敵が来る、というポチの警告に、少年たちは即座に反応しました。
フルートは足下の兜を頭にかぶると、二本の剣を交差させて背負います。大きな黒い剣は炎の剣、細身の銀の剣は銘こそありませんが、やはり切れ味の鋭い名刀です。左腕には魔法のダイヤモンドで強化された盾を装備します。
ゼンも座席から飛び上がると、すぐにかたわらから大きな弓と矢筒を取り上げました。それぞれ背中に留めつけます。――ゼンはドワーフですが、愛用しているのは、エルフの弓矢と呼ばれる魔法の武器です。ゼンでなければ引くこともできない強弓ですが、その弓で放てば矢は必ず狙ったものに命中します。矢筒も、使った分だけ矢がまた増える魔法の道具でした。
メールが窓から外をのぞきました。彼方からたくさんの馬の蹄の音が近づいてくるのが、彼女の耳にも聞こえてきました。ゴーリスが闇の中に向かってどなっているのも聞こえます。
「何者だ!? 名を名乗れ!」
けれども、返事の代わりに返ってきたのは、鋭い一本の矢でした。夜の中を貫き、メールの鼻先をかすめるようにして馬車の中に飛び込んできます。
「危ねぇ!」
ゼンがとっさにメールに飛びついて押し倒し、フルートが天井のランプをつかみました。外して灯りを吹き消します。明るい車内を狙って矢を撃ち込まれたのだとわかったのです。
暗がりの中、窓の外の景色がぼんやりと見えてきます。走り続ける馬車に荒野の向こうから迫ってくる馬の群れがありました。十頭近くもいます。馬上に乗った人々が手に手に抜き身の剣をかざしているのが浮かび上がっています。
ゴーリスが腰の大剣を抜くのが見えました。二度は問いたださず、まっしぐらに敵に向かって走っていきます。
「ゴーリス!」
とフルートは叫びました。彼の師匠は剣の達人ですが、一人で迎え討つには敵の数が多すぎます。フルートは子犬に呼びかけました。
「ポチ!」
「ワン!」
ポチはフルートが開けた馬車の扉から、即座に外に飛び出しました。一瞬で風の犬に変身します。フルートがその背中に飛び乗って、夜の空の中へ舞い上がっていきます。
すると馬上の人々がどよめきました。あれだ、と叫ぶ男の声が聞こえ、ぼんやり浮かび上がる風の犬目がけて、矢が次々と放たれ始めます。ゼンは歯ぎしりをしました。
「ちきしょう。やっぱりフルートを狙ってやがるな」
夜空に月はなく、闇夜の中で星が意外なほど明るく輝いていました。星の光が地上を照らし出し、白い風の犬にまたがるフルートの金の鎧を光らせます。夜の中、格好の標的になってしまっています。ゴーリスが地上からどなっているのが聞こえました。
「馬車に戻れ、フルート!」
けれども勇者の少年は絶対に逃げ戻ろうとはしませんでした。次々と飛んでくる矢をかわしながら、剣を抜いて敵の中へ切り込んでいきます。たちまち血しぶきと悲鳴が上がり、一人の男が馬から転がり落ちました。
別の場所ではゴーリスが敵と切り結び始めました。剣と剣とが打ち合う音が、夜の中に響き渡ります。けれども、他の者たちは馬を走らせてゴーリスのわきを通り過ぎ、ただフルートだけを狙って襲いかかってきました。空と地上とで乱戦が始まり、矢の代わりに剣の刃がひらめくようになります。
ゼンとメールが乗った馬車が停まりました。手綱を握っていた御者が、どこからか剣を取りだし、戦っている人々の方へ駆けつけていきます。その身のこなしは、確かに戦い慣れた人のものです。
「ちっくしょう!」
ゼンがまたわめき、外に飛び出すと、馬車の車体をよじ上っていきました。屋根の上に仁王立ちになって、背中の弓を外します。ゼンは小柄で走るのも決して速くはありません。駆けつけるよりも弓で攻撃する方が早いと判断したのでした。
すると、そのかたわらに長身の少女も上ってきました。まるで野生の獣のような軽い身のこなしです。
ゼンはどなりました。
「馬鹿! 危ないぞ、中に入ってろ!」
「冗談!」
とメールは言い返しました。
「あたいを誰だと思ってんのさ。渦王の鬼姫だよ! 中で待ってるのなんて、まっぴらごめんさ!」
「ったく――この跳ねっ返り!」
ゼンはいまいましそうにつぶやくと、後はもう何も言いませんでした。メールにかまっている暇がなくなったのです。
街道脇の荒野では激しい戦いが繰り広げられていました。馬に乗った男たちが、風の犬に乗ったフルート目がけて切りかかっていきます。ポチは攻撃のために急降下を繰り返していますが、敵は数が多い上に、何人かが剣を槍に持ち替えていたので、敵を攻撃する前にフルートを攻撃されそうになって、あわてて空に舞い上がっていました。今、魔法の金の石は眠っていて、癒しの力もなければ守りの障壁を張ることもできません。うかつに敵には近づけないのでした。
と、そのポチの体の中を一本の矢が貫いていきました。風の体をすり抜けて、フルートの鎧をかすめ、天へ飛び去っていきます。男たちが上空のフルート目がけてまた弓矢を使い始めたのです。ポチは空の高い場所まで上昇しました。その後ろから、何本も矢が追いかけてきます。
「ワン、振り向かないで、フルート!」
とポチは言いました。フルートが着ている金の鎧兜は強力な防御力を持っていますが、むき出しになっている顔だけは、敵の攻撃を防ぐことができないのです。そこに矢を食らってしまったら、フルートは深手を負って、下手をすれば死んでしまいます。
すると、突然弓を持っていた男が鞍から転がり落ちました。そのまま地面に倒れてうめき声を上げます。
馬車の屋根の上では、ゼンがエルフの弓を構えて立っていました。その弓弦が震えて鳴り続けています。ゼンはフルートを狙って矢を放つ男を一発で馬から射落としたのでした。
馬上の男の何人かが馬車を振り向きました。屋根の上に立つ子どもたちの姿を見ると、いっせいに矢を射かけてきます。広い荒野の中、馬車は無防備に停まっていて、飛んでくる矢をさえぎるものは何もありません。
すると、屋根の上の少女が両手を差し上げて高く呼びかけました。
「おいで、花たち!」
とたんに、夜の中に雨が降るようなサーッという音がわき起こりました。風ひとつなかった荒野につむじ風が巻き起こり、砂埃が馬車の周りに吹き荒れます。……いえ、それは砂埃ではありませんでした。荒野に咲く小さな小さな花が、群れになって飛び回り、馬車とその上に立つ子どもたちを守るように取り囲んだのでした。メールの花使いの力です。子どもたちを狙った矢が、花の渦に巻き込まれて次々に地上へ落ちていきます――。
「どうさ?」
メールがかたわらのゼンに向かって、にやりと笑って見せました。本当に、全然女の子らしくない笑い方です。それなのに、星明かりの空の下、メールの笑顔は、はっと息を飲むほど鋭く美しく見えていました。
ゼンは思わずとまどうと、気がつかないうちに赤くなっていた顔をメールからそらしました。なんだか妙な気分で、自分でも、その気持ちをどうしていいのかわからなくて、つい悪態をついてしまいます。
「ったく。ホントにちっともおとなしくしてないヤツだな。かわいげないぞ」
おう、さすがだな。助かったぜ。――そんなことを言いたかったのに、ことばが心の中を遠ざかっていってしまったのです。メールが怒ったような声を上げて、ぷい、とそっぽを向きました。本気で腹をたてたのが伝わってきます。
ゼンは思わず唇をかみ、自分の中のとまどいと腹立たしさを払うように、また次々と矢を放ち始めました。何故こうなってしまうのか、自分でもわけがわかりません。苦いものが、ゼンの心の中を充たしていきます……。
ゴーリスが敵の集団の首領らしい男と切り結んでいました。双方とも大剣を振り回し、馬と馬とで駆け寄り、撃ち合い、また離れていきます。その戦いぶりがあまり激しすぎて、他の者たちは近寄ることができません。
別の場所では馬車の御者をしていた男が戦っていました。鋭い太刀さばきで敵と渡り合っています。けれども、戦う相手は馬に乗っているうえに、槍を使っています。高い場所から突き刺されそうになって、御者はあわてて身をかわしました。その無防備な背中へ槍がまた繰り出されてきます。
すると、空から風の犬が飛び込んできました。ポチに乗ったフルートが敵の槍を力任せになぎ払います。
が、相手は敵の中でもひときわ大柄な男でした。腕もまるで丸太のようです。あっという間に槍を引くと、今度はフルート目がけて突き出してきました。どん、と槍の穂先が鎧の腹に命中します。金の鎧のおかげで怪我はしませんでしたが、衝撃でフルートはのけぞり、そのまま地面に墜落してしまいました。
「ワン、フルート!」
ポチがあわてて引き返し、フルートを拾い上げようとしました。けれども、敵の槍の方が素早く動き、フルートのむき出しの顔を貫こうとします。フルートはよけられません。
「危ない、勇者殿!」
今度は御者が飛び込んできて、槍を剣で打ち払いました。そこへ、フルートを守るようにポチが飛び込んでつむじ風を起こしました。敵を乗せた馬が二歩、三歩と思わず後ずさっていきます。
すると、突然敵の男がうめいて馬の上に突っ伏しました。手にした槍を落としてしまいます。その背中には白いエルフの矢が突き立って震えていました。
遠く離れた馬車の上からゼンがどなっていました。
「この馬鹿野郎! 人間だからって手加減するな! 本気でやれ、本気で!」
フルートは心優しい勇者です。相手が人間だと思うと、どうしても、剣をふるう腕が鈍ってしまうのでした――。
フルートは唇をかみました。剣を構え直すと、風の犬にまた飛び乗ります。
「行って、ポチ!」
「ワン!」
魔法の犬がまた敵に向かって飛び始めました。フルートの剣が星明かりの中にひらめきます。
けれども、どんなに血しぶきが上がっても、どんなに悲鳴が起こっても、フルートの剣で命を奪われた敵は一人もいなかったのでした……。