フルートは夢を見ていました。
リザードマンに腕を切られて意識を失ってしまったのですが、夢の中では痛みも苦しさも、なにも感じていませんでした。腕にも傷ひとつありません。フルートは、なにも感じずに、ただぽつんと一人で立っていました。
フルートは普段着姿でした。鎧兜も剣も身につけていません。しばらくぼんやりたたずんでから、ふと首をかしげました。
ぼくは、何をしていたんだっけ……?
いくら考えても思い出せません。頭の奥が、霞がかかったようにぼんやりしていて、なんだか半分眠っているようでした。
夢の中は、どこまでも続く空白でした。どこを見ても、どんなに目をこらしても、何も見えません。本当に何一つない空っぽの場所で、そのくせ、フルートはすこしも怖さを感じていないのでした。
フルートは自分の両手を見ました。傷を押さえて血まみれになっていたはずの手も、夢の中では綺麗です。
ええと……
フルートは考え続けました。
何かを思い出さなくてはならないような気がしていました。とてもとても大事なことです。けれども、いくら考えようとしても、頭の中は夢の中と同じくらい空っぽで、やっぱり何も思い出せないのでした。
そのうちに、フルートは遠くに光が見えているのに気がつきました。柔らかな色合いの小さな灯りです。フルートを呼ぶように、静かに光り続けています。
フルートは、またちょっと首をかしげました。しばらく光を見つめます。何故だか、誰かに断らなくてはならないような気がしました。行ってきてもいい? と幼い子どものように、誰かの許可を求めたくなります。けれども、ここには誰もいないのです。
フルートはとまどいながら、そっと歩き出しました。光は遠くで輝き続けています。何もない空間で、それだけがたった一つの存在です。フルートが目ざせる場所は、そこしかないのでした。
一歩足を進めるごとに、少しずつためらいが薄れていきました。こっちへ行っていいのだ、という不思議な自信のようなものが湧いてきます。フルートの歩みは次第に力強く、早くなっていきました。光に向かって急いで進んでいこうとします――。
すると、突然目の前にひとりの子どもが立ちました。
四つか、五つくらいの小さな男の子です。
フルートが見たことがない奇妙な形の服を着ていて、驚くほど鮮やかな金色の髪をしています。フルートも輝く金髪ですが、この少年は、まるで本物の黄金を細くすいて髪の毛にしたように見えます。
小さな少年はフルートの行く手をさえぎるように立っていました。大人のように両手を腰に当てて、フルートを見上げてきます。とたんに、フルートは、おや、と思いました。初めて見る顔のはずなのに、どこかで会っているような、そんな気がしたのです。少年の大きな瞳は、髪の色に負けないほど鮮やかな金色をしていました――。
すると、少年が口を開きました。
「まったくもう、しょうがないなぁ」
初対面のはずなのに、妙に慣れた口調で話しかけます。フルートがとまどって返事をできずにいると、少年はフルートの後ろを金の目で示しました。
「ほら、聞こえないの? みんなが呼んでるよ。こんなところで勇者がいなくなっちゃ、だめじゃないか」
ほんの小さな子どもなのに、何故だか、フルートよりずっと大人のような話し方をします。フルートはますますとまどいながらも、言われたように耳を澄ましてみました。――遠くに、何かが聞こえるような気がします。とても懐かしいような、よく知っているもののような、そんな気がするのですが――
ふぅ、と金色の少年が溜息をつきました。まるで大人のような溜息です。口をとがらせながら、フルートに言います。
「いいかい、今回だけだよ。あとはこんなこと、してあげないからね。自分で気をつけるんだよ」
と何度も念を押します。フルートには意味がまったくわかりません。
すると、突然耳元で大きな呼び声が聞こえました。
「フルート! フルート!!」
ゼンの声です。必死で呼び続けています。
フルートはびっくりしました。ただごとではない声です。思わず声のする方を振り向いたとたん――
フルートは夢から覚めました。
ゼンとポチとメールが、フルートをのぞき込んでいました。ゼンは顔色が真っ青でしたし、ポチは心配そうに黒い目を見張り、メールにいたっては涙を流しています。フルートはまたびっくりして、そんな仲間たちを見返しました。
「ど、どうしたの……?」
と思わず尋ねてしまいます。
とたんに、仲間たちが悲鳴のような声を上げました。
「フルート、おまえ――!!」
ゼンが叫びかけて、それ以上言えなくなります。無我夢中の顔でフルートを引き起こします。フルートは軽く起き上がって、地面に座ったまま、自分を見つめ続ける仲間を見回しました。何故、彼らがこんなに驚いているのか、わけがわかりません。
すると、仲間たちの後ろから、大柄な皇太子がのぞき込んできました。暗い灰色の目で、いぶかしそうにフルートを見つめてきます。
「もう大丈夫なのか? 傷は痛まんのか?」
傷? とフルートは繰り返し、皇太子の視線を追って自分の左腕を見ました。金の籠手が外されて、肘の部分に固く布が巻きつけられています。その布は、元の色が何色だったのかもわからないほど、血に濡れて真っ赤に染まっていました。押さえようもなく中からあふれ出てきた血が、布を伝って、端から地面に紅くしたたっています。
そのとたん、フルートもようやく思い出しました。頭の中が、霧が晴れるように、はっきりしていきます。
そうです。フルートはリザードマンたちと戦い、敵のナイフで腕を切られてしまったのです――。
ゼンがものも言わずにフルートに飛びつき、腕の布をほどこうとしました。血に濡れた結び目が固く締まって解けなかったので、力任せに引き裂いてむしり取ります。
フルートの左の袖は肘の内側の部分が切り裂かれ、服も皮膚も血に紅く染まっていました。けれども、傷はもうありませんでした。あれほど深く大きく切り裂かれたはずなのに、どこにも、かすり傷一つ残っていないのです。
フルートは思わず左腕に触れました。痛みもありません。本当に、もうどこもなんでもないのです。
ふと気がつくと、フルートの胸の痛みも消えてしまっていました。突き抜けるような痛みも、なんとなくしっくり来ない鈍い違和感も、跡形もなく消えています。
「ワン、治ってる……」
ポチが信じられないようにつぶやきました。泣いていたメールが、突然顔をおおいました。大声を上げてまた泣き出してしまいます。
すると、いきなりゼンがフルートのマントの襟首をつかみました。顔を真っ赤にしながらどなります。
「お――おまえな! 人を心配させるのもいいかげんにしろ! 金の石が目覚めてたんなら、ちゃんとそう言えよ!!」
心配した反動で、ゼンは今にも殴りかかってきそうなくらい怒っていました。
フルートはあわててそれをなだめながら、自分の首にかかった鎖を引っ張りました。鎧の胸当ての中からペンダントが出てきます。透かし彫りを施した縁飾りの真ん中で、魔法の金の石は、ただの石ころのような灰色のままでした。
子どもたちはまた驚きました。後ろからのぞき込む皇太子も驚いた顔になります。金の石は目覚めていなかったのです。
「どういうことだ……?」
呆然とゼンがつぶやきます。誰もそれに答えられません。
その時、フルートは唐突に夢の中の少年を思い出しました。
金色の髪に、金の瞳。鮮やかすぎるほど鮮やかな、黄金色の面影でした――。