あなたも命を狙われているのですか、という質問に、皇太子はフルートを見つめ返しました。暗い灰色の瞳は、夜の中で、ほとんど黒い色に見えています。少し間をおいてから、皇太子は聞き返しました。
「何故そう思う」
相変わらず抜き身の剣はフルートに突きつけたままです。 フルートは夢中で答えました。
「殿下がお城を出てからずっと警戒なさっていたからです……。ぼくたちを警戒してるはずはないと思ったんです。それなら、殺気を感じますから。殿下は、後を追ってきたロムド兵にも、毒が入った料理にもすぐお気づきになったし、今だって、寝ていたのにぼくが近づいたら、すぐに目を覚ました。常に警戒を怠っていない証拠ですよね。だから、殿下も誰かから命を狙われているのかな、って……」
皇太子は黙ったままフルートを見つめ続け、やがて、剣を引いて鞘に収めました。
「そのとおりだ。私の身辺ではいつも物騒な動きが起きる。暗殺の気配だ。だが、これは今に始まったことではない。幼い頃からずっとそうだったから、今ではもう自然に警戒の神経が働くのだ。――おまえたちが私を殺そうとしているわけではないのはわかっていた。それこそ、気配で感じるからな。だが、だからといって、信用する理由もない」
フルートは首をかしげました。皇太子の話には、いろいろと聞き返したいことが含まれています。ちょっとの間、話を吟味してから、このことを一番に聞いてみました。
「殿下のお命を狙っているのは何者ですか?」
「わからん」
皇太子の返事は、そっけないほど短いものでした。フルートが不思議そうな顔をすると、面倒くさそうに続けます。
「ロムドの皇太子に消えてもらいたい人間など、掃いて捨てるほどいる。私のきょうだいに王位継承権を持つ男は他にいないが、妹はいるし、親戚筋にも男子はいるからな。ひょっとしたら、別の人間を皇太子に据えたがっている父上も、刺客を送り込んでいるのかもしれない」
「殿下!」
フルートは思わず厳しい声を上げました。皇太子が父まで疑っているのは、尋常ではない気がしたのです。皇太子は冷ややかに笑いました。
「たとえばの話だ。それくらい暗殺の動きが多いということだ。今日の宿屋での食事だって、実際のところ、おまえを殺そうとしている者のしわざか、私の命を狙う者のしわざか、わかりはしない」
フルートは皇太子を見つめ続けました。妙に悟りきった、乾いた口調が気になります。しばらく考えてから、フルートはこう言いました。
「陛下は皇太子殿下を城から引き離しておく必要があった、とおっしゃいました。そのためには、辺境部隊が一番安全だったのだ、とも。そうなのですか?」
とたんに、皇太子が不機嫌そのものの顔になりました。今までの冷めた表情が、一気に憎しみと怒りに彩られます。
「城から引き離しておく必要があった、か! まさしくそのとおりだな。父上にとって、私は不肖の息子だ。人前に出したくなどあるまい」
フルートは、はっとしました。そのことばに、皇太子が父王に反抗を続ける理由を見た気がしたのです。
皇太子は、吐き出すように続けました。皮肉に笑う声です。
「確かに、辺境部隊は私がいるには安全な場所だった。辺境部隊は下層の兵士の集団だからな。食事も寝るのもすべて皆一緒だ。人目が常にあるから、おかしな動きをする者はすぐに他の兵士に気づかれる。食事も兵士たちと同じものを食べるようにして、兵士たちが食べ終わるのを待っていれば、毒見は完璧だ。確かに辺境部隊は素性の知れない新しい兵が次々入ってくるところだが、それは逆に、誰に用心すればいいのかわかりやすいということになる。戦闘中にどさくさ紛れに味方に襲われることさえ気をつければ、辺境部隊ほど安心できる場所はないな。あそこは、自分の力で自分の身を守ることができる場所だ」
フルートは黙って話を聞き続けました。なるほど、それでか、とは思いましたが、だからといって、皇太子の話に全面的に共感することもできませんでした。
幼い頃から暗殺の危険にさらされていたという皇太子。おそらく、命を狙っていたのは宮廷の中の人間でしょう。だから、国王は皇太子を守るために、宮廷から遠く離れた辺境部隊へ皇太子を送り出したのです。城でユギルも言っていたとおり、武芸にたけた皇太子の力を信じての判断もあったのに違いありません。
ただ、そうやって皇太子を守ろうとした王の配慮が、皇太子には歪んで受けとられてしまいました。自分は父からないがしろにされている、正当な王位継承者として認められていないに違いない、と……。そんなところへ、金の石の勇者が次期国王ではないかという噂です。皇太子がフルートを憎むのも、当然と言えば当然過ぎることでした。
フルートは思わず溜息をつきました。
「殿下、ぼくは国王になんてなるつもりはありません。なれるはずがないんです。ぼくはただの平民の子どもなんですから」
たちまち、皇太子がまた冷ややかな笑い顔に戻りました。
「だが、おまえは金の石の勇者だ。おまえの華々しい武勇伝は、国中の誰もが知っているぞ」
フルートは困りました。なんと言って説明したらよいのかわかりません。懸命に考え、自分の想いに一番近いことばを見つけ出そうとします。
「皇太子殿下、ぼくは――金の石の勇者は――そういうのとは違うんです……。国民のために戦うんじゃなくて……いや、その人たちのためにも戦うんだけど……そうじゃなくて、もっと……」
どうしてもうまく言うことができなくて、フルートはことばに詰まってしまいました。
そんなフルートを見て、皇太子がまた、ふんと笑いました。
「もっと目的が大きいんだと言いたいのだろう。金の石の勇者は全世界とそこの人々を守るのが役目で、ロムド国民のためだけのものではない。だから、国王なんかにはなれないんだ、と」
フルートはまた皇太子を見つめてしまいました。そこまでわかっているのなら、何故ここまで突っかかってくるのだろう、と考えてしまいます。
本気で驚いた顔をしているフルートに、皇太子はまた皮肉な笑いを浮かべました。
「金の石の勇者というのはそういうものだ。個人や国家のためではなく、世界のため、人々のためにこそ存在しているのだからな。昔からずっと、そう聞かされてきた。だが――」
ふいにまた、皇太子の表情が変わりました。冷めたように笑っていた目が、一瞬で憎しみのまなざしに変わります。皇太子は手を伸ばし、フルートのマントの襟首をつかみました。乱暴なくらいに、ぐいと引き寄せます。
「何故、おまえが金の石の勇者なのだ? こんな軟弱そうな、小さな子どものおまえが? 金の石は、何故、おまえを選んだのだ――!?」
フルートは目を見張りました。皇太子の声には激しい怒りが込められています。ことば以上のものが、その陰に隠されている気がします……。
その時、暗い林の向こうで、かすかな音がしました。生き物が地面の枯れ葉を踏む音です。
とたんに、皇太子とフルートは飛びのくように離れ、それぞれに自分の武器へ手をやりました。
フルートが剣に手をやりながら身構えているのを見て、皇太子が笑うように言います。
「ふん、おまえも気がついたのか」
林の奥から聞こえてきたのは、馬の蹄の音です。それも、一頭二頭ではありません。
すると、たき火のそばからポチが飛び起きて吠え出しました。
「ワンワンワンワン! 敵です! 敵の匂いですよ!」
眠っていたゼンとメールも、毛布をはねのけて飛び起きました。ゼンがかたわらから矢筒を取り上げて、あっという間に背負います。メールが、離れた場所で皇太子と一緒にいる少年を見て驚きました。
「フルート!?」
「来るぞ! 馬に乗った奴らだ!」
とフルートは叫び返しました。ポチが鳴き出したとたん、馬たちがいっせいに駆け出したのが聞こえてきたのです。
かたわらで皇太子が大剣を引き抜きました。蹄の音が迫ってくる方向を見据えます。
フルートも背中のロングソードを引き抜いて構えました。
月のない暗い夜。敵は闇に乗じて、また襲いかかってきたのでした――。