「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第6巻「願い石の戦い」

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42.夜中

 「フルート! フルート!」

 明るい声に呼ばれて、フルートはびっくりして振り返りました。春のように柔らかな日差しの中、向こうから、黒い服の裾をひるがえして小柄な少女が走ってきます。

 フルートはまたびっくりして、立ちつくしてしまいました。

「ポポロ……」

 とつぶやいたきり、声が出なくなってしまいます。

 そんなフルートに、ポポロが駆け寄って飛びついてきました。細い腕をフルートの首に回し、嬉しそうな笑い声を上げます。赤いお下げ髪が揺れています。

「ああ、やっと会えた! ずっと、ずっと会いたかったのよ!」

 そう言って、笑顔でフルートをのぞき込んできます。宝石のような輝く緑の瞳です。フルートはどぎまぎしながら尋ねました。

「ど、どうして……? 君、修行中のはずだろう? あと三ヶ月はかかるって、ルルが……」

「抜け出してきちゃった」

 と、いたずらっぽくポポロが答えました。どうして、とさらに目を丸くしたフルートに、うふっ、と笑って見せます。

「だって、どうしてもフルートに会いたかったんだもの……。大丈夫よ。内緒で抜け出してきたから、こっそり戻れば平気なの」

 魔法使いの少女はフルートのすぐ目の前にいました。小柄なフルートより、もっと小柄で華奢な少女です。日の光に輝く赤い髪からも、星のきらめきを抱く衣からも、天空の国の花の香りがします。フルートの心臓が急にどきどきと早打ち始めました。なんだか、何も言えなくなってしまいます。

 すると、ポポロがぎゅっとフルートに抱きついてきました。鎧の胸当てに腕を回して小さな体を押しつけてきます。間に堅い鎧があるのに、ポポロの体の柔らかなふくらみが伝わってくるような気がして、フルートは思わず真っ赤になりました。切ないくらいに甘くいとおしい気持ちが湧き上がってきます。

 すると、その気持ちが伝わったように、ポポロが顔を上げました。泣き虫のポポロです。笑顔で見上げているのに、その大きな瞳は涙でうるみ始めていました。

「フルート……ずっと、あなたのことを考えてたわ。とてもとても会いたかったの……こうしてまた会えて、嬉しい」

 ぼくもだよ、と思わずフルートはつぶやいてしまいました。言ってから、また真っ赤になります。

 ポポロが小首をかしげました。うるんだ瞳でフルートを見上げて、にっこりほほえみます。

「ねえ、フルート……キスして……」

 ポポロが言いました。

 

 フルートは心臓が止まりそうになりました。思わず少女を見つめてしまいます。とまどいます。ためらいます。

 ポポロがほほえんだまま、目を閉じました。熟れた果実のような唇が、ふっくらと輝いて見えます。

 少女はフルートの目の前で静かに待っていました。誘われるようにフルートの手が動きました。あらがいようもなく、少女の華奢な体を抱きしめてしまいます。そのまま、顔を寄せて、柔らかそうな唇に唇で触れようとします――

 

 とたんに、フルートは目が覚めました。

 

 頭上に暗い空が広がっていました。雲におおわれて、星も見えない夜空です。近くでパチパチと音を立ててたき火が燃えています。たき火の明かりに、白っぽく乾いた荒野の地面と、横になって眠る仲間たちが照らし出されています。そこに、星空の衣を着たポポロの姿はありません。夢だったのです。

 夢そのままに息を止めていたフルートは、ゆっくりと息を吐きました。全身から力が抜けてしまいます。両目をふさぐように、顔の上に腕をのせます。

 ――ちぇっ。

 フルートは心の中でつぶやきました。それが本音でした。

 そうです。こんなに都合のいいようなことが起きるはずはないのです。ポポロは今この瞬間も天空の国にいて、修行の塔で修行をしています。そして、彼女が本当に好きなのは――

 フルートは溜息をつくと、寝返りを打ちました。もう一度眠ろうとしても、眠気が飛んでしまって眠れません。フルートはまた溜息をつくと、のろのろと起き上がりました。

 

 たき火のそばでゼンが見張りをしていました。大きな弓を背負い、腰にショートソードを下げたいつもの格好で、じっと立ち続けています。

 フルートは、起き上がる途中で、ふと動きを止めました。ゼンが夜の荒野ではなく、火のそばで眠る少女を見つめているのに気がついたからです。

 ゼンは、考え込むような表情で、じっとメールを見つめていました。いえ、ただ考えているだけなのかも知れません。その視線の方向にメールが偶然寝ているだけで……。

 フルートが起き上がったものかどうか迷っていると、ゼンがそれに気がつきました。はっとしたように振り向き、一瞬、ばつの悪そうな表情を浮かべます。次の瞬間にはもう、それは消えていましたが、それだけでフルートにはわかってしまいました。やっぱりゼンはメールの寝顔を見つめていたのです……。

 すると、あわててごまかすように、ゼンが話しかけてきました。

「どうしたんだ、フルート。交代にはまだ間があるぞ」

 フルートは苦笑いして完全に起き上がりました。

「目が覚めちゃったんだよ。なんか眠れなくなってさ」

 なんだ、とゼンがちょっと笑います。その姿をフルートは黙って見上げました。背丈はフルートと同じくらい小柄でも、肩幅の広いがっしりした体格をしているゼンです。エルフの矢を連射し、怪力を発揮する腕は、大人と同じくらいの太さがあります。どんな時にも陽気さとふてぶてしさを忘れない瞳が、たき火の炎を映して明るく輝いています。

 かなわないよなぁ……とフルートは心の中でまた苦笑いしました。身長は同じでも、たくましさ、頼もしさは全然違います。勇気や気持ちは自分だって負けないつもりでいましたが、どうしたって、実際の力はゼンの方が上なのです。

 どんなに乱暴で単純でも、ゼンはやっぱりいいヤツです。だから、女の子たちだって、ゼンを好きになるのです――。

 口には出さなくても、メールはゼンが大好きでいます。そして、そんなふうに仲良くしている二人を見て、ポポロが密かに焦り、小さな嫉妬にかられているのを、以前、フルートは目の当たりにしていました。ずるいよなぁ、とまた心でつぶやいてしまいます。

 確かに、ゼンは最近メールに心惹かれ始めています。でも、だからといって、ポポロがゼンをあきらめて、フルートを選んでくれるというわけではないのです。そんなに単純にことが運ぶはずはないのです。

 ぼくがもっと、大きくてたくましかったら良かったのに、とフルートは考えました。皇太子のような立派な体格でなくてもいいから、せめてもう少し、男の子らしかったら――男らしかったら――。

 少女のように優しく華奢な姿の少年は、かすかにまた苦笑いして、頭を振りました。考えたってどうしようもないことでした。

 

 フルートがそんなことを考えているとはつゆ知らず、ゼンが言いました。

「今夜は静かだよな。ランジュールも刺客もおいでにならないみたいだぜ」

「ありがたいよ。たまにはゆっくり休ませてもらわなくちゃ」

 とフルートは答えました。複雑な嫉妬と悔しさに思い悩んだことなど少しも感じさせない、穏やかな口調でした。

 ゼンが肩をすくめました。少し考えてから、こんなことを言います。

「なあ、フルート、おまえを狙ってるヤツって、実際のところ誰なんだろうな? ランジュールが言ってただろう。あのトカゲ野郎は、自分と違うヤツに雇われたんだろう、って。つまり、おまえの命を狙ってるのは一人じゃないってことだよな」

 今度はフルートが少し考える番でした。片膝を立てて抱え込み、燃えるたき火の炎を見つめて答えます。

「ぼくを狙う刺客だけじゃなく、殿下を狙ってきてる奴もいるんだろうな……」

「皇太子を?」

 ゼンが目を丸くしました。皇太子が昔から命を狙われている話は、フルートしか聞いていません。ゼンには初耳だったのです。うん? と考え込んでから言います。

「じゃ、なんだ。おまえは自分を狙ってきたんでもない刺客に殺されかかったってことか? そんな馬鹿なことってあるかよ」

 憤慨した口調になっています。

 フルートがそれに答えようとしたとき、別の声が先に言いました。

「その代わり、私もおまえたちを狙う刺客と戦っているんだ。お互いさまだと思うがな」

 少し離れた場所に火をたき、横になって寝ていた皇太子が、目を開けて少年たちを見ていました。

 ゼンは口をとがらせました。

「なんだ、タヌキ寝入りしてたのかよ」

「いいや、おまえたちの声で目が覚めた。昔から、寝ていても周りの話は耳に入ってくるんでな」

 言いながら起き上がります。フルートは何も言いませんでした。寝ていても周りの声が聞こえるのは、それだけ神経を張り詰めている証拠です。幼い頃から刺客に狙われ続けてきた皇太子は、寝ても起きても片時も油断することなく身構え続け、それがすっかり身に染みついてしまっているのでした。

 フルートはちょっとためらってから、皇太子に言いました。

「殿下、よろしかったら、こちらで一緒に話しませんか。そこでは話が遠いですから」

 ゼンが意外そうな顔をしました。皇太子も驚いたような表情をします。――が、すぐに皇太子は答えました。

「そうだな……そうするか」

 これこそ意外中の意外、皇太子が立ち上がり、少年たちの火のそばに来て座りました。誘ったフルートが驚いた顔をしているのを見て、言います。

「なんだ。来いと言ったのはそっちではないか」

 いつものぶっきらぼうな口調です。――が、照れ隠しをしているような雰囲気も、どことなく漂っています。

 フルートとゼンは思わず顔を見合わせました。

 目には見えません。まだはっきりと形にも表れません。けれども、少年たちと皇太子との関係に、確かに少しずつ変化が訪れていました――。

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