ずいぶん熱心にフルートを見てるじゃないか、とメールになれなれしく声をかけられて、皇太子はむっとした顔になりました。たった今まで金の石の勇者を見ていた目を、わざと大きくそらし、黙ったままメールの馬を追い越していこうとします。
とたんに、少女の鋭い声が飛んできました。
「ちょっと。せっかく話しかけてるんだ、返事くらいしなよ。そんなふうだから、お高くとまってるなんて言われるんだよ」
相手が王族でもまったく歯に衣着せないメールです。皇太子は手綱を引いて、じろりと少女を見ました。鎧を着た大柄な男がにらんでくるのですから、相当な迫力なのですが、海の姫はびくともしません。真っ正面から相手の目を見返します。暗い灰色の瞳と気の強そうな青い瞳が、まともににらみ合います。
やがて、先に目をそらしたのは皇太子の方でした。うなるような声で言います。
「変な娘だな」
「あたいはメールだよ。西の大海を治める渦王の娘さ」
「ああ、そういえばそんな話だったな……。俺に何の用だ、メール姫」
とたんに、メールは吹き出しました。馬の首に突っ伏して、声を上げて笑い出してしまいます。
「ちょ、ちょっと、やめようよぉ! メール姫だなんて、呼ばれたこともないよ。あたいはただ、メールでいいんだから」
「だが、おまえの父は海の王なのだろう? 海を治める王は、不思議な魔力を持つ、偉大な自然の王だと聞いているぞ」
「まあね」
メールは笑いながら肩をすくめてみせました。
「ただ、ものすごく短気だよ。怒るとむちゃくちゃ怖いんだ。あたいもそれに似ちゃったんだろうね。島では鬼姫って呼ばれてるんだよ。渦王の鬼姫さ」
皇太子は少しの間、何も言わずにメールを眺めました。ドレスの代わりに少年のような服を着て、長い毛皮のコートをはおっている彼女は、確かにとてもおしとやかとは言えません。けれども、よく見れば、その顔はとても美しいし、王族らしい気高さも全身から漂わせていました。それは空気のように自然にかもし出されるもので、意識的に作り出せるようなものではないのです。
「鬼姫というのはふさわしくないな、メール姫」
と皇太子が言いました。メールはまた大笑いです。
「だから、やめてったらさ。背筋がかゆくなってきちゃうよ。メールでいいんだったら。殿下もそう呼んでよ」
「では、わたしもオリバンでよい。そう呼んでくれ」
妙な公平感から、皇太子が律儀に言います。そのしかつめらしい顔を、メールは面白そうに眺めました。
「あんたってば、すっごい真面目なんだね。わかった。じゃ、あたいも名前で呼ばせてもらうよ、オリバン」
「ああ」
ぶっきらぼうに皇太子が答えます。
メールは皇太子の馬に自分の馬を並べて歩き出しました。街道の石畳の上に二頭の蹄の音がかっぽかっぽと響きます。
皇太子が横目で見ました。
「それで、なんの用だと言っているのだ――メール」
ちょっと言いにくそうに、海の姫の名前を呼びます。メールはまた笑いました。
「用ってほどのことでもないけどね。あんたがあんまり不思議そうにフルートを見てるからさ。なんか聞きたいことがあるんじゃないかと思ってね」
皇太子はまた黙り込みました。観察力のある娘だ、と心の中でつぶやきます。
頭上に近づいた太陽から日の光が降りそそいできます。日差しは暖かいのですが、丘を越えて吹いてくる風がひんやりと冷たくて、暑すぎず寒すぎずという陽気です。メールも、毛皮のコートの前を開けたまま、気持ちよさそうに長い髪を風になびかせていました。まるで若木のように伸びやかな姿です。
そんなメールをしばらく眺めてから、皇太子はようやく口を開きました。
「おまえはどうして金の石の勇者の仲間になったのだ?」
え? とメールが見返しました。メールは背が高いのですが、皇太子はもっと背が高いので、青い瞳が見上げる形になります。
「フルートたちが海を救ってくれたから――なんて答えを期待してるわけじゃないみたいだね? なんでそんなことを聞きたいのさ」
「納得がいかないからだ」
と皇太子は答えました。また声がぶっきらぼうになってきています。
「金の石の勇者のことは、ロムドの国民であれば三歳の子どもでさえ知っている。魔王と戦い、この世界を闇から救った英雄だ。だが、それがまさか、あんなひ弱な子どもだとは思わなかった。昨夜の戦いぶりを見て、はっきりわかったぞ。金の石の勇者を助けているのは、おまえたちだ。おまえもドワーフも、あの子犬でさえ、戦闘になれば信じられないほど強い戦士になる。今回は同行していないが、魔法使いの仲間もいるのだろう? だから、あいつは金の石の勇者などと大いばりでいられるのだ。強い仲間が協力しているから。――だが、何故だ? おまえたちほどの戦士が、何故、あんな子どもにそこまで忠誠を尽くすのだ?」
メールは、しばらく何も言いませんでした。ただ、じっと皇太子を見上げ続け……やがて、くすりと小さく笑いました。
「あたいたちは誰もフルートに忠誠なんて誓ってないよ。あたいたちは仲間。ただの友だちなんだ」
「友だちだと? あんな子どもとどうして友だちだなどと――」
「子どもって、フルートはあたいと同い年だよ」
とメールがまた笑います。皇太子はびっくりしました。
「同い年!? では、おまえは――おまえの年は――」
「十三だよ。フルートもゼンもあたいも、三人とも同じ年。ポポロだけ一年遅くて十二歳だけどね」
皇太子は呆気にとられた顔になりました。まじまじとメールを見つめ直します。
「信じられん……てっきり十七、八くらいだろうと思っていたぞ。まだそんな年なのか」
「大人に見られちゃうんだよ。昔っからさ」
とメールが肩をすくめて笑います。そんなしぐさも、少し冷めた感じがして、大人びて見えます。
青空の高い場所でトビが輪を描いて飛んでいました。ピーヨロロ、と鳴き声が聞こえてきます。メールはそれを見上げ、しばらくそのまま眺めていましたが、やがて、また皇太子に目を向けました。
「やっぱり教えるのはやぁめた。あんた、自分自身で確かめなよ。フルートがどうして金の石の勇者なのかを、さ」
笑う声で、そう言います。皇太子は急にまた不機嫌になってきました。
「何を確かめろというのだ。あいつが金の石を使っている場面でも見ろと言うのか?」
金の石――。あれほど皇太子が昔から欲しいと願い続けてきた石を、あんな子どもが自分のものにしたのです。金の石は守りの石、癒しの石、そして、勇気の証しです。あんな軟弱な奴が持つべきものではないはずなのに、何故……。皇太子は自分でも気がつかないうちに唇をかんでいました。
すると、メールはくすくす笑いながら言い続けました。
「たとえ金の石がなくたって、フルートは金の石の勇者なんだよ。でもまあ、あんたの気持ちはよくわかるけどね。あたいだって、初めてフルートを見たときには、こんなのが勇者かい、って思ったもん」
「意味がわからん」
皇太子は怒ったように言いました。実際、かなり腹を立てていました。メールがもってまわったような言い方をするのが、しゃくにさわります。あんな少年のどこが勇者だというのだ! と心の中でどなります。
「自分で確かめなよ」
とメールは繰り返しました。
「そのうち、フルート自身がちゃんと証明してみせるからさ。あんなふうに見えていたって、フルートは強いんだ。あたいたちは、誰もフルートにはかなわないんだよ」
「馬鹿な!」
皇太子が即座に言い返します。
メールはそれ以上は何もわず、ただ、先を行く金の鎧の少年へ、ほほえむような目を向けました――。
「ゼン。ゼン、聞いてるのかい?」
フルートに声をかけられて、ゼンは我に返りました。フルートが馬の上からのぞき込んでいます。
「お、な、なんだ?」
「だから――ビスクの街に着く前に、街道をそれて荒野に入ろうって言っているんだよ」
「なんでだ? ユギルさんは、ビスクを越えたところで荒野に入れ、って言ってただろうが」
とゼンが答えると、たちまちフルートはあきれ顔になりました。
「ぼくの話を全然聞いてなかったの? 街中で昨夜みたいに刺客に襲われたら、街の人たちが危険だから、ビスクに入る前に街道をそれようって言ってるんじゃないか」
「ああ、なるほどな――」
ゼンは返事をしました。どこか気の抜けたような、ぼんやりした声です。フルートがまたあきれた顔をすると、鞍の前の籠からポチが言いました。
「ワン、ゼンはさっきから気になってしょうがないんですよ。メールが皇太子とずっと話をしてるから」
フルートは目を丸くして、思わず後ろを振り返りました。彼らから大きく遅れて、馬を並べて歩く皇太子とメールの姿が見えました。鞍と鞍を並べて、なにか話し続けています。いつの間に仲良くなったのか、すっかり打ち解けた雰囲気です。
「馬鹿野郎! 変なことを言うんじゃねえ!!」
ゼンがわめいて手を伸ばし、籠の中のポチを押さえ込みました。顔を真っ赤にして、むきになっています。ワンワン、とポチは吠えました。
「暴力反対! 図星をさされたからって怒らないでくださいよ!」
「何が図星だ! この生意気野郎! その減らず口を紐で縛り上げてやる!」
「ワン、そんなことするなら、こっちこそ、風でゼンをぐるぐる巻きにしてやるから! ぼくが本気になったら、窒息させることだってできるんですからね!」
「なんだとぉ!? やれるもんならやってみろ! その前に風の首輪ごとバラバラにしてやる!」
「ちょっと、ちょっと、二人とも――」
フルートは喧嘩をするゼンとポチをあわてて引き分けました。ゼンの馬から自分の馬を遠ざけて、二人を離します。
「ワン、ほんとに素直じゃないんだから」
ポチが珍しくぷりぷりしてつぶやいていました。ゼンは怒った顔で馬を先に進めてしまいます。
フルートはもう一度、後ろを振り向きました。大柄で堂々とした皇太子と、男のような格好をしていても、その美しさは隠しようもないメール。二人の姿は見事なほどお似合いで、秋の輝く景色の中で、一幅の絵のように見えていました。
ゼンはどんどん先に進んでいってしまいます。わざとらしいくらい、後ろを見ようとしません。
「……ゼン?」
フルートは親友の背中に、思わず問いかけるようにつぶやきました。