「花たち!」
メールの声が荒野に響きました。ざーっと音を立てて花が飛び、フルートの背後に集まります。
風の牙をひらめかせて飛びかかってきたポチが、花の壁に激突しました。ばっと花びらが散り、ポチの体がそれていきます。
皇太子は、自分に切りかかっているフルートへどなりました。
「きさま、正気か! 風の犬にやられるぞ!」
「あれはポチだ!」
とフルートはどなり返しました。皇太子の剣を抑え込む剣に、いっそう力をこめます。
「絶対に、手は出させない!」
「首輪を切るだけだ! 殺すわけではない!」
と皇太子がまたどなります。そう、風の首輪を切れば、風の犬は元の犬の姿に戻ります。それが闇の首輪に変化さえしていなければ、切られても命を失うということはありません。
けれども、フルートは皇太子をにらみながら答えました。
「だめだ! あれはポチのお父さんの形見なんだ――!」
「馬鹿な!!」
皇太子はまた大声を上げました。目の前にいるのは、本当に小さな少年なのに、その細い腕が握った剣は驚くほど重くて、皇太子にさえ払いのけられません。まるで、どこからか魔法で力が送られてきて、フルートの剣を支えているようです。
そこへポチがまた襲いかかってきました。メールがまた花を呼び寄せます。
「こんちくしょう!」
ゼンがわめきながらエルフの弓を構えました。ドラゴンの上のランジュール目がけて、また矢を放ちます。
「おっとっとぉ」
ランジュールはドラゴンの羽ばたきで矢を返しました。口をとがらせて、地上のゼンを見下ろします。
「うっとぉしいよねぇ、キミたちって。ボクたちの勝負に首を突っ込まないでくれないかな。えぇと――ワンワンちゃん、こっちを先にやっつけちゃって!」
とたんに、ポチが空中で向きを変えました。ごうっと一度上空に舞い上がってから、今度はゼンに狙いを定めます。
「ポチ!」
子どもたちは思わずまた叫びました。
「馬鹿野郎、ポチ! 俺がわからねえのかよ!?」
とゼンがわめきます。けれども、ポチの風の目は、何の反応もなく見下ろすだけです。「生意気野郎!」「単純ゼン!」と、じゃれるように悪口を言い合ってきたドワーフの少年に、ただ、冷たい殺気のまなざしを向けます。
「ポチ――!!」
ゼンはまたどなりました。……本当は、ゼンの腕前なら矢でポチの首輪を断ち切ることもできます。でも、ゼンもやっぱりそんな真似をすることはできませんでした。ポチが自分の首輪をどれほど大切にしているか、知っていたからです――。
うなりをあげてポチがゼンに飛びかかりました。
メールがまた叫びます。
「花たち!」
けれども、新たな花の壁は、たちまち風の犬に突き破られてしまいました。秋の終わりが近づく荒野。メールの呼びかけに飛んできてくれた花は、戦うのにはあまりにも数が少なかったのです。
すると、フルートが突然皇太子から離れ、ゼンの前に飛び込みました。
小さな体で精一杯に両手を広げ、飛びかかってくるポチに向かって鋭く叫びます。
「やめろ、ポチ!!」
とたんに、ポチが空中で身をひねりました。ごうっと上空に舞い上がり、空の中で渦を巻きます。
「あれぇ?」
ランジュールが不思議そうにそれを見上げました。
「どうしちゃったの、ワンワンちゃん。あんなおちびさんの命令なんか、きく必要はないんだよ。ほら、あいつを殺しておいでったら――」
また強い念のこもった指をポチに突きつけ、ゼンをさし示して見せます。ワン、とポチは答え、またゼンに飛びかかっていこうとしました。
フルートがまた叫びました。
「やめろ、ポチ!! 戻ってこい!!」
これまでの優しく穏やかな口調とはうって変わった厳しい声です。聞く者の耳を強く打ちます。
ポチがまた渦を巻き、ランジュールとフルートの間をぐるぐると飛び回り始めました。混乱して、どちらの命令を聞いていいのかわからなくなったのです。
ランジュールは、ひどく面白くなさそうな顔になりました。
「やだなぁ。『元』飼い主のくせに、ボクのワンちゃんをとらないでくれる? あれはもう、ボクのワンちゃんなんだよ。ボクのかわいいペットさ」
すると、フルートは強い声で答えました。
「ポチはペットなんかじゃない! 仲間だ! ぼくの弟なんだ――!」
「弟ぉ?」
たちまちランジュールが吹き出しました。ドラゴンの上で腹を抱えて笑い転げ、笑いすぎて涙さえ浮かべた目でフルートを見ました。
「いやぁ、素敵な兄弟愛だなぁ。それじゃ、立派な兄ちゃんには、これをプレゼントしてあげるね」
うふっ、と楽しそうに笑って、ドラゴンの頭を軽くたたきます。とたんにドラゴンは口を開け、フルート目がけて火を吹こうとしました。そのすぐ後ろには、ゼンも立っています。身をかわそうにも、とても間に合いません。
ごぉぉ、と音を立てて、二人に巨大な炎の塊が襲いかかってきます――。
と、その炎が、目の前でいきなり向きを変え、空に向かって立ち上り始めました。渦巻く炎の柱に変わります。
ドラゴンの炎を巻き上げているのは、ポチでした。風の体に取り込み、ねじ曲げて、空へと吹き上げていきます。フルートとゼンに炎は届きません。
少年たちは歓声を上げました。ファイヤードラゴンの炎が尽きます。
最後の炎のかけらを空へ送ってから、ポチは振り返りました。笑うように、泣くように、白い風の瞳を大きく歪めながら、少年たちを見つめます。いつものポチの顔つきに戻っています。
フルートは両手を広げて呼びかけました。
「おいで、ポチ――!!」
「ワン!」
ポチは一声吠えると、まっすぐその腕の中に飛び込んでいきました。大きな風の犬の姿のまま、フルートに飛びつき、頭をすりつけます。フルートは、それをしっかりと抱きしめました。
ゼンがランジュールに向かって勝ち誇った声を上げました。
「ざまぁ見ろ! ポチがおまえの手下になんかなるもんか! おととい来やがれ!」
「ちぇぇ」
ランジュールは舌打ちをすると、またドラゴンの頭をたたきました。ばさり、と羽音を立ててドラゴンが宙に舞い上がります。
とたんに、フルートも叫びました。
「行くぞ、ポチ!」
風の犬のポチに飛び乗って、もうドラゴンに乗ったランジュールの目の前まで舞い上がっています。その手には炎の剣が握られていました。遠慮のない炎の一撃が飛んできます。
「ひゃあ」
ランジュールは黄色い悲鳴を上げ、ドラゴンの上で首をすくめました。
「こりゃまずい。おちびさんを本気で怒らせちゃったみたいだな。ちょっと作戦変更。また出直してくるねぇ」
あっという間に、魔獣使いはドラゴンもろとも姿を消していきました――。
空から舞い下りてきたフルートとポチに、ゼンとメールが駆け寄っていきました。
「ポチ!」
「ポチ、良かったぁ!」
子犬の姿に戻ったポチを抱き上げ、口々に話しかけ、小突いたりなでたりします。そんな様子を、フルートは黙ってほほえんで見ていました。
すると、ポチがフルートを振り向きました。ポチは犬なので泣くことができません。けれども、この時、ポチの黒い瞳は涙で一杯になっているように見えました。
「フルート、ぼく、ぼく……」
フルートはうなずきました。ただ黙ってゼンの腕からポチを受け取り、ぎゅっと強く抱きしめます。ポチは尻尾をちぎれるほどに振り、兜からのぞくフルートの顔を夢中でなめました。
そんな子どもたちの様子を、少し離れた場所から皇太子が眺めていました。
フルートもゼンもメールも笑顔です。子犬を囲んで大喜びしています。そんな彼らを見えない絆(きずな)が固く結んでいるのが、皇太子の目にも見えるようになってきていました。
彼らは自分よりずっと年下の子どもたちです。それなのに、彼らは皇太子にはない、素晴らしいものを持っているのです。「仲間」という名の友だちを――。
なんだか、何も言うことができなくなって、皇太子はただ立ちつくしていました。荒野を吹き渡ってくる風がマントをはためかせます。ひやりと肌に触れる秋風です。その手の中では、大きな剣が白く光っていました。