ドン、と音がして、スノードラゴンの息に何かが当たりました。一瞬のうちにもうもうと煙のような蒸気がわき起こり、あたり一面が真っ白になります――。
子犬になったポチに吐きかけられた吹雪の息。まともに食らえば、ポチは氷詰めです。けれども、それが子犬を直撃する寸前に、巨大な炎の弾が激突して吹雪の息を食い止めたのでした。
地面に突っ伏して咳込んでいたフルートが、また立ち上がっていました。歯を食いしばり、両手に握った炎の剣を振り下ろした形で、スノードラゴンをにらみつけています。呼吸を止めて、無理やり咳を押さえ込んだのです。
空から子犬が落ち続けていました。地面に激突しようとします。そこへ、メールの声が響きました。
「急ぎな、花たち!」
ざーっと雨のような音を立てて、荒野の上を花の群れが流れてきました。あっという間にポチの下に集まり、花のクッションの上に小さな体を受け止めます。
フルートが今度は剣を鋭く振り上げました。また切っ先から炎の弾が飛び出し、スノードラゴンの頭に炸裂します。雪の怪物はすさまじい叫び声を上げ、煙のような蒸気と共に消えていきました――。
フルートは剣から片手を放して、脇腹を押さえました。胸から背中にかけて突き抜けるような痛みが走ります。やはり骨にひびが入っているのです。思わず顔をしかめて痛みに耐えます。
「へぇ。スノードラゴンを消したの。やるねぇ」
ランジュールが化け猫の頭上から感心した声を上げました。どこまでもとぼけた男です。
フルートは剣を両手で握り直して男を見上げました。精一杯の声を張り上げます。
「おまえの狙いはぼくなんだろう!? ならば、ぼくだけを狙え!」
「そんなこと言ったって、キミたちのほうでかかってくるんじゃないかぁ……。売られた喧嘩なら買うしかないもんね」
そう言って細く笑った目が、ぎょっとするほど冷たく光りました。戦って相手をたたきのめすことを楽しむ者の目です。
「こいつ……!」
またゼンが飛び出していこうとするのを、フルートは制止しました。
「出るな、ゼン! 思うつぼだ!」
すんでのところで立ち止まったゼンの目の前に、突然大きな口が現れました。真っ黒い得体の知れない生き物が、ゼンを一口に飲み込もうとしたのです。あわててゼンが飛びのいたのと、大口の怪物にフルートが炎の剣で切りつけたのが同時でした。たちまち怪物が炎に包まれて燃え上がります。
「あれま」
とランジュールが言いました。
「困ったねぇ。ボクのかわいい魔獣たちを減らさないでよ。せっかくつかまえたヤツらなんだから」
それを聞いて、皇太子が言いました。
「きさま――魔獣使いだな! 魔獣をとりこにして思うままに操る魔法使いだ!」
「うん、そうそう。ボクは魔獣使いのランジュール。ついこの間、やっと一人前に認めてもらえてねぇ。これがボクの初仕事なのさ。だから、失敗するわけにはちょっといかないんだなぁ……」 青年の細い目がまた冷酷に光りました。
フルートは大きく飛びのき、そのまま仲間たちから離れて走り出しました。まるで敵の前から逃げ出したように見えます。
ランジュールは今度はあきれた声になりました。
「はぁ。ボクたちを引きつけて仲間を救おうとしてるわけ。金の石の勇者ってのは、見上げたものなんだねぇ……」
言いながらフルートに向かって手を向けます。とたんに、その行く手に新たな魔獣が現れました。巨大なオオカミが牙をむいて襲いかかってきます。フルートはとっさに飛びのき、乾いた地面を転がりながら炎の剣を振りました。炎の弾が飛び出し、オオカミが燃え上がります。
ところが、また強い痛みがフルートの胸を襲いました。一瞬息ができなくなって、地面の上にうずくまってしまいます。
「フルート!」
メールとポチが叫びました。花使いの姫が鋭く両手をフルートの方へかざします。
「お行き!」
花の群れが音を立てて流れ出します。ポチも、ワン、と吠えてまた風の犬に変身しました。吹雪に吹き散らされた風の尾は元通りになっています。フルートを助けに飛んでいこうとします。
けれども、それより早く、男が乗った猫が飛びました。軽い跳躍で、あっという間にフルートの前に来ます。
脇腹を押さえているフルートを見て、ランジュールがうふふ、と笑います。
「金の石の勇者の命、もぉらった」
化け猫が前足を振り上げます。目にも止まらない連打攻撃がまた飛んできます――。
その瞬間、すさまじい猫の悲鳴が上がりました。
いつの間にか薄暗くなっていた荒野を、何かが大きく飛んでいって、どさりと地面に落ちます。それは巨大な猫の前足でした。血をまき散らしながら地面の上を転がっていきます。
化け猫が頭を振り、後足立ちになって鳴きわめいていました。右の前足が途中から断ち切られて、血を吹き出しています。
うずくまるフルートの前に大きな男が立っていました。血に濡れた大剣を握ったまま、化け猫とランジュールを見据えています。皇太子でした。駆け出したフルートに一瞬遅れて走り出した皇太子は、フルートが動けなくなったのを見るや、その前に飛び込んで、化け猫の前足を一刀で切り落としたのでした。いぶし銀の鎧が、暗くなっていく空の最後の光を返して、鈍く光っていました。
狂ったように鳴きわめく猫の首にしがみついて、ランジュールが叫んでいました。
「ミーちゃん! ミーちゃん! かわいそうに、ボクのミーちゃん……!」
猫が大暴れしているので、今にも振り落とされそうです。
そこへ、後ろから突然矢が飛んできました。白い羽根のついたエルフの矢です。たちまち二、三本が猫の背中や首の後ろに突き刺さり、猫がまた悲鳴を上げました。
ゼンが大きな弓を構え、百発百中の矢を次々に射かけていました。
「くそったれ!」
思わずゼンがののしったのは、敵ではなく、自分自身でした。フルートを窮地に追い込んでしまったのは自分だとわかっていたのです。己のふがいなさに悔し涙が出そうになります。
そこへ空からは風の犬のポチが、地上からは虫の大群のような花たちが飛んできました。化け猫とランジュールを取り囲みます。
「ひどいなぁ。みんなしてミーちゃんをいじめるんだから」
ランジュールが口をとがらせました。
「しょうがない、勝負はこの次までお預けだね。でも、今度はもっと強い魔獣を連れてくるから、楽しみにしていてよねぇ……」
呑気な笑い声と共に、男と化け猫の姿は消えていきました。たった今までランジュールがいた空間を、エルフの矢がむなしく貫いていきます……。
「ワンワン、フルート――!」
ポチが空から飛び下り、子犬の姿に戻って駆け寄っていきました。大丈夫ですか!? と尋ねようとすると、それより早く、フルートがポチに駆け寄って抱き上げました。
「大丈夫かい、ポチ!? 吹雪を食らったんだろう!?」
負傷した自分自身より、子犬の心配をします。
ほんとにもう! とポチは思わず心で叫びました。いつだって優しいフルートです。優しすぎて――あんまり優しすぎて、なんだか泣きたいような気分になってしまいます。でも、犬のポチは涙を流せないので、ただ、フルートの鎧の胸当てに強く頭を押しつけました。心配そうな匂いを強く漂わせているフルートに答えます。
「ワン、ぼくは大丈夫ですよ。心配いりません……」
ゼンとメールがそれぞれに近寄ってきました。ゼンはエルフの弓を握ったまま肩を落としていました。
「悪い、フルート……」
それだけをやっと言い、うなだれて唇をかみます。
そこへ、皇太子もやってきました。メールはそれを見上げました。
「どう、わかったかい?」
ふん、と皇太子は鼻を鳴らしました。冷ややかな目で、子犬を抱いているフルートを見ます。
「無謀もいいところだな。戦いの基本がまるでなっていない。金の石の癒しの力をあてにして、無鉄砲に行動しているだけだ」
なに!? とゼンが顔を上げて皇太子をにらみつけました。フルートの金の石は眠っているんだぞ! とどなろうとします。
けれども、フルートはその腕を押さえて黙らせ、皇太子に向かってていねいに言いました。
「危ないところを助けてくださって、本当にありがとうございました。おかげで助かりました」
皇太子はまた、ふん、と不愉快そうな声を出しました。
「おまえは怪我をしてもすぐに治るのだ。礼など白々しい」 そのまま、荒野で燃える自分のたき火の方へと戻っていってしまいます。
ちくしょう! とゼンが歯ぎしりをしました。
「うーん、けっこう手強いなぁ」
とメールはつぶやくと、今度は少年たちに目を向けました。
「ホントに大丈夫かい、フルート? 怪我したんじゃないのかい?」
「大丈夫だよ」
とフルートは答えました。実際、その時には胸はもう痛んではいなかったのです。――肋骨に入ったひびというのは、安静にしているときにはほとんど感じず、動いた拍子や咳込んだときに痛むものなのですが、フルートはそれを知りませんでした。
メールは腰に手を当てると、ゼンの顔をのぞき込みました。ゼンがひどく不機嫌でいるのは、見ただけでわかったのです。
「ほぉんと、どうしちゃったのさ。全然らしくなかったね」
「うるせぇ」
とゼンは目をそらしました。その横顔に傷がありました。化け猫に襲われてフルートと一緒に倒れたときに、石で頬をこすっていたのです。かすり傷ですが血がにじんでいました。
「ちょっと。あんた怪我してるよ、ゼン」
とメールが思わず頬に手を伸ばすと、とたんにゼンがそれを払いのけました。驚くほど乱暴な動きです。メールは目を見張り、たちまち、むっとしました。
「なんだい、人がせっかく心配してあげてるのにさ!」
「余計なお世話だ! さわるな!」
どなるように言い捨てると、ゼンも離れていきます。馬鹿ゼン! とメールは言い返し、こちらはぷんぷん怒りながら皇太子の方へ行ってしまいます。
後に残ったフルートとポチは、思わず顔を見合わせました。なんだか、とてもまずい状況になりつつあるような気がするのですが、彼らには、どうしたらいいのかまったくわかりませんでした……。