西の街道を灯りを掲げた馬車が走っていました。車輪が石畳の上でガラガラと音をたて続けています。まだ宵の口の時刻でしたが、秋の日没は早く、街道は夜の暗さの中にとっぷりと沈んでいました。
馬車の中にはフルート、ゼン、メール、ポチの三人と一匹の少年少女たちが乗っています。子どもたちは日が落ちる前にフルートの家を出発し、ゴーリスが手回しよく準備していた馬車に乗って、東にある王都ディーラを目ざしているのでした。
馬車の天井で揺れるランプが、座席に座る子どもたちを照らし出していました。フルートとゼンが並んで座り、フルートの正面の席にはメールが一人で座っています。彼らの足下には白い子犬のポチがうずくまっています。いつもなら、どこにいても賑やかにおしゃべりを始める子どもたちなのですが、この時には何故か、誰も口を開こうとしませんでした。みんな、なんだかそれぞれに物思いにふけるような顔をして、うつむいたり、窓の外を眺めたりして座り続けています。時折、メールが顔を上げて、そんな仲間たちの様子をこっそりとうかがっていました。
すると、馬車の窓からゴーリスがのぞき込んできました。彼は自分の馬に乗って馬車と並んで進んでいるのですが、黒ずくめの服を着ているので、顔が夜の中から突然現れたように見えました。
「なんだ、みんなやけにおとなしいな」
とゴーリスが笑い、子どもたちが返事をしないのを見ると、すぐに、ちょっとすまなそうな苦笑いに変わりました。
「悪いな。おまえらとしてはフルートの家に泊まってから出発したかったんだろうが、俺は仕事を抜け出して来てるんでな。早くディーラに戻らなくちゃならないんだよ。今夜はこのまま夜通し走り続けるが、明日の夕方にはビスクの町に着くし、そこに宿もとってあるから、明日の夜はちゃんとベッドで眠れるからな」
フルートの家に子どもたちが集合したとき、もう日は大きく西に傾いていました。もうすぐ夜になるから、今夜はうちに泊まって、明日の朝出発したら? とフルートのお母さんはゴーリスに提案したのですが、ゴーリスは急いで城に戻らなくてはならないから、と言って、そのまま子どもたちを連れて出発したのでした。
フルートはちょっと首をかしげるようにして、窓の外にあるゴーリスの顔を見返しました。
「大丈夫だよ。ぼくたちはどこでだって眠れるし。でも、ゴーリスこそ、一晩中そうやって馬で行くつもり? 大丈夫なの?」
「馬鹿もん。師匠の鍛え方を甘く見るんじゃない」
とゴーリスはまた笑いました。確かに、この黒衣の剣士は非常にたくましい体つきをしています。一日や二日休みなく馬を走らせても、びくともしないように見えました。
「そら、そこにおまえらの夕飯が買ってある。それを食ったら、後は寝てるんだな。先の道のりは長いんだ」
そう言うと、ゴーリスの顔は窓から消えていきました。
「夕飯って、これだね」
とメールが自分の席の隣からバスケットを取り上げて蓋を開けました。中から薫製肉や揚げ物をはさんだパンの包みがいくつも出てきます。リンゴや酢漬けにした野菜もあります。バスケットの底には飲み物の瓶とカップも入っていました。食料は彼らには充分すぎるほどの量でしたし、カップは六つありました。ゴーリスは、あらかじめポポロやルルの分まで夕食の準備をしておいてくれたのでした。
「ワン。お母さんのアップルパイもありますよ」
とポチが言いました。彼らがお茶も飲まずに出発したので、フルートのお母さんは焼きたてのパイをおやつに持たせてくれたのでした。
ところが、少年たちは何も言いませんでした。フルートはゴーリスの馬の蹄の音が聞こえてくる窓の外を眺め続け、ゼンは膝の上で手を組んで、ぼんやり考え込み続けています。特に、ゼンがそんなふうにしているのが不思議でした。いつもなら何をさておいても食べることを喜ぶ彼なのです。メールはまた、こっそりとゼンの表情をうかがいました。さっきの喧嘩をまだ気にしているんだろうか、とも考えましたが、なんとなく、それとも違っているような気がしました。
すると、フルートがつぶやくように言いました。
「ゴーリスが急いでる」
その声の調子に、仲間たちは思わずフルートを見ました。フルートは金の鎧を身につけていますが、愛用の二本の剣は外して、盾や兜と一緒に足下に置いています。少し癖のある金髪に縁取られた顔は、驚くほど真剣な表情を浮かべていました。
「できるだけ急いでディーラに着こうとしてるんだよ。ぼくの家にも長居したくなかったみたいだ。何も言わないけど、ゴーリスはひどく警戒してる。きっと、道中に何かあるんだよ」
子どもたちは驚きました。ゴーリスは時々馬車の中をのぞき込んできましたが、話しかけてくる口調はいつものんびりしていて、とても警戒しているようには見えなかったのです。フルートだからこそ、師匠のわずかな態度の変化にも気づいたのでした。
すると、フルートは隣に座る親友へ目を向けました。
「君は何か知ってるんじゃないのか、ゼン? 魔の森を出てから、ずっと変だぞ。泉の長老に何を言われたの?」
あちゃ、とポチは心の中で頭を抱えました。泉の長老から聞かされた不吉な予言を、当分フルートには黙っておこう、とゼンと話し合ったのですが、根が真っ正直なゼンにはその手の隠し事はやっぱり無理だったのです。ゼンがうろたえたような顔になってポチの方を見たので、こちらまでフルートにばれてしまいました。
「ポチ!」
とフルートに厳しい声と顔を向けられて、子犬は首をすくめました。馬車の床で小さくなりながら、そっとフルートとゼンを見比べます。ゼンは頭をかきました。こうなっては、フルートをごまかすことは不可能です。
「気をつけろ、って言われたんだよ、長老に……。なんか、おまえがやばいことになりそうな雰囲気だった」
「ぼくが?」
とフルートは驚き、友人がそれ以上話そうとしないので、今度は子犬を見ました。
「どういうこと、ポチ?」
「ワン……長老は、こう言ったんですよ。フルートは世界と人々を守る金の石の勇者だ。でも、そのフルートを守れるのはぼくたちしかいない。フルートを守ってやりなさい、って……。具体的に何が起きるとか、そういうことは長老は全然言わなかったんだけど……」
「定めの歯車が回り出す、とか長老は言ってた」
とゼンが低い声で続けました。
「どういう意味なのか、全然わかんねぇ。でも、それを聞いた時、すごくやばそうな気がしたんだよ、俺もポチも」
フルートは眉をひそめると、すぐに自分の首にかかっていた金の鎖を引っ張りました。鎧の胸当ての中からペンダントが出てきます。その先に下がっているのは、彼らを守り、どんな怪我でも病気でもたちどころに癒してくれる聖なる金の石です。世界を脅かすほどの危険が迫ってくると、石は目覚めてフルートを呼ぶのです。
けれども、この時、魔法の石は灰色をしていました。金の石と言いながら、まるでただの石ころのように見えます。フルートはさらに眉をひそめました。
「石が目覚めてない……魔王が復活したわけじゃないんだ。じゃ、何が起きているんだろう?」
「ワン、それはわからないんだけど――この馬車を走らせてる御者は軍人ですよ。普通の格好はしてるけど。匂いでわかったんです」
フルートたちはまた驚きました。意外なほどの警備ぶりです。なんとなくきな臭いものが漂ってくる気がして、互いに顔を見合わせてしまいます。
「ねぇ……そんな状況であたいたちがジュリアさんを訪ねたりして、大丈夫なわけ?」
とメールが心配そうに言います。
フルートは窓の外を見ました。ゴーリスの馬の蹄の音は、馬車から離れることなく聞こえ続けています。
「ゴーリスに何か考えがあるんだと思う。教えてくれるといいんだけど……」
言いかけてフルートは口をつぐみました。自分の剣の師匠が軽々しく打ち明けてくれるような人物ではないことは、わかっていたのです。
ゼンが大きな溜息をつきました。
「あぁあ。どうして俺たちってこうなんだ? 単純に集まって楽しみたいだけなのに、いつだって事件の方が追いかけて来やがる」
「しかたないよ。ぼくらは金の石の勇者の一行だもの」
とフルートはちょっと淋しそうにほほえみ、すぐに真顔になりました。
「金の石が目覚めてないからには、敵は闇のものじゃないのかもしれない。でも、危険なのには違いないんだ。怪我をしても金の石で治すことができないんだから、怪我をしないように充分注意するんだよ――」
とたんにゼンがフルートの頭を小突きました。
「だから! 一番やばそうなのは、おまえなんだったら! どうしてそう他のヤツばかり心配しやがるんだ、おまえは!」
そこがフルートらしいと言えばそれまでですが、相変わらず、自分自身の危険より仲間たちのことばかり考えている金の石の勇者でした。
馬車は夜道を走り続けていました。車輪の音が絶え間なく響き、車体が揺れます。窓の外は真っ暗です。遠くに灯り一つ見えないからには、荒野の真ん中を走っているのでしょう。
すると、ふいにポチがぴくりと耳を動かしました。車輪がたてる騒々しい音に混じって、別の音が近づいてくるのに気がついたのです。それは馬の蹄の音でした。かなりの数の馬が、街道の上ではなく、荒野の彼方から全速力でこちらへ向かってきます。
と、馬の上の人々が、いっせいに剣を抜く音が聞こえてきました。
ポチは跳ね起きて叫びました。
「ワン、気をつけて! 敵が近づいてきます――!」