何もなかった荒野に、空間からにじみ出るように怪物が姿を現していました。見上げるような巨体、長い首、二枚の翼、全身はオレンジ色に光るウロコでおおわれています。――ドラゴンでした。
馬たちが驚いて後足立ちになり、フルートたちは振り落とされそうになって、あわてて馬を下りました。彼らが乗っている馬は軍馬ではありません。怪物を見て平然としていられるほどタフではないのでした。
地面に立ち、それぞれに武器を抜いたフルートたちに、ドラゴンの上から声が話しかけてきました。
「やっほう、お久しぶりぃ。約束通り、新しい魔獣を連れてきたよぉ」
痩せた青年がドラゴンの頭の上に乗っていました。魔獣使いのランジュールです。相変わらずとぼけた話し方をします。彼らが戦ったのは、ほんの一昨日のことなのです。
「ったく! 毎日毎晩マメに襲ってくるよな、おまえら!」
とゼンがどなり返しました。減らず口なら、こちらもかなり自信があります。ランジュールが不思議そうな顔をしました。
「毎日毎晩? ボクが来るのは、まだ二回目だよぉ?」
「昨夜はトカゲ野郎を差し向けただろうが! ドラゴンは夜目がきかないのか? 今回は明るいうちに来てくれたな!」
はぁん、とランジュールは言いました。
「それ、ボクたちとは違う連中だなぁ。たぶん、ボクたちの依頼主とも違うヤツだろ。キミたちって、ずいぶんいろんな人たちから命を狙われてるんだねぇ」
自分こそがフルートの命を狙って来ているのに、そんなことを言います。
その間にポチが風の犬に変身していました。巨大な幻のような体が、長々と荒野に伸びます。と、ポチは大きな頭をフルートに寄せてささやきました。
「ワン、今回はぼくだけに行かせてください。あれはファイヤードラゴンです。炎を吐いてきます。フルートの鎧じゃ持ちません」
昨夜の実験で、魔法の鎧が熱さに耐えられなくなっているのは確認ずみです。そう言われれば、フルートもポチに従うしかありませんでした。
「気をつけてね」
と言うと、ワンワン、とポチは笑うように吠えました。
「大丈夫ですよ。ぼくは風なんだから」
そう言うなり、ごうっとうなりをあげて、目の前に立つドラゴンへ飛びかかっていきました。
「おっとっと。危ないなぁ。ちゃんと、始めるよ、って言ってくれなくちゃ」
ポチの急襲を受けて、ランジュールが声を上げました。ドラゴンが長い首をねじって攻撃を避けています。
と、その口がポチに向きました。突然、巨大な炎が吹きつけられてきます。
「ポチ!!」
フルートたちは思わずいっせいに叫びました。風の犬の長い姿を、すっかり包んでしまうほど大きな火でした。
けれども、自分でも言ったとおり、ポチはまったく平気でした。逆に体の中に火の粉を巻き込んだまま、ドラゴンの上のランジュールに飛びかかっていきます。
「ちょっと! ちょっと、ちょっと! こっちに来ないでよ!」
ランジュールが悲鳴を上げて手を振ります。とたんに、見えない大きな手が動いたように、青年の上から火の粉が払い飛ばされました。
ゼンがフルートに並びました。手にはすでにエルフの弓矢が構えられています。ドラゴンに向けて矢を次々に放ちます。ところが、ドラゴンが素早く翼を羽ばたかせると、どっと風が起きて、矢が押し返されてしまいました。
その時、ランジュールが急にまた悲鳴を上げました。忍び寄っていた花の集団に、いきなり後ろから飛びかかられたのです。メールが両腕を高くかざし、花を操っていました。
「お行き、花たち! そいつをドラゴンからたたき落とすんだよ!」
花はメールの命令を受けて、どんどん茎を伸ばし、ランジュールに絡みついていきました。花の網の中に捕らえようとします。
ワン! とポチが吠えて、またドラゴンに飛びかかっていきました。風の牙でドラゴンの目にかみついてきます。全身固いウロコでおおわれたドラゴンも、まぶたにはウロコがありません。ばっと赤黒い血が飛び散り、すさまじい咆哮が上がりました。花に絡みつかれたランジュールが、振り落とされそうになって、必死で首にしがみつきます。
そこへ、一度宙に離れたポチが、また突進していきました。ランジュール目がけて飛びかかっていきます。フルートの命を狙う男に、鋭い牙の一撃をお見舞いしようとします。
「うわぁぁ――っ!!」
ランジュールがまた悲鳴を上げました。
とたんに、魔獣使いの全身から、花が飛び散りました。散り散りになってちぎれ、地上へ舞い落ちていきます。メールは思わず息を飲みました。
「なぁんてね」
とランジュールが、にやりと笑いました。
すると、今にも襲いかかろうとしていたポチが、空中で止まりました。凍りついてしまったように、そこから動けなくなってしまいます。
ランジュールが、ドラゴンの首をぽんとたたきました。とたんに、負傷して大暴れしていた怪物が、ぴたりとおとなしくなります。その頭の上に立ち上がって、青年はうふふ、と笑いました。
「これをね、待っていたんだよ。キミたちのワンちゃん、けっこう強そうだもんね。ボクは強い魔獣が大好きなんだぁ」
言いながら、片手の指先をポチに突きつけ、強い声で一言、こう命じます。
「来い!」
とたんに、風の犬のポチはまた動けるようになりました。呪縛から解かれたように空を飛び――ランジュールのところまで行くと、痩せた体の回りに風のとぐろを巻いて、大きな頭をランジュールにすりつけました。
フルートたちはびっくりしました。敵に甘えるようなしぐさをしているポチに、大声で呼びかけます。
「ポチ!」
「おいポチ、なにやってるんだ!?」
けれども、ポチは仲間たちに目をやろうとはしません。ドラゴンの上にいる青年にすり寄り続けています。それをランジュールがなでました。
「よぉしよし、いい子だねぇ、ワンワンちゃん。一緒に仕事を片付けようね。うまくできたら、ごほうびを上げるよぉ」
ワン、とポチがそれに答えました。
「あの馬鹿、操られてやがる!」
ゼンがそう言うなり、矢を放ちました。狙いはランジュールです。魔獣使いを倒せば、ポチにかかった術は解けるはずだからです。
ところが、ポチがごうっとつむじをまきました。ゼンの矢が風の渦に巻き込まれて飛ばされてしまいます。
「いい子いい子、ワンワンちゃん」
ランジュールがまたにこにこしました。飛び戻ってきたポチの頭をまたなでます。ゼンは歯ぎしりをしました。
「ポチ!!」
「ポチ、しっかりしなよ!!」
フルートとメールが呼び続けます。その目の前でポチの首を抱きながら、ランジュールがまた、うふふふ、と笑いました。
「無駄だよぉ。ボクの魔獣使いの力はものすごく強いんだ。里で一番なんだよ。どんな凶暴な魔獣だって、ボクが呼べば、あっという間に従うんだからねぇ」
細い眼が冷酷に光りました。フルートを指さしながら、ポチに命じます。
「さあ、あいつを殺してくるんだ、ワンワンちゃん」
フルートたちは思わず息を飲みました。
ワン! とポチが返事をして空に飛び立ちました。上空で一度輪を描き、風の体に勢いをつけると、まっすぐフルートに襲いかかってきます。
「ポチ――!!」
子どもたちはまた叫びました。自分たちの声に何の反応も示さない風の犬に、必死で呼びかけて、正気に返そうとします。
すると、そんなフルートを後ろから皇太子が突き飛ばしました。地面に転がった小柄な体の上を、風の犬のポチが、ごうっと音を立てて通り過ぎていきます。ちっと鎧の表面を風の牙がかすめていく音がしました。
「馬鹿者! ぼやぼやしてるとやられるぞ! 応戦しろ!」 と皇太子はどなりながら、自分の大剣を構えました。上空でUターンしてくるポチをにらみつけます。
ポチはうなりながら、またフルートに襲いかかろうとしています。
皇太子はつぶやくように言いました。
「知ってるぞ。風の犬の弱点は首輪だ。首輪を切れば、元の姿に戻るのだ――」
大剣を握り直し、ポチの首元の風の首輪を見据えます。
ごごうっと音を立てて、またポチが飛んで来ました。抱えるように大きな頭の中で、白い牙が光って見えます。皇太子は狙いを定めて、一刀で首輪を切り捨てようとしました。
――と。
ガキン! と鋭い音がして、皇太子の剣に剣がぶつかりました。
倒れていたフルートが飛び起きて、自分の剣で切りつけていったのです。フルートが握るのは、銀色のロングソードです。
皇太子の剣を力で抑え込みながら、フルートはどなりました。
「やめろ! ポチに手を出すな――!!」
皇太子は目を見張りました。きさまは何を言っているんだ!? とどなり返そうとします。
そのフルートの背中に、ポチがうなりをあげながら襲いかかってきました――。