ゴーリスの部屋で国王やユギル、鍛冶屋の長のピランと密会した翌日、フルートとゼンとポチは城の長い廊下を歩いていました。フルートとゼンは金の鎧や青い胸当てを装備し、マントをはおり、その上から剣や弓矢を背負っています。彼らは間もなく、堅き石を探すための旅に出発するのです。
二人の足下を歩きながら、ポチがフルートに言いました。
「ワン、鎧の調子はどうですか? 特に左腕のところ……」
「万全じゃないけどね。でも、今回は闇の敵と戦いに行くわけじゃないから、これでも大丈夫だと思うよ」
とフルートは答えました。
本当は、ピランに左の籠手の部分だけでも直してもらいたいところでしたが、ピランは彼らが防具を粗末に扱ったと怒っていることになっているし、修理をしてもらう時間もありません。そのままで出発するしかないのでした。
「今回の敵は人間と陰謀だもんな。ったく、そんなもんとどうやって戦えってんだよ」
とゼンがぼやきます。
「金の石が目覚めなかったわけだよね」
とフルートがペンダントをしまってある胸当てに触れて、溜息をつきました。宮廷の皇太子派の貴族たちが自分の命を狙っています。魔王が送り込む闇の敵なら、いくらでも勇敢に戦える自信がありましたが、今回のような相手には、どうしていいのか本当にわからなくなります。フルートは、できる限り人とは戦いたくないのです……。
すると、ポチが言いました。
「とにかく油断しないでいきましょう。これから、ぼくたちだけの旅になるから、きっとまた刺客が襲ってきますよ」
フルートは思わずまた大きな溜息をついてしまいました。
彼らは城の中の、ゴーリスの部屋に向かっていました。少年たちには国王から客室が準備されたのですが、メールは女の子だし、ジュリアと話もしたかったので、ゴーリス夫妻の部屋に泊めてもらったのです。
部屋に入ると、メールはすでに出発の準備を整えていました。いつもの袖なしのシャツと半ズボンの服装の上に、フードがついた丈の長い毛皮のコートを着て、編み上げのサンダルの代わりに膝まである革のブーツをはいています。部屋の中にいるので、フードは首の後ろに押しやって、コートの前は留めずにいました。
「おっ、あったかそうな格好になったじゃねえか」
とゼンが声をかけると、メールは肩をすくめ返しました。
「いつもの服装じゃこの季節のロムドは旅できない、ってジュリアさんが言うからさ。ちょっと重たいし窮屈なんだけど、ま、このくらいなら妥協かな」
「それがいいよ。絶対に寒くなるからね」
とフルートが真面目な顔でうなずきました。
十一月は目前に迫っています。彼らはこれからロムドの南西に進んでいくのですが、どんどん標高の高い場所に向かうので、季節の移り変わり以上に気温が下がっていくのは目に見えていたのです。堅き石を見つけるまでにどのくらいかかるのか見当もつきませんが、ことによると、雪にも出会うことになるかもしれませんでした。
「行ってらっしゃい、勇者たち」
と部屋の椅子に座ったままでジュリアが言いました。椅子のすぐ近くでは、窓から差す光が日だまりを作っています。
「あの人は城の外まで見送りに出ると言っていたけれど、外は冷たい風が吹いているから、私はここで見送らせてもらうわね。あなたたちは金の石の勇者の一行だから、ちょっとやそっとのことには負けないでしょうけれど、でも、充分に気をつけてお行きなさい。道中の無事をずっと祈っているわ」
フルートはうなずいて、ジュリアを見つめました。かたわらの日だまりに負けないくらい、ふっくらと暖かい雰囲気を漂わせている女性です。間もなく旅立とうとする子どもたちを優しく見つめています。
けれども、フルートにはわかっていました。ジュリアが外に見送りに来ないのは、冷たい風のせいだけではないのです。
フルートが王位簒奪を企んでいると誤解する人々は、フルートの師匠であるゴーリスのことも憎んでいます。ゴーリス自身は城一番と言われるほどの剣士なので、あまり心配はありませんが、その妻のジュリアは自分の身を守る術がまるでありません。それで、彼女は衛兵が守る城の部屋に引きこもって、そこから一歩も外に出ないでいるのです。
思わずすまなそうな顔になったフルートに、ジュリアがほほえんで見せました。
「堅き石を見つけて、無事にまたここに戻っていらっしゃい。それが私たちには何より嬉しいことよ。あなたたちは金の石の勇者の一行だわ。誰にも何も後ろめたいことはしていないのだもの、堂々と自分たちの道を進んでいって、心の信じるとおりに行動なさい。それこそが、あなたたちの潔白を証明することになりますからね――」
柔らかく優しい笑顔からは意外に思えるほど、力強いジュリアのことばでした。子どもたちを信じる気持ちにあふれています。子どもたちは思わず感激して、ことばが出なくなりました。
小さな沈黙が部屋を充たした後、フルートがおずおずと口を開きました。
「ジュリアさん、あの……お腹に――お腹の赤ちゃんに、さわってみてもいいですか?」
ジュリアはちょっと驚いた顔をしました。他の仲間たちも意外な顔をしています。フルートは頬を赤らめましたが、それでも、真剣な目でジュリアを見つめていました。
ジュリアはまた笑顔になりました。
「ええ、いいわよ。どうぞ」
そして、ためらうようにそっと伸ばしてきた少年の手を取ると、自分の下腹に押し当ててやりました。
「ほら、ここよ。時々動くのだけれど、感じるかしらね?」
フルートは真っ赤になりながらも、一生懸命神経を集中させて、ジュリアのお腹の中にいる小さな命の動きを感じ取ろうとしました。手のひらにジュリアの体温と脈打つ血潮の流れが伝わってきます。残念ながら、赤ん坊の動きは感じられません。けれども、確かにこの奥に新しい命があるのだ、とぬくもりと力強い脈動は伝えていました。
フルートの顔に微笑が浮かびました。少しの間、目を閉じて、じっとしています。
それから、フルートは、ありがとう、と言ってジュリアのお腹から手を離しました。微笑はそのままです。一歩下がって、他の仲間たちと一緒にジュリアの前に並ぶと、はっきりした声で言います。
「それじゃ、行ってきます」
「ジュリアさん、お腹の赤ちゃんを大切にな」
「また戻ってくるからね」
「ワンワン、行ってまいります」
他の仲間たちも口々に言います。ジュリアはにっこりほほえみました。
「行ってらっしゃい。あなたたちの上に、神様のお守りが堅くありますように」
子どもたちはいっせいに頭を下げました。
ゴーリスの部屋から城の外へ向かう途中で、ゼンがフルートに話しかけてきました。
「おまえ、さっき、ジュリアさんのお腹にさわりながら何か考えてたろ。何を考えてたんだ?」
「え……」
フルートは口ごもりましたが、仲間たちが自分を見つめたので、顔を赤らめながら答えました。
「たいしたことじゃないよ。ただ……ぼくの潔白を証明して……ジュリアさんと一緒に安心して外を歩けるようにしてあげるからね、って赤ちゃんに……」
どうすれば、自分に降りかかった疑いを晴らすことができるのか、フルートにはわかりません。金の石の勇者として信じる道を進めと言われても、あまりにも漠然としていて、具体的にどうやればいいのかも見当がつきません。それでも、城の一室から出られないでいるジュリアのために、これから生まれてくる赤ちゃんのために、必ず自分の無実を証明してみせよう、とフルートは考えたのでした。
それを聞いて、ゼンが笑いました。
「やっぱりな。おまえらしいぜ」
「でも、ホントに無実は証明しなくちゃだよ。こんなふうにフルートを疑われっぱなしだなんて、冗談じゃないだろ」
とメールも言います。
「ワン、そのためには堅き石を取って戻ってこないと」
「あの王子様を守りながら、か?」
とゼンが苦笑いに変わります。
それでも、今はそれしか道がありません。精一杯、できることを頑張るしかないのでした。
「行こう、みんな!」
とフルートは呼びかけ、仲間たちはいっせいに、おう! と返事をしました――。