「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第6巻「願い石の戦い」

前のページ

29.歴史

 金の鎧を修繕、強化するために必要な堅き石。それを探し求める一行は、予定より早く、ビスクの街のだいぶ手前から街道をそれて、南側の丘陵地帯に入りました。畑や牧草地、林が連なる中を、小道を通って南西の方角を目ざします。

 太陽は午後になっても照り続け、秋の大地を美しく輝かせていました。丘の上に立って眺めると、黄ばんだ緑の牧草地と金褐色の林と黒い畑が、端切れ細工の布のように広がっているのが見渡せます。

 皇太子とメールはまだ馬を並べて歩き続けていました。だいぶ話し慣れてきた様子の皇太子が、眼下の風景を指さしながら言います。

「西の街道沿いはこんなふうに畑と牧草地ばかりだ。畑で作られるものも、家畜の飼料にする穀物が多い。あとは麦だな。今はまだこんな景色だが、もうしばらく行くと一面の荒野になるぞ」

 荒野と聞いて、メールはちょっと首をかしげました。彼女の故郷は一年中濃い緑におおわれた常夏の島です。白っぽく乾ききっていて、草も木もろくに育たない荒野というものを、このロムドに来てから初めて見たのでした。

 皇太子は話し続けました。

「西の街道の主要産業は牧畜だ。東の街道や北の街道沿いには大規模なブドウ園もあるが、西の街道にはほとんどない。水の少ない乾いた土地だから、育たないのだ。昔は王都ディーラの西側は、住む人もほとんどない荒れ果てた地域だった。それを今のようにしたのは父上だ」

「あの街道は今の国王が造ったの?」

 とメールは聞き返しました。さすがに彼女も王の娘です。国王の施政というものに関心があります。皇太子は口元をちょっと持ち上げて、微妙な笑顔を見せました。

「道としては昔からあったが、街道として立派に整備したのは父上だ。そこに水路を引き開拓希望者を募った。西の街道が完全に整備されるまでには、三十年あまりの歳月がかかっている。その間に西の街道沿いの土地はどんどん切り開かれ、今のような姿になったのだ。特に、ビスクの街までの、一番最初に開拓された場所は豊かだ。麦もよくとれる。その先の国境までの地域は新しい土地だから、まだまだ牧畜が中心で、住人もあまり裕福ではない」

 メールは黙ってフルートの実家を思い出していました。フルートが住むシルの町は、ビスクの先の新しい地域にあります。町外れに、荒野に面して建っていたフルートの家は、驚くほど小さいものでした。家の中も外も本当に質素で、裕福ということばとはほど遠いところにあります。フルートのお父さんは牧場で牛を飼っていましたが、牧場の仕事は人手がいるし、人を雇うのにも金がかかるから、フルートたちも学校が終われば仕事を手伝うのだと聞きました。

 だからといってフルートを見る目が変わるということはありませんでしたが、なんとなく、その場所の気候や土地といったものと切っても切り離せない、人の暮らしというものを感じてしまったメールでした。

 

 「ロムドは歴史のある国だが、昔はそう豊かというわけでもなかったのだ」

 と皇太子は話し続けていました。

「国の東側の、エスタ王国との国境付近までは、肥えた良い土地だったが、北側には山岳地帯を、南側には湿地帯を、西側には大荒野を抱えている。どこも人の暮らしにくい、自然の厳しい場所だ。ところが、隣のエスタ王国は、国土の半分以上が平野で、しかも麦でもブドウでも、何でもよく実る。その土地が欲しくて、ロムドはエスタに何度も戦いを仕掛けた。エスタはエスタで、ロムドの東側の穀物地帯を狙って仕掛けてくる。両国の歴史は、ロムドの東とエスタの西の穀物地帯を奪い合って繰り返される、戦争の歴史だ」

 メールは、また思わず首をかしげて皇太子を見ました。

「面白い言い方をするんだね、オリバン……。なんか、自分の国のほうが悪いことをしてたみたいな言い方じゃないか。こういう話をする時って、本当の目的はどうでも、自分の国の方が正しいような言い方をするんじゃないのかい?」

 皇太子は厳しいくらい真面目な顔をしていました。

「他国の土地や人民を奪うことで自分の国の繁栄を図るのは、誤りなのだ。繰り返される戦争で、人は疲れ果て、土地も荒れ果てる。……私の祖父に当たるロムド十三世は、国益を外に求めようとした王だったし、実際、隣国との数々の戦いにも連勝していたが、若くして亡くなった。病死ということになっているが、実際には、隣国のどこかが差し向けた刺客に暗殺されたのだろうと言われている。その跡を継ぐ王位継承者たちも――私の伯父に当たる人たちだが――それに先立って、次々と謎の死をとげた。たった一人残った王位継承者が、私の父上だ。父上が即位して、ロムド国王になったとき、父上はまだ十二歳の子どもだった」

 それは、メールもロムド城で国王から直接聞いていた話でした。なるほど、そういうこと、とメールは心の中でうなずきました。

 王位継承者としては下の下の方にいて、とても王位など継がないだろうと思われていた子どもが、思いがけず国王になってしまったわけです。「いろいろないきさつから思いがけず王になったが、誰もわしに王としての働きなど期待していなかった」と国王がフルートに言っていたのを思い出して、また納得します。それが悔しくて、今の国王は名君になろうと努力したのです――。

 皇太子はしばらくの間、口をつぐんでいました。何かを考えるようにただ馬を進め続けるので、メールも並んで歩き続けました。皇太子が語るロムドの歴史が面白くて、その続きを待ち続けます。……時折、先を行くゼンが、気にするようにちらっと馬上から振り返ることには、全然気がつきませんでした。

 

 やがて、皇太子がまた話し出しました。

「国王になっても、初め父上は何もしなかった。国政など当時の執務官たちに任せきりにして、毎日のように王都へ遊びに出ていた。まだ十代の子どもだ。王になるための教育をされてきたわけでもない。王宮の人間も国民も、父上を王冠をかぶった人形だと考え、公式の行事の時にだけ王座に座っていてくれればそれでいい、と思っていた。実質の国政は、当時の宰相が牛耳っていたのだ。……そんな父上が、突然頭角を現し、実力を発揮し始めたのが二十歳の時だ。宰相がエスタとの大規模な戦争を実行しようとしたとき、王の勅令でいきなり中止させ、宰相を罷免した。ただの飾り人形の国王とばかり思っていた王宮の人間は、びっくり仰天だ。いっせいに父上を非難して、宰相を呼び戻そうとしたが、父上はそんな旧体制派の家臣もすべて処分していった。父上が二十一になった年には、ロムドの王宮はすっかり新しい顔ぶれに入れ替わり、新しい政治が行われるようになったのだ」

 話し続ける皇太子は、けれども、父を誇るような顔はしていませんでした。何かを思うように、厳しい顔つきのまま、淡々と話し続けます。

「本格的に国政に乗り出した父上は、周囲の国々と戦争をする代わりに和平を結び、国内の整備に力を入れていった。そこまでの十年近い歳月、父上は国民の間に直接出かけていくことで、その暮らしぶりを確かめていたのだ。国の状況もつぶさに調べ上げていた。当時のロムド王宮は、度重なる戦争と貴族たちの豪遊で、経済的に困窮していた。国民はもっと深刻だった。そこで、父上はロムドの西部の荒野開拓を始めたのだ。それまで伝統的に続けていた、王宮の貴族の借金の肩代わりをやめ、その資金で西の街道や水路を整備し、西の土地を非常に安く国民に分け与えたのだ。……西の荒野を開拓するのは、実際には生半可なことではない。だが、その土地が自分のものになるのだから、国民は発憤したのだ。特に東で貧しさにあえいでいた者たちが、次々に馬車で西を目ざし、街道沿いの土地を切り開いていった。西の街道にあるのは開拓の町だ。今でも独立独歩の気質が非常に強い」

 

 そこまで話して、皇太子はメールが自分をじっと見つめているのに気がつきました。我に返って、思わず言います。

「おまえには難しい話だったか……?」

「ううん」

 メールは首を振りました。

「まあ、海の民のあたいにはよくわかんない仕組みもあるけどさ、だいたいのところは理解できたよ。あたいが考えてたのはね、それだけのことをした偉大な王を父親に持って、あんたも苦しかっただろうな、ってことだよ」

 いきなり本心のど真ん中を指摘されて、皇太子は仰天しました。たちまち顔を赤くしてどなります。

「何を言う! 私は――!」

「あたいも同じなんだよ」

 とメールは相手の怒りを無視して言いました。皇太子がいぶかしい顔になります。

「同じ?」

「あたいの父上は西の大海を治める渦王。はっきり言って、ものすごく偉いし、王として公平で思いやりがあるから、ものすごく人望もある。あたいはその一人娘だからね。何かっていうと、周りから言われるんだよ。『父上のような立派な人におなりなさい』って。――冗談じゃない、父上は父上、あたいはあたいだ、と思うよ。だけど、あたいがなにかヘマをすれば、すぐに言われる。『渦王の娘なのに、そんなことをするなんて』。何か上出来なことをしても、やっぱり言われる。『さすがは渦王の王女です』。何をしたって、ついて回るのは父上の名前。あたい自身なんて、どうでもいいんだもんね。まったく、やってらんないよ!」

 ……本当は、メールはそこに種族の違いというもうひとつの苦しみも抱えていました。渦王の島で、メールはたった一人の、海の民と森の民の両方の血を引いた子どもでした。渦王の王女という周囲からの期待と、一人違う血を引いているという事実から、メールは周囲から孤立し、持ち前のきかん気もあって、鬼姫とあだ名されるほど気性の激しい王女に育っていったのです。

 皇太子はまじまじとメールを見つめていましたが、やがて、ぽつりと言いました。

「おまえも苦労してきたのだな、メール」

「まあね。人間でも海の民でも、王族に生まれちゃうと苦労させられるよね」

 とメールは大人びたしぐさでまた肩をすくめて見せました。

 皇太子とメール。種族は違うものの、王の子どもとして生まれた二人の間に、お互いを理解し合う気持ちが流れていました。これは本当に、同じ立場にある者同士でなければ、決して分かり合うことはできないのです。

 

 そして、そんな彼らのずっと前の方を、ゼンが一人で馬を進めていました。

 何も言いません。もう後ろも振り返りません。そんなゼンの顔が今にも爆発しそうなほど怒りに歪んでいるのを、メールは少しも知りませんでした――。

素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク