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第6巻「願い石の戦い」

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38.何故

 荒野の中を金の石の勇者の一行が進んでいました。

 空は今日は一面の白い雲におおわれていて、太陽は顔を見せていません。乾いた風が荒野の上を吹き渡ってきて、背の低い草や茂みを揺らしていきます。ぽつりぽつりと見える木立は、すっかり葉の色を変えて、風が吹くたびにどんどん散っていきます。色づいた草の実が葉陰で震えています。

 そんな秋の景色の中を、フルートは先頭に立って進み続けていました。昨夜、リザードマンの襲撃を受けて、もう少しで死ぬところだったというのに、今日にはもう、いつもと変わらない様子で、穏やかに馬の手綱を握っています。鞍の前の籠にはポチが乗っていて、今は丸くなって昼寝をしています。

 その後ろを、距離を開けながら、皇太子の馬が続いていました。その少し後ろをメールが、さらに、ずっと遅れてゼンの馬がしんがりでついていきます。

 皇太子は馬を進ませながら、ずっとフルートを見ていました。

 最初の頃のような、にらみつける目ではありません。ただ、じっと、先を行くフルートの一挙一動を見つめています。フルートは行く手の荒野を眺め、仲間たちがちゃんとついてきているかどうか振り返って確かめ、自分の馬に優しく声をかけ、籠の中のポチを見守ります。なんの気負いもなければ、恐れる様子もない、穏やかそのものの表情です。

 

 やがて、皇太子は馬の脇腹を軽く蹴りました。馬が足を速めて、じきにフルートの馬に並びます。

 フルートが振り向いて、ちょっと意外そうな顔になりました。戦闘中でもないのに、皇太子が自分からフルートの近くへ来たのは初めてです。

 そのまま二人は馬を並べて歩き続けました。秋の荒野は乾ききっています。白い空を横切っていく鳥が、灰色の小石を投げたように見えます。

 すると、皇太子が重い口を開きました。

「金の石がずっと眠っていたというのは本当か?」

 フルートはまた皇太子を振り向いて、すぐにうなずきました。

「はい。……最初からずっと眠ったままです。今回の敵は闇の敵じゃないですから。あの石は、闇が世界に襲いかかろうとしてる時にしか目を覚まさないんです」

 なんでもないことのように答えます。その顔を皇太子は見つめ続けました。本当に、少女のように優しげな顔立ちをしています。いっそドレスでも着せて座らせておいたほうが似合うのではないか、と意地悪なことも考えたくなるほど、華奢で物静かな雰囲気の少年です。

 だから、皇太子はこの少年を、ただの飾り物の勇者なのだと思ったのです。いかにも名前に似合った金の鎧兜で身を包み、周りにいる強い仲間たちに盛り立ててもらって、それで自分は金の石の勇者のつもりでいるのだろう、と。

 勇者が身につけている金の石は、守りと癒しの魔力を持ちます。怪我をしてもたちどころに治るとわかっていれば、どんな勇敢な行動だってとれるだろう、とも思っていました。

 ところが、皇太子の予想は見事に外されました。フルートの金の石は眠ったままでいたのです。それを承知の上で、この少年は、魔獣使いの巨大な魔獣に立ち向かい、リザードマンの襲撃を自分に引きつけ、常に最前線で戦っていました。それが何のためだったのか、今では皇太子にもわかっていました。この少年は仲間たちを守ろうとしたのです。自分の身の安全を捨てて、ただただ、仲間たちの命を救おうとしたのです――。

 

「何故だ」

 と皇太子が低く尋ねました。フルートは意味がわからなくて、皇太子を見返しました。

「何故、おまえはそんな無謀な真似をする? おまえは世界を救う勇者だぞ。こんな――世界を守るためでもない、つまらない戦闘に、何故自分の命をかけるような危険を冒すのだ?」

 フルートは少しの間、答えを考えるように黙ってから、おもむろに口を開きました。姿に劣らず穏やかな声で言います。

「殿下……つまらない戦いでも、ぼくの友だちは怪我をするかもしれません。ぼくは、友だちに怪我をされたり、死なれたりするのが絶対に嫌なんです」

「だが、おまえは金の石の勇者だぞ」

 と皇太子は繰り返しました。

「おまえの使命は、世界を闇の敵から守ることだ。魔王がまた現れて、この世界を襲うだろう、とユギルも予言している。言ってみれば、世界中の人間の命がおまえにかかっているというのに――それでも、仲間のほうが大事だと言うのか」

「大事です」

 とフルートがあっさり言い切ったので、皇太子は思わず呆気にとられました。フルートは相変わらず穏やかな口調で続けました。

「世界中の人たちの中には、ぼくの仲間たちも含まれています。世界中にどのくらいの人が住んでいるのか、ぼくにはちょっと想像がつかないけど――その人たちを守ることも、ゼンやメールやポチを守ることも、ぼくには同じくらい大事なんです。たとえ、魔王を倒して世界を守れたとしても、その時に友だちが死んでしまっていたら、ぼくは世界中の人を守れたことになりません――」

 フルートの胸を生々しい痛みが通り過ぎていきました。白い雪と氷に閉ざされた北の大地。その大地で消えていった友人の顔が浮かびます……。

 

 皇太子が呆れきったように首を振りました。

「大局が見えていないな。仲間を守るのは、むろん大事なことだろう。だが、そうしておまえが死んでしまったら、おまえが守るべき何十万、何百万という世界中の人々はどうするのだ? 魔王の魔手にむざむざ渡すというのか? 上に立つものは、時には、他人の犠牲の上に立ち上がらなければならない時もあるのだ。より多くの命を守るためにな――それがわからんのか?」

 けれども、フルートはほほえんだままでした。もう何も答えません。その優しげな瞳は、強い光をたたえていました。誰がなんと言っても自分の考えを変えようとしない、強い意志の光です。

 皇太子は、フルートをつくづく眺めると、やがて、視線をそらしました。

「まったく変な奴だ。こんなに無謀なことをしてきて、よくも今まで生きてこられたもんだ」

「それは、ぼくもそう思います」

 フルートがほほえみながら答えました。ゼン、メール、ポチ、ポポロ、ルル、そして金の石、魔法の鎧、炎の剣――。たくさんの人やものに助けられてきたからこそ、フルートはこうしてまだ無事に生きているのです……。

 皇太子は、わからん! と言うように、また頭を振りました。

 

 フルートと皇太子から遅れて進んでいたメールが、ふと、馬の手綱を引きました。後からついてきていたゼンの馬に並びます。

 ずっと考え込む様子をしていたゼンが、どきりとしたように顔を上げました。何故だか、メールがそばに来ただけで焦ってしまったのです。うろたえたのを隠すように、わざとぶっきらぼうに言います。

「なんだ。皇太子のそばにいなくていいのかよ――」

 言ってしまってから自分で後悔しました。俺は何を言ってるんだ! と自分をののしります。

 メールは目を丸くしました。

「は? なんでさ」

 その返事に、ゼンはまたうろたえました。思わず赤くなった顔をそむけ、そっと、横目でメールの表情をうかがいます。メールは本当に不思議そうな顔をしています。

 なんだ……とゼンは心でつぶやきました。自分が考えすぎていたらしい、と気がついたのです。なんだか、急にほっと安心する気持ちになります――。

 

 メールはそんなゼンを不思議そうに見ていましたが、やがて、また行く手に目を向け直すと言いました。

「ねえ、ゼン。あたい、今回は本当にダメかと思っちゃったよ。フルートが死んじゃうんじゃないかと、本気で思ったんだ」

 ゼンは真顔に戻りました。ゼンが馬を進めながらずっと考えていたのも、そのことだったのです。

「泉の長老の、あの不吉な予言があったしな……。本当に、冗談じゃなくやばい状況だぜ。一番まずいのは、闇の敵じゃないから、金の石が目を覚まさないことだ」

「昨夜、フルートを助けてくれたのって、誰だったんだろうね?」

「わからねえ……。金の石が特別サービスしてくれたのか、天空王が俺たちを見ていたのか……。おかげであいつは助かったけどな」

 二人は黙り込みました。昨夜の様子をそれぞれに思い出します。倒れて意識を失ったフルートは、みるみるうちに呼吸が弱まり、顔色が透きとおるように白くなっていきました。命の炎が死に神に吹き消されようとしているのが、彼らの目にもはっきりとわかったのです。その時、「何か」の力が働いて、フルートを死の淵から呼び戻したのですが、あと一分でも遅ければ、それも絶対間に合わなかったことでしょう。改めて、恐怖が二人の背中を走り抜けていきます――。

 やがて、メールがまた言いました。

「なんでかな? なんで、フルートってああなんだろ? いつだって、自分のことより他の人のことばっかりで」

 ゼンは黙って首を振りました。優しいから、と言ってしまえばそれまでですが、改めてそれは何故かと聞かれたら、理由などゼンにもわからないのでした。

 二人は先頭を行くフルートを見ました。金の鎧を着た小柄な少年は、皇太子の馬と並びながら、静かに、本当に静かに馬を進め続けています。

 それがフルートでした。彼らの、金の石の勇者でした。

 

 すると、突然フルートの馬からポチが顔を上げました。行く手に向かって激しく吠え出します。

「ワンワンワンワン!! 気をつけて! 何か出てきますよ――!!」

 何もなかった荒野の上に、影のように姿を現そうとするものがありました。

 フルートたちはいっせいに身構えました。

 新たな敵がまた、彼らを襲撃してきたのでした――。

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