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第6巻「願い石の戦い」

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30.強敵

 空が夕映えに薄紅に染まる頃、フルートたちの一行は荒野にいました。

 街道沿いの開拓地を抜け、人の住まない場所に出たのです。たどっていた小道ももう消えて、行く手に広がるのはただ、なだらかな丘を描きながら地平線まで続く、乾いた大地でした。

 夕日がさえぎるもののない地平線に近づいていきます。みるみるうちに、空が紅に染まっていきます。薄くたなびく雲が燃えるような赤金色に変わり、空と大地を輝きで照らし始めます――。

 フルートは荒野に立って、そんな夕暮れを眺めていました。

「ワン、綺麗ですね」

 と足下からポチが話しかけてきます。彼らは荒野に住んでいて、こんな夕焼けを何度も眺めてきましたが、それでも、見るたびにやはり感動するのです。夕暮れは荒野が一番美しく見える時間帯です。何度見ても見飽きることはありません。

 けれども、他の仲間たちは美しい夕焼けに全く感心を示していませんでした。メールはずっと皇太子と話し続けています。今も、昨夜のように離れた場所に火をおこして休んでいる皇太子に、しきりになにか話しかけています。そして、ゼンはというと、こちらで火をおこして夕食を作りながら、あきらかに腹を立てた様子をしているのでした。

 そんなゼンをそっと見ながら、フルートはポチに尋ねました。

「これ、どう思う?」

「どうって、見てのとおりでしょう」

 人間ならばさしずめ肩をすくめるような調子で、ポチが答えます。

「メールは皇太子と友だちになっちゃったし、ゼンはものすごく怒ってる。そういうことですよ」

「それって――」

 言いかけて、フルートは困惑したように口をつぐみました。ゼンはフルートと同じようにポポロが好きなはずです。それは間違いありません。けれども、今のゼンの姿は、皇太子と親しくするメールに、やきもちを焼いているようにしか見えないのです……。

 

 すると、そこへメールがやってきました。なんと皇太子と一緒です。渋る青年の腕を取って無理やり引っ張ってきます。大柄な皇太子が、か細いメールに引きずられるように連れてこられる様子は、何とも奇妙な光景でした。

「お、おい、私は……」

「いいから来なって。毒なんか入ってないんだからさ。そっちのほうでポツンとやってないで、一緒にまざりなよ」

 ゼンはそれを聞いたとたん、一瞬、本当に皇太子の食事に毒でも入れてやろうか、と物騒なことを考えました。いっそう不機嫌になって、彼らに背を向けます。

 メールが皇太子の大きな体を押さえつけるようにして、自分たちの火のそばに座らせました。

「そら、楽にしなって、オリバン。よく知りたいんなら、そばにいなくちゃわかんないだろ」

「何の話?」

 とフルートは近づきながら尋ねました。とたんに、皇太子は険しい表情に変わって顔をそむけました。

「私は戻るぞ、メール」

 と立ち上がろうとします。

 ゼンは彼らに背を向けたまま、太い薪をへし折りました。オリバン、メール、と彼らが名前で呼び合っているのが、無茶苦茶しゃくにさわります。人の感情をかぎわける子犬が、はらはらした顔でゼンを見ていました。

 メールが皇太子の腕をつかんで引き止めました。

「ダメだったら! ここにいなよ、オリバン」

「メール、私は別に――」

 ついにゼンの忍耐力が切れました。いきなり火のそばから立ち上がると、振り向きざま皇太子にどなります。

「うるせぇ、この野郎! 一緒にいたくねえなら、とっととあっち行けよ! めざわりだ!」

 皇太子も、むっとした顔になります。

「一緒にいたいわけではない。メールに連れてこられただけだ」

 ゼンはなおさら、かっとしました。皇太子がメールの名前を呼ぶだけで、とにかく不愉快でたまりません。本気で拳を握って殴りかかろうとします。

「ゼン!!」

 フルートが鋭く制止の声を上げます――。

 

 そのとたん、その場にいた全員が飛びのきました。

 ゼンも皇太子もフルートも、メールもポチも、いっせいに大きく飛び下がり、ひとつの方向へ身構えます。

 たった今まで何もなかった空間に、巨大な影が姿を現していました。地平線に太陽が沈み、薄闇が迫り始めた空からにじみ出てくるように、生き物の輪郭が浮かび上がってきます。

 皇太子が腰の大剣を引き抜きました。フルートも背中から剣を抜きます。黒い炎の剣です。

 ワン! とポチが吠えました。

「みんな、気をつけて! 魔獣ですよ――!」

 一頭の巨大な獣が彼らの前で実体になりました。全身金茶色に輝く毛でおおわれた猫です。長い二本の牙が口の両端から突き出ています。

「サーベルキャットだ。何と大きい……」

 と皇太子が言いました。唖然としているような口ぶりですが、実際には油断なく剣を構え続けています。

 すると、猫が突然鋭く前足を繰り出してきました。一撃でたき火と、その上にかかっていた鍋をひっくり返します。シューッと音を立てて、灰混じりの煙がわきたちます。

「あ、この野郎――!」

 せっかくの夕食を駄目にされて、ゼンが歯ぎしりしました。

 

 すると、上の方から、のんびりした男の声が聞こえてきました。

「ふぅん――キミたちが金の石の勇者の一行。ずいぶんと小さいんだねぇ」

 フルートたちは驚きました。声は巨大な猫の上から聞こえてきます。首をねじるようにして目をこらすと、猫の頭の上にねそべって、こちらを見ている若い男が見えました。やたらと細身で、なんの緊迫感もなく横になって、にやにやと笑っています。

 フルートは反射的に仲間たちの前に出ました。剣を構えながら、誰だ、と尋ねようとします。

 すると、それより一瞬早く、同じように前に出た皇太子が大声を出しました。

「きさま、何者だ!?」

「んんー……?」

 細身の青年は、寝ころんだまま、確かめるように皇太子を眺めました。すぐに、ひらひらと片手を振って見せます。

「ああ、部外者はどいたどいた。怪我したり、死んだりしたらつまらないだろう? ボクが用があるのは金の石の勇者だけなんだからね」

 地上にいる者たちは、いっせいに、はっとしました。フルートが尋ね返します。

「ぼくに何の用だ!? おまえは誰だ!?」

 言いながら、右手の剣と左腕の盾を油断なく構え続けます。

 猫の上の男が言いました。

「ボクはランジュール。ちょっとキミを殺してくるように、って命令されてね。で、こうして来てみたってわけさ」

 口調はとてものんびりしているのに、言っていることは限りなく物騒です。

「こいつ、ふざけやがって! 結局、刺客だろうが!」

 ゼンがどなりました。ついさっきまでの争いのせいで、頭に血が上ったままです。いきなり巨大な猫に飛びかかっていこうとします。

「ゼン!」

 フルートは、とっさに親友の前に飛び出しました。魔法のダイヤモンドで強化された盾を構えます。

 とたんに、鋭い爪が盾とフルートの鎧の胸を直撃しました。一瞬のうちに、息もつけないほど激しく胸を打たれ、跳ね飛ばされて後ろのゼンもろとも地面に倒れます。

 フルート、ゼン――! とメールは叫ぼうとして、思わず息を飲みました。あらゆる攻撃からフルートを守るはずの魔法の鎧に、深い爪の傷痕がついています。それも、何十本もです。猫は一撃しただけに見えたのですが、実際には、目にも止まらない速さで、何十回と爪でフルートを殴りつけていたのでした。

「お、おい、フルート……!?」

 地面につっぷしてあえぐフルートに、ゼンが我に返りました。あわてて飛びつきます。

 すると、フルートがゼンを見ました。今にも吐きそうな青ざめた顔をしながら、鋭くにらんできます。

「馬鹿、何やってるんだ! いきなりかかっていっていい相手かどうかも、わからなくなってるのか……!?」

 化け猫の上の男はひどくとぼけた様子をしていますが、全身から恐ろしいほどの殺気と気迫を放っていたのです。

 

 ふぅん、とランジュールと名乗った男は目を細めました。

「サーベルキャットの連打攻撃にとっさについてくるなんて、金の石の勇者は反射神経がいいんだねぇ。これはちょっぴり楽しみ、かな」

 うふふふ……とまるで女のような含み笑いをします。

 ゼンはまた歯ぎしりをしました。エルフの矢をお見舞いしたくても、弓矢は料理を作るときに、火のそばに下ろしてしまっています。今は、化け猫のすぐ足下です。近づけば、たちまちまた攻撃されてしまいます――。

 すると、シュン、と風の音を立ててポチが風の犬に変身しました。たちまち化け猫より巨大な姿になって飛びかかっていきます。

「風の犬かぁ。悪いけど、つまらないよ」

 ランジュールがそう言って、猫の頭上から片手をかざしました。

 すると、いきなりその目の前にドラゴンが現れました。純白の毛でおおわれた、長い首と頭だけの存在です。飛んでくるポチに向かって、かっと大きく口を開けます。

「かわせ、ポチ! スノードラゴンだ――!」

 フルートがまた叫び、とたんに激しく咳込みました。胸の奥がひどく痛みます。どうやら、さっきの猫の攻撃で肋骨にひびが入ってしまったようです……。

 ごうっとドラゴンが白い息を吐きました。たちまち吹雪になって襲いかかってきます。

 ポチはフルートの声に必死で身をよじっていました。その長い尾が吹雪にさらされ、たちまち幻のような体が吹き散らされてしまいます。

 キャン! とポチは悲鳴を上げました。みるみる体が縮んで、元の白い子犬に戻ってしまいます。まっさかさまに空から落ち始めたポチに、またスノードラゴンが吹雪の息を吐きかけようとしました――。

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