になりました。

「習ったかもしれないけど、覚えてねえよ……。学校は退屈で居眠りばかりしてたからな」

「それは残念だね」

 とフルートは笑いながら言いました。責める口調ではありません。

 ドワーフの洞窟の学校は、読み書き計算も習いますが、一番大事な授業は、地中から掘り出される石の鑑定や加工の仕方、金属と金属の配合や様々な道具の作り方を教わることなのだと聞いています。北の峰で猟師をしているゼンが、興味を持って聞く内容だとは、とても思えませんでした。

 同じ話を一緒に聞いていたメールが、後ろをついてくる皇太子を振り返りました。

「オリバンは? 堅き石のことはなんか知らないの?」

「知らん。聞いたこともない」

 と皇太子が短く答えました。それきり、また口をつぐみます。

 メールはちょっと首をかしげ、少年たちも思わず皇太子を振り返りました。このところ、皇太子はなんだか妙に静かだったのです。ほとんど口をきかないのは相変わらずですが、ずっと何かを考えているようで、黙って馬を進めているだけなのです。

 ゼンが試すように言いました。

「そういや、このところ刺客が姿を現さないよな。ランジュールの奴ももう三日も来やがらないぞ。そろそろまた、お出ましになる頃じゃないのか?」

 けれども、やっぱり皇太子は何も言いません。ゼンの言っていることが聞こえているのかいないのか、何の反応も示しません。子どもたちは思わず顔を見合わせました――。

 

 西の空に夕映えの色が差し始める頃、一行は馬を停めました。火をおこし、野宿の準備に取りかかります。枯れ草を刈って寝床をしつらえたり、水を汲みに行ったり、夕飯の支度に取りかかったり、一人一人が忙しく働き始めます。夕空はよく晴れています。夜のうちに雨が降り出すことはなさそうでした。

 ポチは風の犬に変身して、偵察のためにあたりを飛び回っていました。さっきのゼンのことばではありませんが、そろそろまた刺客が姿を現してもおかしくない頃です。どこかに敵が潜んでいないか、何か妙な痕跡が見えないかと荒野を丹念に調べますが、特に気になる様子は見あたりませんでした。

 フルートたちのところへ飛び戻ってくると、手前で一人離れて火をおこしている皇太子が目に入りました。黙々と一人分の食事の支度をしています。もうすっかりおなじみの姿でした。

 けれども、ポチはふと首をかしげました。少し考えてから、急に方向を変え、空から皇太子のそばへ飛んでいきます。ポチが舞い下りると、たき火の炎が風で大きく揺れました。

「何の用だ」

 と皇太子が言いました。顔はたき火とその上の鍋を見たままで、ポチを振り向こうとしません。

「ワン、別に用はないんですが……」

 とポチが答えると、即座に言われてしまいました。

「では、あっちへ行け。火があおられて迷惑だ」

 ポチはあわてて風の犬から子犬の姿に戻りました。そのまま、とことこと皇太子に歩み寄っていきます。皇太子は迷惑そうな顔で火を見ているだけでした。

 ポチはまた首をかしげました。やっぱり皇太子は元気がありません。

「ワン、具合でもお悪いんですか?」

 と聞いてみましたが、皇太子は返事をしませんでした。

 ポチは匂いをかいでみました。……病気の匂いはしません。疲れているわけでもなさそうです。ただ、深く物思いにふけっているような、考え込む匂いが伝わってきました。それは、何故だか暗い海の底を思わせる、冷たく濡れた匂いがしました。

 

 空が暗くなってきました。

 夕食をすませた子どもたちは、それぞれ寝場所に横になって、毛布を体に絡めました。今夜の不寝番の一番手はゼンです。火のそばにたって、荒野と空を見渡します。皇太子は離れた火のかたわらでもう眠っていました。

 すると、ゼンが、うん? と空に目をこらしました。秋の日没はあっという間です。最後に残っていた夕映えがちぎれるように消えて、たちまち夜の色に染まっていきます。夜目が利くゼンは、その暗さの中に近づいてくる影を見つけたのでした。大声で仲間たちに呼びかけます。

「みんな起きろ! お客さんだぞ! やっぱり来やがった――!」

 子どもたちはいっせいに跳ね起きました。皇太子もすぐに目を覚まして飛び起きます。

 フルートは炎の剣を引き抜き、鞘をたき火のわきに置きました。たちまち炎が激しく燃え上がり、暗くなってきた荒野と空を照らします。

「ランジュールか!?」

「いや、あれは鳥の群れだ。また別口だな。背中に人みたいのが乗ってるぞ」

 ゼンはすでにエルフの弓矢を構えていました。

「まったくもう! たまには日中襲っておいでよ」

 とメールがぶつぶつ言いました。暗い中ではどうしても花を操りにくいのです。しかも、晩秋の気配が濃くなった荒野では、花の数がぐんと少なくなっていました。不安を隠しながら、花たちを呼びます。

「ワン、ぼくが先に行きます」

 とポチが風の犬に変身しました。ごうっとうなりをあげて空に舞い上がっていきます。

「気をつけて――!」

 フルートの声が追いかけてきました。

 

 星の光り始めた空を、ポチは敵に向かって飛んでいきました。

 みるみるうちに、十数羽の鳥の群れが見えてきます。大きな翼を広げて、まっしぐらに向かってきます。

 と、ポチは、ぎくりと空で立ち止まりました。鳥たちの異様な形に気づいたのです。鳥の数と同じだけの人の顔がこちらを見ていました。女の顔が三つ、残りはすべて男の顔です。人が鳥の背に乗っているのではありません。人の顔や体が、鳥の翼と体につながっているのです。男たちは鳥の顔だけが人間ですが、女は裸の上半身と人間の腕も持っていました。

「人面鳥! それに、セイレーン!!」

 とポチは思わず叫びました。闇の怪物たちです。

 

 地上でポチの声を聞いたフルートは、とっさに鎧の胸当てからペンダントを引き出しました。魔法の金の石が目覚めて輝いていることを期待します。ところが、ペンダントは暗いままでした。石は目覚めていません。

「やっぱり魔王のしわざじゃないのか……」

 とフルートはつぶやきました。金の石は世界を破滅させるほどの危険が迫ったときにしか目覚めません。ただ闇の敵が襲ってきただけでは、光の力を発揮しようとはしないのでした。

 ゼンが百発百中の矢を構えました。ドワーフの彼には夜の闇も何の妨げにもなりません。魔鳥の群れが射程距離に入ってきたので、先頭のセイレーン目がけて矢を放とうとします。

 すると、鳥の翼を羽ばたかせながら、女たちが突然歌い出しました。夜目の利かない者たちにはよく見えませんが、セイレーンたちの人間の上半身は美しい姿をしていました。長い髪を裸の胸の上になびかせ、男なら誰もが見とれる綺麗な顔で、とろけるような美声をつむぎだします。セイレーンの歌声には魔力があります。たちまち聴く者たちに絡みついていきます――。

「キャン!」

 風の犬のポチが、急に失速して空から落ち始めました。白い幻の竜のような体が、荒野の真ん中に沈み、消えるように見えなくなります。

 ゼンの魔法の矢がぽとりと足下に落ちました。弓を構える腕が力が抜けたように急に下がります。ゼンはぽかんと口を開けたまま、空を飛ぶセイレーンに見とれてしまいました。

 女の歌声は夜の荒野に朗々と響き渡ります。旋律が魔力を生み、聴く者の耳から心の中に入りこみ、その者の全身から力を奪います。歌声の魔法に、フルートも皇太子も逆らうことはできませんでした。剣を持つ手をだらりと下げ、ただ呆然と、空を飛んでくる魔女たちに魅入ってしまいます。歌声が快感に変わり、彼らの心と体を支配していきます。

 

 たった一人、歌声に逆らってメールが天に両手を差し上げていました。その周りでは花が渦巻いています。

 メールは涙ぐみながらわめいていました。

「ちょっと! みんな、しっかりしなよ! 聞き惚れてる場合じゃないよ! 敵が来るよ――!」

 三羽のセイレーンのすぐ後ろには、笑うような男の顔をした人面鳥の群れが続いていました。人面鳥たちは、その足に人の頭より大きな岩を抱えていたのでした――。

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