自分がロムドの王女と結婚する、という話を聞かされて、フルートはびっくり仰天しました。すると、皇太子が、静かにしろ、と手で合図してきました。彼らのすぐ近くでは、一日旅をして疲れたメールとポチが眠っています。フルートはあわてて声を飲み、真っ赤な顔のまま、声を潜めて言いました。
「だ、誰がそんなことを言ってるんですか? そんなこと、あるわけないじゃないですか!」
それまでの穏やかで考え深げな様子が嘘のように、焦ってあわててしまっています。
皇太子が意外そうな顔をしました。
「何をそんなに驚いている。もう皆が知っていることだぞ。父上はおまえを次の王位継承者に考えている。そのために、メーレーンとおまえを結婚させて、おまえを王族にしようとしているわけだからな」
フルートは思わず頭を抱えました。フルートが皇太子をさしおいて次の王になるのではないか、という王宮の貴族たちの誤解。それは、こんなまことしやかな噂まで生んでいたのです。あまりのことに、すぐには声も出せないほどでした。
すると、ゼンがそんなフルートの頭を小突いて見せました。皇太子に向かって言います。
「それ、ものすごい誤解だぞ。そんなのはありえねえ。こいつにはもう、好きなヤツが別にいるんだからな」
「ゼン!」
フルートは顔を上げました。いっそう真っ赤になっています。けれども、ゼンはかまわずに言い続けました。
「もう一人の俺たちの仲間だ。ポポロって名前の魔法使いさ。ポポロがいるかぎり、こいつは王女となんか結婚しないぜ」
「――!!」
ゼン! とフルートはまた叫ぼうとしました。何を言ってるんだ、君こそポポロが好きなんじゃないか、と言おうともしました。けれども、ゼンが言っていることは本当で――フルートは何と言っていいのかわからなくなってしまいました。思わずゼンの服の襟元につかみかかってしまいます。
「ま、ま、そう怒るなって、フルート。こういうのは、はっきり聞かせておかないと、後々誤解の元になるんだぞ」
とゼンが涼しい顔で言います。フルートはゼンにつかみかかったまま拳を震わせ、やがて、顔を真っ赤にしたまま、ゼンを突き放しました。
「ぼくはまだ十三だ! 結婚なんて考えられるわけがないだろう!」
と吐き出すように言うと、そのまま彼らに背を向けて横になってしまいました。話を打ち切って、ふて寝してしまったのです。
そんなフルートの様子に、皇太子が目を丸くしていました。本当に、それまでずっと穏やかに落ちついていた姿とは、まるで別人のようです。十三歳という年相応の少年らしく見えました。ゼンが、そんな親友を見て「ばぁか」と笑うようにつぶやきました。
夜は更けていきます。コヨーテの鳴き声は聞こえなくなり、薪が炎の中ではじける音だけが続いています。
すると、ゼンが口を開きました。
「ったく、人間ってのは本当に面倒だよな。そんな馬鹿馬鹿しい噂にばかり振り回されるから、一番大事なことが見えなくなるんだぞ」
年下の少年にそんなふうに言われて、皇太子は、むっとした顔になりました。もう少し高飛車な人物なら、たちまち「無礼者!」と怒ったことでしょう。けれども、ゼンは気にする様子もなく続けました。
「ロムド王はフルートを跡継ぎになんて、これっぽっちも考えてないぜ。俺たちは一度だってそんな話を国王から聞かされてないからな。国王があんたを辺境部隊にやってたのだって、あんたがずっと命を狙われてたからなんだぜ。王宮にいたら、それこそ、いつ暗殺されるかわからなかったんだろう? 辺境部隊が一番安全だったから、あんたをそこに置いたんだ、ってロムド王が言ってたぜ」
本当に、ドワーフのゼンは、相手が王だろうが皇太子だろうが、言いたいことを言います。皇太子は不愉快な顔になって黙り込んでいました。何をどう言われても、簡単には変わりそうにない意固地さが漂っています。皇太子は父王から疎まれていると思いこんでいます。父と息子の間に横たわる誤解の溝は深いのでした。
すると、ゼンが唐突に言いました。
「まずは、食え」
一呼吸おいて、けげんそうな皇太子の顔を見ながら続けます。
「ってのが、俺たちドワーフの基本の教えなんだけどな、これには続きがあるんだぜ。まずは食え、そして寝ろ。大切なことは多くはない。迷ったら、今、一番大事なことだけを考えろ――ってんだ。あんたたち人間は、大事でもないことばかり考えすぎてるよな」
皇太子は憮然としました。
「ドワーフと人間を一緒にするな。我々のことがおまえたちにわかるものか」
すると、ゼンが肩をすくめました。
「あったりまえだ。フルートみたいなお人好しを疑って殺そうとするような人間の考えなんて、わかりたくもねえよ。馬鹿馬鹿しい」
皇太子は何も言えませんでした。自分より五つも年下のドワーフの少年のことばに、鋭く何かを突きつけられたような気がしました。
夜風が荒野を渡ってきて、たき火の炎を揺らします。
ゼンがまた言いました。
「あんたはまだ寝ないのか?」
怒ってふて寝したフルートは、すでに寝息を立てています。
皇太子はうなるように答えました。
「寝る気になれん」
「じゃあ、見張りを頼まぁ。二人も一緒に起きてる必要はないもんな。あと一時間もしたら、フルートを起こして交代させろよ」
そう言うなり、ゼンはその場に横になりました。はおっていたマントを体に絡めると、たちまち寝入ってしまいます。本当に、あっという間のことで、皇太子は思わず呆気にとられてしまいました。
二人の少年は、皇太子の目の前でぐっすり眠っていました。メールとポチも眠り続けています。たとえばここで皇太子が剣を抜いて突きつけても、絶対に目を覚ましそうにない雰囲気でした。
「油断が過ぎるぞ……そんなに安心して眠ってどうする」
と皇太子は思わずつぶやきました。けれども、子どもたちはやっぱり目を覚ましません。無防備なほどに深く眠り続けています。仲間の見張りを信じ切っているのです。
皇太子は深い溜息をつきました。この子どもたちには本当に予想を外されっぱなしです。自分よりずっと幼いはずなのに、自分と対等な相手と話しているような気分にさせられます。――なのに、目の前に見える彼らは、やっぱり小さくて幼い姿をした子どもたちなのです。
なんだかわけのわからない気分になってきて、皇太子は苦い顔になりました。自分が怒っているのか、驚いているのか、それさえもよくわかりません。
ふと気がつくと、彼らの間の火がだいぶ小さくなってきていました。薪が燃えつきようとしているのです。皇太子は積んであった枝を取ると、火の中に投げ込みました。また炎が大きくなります。
「ふん」
皇太子はいつものように鼻を鳴らしました。なんだか、やっぱり妙な気分です……。
とまどう皇太子と、眠り続ける子どもたち。そんな一行を、夜はただ静かに包み込んで更けていきました。