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第6巻「願い石の戦い」

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第10章 秋風の荒野

36.少年

 フルートは夢を見ていました。

 リザードマンに腕を切られて意識を失ってしまったのですが、夢の中では痛みも苦しさも、なにも感じていませんでした。腕にも傷ひとつありません。フルートは、なにも感じずに、ただぽつんと一人で立っていました。

 フルートは普段着姿でした。鎧兜も剣も身につけていません。しばらくぼんやりたたずんでから、ふと首をかしげました。

 ぼくは、何をしていたんだっけ……?

 いくら考えても思い出せません。頭の奥が、霞がかかったようにぼんやりしていて、なんだか半分眠っているようでした。

 夢の中は、どこまでも続く空白でした。どこを見ても、どんなに目をこらしても、何も見えません。本当に何一つない空っぽの場所で、そのくせ、フルートはすこしも怖さを感じていないのでした。

 フルートは自分の両手を見ました。傷を押さえて血まみれになっていたはずの手も、夢の中では綺麗です。

 ええと……

 フルートは考え続けました。

 何かを思い出さなくてはならないような気がしていました。とてもとても大事なことです。けれども、いくら考えようとしても、頭の中は夢の中と同じくらい空っぽで、やっぱり何も思い出せないのでした。

 

 そのうちに、フルートは遠くに光が見えているのに気がつきました。柔らかな色合いの小さな灯りです。フルートを呼ぶように、静かに光り続けています。

 フルートは、またちょっと首をかしげました。しばらく光を見つめます。何故だか、誰かに断らなくてはならないような気がしました。行ってきてもいい? と幼い子どものように、誰かの許可を求めたくなります。けれども、ここには誰もいないのです。

 フルートはとまどいながら、そっと歩き出しました。光は遠くで輝き続けています。何もない空間で、それだけがたった一つの存在です。フルートが目ざせる場所は、そこしかないのでした。

 一歩足を進めるごとに、少しずつためらいが薄れていきました。こっちへ行っていいのだ、という不思議な自信のようなものが湧いてきます。フルートの歩みは次第に力強く、早くなっていきました。光に向かって急いで進んでいこうとします――。

 

 すると、突然目の前にひとりの子どもが立ちました。

 四つか、五つくらいの小さな男の子です。

 フルートが見たことがない奇妙な形の服を着ていて、驚くほど鮮やかな金色の髪をしています。フルートも輝く金髪ですが、この少年は、まるで本物の黄金を細くすいて髪の毛にしたように見えます。

 小さな少年はフルートの行く手をさえぎるように立っていました。大人のように両手を腰に当てて、フルートを見上げてきます。とたんに、フルートは、おや、と思いました。初めて見る顔のはずなのに、どこかで会っているような、そんな気がしたのです。少年の大きな瞳は、髪の色に負けないほど鮮やかな金色をしていました――。

 

 すると、少年が口を開きました。

「まったくもう、しょうがないなぁ」

 初対面のはずなのに、妙に慣れた口調で話しかけます。フルートがとまどって返事をできずにいると、少年はフルートの後ろを金の目で示しました。

「ほら、聞こえないの? みんなが呼んでるよ。こんなところで勇者がいなくなっちゃ、だめじゃないか」

 ほんの小さな子どもなのに、何故だか、フルートよりずっと大人のような話し方をします。フルートはますますとまどいながらも、言われたように耳を澄ましてみました。――遠くに、何かが聞こえるような気がします。とても懐かしいような、よく知っているもののような、そんな気がするのですが――

 ふぅ、と金色の少年が溜息をつきました。まるで大人のような溜息です。口をとがらせながら、フルートに言います。

「いいかい、今回だけだよ。あとはこんなこと、してあげないからね。自分で気をつけるんだよ」

 と何度も念を押します。フルートには意味がまったくわかりません。

 

 すると、突然耳元で大きな呼び声が聞こえました。

「フルート! フルート!!」

 ゼンの声です。必死で呼び続けています。

 フルートはびっくりしました。ただごとではない声です。思わず声のする方を振り向いたとたん――

 

 フルートは夢から覚めました。

 

 ゼンとポチとメールが、フルートをのぞき込んでいました。ゼンは顔色が真っ青でしたし、ポチは心配そうに黒い目を見張り、メールにいたっては涙を流しています。フルートはまたびっくりして、そんな仲間たちを見返しました。

「ど、どうしたの……?」

 と思わず尋ねてしまいます。

 とたんに、仲間たちが悲鳴のような声を上げました。

「フルート、おまえ――!!」

 ゼンが叫びかけて、それ以上言えなくなります。無我夢中の顔でフルートを引き起こします。フルートは軽く起き上がって、地面に座ったまま、自分を見つめ続ける仲間を見回しました。何故、彼らがこんなに驚いているのか、わけがわかりません。

 すると、仲間たちの後ろから、大柄な皇太子がのぞき込んできました。暗い灰色の目で、いぶかしそうにフルートを見つめてきます。

「もう大丈夫なのか? 傷は痛まんのか?」

 傷? とフルートは繰り返し、皇太子の視線を追って自分の左腕を見ました。金の籠手が外されて、肘の部分に固く布が巻きつけられています。その布は、元の色が何色だったのかもわからないほど、血に濡れて真っ赤に染まっていました。押さえようもなく中からあふれ出てきた血が、布を伝って、端から地面に紅くしたたっています。

 そのとたん、フルートもようやく思い出しました。頭の中が、霧が晴れるように、はっきりしていきます。

 そうです。フルートはリザードマンたちと戦い、敵のナイフで腕を切られてしまったのです――。

 

 ゼンがものも言わずにフルートに飛びつき、腕の布をほどこうとしました。血に濡れた結び目が固く締まって解けなかったので、力任せに引き裂いてむしり取ります。

 フルートの左の袖は肘の内側の部分が切り裂かれ、服も皮膚も血に紅く染まっていました。けれども、傷はもうありませんでした。あれほど深く大きく切り裂かれたはずなのに、どこにも、かすり傷一つ残っていないのです。

 フルートは思わず左腕に触れました。痛みもありません。本当に、もうどこもなんでもないのです。

 ふと気がつくと、フルートの胸の痛みも消えてしまっていました。突き抜けるような痛みも、なんとなくしっくり来ない鈍い違和感も、跡形もなく消えています。

「ワン、治ってる……」

 ポチが信じられないようにつぶやきました。泣いていたメールが、突然顔をおおいました。大声を上げてまた泣き出してしまいます。

 すると、いきなりゼンがフルートのマントの襟首をつかみました。顔を真っ赤にしながらどなります。

「お――おまえな! 人を心配させるのもいいかげんにしろ! 金の石が目覚めてたんなら、ちゃんとそう言えよ!!」

 心配した反動で、ゼンは今にも殴りかかってきそうなくらい怒っていました。

 フルートはあわててそれをなだめながら、自分の首にかかった鎖を引っ張りました。鎧の胸当ての中からペンダントが出てきます。透かし彫りを施した縁飾りの真ん中で、魔法の金の石は、ただの石ころのような灰色のままでした。

 子どもたちはまた驚きました。後ろからのぞき込む皇太子も驚いた顔になります。金の石は目覚めていなかったのです。

「どういうことだ……?」

 呆然とゼンがつぶやきます。誰もそれに答えられません。

 

 その時、フルートは唐突に夢の中の少年を思い出しました。

 金色の髪に、金の瞳。鮮やかすぎるほど鮮やかな、黄金色の面影でした――。

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