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第6巻「願い石の戦い」

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第8章 荒野入り

27.秋光

 信じられん! と皇太子はまた心の中で叫びました。昨夜から何百回繰り返したかわからないことばです。馬に乗って街道を進む少年の姿を見ながら、また首を振ります。これももう、何十回やっているかわかりません。けれども、いくら心で叫んでも、頭を振って否定しようとしても、驚くような事実は目の前から決して消えていかないのでした。

 金の石の勇者はまだ人を殺したことがない。――それは、皇太子には、とても信じがたいことでした。敵を倒さなければ勝てないし、自分自身が生き残ることもできないのです。それでどうやって今まで敵に勝ち続けてきたのだ、と思います。

 一行の先頭に立って馬を進めるフルートは、本当におとなしげな姿をしていました。日の光にきらめく金の鎧兜に身を包み、大きな剣を二本も背負っているところは勇ましげですが、その体はあまりにも小さくて、本当に十か十一くらいの子どもの背丈しかありません。さっきから友人と話しているので、時々横顔がこちらを向きますが、それも少女のように優しい顔立ちをしています。その姿だけを見ていれば、彼がまだ人を殺した経験がない、というのも充分に納得できるのです。

 けれども、彼は金の石の勇者でした。仲間と共に沼地の神殿でメデューサを倒して闇の卵を破壊し、エスタや天空の国を魔王から救い出し、海の国で魔王と対決して倒し、リーリス湖では黒い風の犬を追い払い、デセラール山で巨大な闇の敵と戦い、北の大地を新たな魔王から救い――ロムドだけでなく、世界中の国や人々を守ってきたのです。

 どうやって、そんなことができたのだ!? と皇太子は考えます。こんな非力そうな、死体を見ただけで気絶しそうになっていた子どもなのに。

 金の石の勇者というのは、とても頼もしい人物なのだろう、と皇太子はずっと考え続けていました。敵には限りなく勇敢で強く、守るべき者たちには暖かく優しい、そんな二つの顔を持っていて、大きな背中に人々を守りながら敵を倒していく。たとえどんな恐ろしい敵が目の前にいても、勇者のそばにさえいれば、恐怖も不安も感じることなくなるような――そんな英雄なのだろう、と。

 ところが、実際の金の石の勇者は、たった十三歳の少年でした。しかも、外見はそれよりずっと幼く見えます。昨夜、刺客たちと戦った様子を見ても、それほど強いとは思えませんでした。隙だらけ、油断だらけです。

 こんな人間がどうして金の石の勇者をやっていられるのか、どうやって数々の敵を倒してこられたのか。皇太子には、どうしても納得がいきません。何度叫んでも、やっぱりまた、信じられん! と心に叫んでしまうのでした。

 

 朝日に照らされた西の街道を進みながら、フルートはゼンと話し続けていました。ゼンが心配そうに言ってきます。

「フルート、おまえ、ちょっと変だぞ。確かにおまえは人間相手に戦うのが嫌なんだろうけどな、それにしたって、最近の戦い方はなってないぞ。以前はこれほどじゃなかっただろうが」

 うん、とフルートはつぶやくように答えて、うつむきました。

「人間が相手になると、急に戦いにくくなるんだよ。やらなきゃこっちが殺されるってわかっているのに、それでも、思うように剣や体が動かなくなるんだ……。北の大地から帰ってきてからなんだよ」

 ゼンは思わず友人の顔を見ました。少女のように優しい顔は、深い苦悩と影を漂わせています。

 フルートの鞍の前の籠から、ポチが言いました。

「ワン、ロキのことを経験したからですね。死ってものが、今までよりずっと近くなっちゃったんだ」

 子犬の声は深い響きをはらんでいます。

「頭ではわかってるつもりだったんだよ」

 とフルートは言い続けました。

「人を傷つけたり殺したりするのは嫌だったけれど、それでも、みんなを守るためにならしかたのないことだと考えてきた。ここまで、闇の敵は数え切れないほど倒してきたけれど、人を殺したことは、まだない。それはただの幸運で、必要に迫られたら――どうしようもなかったら、自分だって人を殺す。そう考え続けていたんだけど――」

 フルートは手綱を握る自分の手を見つめていました。金の籠手に包まれた両手は、見えない血に染まっています。それは闇の怪物や獣たちの血です。今まで戦ってきた人間たちの傷から流れた血です。人を絶命させることがなかった、というだけのことで、自分自身はすでに充分血に汚れているのだと、フルートは承知していました。人を殺していないから罪ではないとか、そういうことではないのです。

 でも、友だちだ、仲間だと思ってきたロキに目の前から消えていかれた時、フルートは思い知ってしまったのです。人の死とはこういうものなのだ。この世界から人の存在が消えて、どこにもその人物がいなくなってしまうことなのだ、と。

 その時から、フルートは人間相手に本気で戦うことができなくなっていました。人も闇の敵も同じで、人だけが別格というわけではないのはわかっているのに、それでも、相手が人間だと思うと、それだけでためらいが生じて、体が思うように動かなくなるのでした。

 

 ゼンが溜息をつきました。少し考えてから口を開きます。

「俺たちは猟師だから、獣や鳥を殺して、それを売って生活してる。言ってみりゃ、生き物の命を奪うのが商売だ。それはもう、いいとか悪いとかいう問題じゃない。俺たちはそうしなかったら生きていけないんだからな。それは戦いの場面だって同じだぞ。戦わなかったら、こっちが殺されるんだ。殺されるわけにはいかないんだから――たとえ相手が死んだとしても、倒さなくちゃならないことはあるだろう」

 フルートは黙ってうなずきました。本当に、頭ではわかっているのです。わかっているのに、心がどうしても従わない。そんな感じでした。こんなふうではいけない、と思うのに、それでもどうしてもためらいが振り切れません。

 そんな少年を、ポチがほほえむような目で見上げました。

「フルートは、本当に優しいなぁ」

 見た目も充分優しいけれど、それ以上に優しい気持ちを胸に秘めるフルートです。だからこそ、苦しむし、悩むのです。人を守ることと、人を殺すこととの間に板挟みになって。

 ゼンも苦笑いをすると、馬を寄せて、親友の頭を小突きました。

「ま、俺たちがいるさ。俺たちが一緒に戦ってやる。無理しないで、自分らしく戦え」

 フルートはゼンに向かってかすかにほほえみ返しました。それは、なんだか今にも泣き出しそうな表情にも見えました。

「ちぇ、なんて顔してやがる」

 ゼンがまた、乱暴にフルートを小突きました――。

 

 メールは、先を行く少年たちと、遅れてついてくる皇太子の、ちょうど中間を馬で進んでいました。

 今日も空は快晴です。どこまでも青く広がる空の、端のほうにだけ白い雲が浮かんでいます。街道の両脇にはなだらかな丘が続き、畑と牧場が交互に現れます。昨夜過ごしたような林も時々現れます。林の木々は木の葉を黄色や赤に変えています。本当に、どの景色も鮮やかに美しい、ロムドの豊かな秋でした。

 けれども、メールは気がかりそうな目であたりを見回していました。馬を進めながら、花を探していたのです。

 昨夜、林の中で戦ったとき、花はメールの呼びかけに応えて飛んできてくれました。けれども、その数はメールが考えていたよりずっと少なかったのです。ゼンを守り、隠れる敵を追い出すのに、やっと間に合う程度でした。

 日差しを浴びて輝く景色を見回しても、咲いている花はあまりありません。草地は緑が色あせ、花の代わりに実をつけている植物が目立ちます。こんな風景を、メールは自分の故郷で見たことがありませんでした。渦王の島は、南方の海にあります。暖かい海流に取り囲まれているので、島は常に濃い緑におおわれ、花も一年中咲き続けているのです。季節の移り変わりと共に花が枯れていく風景を、メールは生まれて初めて目の当たりにしているのでした。

「まずいよね、これって……」

 とメールはひとりごとを言いました。

 彼女は花使いです。花がなければ、戦うことができません。

 花はまだ咲いています。けれども、これから秋の終わりが来ます。花はますます少なくなるでしょう。

 昨夜、光玉に目がくらんで一時戦闘不能になったことを思い出して、メールは内心とても焦りました。もう、あんな失態はさらしたくありません。――が、いくらそう思ったところで、季節が移っていくのを止めることは、誰にもできないのでした。

 

「やんなっちゃうなぁ、もう!」

 メールは一人でまたつぶやくと、募ってくる不安を紛らわせるように、改めて周囲を見回しました。

 フルートとゼンはまだ話し続けています。なんとなく深刻そうな雰囲気で、話にまざるのもためらわれる気がします。

 メールは後ろを振り返ってみました。馬にまたがる皇太子の、大きな姿を眺めます。

 昨夜の戦いを境に、皇太子から憎悪が伝わってこなくなっていることに、メールは気がついていました。皇太子はもう、フルートを憎んではいないのです。――少なくとも、今までほどには。

 ただ、代わりに皇太子は不思議なものを見る目になっていました。今も、しばらくフルートを眺めると、頭を振りました。声が聞こえなくても、なんと言っているのかは見ただけでわかります。皇太子は、フルートに向かって、「信じられない」とつぶやいているのです。

 メールはちょっと首をかしげました。ほんの少し考えてから、おもむろに馬の向きを変えます。

「どうしたのさ。ずいぶん熱心にフルートを見てるじゃないか」

 メールは皇太子に近づいていって声をかけました――。

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