夜の荒野は静かでした。遠くかすかにコヨーテの吠える声が聞こえてきます。星も見えない暗い空の下、たき火が乾いた地面を照らし、パチパチと枝のはじける音を立てています。
光の届く中にメールとポチが眠っていました。メールは毛皮のコートを着たまま、上から毛布をかけています。ポチは炎のぬくもりが届く場所で丸くなっています。
眠っている二人とは火をはさんで反対側に座って、フルートとゼンと皇太子が話をしていました。メールたちを起こさないように、声を低めています。
「あんたの刺客も来ているってのは本当なのか?」
とゼンが皇太子に尋ねました。ゼンは、命を狙われているのはフルートだけだと思っていたのです。
「昔からだ。別に驚くことではない」
と皇太子が特別感情も交えずに答えました。本当に、皇太子にしてみれば、刺客につきまとわれるなど、あたりまえのことだったのです。ゼンは考え込む顔になりました。
「まあな……妙だとは思ったんだ。あのトカゲ男たちが襲ってきたとき、あんたを殺そうとしたヤツがいたからな。メールが花でやっつけたが――。フルートを殺そうとするヤツらなら、皇太子は絶対守ろうとするはずだからな。あいつらの狙いは、フルートじゃなく、あんたの方だったのか」
ゼンは王族に敬意を払うということを知りません。皇太子のことも、平気で「あんた」と呼んでしまいます。
けれども、皇太子もそれを別に気にする様子はありませんでした。相変わらずぶっきらぼうな口調ですが、聞かれたことに答えます。
「おそらくそうだろう。リザードマンはザカラス領内に住む辺境民族だしな。充分考えられる」
ザカラスというのは、ロムドの西隣にある国の名前です。フルートは眉をひそめました。
「ザカラスが殿下の命を狙っているのですか? でも、ザカラスは――」
「そう。私の義母上の出身国だ。ロムドと協定を結んでいる同盟国でもある」
と皇太子が答えます。
とたんにゼンが肩をすくめました。
「またそういう話かよ。人間ってのは、本当にあざむいたり裏切ったりってのが好きだよな。俺はあんまり頭は良くねえんだから、できるだけわかりやすく話してくれよ。わかりやすく」
単純なまでに実直なドワーフらしいことばでした。
皇太子は、ふん、と鼻を鳴らすと、それでも本当にゼンにもわかるようにことばを選びながら話し始めました。
「私の母上は私が二つ、姉上が四つの年に病気で死んだ。それから間もなく、私は国の西の国境を守っている地方貴族の城に預けられた。当時、我が国と東隣のエスタは一触即発の状態で、戦闘が始まれば、王都も巻き込まれるだろうと言われていた。それで、エスタから最も遠い場所に預けられたのだが――」
そう言いながらも、皇太子の顔つきは険しくなっていました。父であるロムド王が、自分を嫌って国境へ追いやったのだろう、と考えているのが、ありありとわかる表情です。フルートとゼンには、それは違うのだとすぐにわかりましたが、とりあえず、今は口をはさまず、皇太子の話を聞き続けました。
「ある日、ザカラスが西の国境を越えてロムドに攻め込んできた。それまで結んでいた和平を破っての、突然の侵攻だった。ザカラスは私を人質にして、ロムドに降伏を迫ろうとしたのだ。ロムド-ザカラス戦の始まりだ。私は当時まだ五歳になっていなかった。さすがに戦えるものではない。城主が捨て身で私を守ったので、なんとか助かったが、魔法の鎧がなければ、人質どころか、命さえ落としかねない状況だった。戦闘は半年間続いたが、最終的にロムドが勝ち、我が国に有利な条件で和平が結ばれ、ザカラスの王女が父上に差し出されてきた――」
少年たちは思わず目を丸くしました。王女を敵国の王に差し出す、という意味がよくわかりません。すると、皇太子は、にこりともせずに続けました。
「早い話が、和平を裏切らないことを証明するための人質だ。負けた国が勝った国の王に王女を側室や愛妾に差し出すのは、よくあることなのだ」
少年たちは顔を見合わせました。側室、愛妾ということばの意味は一応知っていましたが、どうも今ひとつぴんと来ません。要するに、正式な奥さんではない、王の恋人や愛人、ということになるはずですが……。
フルートがとまどいながら言いました。
「でも、ザカラスの王女は、陛下の今のお妃様ですよね……。つまり、陛下はザカラスの王女と結婚されたんだ」
「母上はもう死んでいたからな」
と皇太子が答えます。特に何の感情もない声でした。王族にとって、結婚や縁組みは、国際的な政治の駆け引きでしかないのです。
「で? その新しいお妃様が王子様でも生んだのか? それで、あんたと王位を争うようになったとか? エスタと同じだな」
皮肉たっぷりにゼンが言います。人間の王室にはうんざりだ、という顔をしています。
「生まれたのは妹だ。メーレーンという。今年十一になるが、かわいい王女だぞ」
と皇太子が言いました。母の違う妹の話をした時、それまでずっと厳しかった皇太子の表情が一瞬なごんだことに、フルートは気がつきました。
意外な顔をするゼンに、皇太子は話し続けました。
「義母上は何も知らないのだ。ザカラスの王女として、蝶よ花よと大事に育てられてきて、国と国の駆け引きの残酷さも、戦いの非常さも、何一つ知ってはいない。ただザカラス王に命じられて、父上のところへ嫁いできただけなのだ。父上とは三十も年が離れているのに、それでも文句一つ言わずに素直にロムドへ来たような方だ。メーレーンも、政治のことなど何も知らん。犬が好きで、毎日犬たちと遊び回っているような子だ」
皇太子は王宮ではなく辺境部隊を転々としながら育ってきています。けれども、年に何回かは父王にまみえるために王宮を訪ねるので、その際に義理の母や妹の王女とも会う機会があるのでした。皇太子自身は意識していませんが、かばうような話し方になっているのが、義理の母や妹に対する気持ちを証明しています。フルートは、改めてこの皇太子の気性のまっすぐさを見たような気がしました。
「じゃあ、なんでザカラスがあんたを殺そうとしてるってことになるんだよ?」
腑に落ちないゼンが尋ねていました。ロムドの皇太子は、ふん、とまた鼻で笑いました。冷め切った笑いです。
「私の姉上は一昨年外国に嫁いでロムドを離れた。私が死ねば、メーレーンが第一王位継承者だ。ザカラスにしてみれば、血縁の王女が女王になるわけだからな。何かと好都合なわけだ。去年はザカラス王のひ孫に当たる王子との縁組みの話も持ち上がったぞ。王子はやっと二歳になったばかりの幼児なのにな。女王になったメーレーンと結婚させて、ロムドをザカラスの属領にしようという魂胆(こんたん)が見え見えだ」
それを聞いて、フルートは考え込みながら言いました。
「つまり、今のお妃様や王女様は全然知らないし、悪意もないけど、それを利用しようとしているザカラスが、殿下のお命を狙っている、ってことなんですね……」
「まあ、ザカラスに限らんがな。ザカラスの南隣のメイも、南の国境の山脈を越えたサータマンも、王位継承者の私がいなくなればうまい具合だと考えている。ロムドは父上の代になってから急に発展した。中央大陸中の国々がロムドを警戒しているのだ。ロムドは周りの国と和平を結んでるが、実際には周り中、ロムドを疎ましく思っている敵だらけなのだ」
「てことは、刺客はえーと……そのメイとか、他の国がよこしたヤツかもしれないってことか」
と今度はゼンが言います。話が複雑になってきたので、確かめるような口調です。
「一応、東のエスタだけは除外して考えている。おまえたちがエスタ王と永久和平を結んできたからな。あのエスタを本物の同盟国にしてしまったんだから、おまえたちの働きは絶賛されて当然だ」
ひどく不機嫌な顔で、皇太子がそんなことを言います。実際、フルートたちが国家レベルの実績を上げたことは、皇太子として面白くはないのです。けれども、それでも生真面目にフルートたちを誉めてくれるところが、皇太子という人物でした。
フルートとゼンは思わずまた顔を見合わせてしまいました。
「ぼくたち、そんなこと全然考えてなかったけどね……」
「ああ、ただ風の犬や魔王をやっつけにエスタに行っただけだからな。エスタ王がロムドをもう攻めないと天空王に勝手に約束しただけだぞ」
それを聞いて、皇太子は肩をすくめました。金の石の勇者の一行が、国や政治といったものとまるで無関係に動いていることを、改めて感じたのでした。
フルートはさらに考えながら言いました。
「殿下。その中でも一番殿下の命を狙っていると思えるのは、どこですか? 他にも、国内にも殿下を狙う人はいるって話でしたよね?」
「ああ。私の敵は本当に掃いて捨てるほどいる。だが、その中でも一番有力なのは、やはりザカラスだ。ザカラスの息がかかっていると思える刺客が一番多いからな――リザードマンのように」
ふう、と少年たちは思わず溜息をつきました。本当に、聞けば聞くほど鬱陶しくなるような話です。
すると、皇太子がフルートを指さしてきました。
「だがな、金の石の勇者。ザカラスはおまえの命も狙っているのだぞ。私だけでなく、おまえもザカラスには邪魔者なのだ」
「え、どうして……?」
フルートは目を丸くしました。――フルートが王位を狙っているのだろう、とロムドの貴族たちが誤解してフルートの命を狙うのは理解できましたが、隣国ザカラスにまで狙われる理由がわかりません。すると、皇太子があきれた顔になりました。
「何を言っている。おまえがメーレーンと結婚するからだ。ザカラスにしてみれば、大事な次の女王をおまえに奪われるわけだからな」
フルートは目をいっぱいに見開きました。ぽかんとしてしまいます。その顔がみるみるうちに真っ赤になっていきました。ゼンも驚いて友人を見ています。
「え、結婚って……」
フルートは思わず声を上げてしまいました。
「ぼくが王女様と!? なんでそんなことになるんですか!」
ロムドに新星のように現れた金の石の勇者。その存在は、とんでもない噂まで生んでいたのでした――。