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第6巻「願い石の戦い」

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31.魔獣

 ドン、と音がして、スノードラゴンの息に何かが当たりました。一瞬のうちにもうもうと煙のような蒸気がわき起こり、あたり一面が真っ白になります――。

 子犬になったポチに吐きかけられた吹雪の息。まともに食らえば、ポチは氷詰めです。けれども、それが子犬を直撃する寸前に、巨大な炎の弾が激突して吹雪の息を食い止めたのでした。

 地面に突っ伏して咳込んでいたフルートが、また立ち上がっていました。歯を食いしばり、両手に握った炎の剣を振り下ろした形で、スノードラゴンをにらみつけています。呼吸を止めて、無理やり咳を押さえ込んだのです。

 空から子犬が落ち続けていました。地面に激突しようとします。そこへ、メールの声が響きました。

「急ぎな、花たち!」

 ざーっと雨のような音を立てて、荒野の上を花の群れが流れてきました。あっという間にポチの下に集まり、花のクッションの上に小さな体を受け止めます。

 フルートが今度は剣を鋭く振り上げました。また切っ先から炎の弾が飛び出し、スノードラゴンの頭に炸裂します。雪の怪物はすさまじい叫び声を上げ、煙のような蒸気と共に消えていきました――。

 

 フルートは剣から片手を放して、脇腹を押さえました。胸から背中にかけて突き抜けるような痛みが走ります。やはり骨にひびが入っているのです。思わず顔をしかめて痛みに耐えます。

「へぇ。スノードラゴンを消したの。やるねぇ」

 ランジュールが化け猫の頭上から感心した声を上げました。どこまでもとぼけた男です。

 フルートは剣を両手で握り直して男を見上げました。精一杯の声を張り上げます。

「おまえの狙いはぼくなんだろう!? ならば、ぼくだけを狙え!」

「そんなこと言ったって、キミたちのほうでかかってくるんじゃないかぁ……。売られた喧嘩なら買うしかないもんね」

 そう言って細く笑った目が、ぎょっとするほど冷たく光りました。戦って相手をたたきのめすことを楽しむ者の目です。

「こいつ……!」

 またゼンが飛び出していこうとするのを、フルートは制止しました。

「出るな、ゼン! 思うつぼだ!」

 すんでのところで立ち止まったゼンの目の前に、突然大きな口が現れました。真っ黒い得体の知れない生き物が、ゼンを一口に飲み込もうとしたのです。あわててゼンが飛びのいたのと、大口の怪物にフルートが炎の剣で切りつけたのが同時でした。たちまち怪物が炎に包まれて燃え上がります。

「あれま」

 とランジュールが言いました。

「困ったねぇ。ボクのかわいい魔獣たちを減らさないでよ。せっかくつかまえたヤツらなんだから」

 それを聞いて、皇太子が言いました。

「きさま――魔獣使いだな! 魔獣をとりこにして思うままに操る魔法使いだ!」

「うん、そうそう。ボクは魔獣使いのランジュール。ついこの間、やっと一人前に認めてもらえてねぇ。これがボクの初仕事なのさ。だから、失敗するわけにはちょっといかないんだなぁ……」 青年の細い目がまた冷酷に光りました。

 

 フルートは大きく飛びのき、そのまま仲間たちから離れて走り出しました。まるで敵の前から逃げ出したように見えます。

 ランジュールは今度はあきれた声になりました。

「はぁ。ボクたちを引きつけて仲間を救おうとしてるわけ。金の石の勇者ってのは、見上げたものなんだねぇ……」

 言いながらフルートに向かって手を向けます。とたんに、その行く手に新たな魔獣が現れました。巨大なオオカミが牙をむいて襲いかかってきます。フルートはとっさに飛びのき、乾いた地面を転がりながら炎の剣を振りました。炎の弾が飛び出し、オオカミが燃え上がります。

 ところが、また強い痛みがフルートの胸を襲いました。一瞬息ができなくなって、地面の上にうずくまってしまいます。

「フルート!」

 メールとポチが叫びました。花使いの姫が鋭く両手をフルートの方へかざします。

「お行き!」

 花の群れが音を立てて流れ出します。ポチも、ワン、と吠えてまた風の犬に変身しました。吹雪に吹き散らされた風の尾は元通りになっています。フルートを助けに飛んでいこうとします。

 けれども、それより早く、男が乗った猫が飛びました。軽い跳躍で、あっという間にフルートの前に来ます。

 脇腹を押さえているフルートを見て、ランジュールがうふふ、と笑います。

「金の石の勇者の命、もぉらった」

 化け猫が前足を振り上げます。目にも止まらない連打攻撃がまた飛んできます――。

 

 その瞬間、すさまじい猫の悲鳴が上がりました。

 いつの間にか薄暗くなっていた荒野を、何かが大きく飛んでいって、どさりと地面に落ちます。それは巨大な猫の前足でした。血をまき散らしながら地面の上を転がっていきます。

 化け猫が頭を振り、後足立ちになって鳴きわめいていました。右の前足が途中から断ち切られて、血を吹き出しています。

 うずくまるフルートの前に大きな男が立っていました。血に濡れた大剣を握ったまま、化け猫とランジュールを見据えています。皇太子でした。駆け出したフルートに一瞬遅れて走り出した皇太子は、フルートが動けなくなったのを見るや、その前に飛び込んで、化け猫の前足を一刀で切り落としたのでした。いぶし銀の鎧が、暗くなっていく空の最後の光を返して、鈍く光っていました。

 狂ったように鳴きわめく猫の首にしがみついて、ランジュールが叫んでいました。

「ミーちゃん! ミーちゃん! かわいそうに、ボクのミーちゃん……!」

 猫が大暴れしているので、今にも振り落とされそうです。

 そこへ、後ろから突然矢が飛んできました。白い羽根のついたエルフの矢です。たちまち二、三本が猫の背中や首の後ろに突き刺さり、猫がまた悲鳴を上げました。

 ゼンが大きな弓を構え、百発百中の矢を次々に射かけていました。

「くそったれ!」

 思わずゼンがののしったのは、敵ではなく、自分自身でした。フルートを窮地に追い込んでしまったのは自分だとわかっていたのです。己のふがいなさに悔し涙が出そうになります。

 そこへ空からは風の犬のポチが、地上からは虫の大群のような花たちが飛んできました。化け猫とランジュールを取り囲みます。

「ひどいなぁ。みんなしてミーちゃんをいじめるんだから」

 ランジュールが口をとがらせました。

「しょうがない、勝負はこの次までお預けだね。でも、今度はもっと強い魔獣を連れてくるから、楽しみにしていてよねぇ……」

 呑気な笑い声と共に、男と化け猫の姿は消えていきました。たった今までランジュールがいた空間を、エルフの矢がむなしく貫いていきます……。

 

「ワンワン、フルート――!」

 ポチが空から飛び下り、子犬の姿に戻って駆け寄っていきました。大丈夫ですか!? と尋ねようとすると、それより早く、フルートがポチに駆け寄って抱き上げました。

「大丈夫かい、ポチ!? 吹雪を食らったんだろう!?」

 負傷した自分自身より、子犬の心配をします。

 ほんとにもう! とポチは思わず心で叫びました。いつだって優しいフルートです。優しすぎて――あんまり優しすぎて、なんだか泣きたいような気分になってしまいます。でも、犬のポチは涙を流せないので、ただ、フルートの鎧の胸当てに強く頭を押しつけました。心配そうな匂いを強く漂わせているフルートに答えます。

「ワン、ぼくは大丈夫ですよ。心配いりません……」

 ゼンとメールがそれぞれに近寄ってきました。ゼンはエルフの弓を握ったまま肩を落としていました。

「悪い、フルート……」

 それだけをやっと言い、うなだれて唇をかみます。

 そこへ、皇太子もやってきました。メールはそれを見上げました。

「どう、わかったかい?」

 ふん、と皇太子は鼻を鳴らしました。冷ややかな目で、子犬を抱いているフルートを見ます。

「無謀もいいところだな。戦いの基本がまるでなっていない。金の石の癒しの力をあてにして、無鉄砲に行動しているだけだ」

 なに!? とゼンが顔を上げて皇太子をにらみつけました。フルートの金の石は眠っているんだぞ! とどなろうとします。

 けれども、フルートはその腕を押さえて黙らせ、皇太子に向かってていねいに言いました。

「危ないところを助けてくださって、本当にありがとうございました。おかげで助かりました」

 皇太子はまた、ふん、と不愉快そうな声を出しました。

「おまえは怪我をしてもすぐに治るのだ。礼など白々しい」 そのまま、荒野で燃える自分のたき火の方へと戻っていってしまいます。

 ちくしょう! とゼンが歯ぎしりをしました。

 

「うーん、けっこう手強いなぁ」

 とメールはつぶやくと、今度は少年たちに目を向けました。

「ホントに大丈夫かい、フルート? 怪我したんじゃないのかい?」

「大丈夫だよ」

 とフルートは答えました。実際、その時には胸はもう痛んではいなかったのです。――肋骨に入ったひびというのは、安静にしているときにはほとんど感じず、動いた拍子や咳込んだときに痛むものなのですが、フルートはそれを知りませんでした。

 メールは腰に手を当てると、ゼンの顔をのぞき込みました。ゼンがひどく不機嫌でいるのは、見ただけでわかったのです。

「ほぉんと、どうしちゃったのさ。全然らしくなかったね」

「うるせぇ」

 とゼンは目をそらしました。その横顔に傷がありました。化け猫に襲われてフルートと一緒に倒れたときに、石で頬をこすっていたのです。かすり傷ですが血がにじんでいました。

「ちょっと。あんた怪我してるよ、ゼン」

 とメールが思わず頬に手を伸ばすと、とたんにゼンがそれを払いのけました。驚くほど乱暴な動きです。メールは目を見張り、たちまち、むっとしました。

「なんだい、人がせっかく心配してあげてるのにさ!」

「余計なお世話だ! さわるな!」

 どなるように言い捨てると、ゼンも離れていきます。馬鹿ゼン! とメールは言い返し、こちらはぷんぷん怒りながら皇太子の方へ行ってしまいます。

 後に残ったフルートとポチは、思わず顔を見合わせました。なんだか、とてもまずい状況になりつつあるような気がするのですが、彼らには、どうしたらいいのかまったくわかりませんでした……。

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