日中、美しく着飾った貴族の男女や軍服姿の兵士たちが行きかうロムド城も、夜更けには静けさの中に包まれます。警備に当たる兵士たちだけが長い廊下を行き来し、要所要所で不寝番に立っています。
けれども、深夜を回っても部屋で起きている人々はいました。城で個人の宴会を開くことは禁じられているので、ひっそりと一人で、あるいは知人と二、三人で静かに酒を飲んだり、話をしたりしています。城一番の占い師のユギルも、そんな中の一人でした。
ユギルの部屋を訪れていたのは、ノームの鍛冶屋の長のピランでした。灰色の長いひげをしたこびとの老人は、何故だかユギルを気に入ったようで、日中からずっと彼の部屋に入り浸っていたのでした。
「人間の作った部屋というのはどうも居心地が悪いからな」
とノームの鍛冶屋は言っていました。
「余計な飾りやら道具やらが多すぎて、うるさくてたまらん。その点、あんたの部屋は殺風景なくらい何もない。このくらいのほうが、わしには落ちつけるんだ」
「鍛冶屋の長は『物の声』をお聞きになれるのですね。それで、普通の部屋がうるさく感じられるのでしょう」
とユギルが穏やかに受け答えました。いつもは灰色の長衣を着ている彼も、自分の部屋では普段着に着替えています。とは言っても、やはりゆったりとした長衣です。薄い水色の服に青い帯を締め、長い銀髪を無造作に流した姿は、本当にエルフのようですが、当人はそんなことにはまったく頓着していません。ただ穏やかに話し続けます。
「それは、占い師のわたくしも同じことなのです。周りに人や物が多すぎると、どうしても集中力がそがれます。それで、自分の部屋には必要なもの以外は置かないようにしているのです」
そのことばを裏付けるように、ユギルの部屋には何もありませんでした。暗灰青色の絨毯を敷き詰めただけの床の上に、大きな机がひとつと椅子がひとつ、それと、今ユギルとピランが座って酒を飲んでいるテーブルと椅子があるだけです。壁には絵画一枚飾られていません。ドアでつながっている隣の部屋には、ベッドと衣装ダンスがありますが、家具はこれで本当に全部でした。机の上に据えられた大きな黒い占盤だけが、殺風景な部屋の中で、圧倒的な存在感を放っていました。
その占盤を眺めながら、ピランが言いました。
「どうだね? 勇者どもは無事に進んでいるかね?」
「先ほど占った時には、忍び寄る危険を逃れて、また進んでいくご様子が見られました。マミルという町にいらしたようですが」
「やはり、さっそく狙われとるわけか。呼び餌だからしかたないとはいえ、大変なこったな。こんなことをしている間にも、また敵に襲われているんじゃないのか?」
「だとしても、わたくしにはどうすることもできません。わたくしは、こうして城におりますので」
とユギルは答えました。静かな声です。
「ですが、あの方々は目に映る姿よりも、はるかに強くたくましいのです。通常の襲撃程度ではびくともしないでしょう」
「だろうな」
とピランはうなずきましたが、やがて腕組みをすると、ちょっと考え込む顔になりました。
「ただ、わしのあの鎧を直してやれなかったのは、やはり心残りだな。強化は無理としても、とりあえず、つなぎ目だけでも直しておいてやりたかったんだが。あれでは、本来の防御力の半分も発揮できんだろう」
フルートが直感で鎧に感じていたのと同じことを、鍛冶屋の長は口にしていました。
ユギルは酒が入った自分のカップをじっと眺めました。
「確かに、金の石の勇者を取り巻く影は濃いのです。絡みつくように勇者殿を取り込み、絞め殺そうとしています。ですが、勇者殿には強い仲間たちがそばにいますし、皇太子殿下もご一緒です。殿下は戦士としても一流なのです」
「あの皇太子がフルートを助けるかね?」
ピランが驚いた顔をしました。
「あれほどあからさまに金の石の勇者を嫌っとったじゃないか。しかも、王座を巡って争っているライバルなんだろう? 道中で皇太子がフルートを切り殺したとしても、まったく不思議はないように見えたぞ」
なかなか物騒なことを言います。
ユギルは、わずかに微笑しました。
「皇太子殿下は悪い方ではありません……。ただ、ずっと憧れていらしたのです。金の石の勇者に」
「憧れていた?」
「はい。幼い頃から、ずっとだったのです」
そう言った若い占い師は、昔を思い出す目になっていました。
「わたくしが金の石の勇者の出現を占ったのは、今から十二年前のことです。わたくしはまだ十五歳でした」
「そんな子どもの言うことをよく信用したものだ」
と鍛冶屋の長は遠慮もなく言いますが、ユギルは怒りませんでした。
「まったくそのとおりです。城に来てまだ日が浅かったこともあって、誰もわたくしの占いなど信じてはくれませんでした。周りを見ても、まだ闇の気配も不吉な出来事も何一つ起こっていなかった頃のことです。そこへ、たった十五かそこらの子どもが、やがてこの世界を大きな闇の敵が襲う、その闇と戦う金の石の勇者が魔の森から現れるだろう、と言ったところで、誰も信じるはずはありません。ですが、ごく少数ですが、本当に信じてくれた方々もいたのです。それが国王陛下と、ゴーラントス卿でした。ゴーラントス卿は、ザカラスでわたくしが陛下の暗殺を阻止したのを見ていらしたので、それでわたくしを信用してくれたのです。そして、もう一人、金の石の勇者の出現を信じたのが、皇太子殿下でした。当時、殿下はまだ六歳でした。すでに王宮を離れて、辺境部隊の中でお暮らしでしたが、時折、陛下にまみえるために王宮においでになると、決まってわたくしのもとを訪ねられて、金の石の勇者は現れたのか、とお聞きになりました。殿下は幼心に金の石の勇者を強くたくましい戦士と想像して、非常に憧れていらしたのです」
「ところが、実際に現れた金の石の勇者は、あのかわいらしい坊やだったわけか。なるほど、それでは腹が立つのももっともだな」
とピランが声を立てて笑います。
ユギルは酒のカップを見つめながら続けました。
「金の石の勇者が本当に現れるまでに、十年の歳月がかかりました……。その間、陛下はずっとわたくしを信じ続けてくださいましたし、ゴーラントス卿も、シルの町で勇者を待ち続けてくれました。ですが、皇太子殿下は待ちきれませんでした。王宮に来るたびに、陛下に自分を魔の森へ行かせてほしい、と頼んでおられたのです。金の石の勇者は世界を救う人物です。殿下は森の奥へ金の石を取りに行って、自分が金の石の勇者になりたい、とお考えになったのです。むろん、陛下はお許しになりませんでしたが……。フルート殿が金の石の勇者としてロムド城に現れ、闇の霧をロムドから払った時、辺境部隊にいた皇太子殿下は非常に驚かれたようです。その時から、殿下は人が変わられたようになって……もとより、一途なところがあって、人とあまりうちとけない性格でいらっしゃいましたが……なにか、ご自分の価値や意義というものに焦りを感じていると見受けられるようになりました」
「フルートが世に出てきたのは二年前だ。とすると、皇太子は十六歳――まあ、誰でも自分というものに悩み出す年頃だな」
とピランがあっさりと言ってのけます。ユギルは静かにほほえみました。
「左様です。殿下は、ご自分の存在意義を見つけようと、必死でおられる……。それはあの年齢には当然あるべきことなのですが、当然でないのは、あの方がロムド国の皇太子だということです。次の王として国を背負う者として、非常に焦っておいでなのです」
「それをあおる馬鹿どもも大勢いるしな」
とピランが酒をすすります。
ユギルは手の中のカップを見つめ続けていました。
カップの中の酒の表面は銀の鏡のようです。占い師のユギルの目は、そこに映る象徴を見つめていたのです。
フルートを象徴する金の光が、水面で輝き続けていました。目もくらむほど強い光です。そのかたわらにゼンの銀の光とポチの星の輝きが寄り添っています。青く燃える炎のような輝きは、海の王女メールの象徴です。さらに、皇太子の象徴の青い獅子もそばにいます。全員が無事でいることは、それを見ただけでわかるのでした。
どこともはっきりとつかめない場所から、暗い腕が伸びてきて、金の光をつかまえようとしていました。不吉な気配です。さらに、小さな黒い影が彼らの周りを踊り回っています。どうやら襲撃を受けているようです。水面の光や獅子たちがいっせいに動き出したのを見て、ユギルは小さくうなずきました。この感じなら大丈夫、心配するような事態にはならないでしょう――。
ユギルはカップから目を上げると、ピランを見ました。鍛冶屋の長は酔ってだいぶ赤い顔になっています。それへユギルは話しかけました。
「ピラン殿、少しお聞きしたいことがあるのですが」
「なんだ?」
酒のつまみに手を伸ばしながら鍛冶屋の長が返事をします。
「彼らが探しに向かっている堅き石のそばで、しばしば願い石と呼ばれる魔石も見つかるというのは、本当の話でございましょうか……?」
鍛冶屋の長の手が止まりました。急に酔いの覚めた目で、ロムドの占い師を疑うように見上げます。
「何故、そんなことを聞くんだね? わしがあいつらに取ってこいと言ったのは堅き石だ。願い石など必要ないぞ」
「話に聞いたことがあるのです。堅き石は、願い石と対になって誕生することが多い、と。願い石は求めても人の目には映らない石なので、見つけるには堅き石を探すのが良いともうかがっております」
ノームの鍛冶屋は、つまらなそうな顔になって酒をすすりました。
「それで? あわよくば、あいつらが願い石まで見つけてくるといいとでも考えているのかね? あれは手には持てない石だ。しかも、人が持つべき石でもない。だから、あいつらには一言も教えなかったんだ」
「勇者殿たちはまったくご存知ありません。ただ……皇太子殿下はご存知です。以前、城を訪問したノームが語ったのです。たあいもない、おとぎ話のような言い伝えでしたが、昨日、堅き石の捜索に行く、と大広間で言い出されたとき、殿下が願い石のことを思い出しているような気がしたのです……」
ユギルは憂い顔でした。
ピランは、ふん、とつぶやいて、また酒をすすりました。飲み干してしまって、手酌でまたつぎ足します。
「願い石など持ったら、とんでもないことになるぞ。あれは破滅と不幸を運ぶ石だ」
「そううかがっております。だから、決して求めてはならない石なのだと。ですが、人はそれでも、願いをかなえたいと思ってしまう生き物なのです……」
そして、ユギルは机の占盤を振り返りました。もっと先まで、もっと奥まで見通すために、やはり、徹底的に占わなければならないかもしれません――。
すると、ピランが急にうなずきました。
「なるほどな。あんたが守りたいと言っていた子どもたちは、勇者どもだけではなかったわけだ。あんなにでかい図体をしていても、やはり子どもか」
「殿下はまだ十八です」
とユギルは言いました。
「まあ、充分危なっかしい年頃ではあるな」
とピランが答えます。
それきり、二人は黙り込みました。
城内の寺院から、深夜二時を知らせる鐘の音が遠く響いていました。