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第5巻「北の大地の戦い」

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エピローグ 「きっと…」

 「ついたぞ。おまえたちの町だ」

 地面に舞い下りた大ワシの上で、白い石の丘のエルフが振り返りました。長い銀の髪と長い緑の衣が、荒野を渡ってくる風になびきます。

 ワシの背中の座席に座っていたフルートとゼンとポチは、黙ったまま頭を下げると、立ち上がって下りていきました。高さのあるワシの体から飛び下りると、身につけたままの防具や剣が、ガシャンと音を立てます。

 そのまま、少年たちはぼんやりと荒野に立ちつくしました。ワシの上に残ったポポロとメールとルルが、心配そうな顔になります――。

 

 北の大地の死闘の後、ロキが消えてしまったことにショックを受けて呆然としていた子どもたちの元へ、エルフが大ワシで迎えに来ました。

 エルフには何も言う必要はありませんでした。人にはわからない方法で世界中の出来事を掌握する賢者は、フルートたちがどんなことを経験したのかも知っていて、ただ黙って、子どもたちを安全に家まで連れ帰ってくれたのです。北の大地から故郷までは遠く、すでに丸二日の時間が過ぎていました。

 アリアンとグーリーは、もう彼らと一緒にはいませんでした。闇の一族の彼らは、北の大地から地下深くにある闇の国へと戻っていったのです。大きなグーリーとほっそりしたアリアンの後ろ姿が淋しそうに消えていく様子を、子どもたちは忘れることができませんでした。

 大ワシが舞い下りたのは、フルートとポチの家がある、シルの町のすぐそばでした。乾いた荒野に風が吹いています。せっかく故郷に戻ってきても、フルートもポチも、にこりともしません。いつも陽気で元気なゼンでさえ、むっつりと黙り込んだままです。少年たちの顔を、深い疲労と、それ以上に深い悲しみがくまどっていました。

 少女たちはエルフを見ました。ポポロが思い切って言います。

「おじさん……あたしたちも一緒に行ってはいけない?」

 こんな悲しそうな少年たちをそのまま置いていくのは、たまらなく心配に思えたのです。

 けれども、エルフは首を振りました。

「それはだめだ。おまえたちには役目がある。北の大地から流れ出した大量の冷たい水は、今もまだ世界中の海を荒れ狂わせているのだ。海王も渦王も天空王も、世界中の自然の王という王たちが、力を合わせて必死でそれを収めようとしている。おまえたちも行って、力を貸さなくてはならない」

 少女たちはしょんぼりとうなずきました。メールは海の王の娘ですし、ポポロも世界のために力を尽くす天空の国の貴族です。役目がある、と言われれば、それに従うしかないのでした。

 

「勇者たちよ」

 と白い石の丘のエルフは、少年たちに呼びかけました。

「おまえたちの働きで、北の大地は崩壊を止めた。北の大地には再び寒さが戻り、雪と氷がまた地上をおおうようになった。魔王によって大勢の命が奪われたが、大地にはまだ命が残り続けている。彼らはまた、たくましく生きて増えていくだろう。厳しい北の大地の自然と共に、世界の一部を担う者たちとして、これからも生き続けていくのだ」

 フルートたちはうなずきました。やはり、口をききません。北の大地やそこに住む人々を救うことができたのは嬉しいのです。けれども、それを上回る悲しみが、彼らから笑顔を奪っていました。

 少女たちは思わず少年たちを呼びました。

「フルート……!」

「ゼン!」

「ポチ!」

 すると、少年たちは少女たちを見上げて、初めて、ほんの少し笑いました。

「ポポロ、ここでお別れだね……」

「気をつけていけよ、メール」

「ワンワン、ルル。また会いましょうね……」

 彼らが相手を安心させようと無理に笑っているのがわかって、少女たちは切なくなりました。なんだか、自分たちの方が泣き出してしまいたいような気持ちになります。

 フルートたちは、白い石の丘のエルフへ深く一礼すると、荒野の向こうに見えているシルの町めざして歩き出しました。肩を落とした姿が遠ざかっていきます……。

「あんなにしょげたゼンを見るのは初めてだ」

 とメールがつぶやくように言いました。

「あんなにつらそうなフルートを見るのも初めてよ」

 とポポロが涙ぐみながら言うと、ルルも、クーン、と鼻を鳴らしました。心配そうに小さなポチを見送り続けます。

 エルフは大ワシの手綱を握り直すと、少女たちに言いました。

「さあ、出発するぞ。王たちがいる東の大海に向かうのだ」

 ばさり、と大きな羽音を立てて、ワシは空に舞い上がりました。

 

 ごうごうと風を切りながら、ワシは空を飛んでいきます。

 その背中で、ポポロは長い間、何かを考え込んでいましたが、やがて、顔を上げてエルフに呼びかけました。

「おじさん……」

「なんだ、ポポロ?」

 エルフが答えます。ポポロはかつて天空の国から迷子になって、この賢者としばらく一緒に暮らしたことがあるのです。

「あの……おじさんは前に、あたしに教えてくれましたよね。闇の一族は闇に生まれた魂を持つから、死んでも天国へ行くことはできないんだ、って……。それじゃ、死んだロキの魂はどうなってしまったの……?」

 宝石のような緑の瞳が不安に揺れています。

 少女たちはロキと直接一緒に過ごしたことはありません。けれども、夢で少年たちを助けに駆けつけるたび、氷の鏡で少年たちの様子をのぞくたびに、一生懸命フルートたちと戦っている小さな闇の少年の姿を見てきたのです。とても他人事とは思えません。まして、その魂が天国にも入れずに路頭に迷っているのだとは思いたくありませんでした。

「そうだな」

 とエルフは静かに答えました。

「確かに、闇の一族の魂は天国に行くことはない。天国は光の世界だ。彼らの行ける場所ではない。彼らの魂は地上をさまよい、やがて、別の命として生まれ変わってくると言われている。ちっぽけな虫に生まれ変わるかもしれない。一生汗水たらして畑仕事をする馬に生まれ変わるかもしれない。生まれ変わっても、やっぱりまた闇のものになるのかもしれない。それは誰にもわからないのだ」

 少女たちはことばを失いました。あまりにも重く厳しい現実でした。ロキの魂が天国で安らいでいると思うことさえ許されないのです。

 すると、エルフは行く手を見ながら、半ばつぶやくように続けました。

「それが闇に生まれた者たちの宿命だ。だが……ロキの場合は、あるいは……」

 それきり、エルフは口を閉じて行く手を見つめました。これから起きる出来事を、空の彼方に読みとろうとするように――。

 

 フルートとゼンとポチは、とぼとぼと荒野を歩き続けて、町外れに建つフルートの家まで戻ってきました。足取りは重く、誰も口をききません。

 フルートの家の裏庭で、フルートのお母さんが洗濯物を取り込んでいました。ロープにひるがえるシーツを外したとたん、荒野から歩いてくる息子たちの姿が目に飛び込んできます。お母さんは思わず悲鳴のような声を上げると、洗濯物を放り出して駆け出しました。

「フルート! ゼン! ポチ……!」

 息子たちが突然ポポロに呼ばれて冒険に出かけてから、すでに十日近くが過ぎています。無事だろう、無事に違いない、と思いながらも、フルートの両親は息子たちの身を案じ続けていました。

 今、その息子たちが本当に無事で帰ってきました。怪我をしている様子もありません。神に感謝しながらお母さんは子どもたちに駆け寄り――ふいに、はっと足を止めました。彼らの装備が目に入ったのです。フルートの金の鎧も兜も、ゼンが身につけている青い胸当ても、すべて傷だらけになり、ところどころ歪んでさえいます。子どもたちがどれほど激しい戦いをくぐり抜けてきたのか、それを見ただけで、お母さんにはわかりました。

 ゆっくりと歩いてくるフルートとゼンとポチを、お母さんは待ちました。そして、目の前に来た彼らを、大きく腕を広げて胸の中にぎゅっと抱きしめました。

「お帰りなさい、勇者たち……お疲れさま」

 お母さんの声は暖かくて、フルートたちはふいに涙がこみ上げそうになりました。小さな子どものように、お母さんにすがって泣きじゃくりたい気持ちがあふれてきます――。

 

 けれども、その時、ガラガラと車輪の音がして、家の前に馬車が停まりました。元気な女性の声が呼びかけてきます。

「ハンナ! いるー?」

 フルートのお母さんは、ちょっと迷う顔をしてから、すまなそうにフルートたちに言いました。

「ちょっと待っててね」

 そして、家の前へと急ぎます。なんとなく離れがたい気持ちになっていたフルートたちは、お母さんの後にのろのろとついていきました。

 家の玄関の前には屋根付きの馬車が停まっていて、中から若い女の人が顔を出していました。明るい金髪を二つに結って、そばかすの浮き出た頬を真っ赤にほてらせています。なんとなく、とても元気そうな雰囲気の人でした。

「ハンナ、うちの人が迎えに来たのよ。あたしたち、家に帰るわ。いろいろとお世話様!」

 と女の人がフルートのお母さんに言っていました。お母さんが驚いたように答えます。

「家に帰るって……あなた、赤ちゃんを産んでからまだ二日しかたってないじゃないの。大丈夫なの?」

 すると、女の人は大きな口でにっこり笑いました。

「平気よ。あたし、丈夫なたちなのね。お産はすごく楽だったし、産後も順調だから、昨日からもう普通に起きていたのよ。子どもも元気なの。お乳をいっぱい飲むのよ。泣き声と来たら、本当に元気すぎて、うるさいくらいよ。やっぱり男の子よね!」

 女の人は明るくそう言うと、馬車の御者席を指さして、声を潜めて笑いました。

「ホントはね、もう少し実家で楽していようかと思ったんだけど、うちの人がどうしてもあたしたちを一緒に家に連れて帰りたいって駄々をこねてね。ひとりじゃ淋しくてしょうがないらしいわ。しかたないから、一緒に帰ってあげるのよ」

「まあ、順調ならいいけれど……無理はしないようにね」

 とフルートのお母さんも笑って言いました。

 

 フルートたちは馬車から少し離れたところに立って、お母さんたちの会話をぼんやり聞いていました。すると、馬車の中から、ほぎゃあ、ほぎゃあ、と赤ん坊の声が聞こえてきました。とても元気な泣き声です。

「あら、起きたわ」

 と女の人が子どもを抱き上げ、フルートのお母さんに向かって、また言いました。

「そういえば、この子の名前ももう決めたのよ。ロキっていうの」

 ロキ!?

 フルートたちは、はっとしました。

 フルートのお母さんがちょっと首をかしげました。

「ロキ? このあたりでは、ちょっと珍しい名前よね。どうやって決めたの?」

 すると、女の人がくすくす笑いながら答えました。

「精霊のお告げよ。あのね、夢の中に黒髪の綺麗な女の子が現れて、ほほえみながら言ったのよ。『この子の名前はロキです。大事に育ててくださいね』って……。不思議なことに、あたしも旦那も同時に同じ夢を見ていたの。だからね、あたしたちはこの子を精霊からの授かりものだと思っているわけ――」

 

 フルートとゼンとポチは、いっせいに馬車の窓に飛びつきました。

「あ、あら、フルート君。帰ってきていたの?」

 この家の息子が旅立っていたのを知っていたのでしょう。女の人は驚いた顔をしましたが、フルートたちはそれにはかまわず、馬車の中をのぞき込みました。

 女の人の腕の中に赤ん坊がいました。生まれたての、本当に小さな赤ん坊です。茶色の短い髪をしていて、馬車中に響き渡る声で泣いています。

 ところが、フルートたちがのぞき込んだとたん、その赤ん坊が、ぴたりと泣きやみました。まるで目が見えているように、じっと少年たちを見つめ返します。赤ん坊の瞳は、北の大地のトジー族のような灰色をしていました。

「あらまぁ、こんな赤ちゃんでも、やっぱり子ども同士はわかるのかしらね」

 と若い母親はびっくりして赤ん坊をのぞき込み、それから、フルートたちに笑いかけました。

「あたしたちはもう家に帰るんだけど、これからも時々里帰りしてくるわ。この子がもう少し大きくなったら、友だちになって一緒に遊んでやってちょうだいね」

 フルートたちはなんと返事をしていいのかわからなくなって、ただ、あいまいにうなずき返しました。その胸の中も頭の中も、なんだかすっかり混乱していました。

 

 馬車が動き出しました。荒野の中を通る街道目ざして走っていきます。それを見送りながら、お母さんが言いました。

「さあ、あなたたちが帰ってきたんだから、腕によりをかけてご馳走を作らなくちゃね。お父さんも間もなく牧場から帰ってきますよ。あら、いけない! 洗濯物……!」

 お母さんは洗濯物を放り出してきたことを突然思い出して、裏庭に走っていきました。後には少年たちだけが残されます。 馬車を見送りながら、フルートが言いました。

「あれ、本当にロキかな……? ロキは人間に生まれ変わってきたのかな?」

「わかんねぇ」

 とゼンは自信なく頭を振りました。そう信じたい気はするのですが――。

「ワン、元気で優しそうなお母さんでしたよね」

 とポチがちょっと無理して尻尾を振りながら言いました。

 何故だか、少年たちはみんな、今にも泣き出したいような気分になっていました。あれは本当にロキの生まれ変わりなのかもしれません。けれども、ロキではありません。フルートたちが知っているロキは、遠い北の大地で死んでいったのです。命がめぐり、再び人間として生まれてきたとしても、もうそれは、彼らが知っているロキとは別の人物なのです……。

 

 その時、フルートは突然声を聞きました。

「待っててよね、兄ちゃんたち。おいらのこと、絶対に忘れちゃいやだよ。おいら、急いで大きくなるからさ。また兄ちゃんたちと一緒に戦えるように、一生懸命大きくなるからさ――!」

 フルートはびっくりしてあたりを見ました。すると、ゼンとポチも、同じように目を丸くして見回しています。彼ら以外には、近くには誰もいません。三人は顔を見合わせました。

 フルートは低い声で尋ねました。

「君たちも聞いたの……?」

「ああ。ロキの声だった」

「ワン、急いで大きくなるから待ってて、って言ってましたよ」

 少年たちは互いに見つめ合い、それから、いっせいに遠ざかる馬車を見ました。空は夕暮れが間近で、地平線に近づいた太陽が馬車を赤く染め始めていました。

 ロキ――! とフルートは馬車に向かって心で呼びかけました。君かい? 本当に、君なのかい? と。

 少しの間、少年たちは何も言えませんでした。やがて、ゼンが苦笑するような顔になって口を開きます。

「ったく……急いで大きくなるって言ったって、あいつがまた十歳になる頃、俺たちは二十三歳だ。もう大人なんだぞ」

 すると、ポチが尻尾を振りながら答えました。

「ワン、いくつになっていたって、きっと友だちになれますよ。だって、あれはロキなんだもの」

 フルートはうなずきました。切ないような、嬉しいような、複雑な想いが胸にあふれます。なんだか、ロキが何を考えたのかわかるような気がしたのです。

 闇のものに生まれたロキ。どんなに金の石が力を押さえようとしても、闇のものである限り、彼はフルートたちと共に戦うことはできません。それなら人間になろう。人間に生まれ変わって、兄ちゃんたちと一緒に戦えるようになろう――。そんなふうにロキが考えたような気がしてなりません。

「うん……。きっとまた、ロキと友だちになれるね」

 とフルートは言いました。自然とほほえみが浮かんできます。

 すると、ゼンが馬車を見送りながら言いました。

「でもよ、あいつが大きくなる頃までには魔王も倒して、平和な世界にしておいてやりたいよな」

 フルートとポチは、同時に深くうなずきました。

「うん。きっとね」

 馬車は遠ざかっていきます。荒野の彼方へ沈む夕日へ向かって、車輪の音を響かせながら走っていきます。

 きっと……きっと、いつの日にかまた……。

 心の中でそう繰り返しながら、フルートたちは、遠ざかっていく馬車をいつまでも見送っていました。

The End

(2006年12月8日初稿/2020年3月18日最終修正)

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