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第6巻「願い石の戦い」

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33.実験

 荒野にまた夕暮れが訪れようとしていました。

 一日よく駆けた馬が、薄暗くなっていく荒野の中で草をはんでいる姿が見えます。この馬たちは荒れた土地を長距離移動するのに適した種類で、餌も水も乏しい環境でも、我慢強く進んでいくことができます。

 今夜もまた自分のたき火のそばですごそうとしていた皇太子が、ふと、火のそばから立ち上がりました。腕組みをして、もうひとつのたき火の方を眺めます。

 すると、そこへ別の方向からメールが近づいてきました。いつものように遠慮もなく話しかけてきます。

「どうしたのさ、オリバン。何を見てんの?」

 皇太子は見ていたものを顎で示しました。

「あいつはあそこで何をしているのだ?」

 フルートがたき火の前に立っていました。ポチも一緒にいます。ただのんびりと火に当たっているように見えますが、たき火の勢いが尋常ではありませんでした。信じられないほど大きく燃え上がり、ごうごうと音を立てながら、暗くなっていく空に火の粉を巻き上げているのです。渦を巻きながら激しく燃える炎を返して、フルートの鎧が赤く光っていました。

「火のそばに炎の剣の鞘を置いてるんだ。だから、あんなにものすごく燃えてるんだよ」

 とメールは答えました。フルートの使う炎の剣は魔法の力を持っています。切った相手を燃え上がらせ、振れば切っ先から炎の弾を撃ち出し、剣を抜いた鞘を火のそばに置けば、その火は激しく燃え出して、一日中でも燃えつきることがないのです。

「炎の剣の特徴ならば知っている。講義で教わったからな」

 と皇太子は憮然と答えました。

「そうではなく、あいつは何故あんな行動をしているのだ、と聞いているのだ。まるで何かを確かめるように火に近づいているぞ」

 メールも眉間にしわを寄せてフルートを眺めました。フルートは燃え上がる炎を真っ正面に見ながら、一歩、また一歩と火に近づいていました。本当に、何かを確認しているような、ゆっくりした動きです。ときどき、もの言う子犬と何かことばをかわしています。メールにも、フルートが何をしているのか、さっぱり見当がつきません。

 すぐにメールは言いました。

「わかんなきゃ、本人に聞けばいいんだ。おいでよ、オリバン。聞いてみよう」

 そう言うと、昨夜のように、また皇太子の腕を引いて近づいていこうとします。皇太子は渋りました。

「い、いや、私は別に――」

「いいからおいでったら! フルートだもん、ちゃんと答えてくれるよ」

 言いながら、メールが楽しそうに笑います。皇太子の腕に細い自分の腕を回して、無理やり引っ張っていってしまいます。 ――天空の国の鏡の泉でルルが見たのは、この場面だったのでした。

 

 「フルート!」

 皇太子を引きずるようにしながら、メールはフルートに話しかけました。燃えさかる火の前から少年が振り返ります。

「あ、ごめん。ちょっと実験してるから、あまり近づかない方がいいよ」

 とフルートが答えます。実験? とメールと皇太子は思わず聞き返しました。

「うん。どのくらい熱さに我慢できるか、ね」

 そう言いながら、フルートがまた一歩火に近づいていきます。ごうごうと燃えさかる炎は、まるでドラゴンが吹き上げる炎の柱のようです。暗くなっていく空を赤い光と火の粉で焦がしています。少し離れたところに立ち止まったメールたちでさえ、かなりの熱気を感じるのですから、フルートが立っている場所は、もう相当暑くなっているはずでした。

 舌をだらりと出して熱気に耐えながら、ポチが言いました。

「ワン、三メートル五十センチ。どうですか?」

「まだ何とか」

 とフルートが答え、また一歩進み出ます。巨大な炎の前で、フルートの小柄な姿は今にも炎の柱に飲み込まれそうに見えます。

「金の鎧がどの程度火に耐えられるか実験しているのか? 何を馬鹿なことを。それは暑さも寒さも完璧に防ぐ魔法の鎧だぞ」

 と皇太子が思わず言います。金の鎧は、もともとは皇太子の持ち物でした。その性能はフルートに劣らずよく知っているのです。

 フルートが、ちょっと困ったようにほほえみ返しました。

「それが、最近そうでもないんです。北の大地では――」

 言いかけて口をつぐみ、また一歩火に近づきます。

「ワン、二メートル五十センチ」

 とポチが距離を読み上げます。乾いた地面の上に、棒の先でひっかいて、たき火からの距離が書き込んでありました。

「もう一歩だけ行ってみる」

 とフルートは言って、さらに火に近づきました。燃え上がる炎は渦を巻き、時折吹く風にあおられて揺れ動いています。ごごうっとうなりを上げて、炎がフルートの鎧をなめそうになります。

 とたんに、フルートは大きく飛びのきました。右手で左の肘の部分を押さえています。

「限界だ! これ以上は熱くて近づけないよ」

「ぎりぎり二メートルですね」

 とポチもあわてて火から遠ざかりながら言いました。フルートよりはだいぶ離れた場所から距離を読んでいたのですが、それでも暑さにへばりそうになっていました。器に準備してあった水へ走って、がぶがぶと飲みます。

 フルートは金の兜を脱ぎました。顔中に汗をかいていて、癖のある金髪が濡れた額にへばりついていました。

 皇太子は眉をひそめました。

「暑さが防げなくなっているのか? ……まさか」

「まったく防げないわけじゃないです」

 とフルートは汗をぬぐいながら答えました。

「着ていない状態よりは、ずっと暑さに耐えられます。でも、特に左腕のこの――肘の部分の防御力が落ちていて、ここから外の温度が侵入してきちゃうんです。この部分だけは、暑さが全然防げません」

「ワン、火傷しませんでしたか?」

 ポチが心配そうに駆け寄ってきました。フルートは笑い返しました。

「大丈夫だよ。……でも、火の中に飛び込むような真似は、今回はできないね」

 言いながら、笑顔が少し曇りました。後は何も言わずに、地面から黒い鞘を拾い上げます。そのとたん、ごうごうと燃えさかっていた炎は吸い込まれるように小さくなり、普通の大きさのたき火に変わりました。かたわらに抜いておいてあった炎の剣を鞘に収め、また背中に留めつけます。

 

 その時、メールは近くにもう一人の姿が見あたらないのに気がつきました。

「あれ、ゼンは?」

「ワン、夕飯のおかずを捕ってくるって、弓矢を持って出かけましたよ」

 水を飲んでいて返事ができないフルートに代わって、ポチが答えました。

 メールは目を丸くしました。

「こんな薄暗くなってきてから? あいつったら、最近ほんとにやることが変だよね。どうしちゃったんだろ」

 それはメールのせいだよ、とフルートとポチは思わず言いそうになりました。ゼンがこんな遅い時間に狩りに出かけた理由も、彼らにはわかっていました。馬から降りたメールと皇太子が仲良く話す様子を見たくなかったからなのです。

 けれども、すぐ近くには皇太子がいました。それを話せるような状況では、ちょっとありませんでした。

 

 すると、ずっとフルートの鎧を眺めていた皇太子が、おもむろに口を開きました。

「ずいぶんと傷ついたものだな。無敵の鎧が無惨な有様だ」

 フルートは思わず小さくなりました。

「す、すみません。殿下がお使いになった大切な鎧を、こんなにしてしまって……」

 魔法の鎧は、本当に傷だらけでした。胸当てや背中には歪んでへこんだところもありますし、昨夜、魔獣使いの猫に何十本とつけられた爪痕もあります。

 ふん、と皇太子はいつものように鼻を鳴らしました。

「別にそのことを言っているわけではない。それは私には不要になったものだ。それを父上がおまえに与えたのだから、その鎧はもうおまえのものだ。そうではなく、鎧の性能に頼りすぎている、と言っているのだ。だから、守りにほころびが生じたときに困るようになるのだ。戦いの基本は、一が防御で、その次が攻撃だ。どんなに勇ましいつもりでも、この基本を守らなくては戦いに勝つことはできない。強力な防具を身につけていても、それは同じことなのだぞ」

 フルートは、目を丸くすると、やがて思わずほほえんでしまいました。自分の剣の師匠と同じことを皇太子が言ったので、なんだか師匠に叱られているような気分になったのです。半白髪の髪に黒ずくめの服のゴーリスの姿が、目の前の皇太子の姿に重なります。

 歳は全く違うのに、皇太子とゴーリスは、どこか似ていました。ぶっきらぼうで、そっけなくて、でも、なんだかんだ言いながらも、肝心な場面ではとても頼りになるのです……。

「何を笑っている。気味が悪い奴だ」

 と皇太子に言われてしまって、フルートはあわてて神妙な顔になり、すみません、とまた頭を下げました。

 なんとなく――本当に、なんとなく、この無愛想な皇太子が前よりも好きになったような気がしました――。

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