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第6巻「願い石の戦い」

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第9章 魔法の鎧

32.中庭

 世界の空を、誰の目にも映ることなく飛び続けている天空の国。その中央にそびえる山の頂上に、金と銀の天空城が輝いています。城には天空王が住み、大勢の貴族たちが出入りしては、地上を守るために風の犬で飛び立っていきます。天空城は、正義と魔法を守る光の民を象徴する場所なのです。

 その城の中庭を、ルルが一人で歩いていました。長い茶色の毛並みの中で、トレードマークの銀毛がきらめき、首の周りでは風の首輪が光っています。ルルはポポロのお父さんから天空城に届け物を頼まれた帰り道でした。

 ポポロがいる時には、ルルは毎日天空城まで来ていました。天空城の中に貴族の子どもたちのための特別な学校があって、ポポロもそこで魔法を学んでいたからです。けれども、今はポポロは修行の塔にこもって修行中です。久しぶりで天空城まで来たルルは、なんとなく懐かしい気分になって、用事がすんだ後、城の中庭をぶらぶらしていたのでした。

 天空の国には一年中、美しい花が咲き乱れています。魔法で守られた国なので、四季がないのです。一年中、春のような、暑すぎることも寒すぎることもない気候で、いたるところが草と木の緑でおおわれ、たくさんの花が咲き乱れています。城の尖塔に上って山の下を見下ろせば、花野が色とりどりの絨毯のように広がる大地が見えます。

 城の中庭も花でいっぱいでした。むせかえるほどの香りですが、不思議と、匂いがきつすぎて不快になることはありません。嗅覚が敏感な犬のルルでさえ、花の香りをかぐと、なんだか全身がすがすがしく洗い流されていくような気分になります。天空城は、天空の国の中でも特に光の魔法で充ちている場所なのでした。

 

 空から太陽がまぶしく照っていました。日差しが暑いくらいに感じられます。ルルは涼しそうな植え込みの陰を見つけると、そこに潜り込みました。のびのびと四本の脚を伸ばして、ひんやりした地面に腹ばいになります――。

 ポポロが修行している塔は、この天空城の一角にあります。美しく輝く天空城の中で、くすんだ白一色の、とても地味な建物です。不思議なことに入口も窓もどこにも見あたりません。ただ、空に向かって高々とそびえています。

 ルルは、植え込みの隙間から、修行の塔を眺めました。ポポロ――と、そっと心の中で呼びかけてみます。

 ルルとポポロは心の中でつながっています。ポポロに何かあれば、それはそのままルルに伝わってきますし、その逆もまた起こります。お互いに相手を呼ぶ声も、心に直接伝わっていきます。ルルとポポロは姉妹のようにずっと一緒に育ってきたので、そんなふうに魂と魂とがどこかでつながり合っているのです。

 けれども、修行の塔に入ってから、ルルはポポロの声を聞くことができなくなっていました。気配は感じます。そこにポポロがいるのはわかるのです。けれども、いくら呼びかけても、いくら聞こうとしても、今はもう、ポポロの声が聞こえないのです。塔を包み込んでいる強力な魔法が、想いをさえぎっているのに違いありませんでした。

 ふう、とルルは思わず溜息をつきました。ポポロの修行は半年間続きます。もう三ヶ月が過ぎましたが、これでまだ、やっと半分なのです。

 ポポロがいないと、ルルにはすることがありません。家にいるお父さんやお母さんのそばで過ごすのは好きなのですが、それも三ヶ月にもなると、すっかり飽きてしまいます。つまらないわねぇ、とルルは心でつぶやきました。早く修行が終わらないかしら、とそればかりを考えてしまいます。

 

 けれども、本当はこれでもルルの状態はましな方でした。 一年ほど前にも、ポポロは塔にこもって、使える魔法の数を一日一回から二回に増やす修行をしたのですが、その頃のルルは精神状態がひどく悪かったので、自分が病気になってしまいそうなほど、心細くポポロを待ち続けていたのです。ポポロがいなければ自分が消滅してしまいそうに思えたのでした。

 今はもう、そこまでの不安は感じません。ポポロがいないのは確かに淋しいし、悲しいのですが、待てば必ず修行を終えて戻ってくるのだと信じていられます。

 それに、ポポロは本当に修行をがんばっているのです。ポポロはとても泣き虫なので、修行がつらくて、しょっちゅう泣いてばかりいます。でも、それでもポポロはあきらめないのです。何度失敗しても、どんなに苦しい想いをしても、それでも修行を投げだそうとはしません。天空城の中庭にいると、そんなポポロの想いが、見えない心のうねりになって、ルルの心まで届いてきます。

 ふぅ、とルルはまた溜息をつきました。今度は、あきらめるような、しかたなさそうな笑いを含む溜息でした。

 ルルは前足に頭をのせて目を閉じました。植え込みの下を、気持ちのよい風が吹き抜けて、銀毛の混じったルルの毛並みを揺らしていきます――。

 

 ルルはそのまま、うとうとと眠ってしまっていました。なんだか意味不明の長い夢を見ていましたが、ふと、その夢の中に誰かの声が届いてきました。大人の男の人たちの声です。静かな口調で、何かを話し合っていました。

 話の中に、突然「フルート」ということばを聞いて、ルルの耳がピクッと動きました。あっという間に目が覚めます。

 植え込みの向こうの小さな東屋で、二人の男の人が話し合っていました。黒い星空の衣を着た男の人と、不思議な青い色の長衣を着た老人です。男の人は頭に金の冠をかぶり、老人は背丈よりも長い白い髪とひげをしています。天空王と、魔の森の泉の長老でした。

 どうしてここに泉の長老が? とルルは驚きました。いつも、魔の森の中央の、金の泉の上に現れる老人が、今は普通の人のように、天空城の中庭に立っています。

「彼らは荒野に入りました。堅き石のある場所を探し求めて、南西のジタン山脈を目ざしております」

 と天空王が丁寧な口調で泉の長老に話していました。泉の長老は、彼ら自然の王の中でも、もっとも古くもっとも偉大な王の一人なのです。

「堅き石か。では、願い石も共にあるのじゃな」

 と長老が言っていました。考え込むような口調です。

「時は巡っております。二千年前のあの戦いのように、またデビルドラゴンが復活しようとしています。願い石も、呼ばれて目を覚まそうとしているのです」

「やはり、歴史が繰り返されようとしておるわけか。だが、あの時の二の舞をするわけにはいかんぞ。彼らを願い石から遠ざける方法はないのか?」

「石と石とが呼び合っております」

 と天空王が答えました。何故だか、とても低くて真剣な声です。

「同じ石同士です。その呼び声を防げるものはありません」

 王と長老は、少しの間、黙り込みました。

 

 な、なに……? とルルは驚いて話を聞いていました。

 ルルは犬なので、離れた東屋での話し声も、すぐそばで聞いているようにはっきり聞き取ることができます。けれども、天空王と泉の長老の話は、なんのことなのか、さっぱり意味がわからないのです。石の名前や、石のことが何度も話題にあがっていますが、それがどういうことなのかも全然わかりません。

 ただ、なんだかひどく嫌な予感がしました。王たちが話しているのはフルートたちのことです。ディーラのゴーリスの家を訪ねるんだ、とはしゃいでいた彼らに、何か起きたのでしょうか。フルート、ゼン、ポチ、メール……仲間たちの顔が次々にルルの脳裏に浮かびます。

 泉の長老が、ごくごく低い声になって言いました。

「願い石のそばに、今もまだ時の翁(おう)はおられるか?」

 翁、とは難しいことばですが、「おじいさん」という意味だと、ルルは知っていました。ますます意味がわからなくなります。

「願い石のあるところに、必ずかの方はいらっしゃいます。かの方は、願い石の番人です」

 と天空王が答えました。

「では、翁が止めてくれるやもしれぬ」

「止めてくださるでしょうか……。願い石の力は強力です。人の心がそれにあらがえるものかどうか、わかりません」

「人は己の欲望に引きずられて生きるものじゃからの」

 長老の声は、いっそう考え込むような調子になっていました。

「また金の石の勇者が失われるかもしれません」

 と天空王が言ったので、ルルはびっくり仰天しました。失われる? フルートが失われるって、いったいどういうこと――!?

 けれども、ルルは植え込みの陰から飛び出して行って聞くことができませんでした。東屋で話しているのは、世界でももっとも偉大な王たちです。とてもルルなどが話しかけたり、質問したりできるような方たちではないのです。

「見守るしかなかろう」

 と長老は言いました。宣言するような声でした。

「あの子どもたちを信じるしかない。金の石の勇者を守れるのは、彼らだけじゃ」

 王たちは、それきり口をつぐみ、後はもう何も言いませんでした。やがて、消えるような静かさで、中庭の東屋から立ち去っていきました……。

 

 王たちがいなくなっても、ルルは植え込みの陰からしばらく動けませんでした。心臓が早鐘のように鳴り続けています。ものすごく不吉な予感に、息が止まりそうになります。

 立ち聞きしてしまった話の中には、願い石ということばが何度も出てきました。ルルには聞いたことのない石の名前ですが、魔石の一種に違いありません。堅き石、という名前の石のことも言っていました。

 いったいあなたたちは何をしているの!? とルルは心の中で仲間たちに呼びかけました。ゴーリスの家へ、赤ちゃんが生まれるお祝いに行ったのじゃなかったの? あれから何があったのよ――!?

 けれども、ルルは魔法使いではありません。ポポロのように、その気になれば何でも見ることができる目は持っていないのでした。

 どうしよう……とルルは考えました。自分でも気がつかないうちに、ぶるぶると体を震わせていました。「金の石の勇者が失われるかもしれない」という天空王のことばが、頭の中でぐるぐる回り続けています。どうしよう。フルートが死んでしまうの? そんな――そんなことって――!

 天空城の中庭は静かでした。王たちが去った後の東屋も、庭の中の小道も人影はなく、ただそよ風だけが時折吹き抜けていきます。

 ふいにルルは立ち上がりました。決心した目を中庭の中央に向けます。そこには、さまざまな色のバラが咲く生け垣に囲まれた場所があって、アーチ形の入口があります。ルルは素早くあたりに目をやって、誰もいないことをもう一度確かめると、大急ぎでバラのアーチへ走っていきました。

 

 そこは、天空の国の貴族たちが時々訪れる場所でした。生け垣に囲まれた中には、特に貴重な薬草や植物が植えられていて、その中央に美しい泉があります。こんこんと水がわきつづけているのに、その表面は銀の鏡のように静かです。貴族たちがのぞくと、その水面にその人がするべき使命を見ることができる、魔法の泉でした。天空王が地上の様子を見通すためにのぞき込む場所でもありました。

 ルルはどきどきしながら泉に近づいていきました。本当は、ここは天空王と貴族にしか立ち入りが許されていない場所です。ただのもの言う犬のルルが入りこんだことが知れたら、どんな罰を受けさせられるかわかりません。

 けれども、ルルは引き返す気はありませんでした。地上から呼ばれていないので、ルルは勝手に地上に下りていくことができません。フルートたちの様子を知るためには、ここをのぞくしかないのです。

 ルルは、そっと鏡の泉に身を乗り出しました。どうかフルートたちの姿を見せてください、と祈りながら目をこらします。水に映った自分の姿に重なるように、人の姿が現れ始めます――。

 

 とたんに、ルルは思わず声を上げてしまいました。

「なぁに、これ! どういうこと!?」

 泉の面に映ったのはフルートではありませんでした。緑の髪を後ろでひとつに束ねた細身の少女です。

 その隣にいるのは、ルルの知らない人物でした。艶のない銀の鎧を着た大柄な青年で、なかなかの二枚目です。

 メールは青年と並んで歩いていました。とても楽しそうに笑いながら、しきりに何か話しています。その腕は、青年のたくましい腕にしっかりと回されていたのでした――。

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