戦いは終わりました。
夜の闇に乗じて襲いかかってきた敵は、傷つき、逃げていきました。激しい戦いでしたが、結局死んだ者はなく、一人残らず、また馬に乗って夜の荒野へ駆け去っていきます。
空からポチが舞い下りました。シュン、と風の音をたてて子犬の姿に戻ります。フルートが血に濡れた剣の刃をぬぐって鞘に収めていると、ゼンとメールが走ってきました。
「大丈夫か、フルート!? 怪我はなかったか!?」
ゼンがどなるように尋ねてきます。
「うん、大丈夫だよ。ありがとう」
けれども、その表情は青ざめて険しい表情になっていました。フルートは人相手の戦いが本当に苦手なのです。
ゴーリスと御者もやってきました。ゴーリスが馬を下り、フルートの前に立って厳しい目を向けます。
「戦闘の最中にためらうなと何度も教えたはずだぞ。迷いは隙を生む。ゼンたちが守ってくれたから良かったが、そうでなければ、おまえは今の戦いで確実に二度は殺されていたぞ」
フルートはうつむきました。しゅんと肩を落とします。けれども、彼の師匠は容赦なく言い続けました。
「己を守るのは戦いの基本だ。自分の身を守らずに攻撃していくのは、勇敢ではなくてただの無謀だ。そんなことでは誰のことも守ることはできない。それどころか、おまえを守ろうとする味方まで危険な目に遭わせるかもしれないんだぞ」
フルートはますますうなだれました。まったくそのとおりで、反論の余地はありません。
すっかりしょげてしまったフルートと、厳しい表情のままのゴーリスを、ゼンは見比べました。ちょっと考えてから口を開きます。
「心配してくれるのは嬉しいけどよ、俺たちだってそう簡単にはやられないぜ。これでも勇者の一行だからな」
すると、ゴーリスの表情が急に和らぎました。並んで立つゼンとメールの頭を軽くなでます。
「出来の悪い弟子が世話をかけてすまんな。確かに、おまえたちは頼りになる。特にゼンとメールが揃うとかなりのものだ。いいコンビだな」
思いがけず誉められて、ゼンとメールは顔を見合わせました。喧嘩をしていたはずなのに、いいコンビと言われてしまって、とまどうような不思議な気分に襲われます……。
「さあ、もう馬車に乗れ。出発するぞ」
とゴーリスが言いました。御者はもう馬車の方へ戻り始めています。
すると、うつむいていたフルートが顔を上げ、思い切ったように尋ねました。
「ゴーリス。あれは何者だったの?」
「夜盗だ。近頃このあたりに出没するようになったんだ。噂を聞いたことはなかったのか? 城には報告が入っていて、陛下も警備を強めるようにご命令になっていたところだったんだ。ビスクの町に着いたら警備隊に通報しておこう。一掃せねばならん」
けれども、フルートは眼を細めました。シルの町からこんな近い場所にあんな夜盗が出没していれば、フルートたちの耳に入らないはずはありません。師匠が真相をごまかしたことに気づいたのです。
フルートはゴーリスを見上げました。落ちついた厳しい顔の向こう側に何が隠されているのだろう、と見つめ続けます。すると、ゴーリスは急に手を振りました。
「さあ、早く乗れ。ぐずぐずしてると、今の奴らが新しい味方を連れて戻ってくるかもしれんからな」
そのまま自分の馬に乗って、馬車の方へ行ってしまいます。弟子の追及を打ち切ったのです。
「ゴーリス――」
フルートは思わず絶句して、遠ざかる師匠を見送ってしまいました。
馬車は再び街道を走り始めました。ガラガラと車輪の音が石畳の上に響き渡ります。
子どもたちは再び車内のランプに灯りをともし、それぞれの席に座ると、いっせいに頭を寄せ合って話を始めました。
「あいつら、絶対に夜盗なんかじゃないぞ! 最初から狙いはフルートだったんだ!」
とゼンがわめけば、ポチも、ワン、と吠えて言います。
「あれはプロの刺客たちです。あんな暗がりの中でも、ものすごく正確に狙ってきたし、かなりの腕利きだったんですよ」
以前、彼らは別の刺客集団から命を狙われたことがあります。ポチはその類の敵が発する「匂い」を覚えていたのでした。「でもさ、ホントにどうしてフルートが狙われるんだい? 命を狙ってる犯人は誰なのさ」
とメールが言います。それを知りたいのは山々ですが、彼らには敵の見当がつきませんでした。ゴーリスを問い詰めようとしても、あの雰囲気では絶対に教えてもらえないでしょう。なんともいらだつような気分が、馬車の中に充満します。
フルートはまた、胸元からペンダントを引き出しました。相変わらず魔法の石は灰色のままです。フルートは思わず溜息をつきました。
「敵が何者かはわからないけど、闇の敵じゃないことだけは確かみたいだね」
敵が闇のものでないとすれば、考えられるのはやっぱり人間です。それを思うと、どうしても気が重くなってきます。フルートだって、必要に迫られれば人間とも命がけで戦いますが、それでも、できればそんなことはしたくないというのが正直な気持ちでした。それが戦いの際に迷いを生み、敵に攻め込まれる隙を生むのだとわかっていても、どうしても割り切ってしまうことができないのです。
すると、ゼンが言いました。
「俺たちにしてみれば、闇の敵でなくて良かったんだぜ。なにしろ、今こっちにはポポロがいないんだ。あいつの魔法なしで闇の敵と渡り合うのは一苦労だからな」
ポポロは闇の敵に絶大な効果を持つ光の魔法を使います。一日に二回だけという制限はありますが、紛れもなく、彼らが闇の敵と戦うときの切り札なのでした。
「たぶん、ディーラに何かがあるんだ」
とフルートは考えながら言いました。
「そこまで行けば何かわかるのかもしれない。でも、ディーラに着くまでの間に、また馬車が襲われるのかもしれないし……また君たちを危険な目に遭わせちゃうね……」
と口ごもります。さっきゴーリスから言われたことを気にしているのです。
とたんに、ゼンがフルートの頭を小突きました。最近、ゼンはよくこんなふうにフルートを殴ります。
「ったく。とっくに結論が出たことをまた蒸し返すんじゃねえや。俺たちはおまえと一緒に行くんだ。俺たちの役目はおまえを守ること――そんなのは、泉の長老に言われるまででもないんだよ。これ以上ぐだぐだ抜かすなら、今度は本気の一発を食らわすぞ」
フルートはあわてて首を振りました。怪力のゼンに本気で殴られたら、命だってなくしかねません。ちょっとためらってから、仲間たちに向かって言いました。
「ありがとう、みんな……」
「やっだ、水くさぁ!」
とメールが吹き出し、他の子どもたちもそれにつられて笑い始めました。フルートさえも、照れたような顔になって笑い出します。
「さあ、とにかく一段落したんだ。飯にしようぜ、飯! 俺はもう腹ぺこだぞ!」
とゼンが陽気な声を上げました。続けていつもの十八番を口にしようとします。
「なにしろ、まずは――」
「まずは食え、だろ」
メールがそのセリフを先取りして、どん、と目の前の床にバスケットを起きました。中にはパンや果物、飲み物がぎっしり詰まっています。
「おう。上出来」
とゼンもにやりとします。喧嘩のようになっていた二人が、いつの間にかまた、息のあった雰囲気に戻っていました。
子どもたちはいっせいにバスケットに群がると、わいわい賑やかに食事を始めました。
その楽しそうな声は、馬車の前で手綱を握る御者のところまで響いてきました。御者は、かたわらを馬で進むゴーリスに向かって話しかけました。
「大した子どもたちですな……あれだけの戦闘の後だというのに、もうあんなに笑えるとは」
ゴーリスに対して敬意は払っていますが、明らかに軍人の口調です。ゴーリスは肩をすくめ返しました。
「あれでも、あいつらは勇者たちだからな。見た目よりもずっと肝は据わっているさ」
すると、御者は少しの間、子どもたちの笑い声に耳を傾け、やがて、つくづくと言いました。
「私は驚きましたよ、ゴーラントス卿。まさか金の石の勇者がただの御者を命がけで助けに来るとは思いませんでした。こう言っては失礼だが、あれではとても身がもちますまい。もっと割り切って戦えるようでなければ」
「それは昔からだ」
とゴーリスが笑いました。遠い日々を懐かしく思い出すような顔をしています。
「だが、いくら言ってもあいつは変わらないのさ。だから、ゼンなどはやきもきするんだが、結局のところ、仲間たちがそんなあいつを助けてしまう。……それが金の石の勇者の一行なんだな」
「それにしても、やはり勇者殿は優しすぎます。あんなふうでは、今回の敵には、とても――」
しっ、とゴーリスが突然さえぎりました。笑い声が続く馬車を指さして、声を落として言います。
「あの中にはやたらと耳のいいヤツが乗っていて、うっかりしゃべると聞きつけられるんだ。その話はどこででも絶対にしないでくれ」
御者はすぐに真剣な顔になってうなずき返しました。後はもう、何も言わずに馬車を走らせます。
それと並んで馬を進めながら、ゴーリスはまた、馬車を振り向きました。楽しそうな子どもたちの声は、まだ続いています。その中に時折混じる、ちょっと控えめな感じのボーイソプラノがフルートの声です。
「優しすぎる勇者か……」
とゴーリスはつぶやきました。自分だけにしか聞こえない声です。
「それがあいつの弱さでもあり、強さの源でもある。さて、今度の化け物相手には、それがどちらに転ぶかだな……」
それきり、ゴーリスも考え込むように黙り込んでしまいました。
馬車と馬は夜の街道を進み続けます。
めざす東の彼方には、王都ディーラがありました――。