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第5巻「北の大地の戦い」

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105.氷河の上

 ひょうひょうと冷たい空気を切り裂きながら、二匹の風の犬は北の大地の上を飛び続けていました。フルートとゼンを乗せたポチと、ポポロ、メール、アリアンの三人を乗せたルルです。ポポロの周りには空気を暖かくする魔法が続いているので、薄着の少女たちも少しも寒そうではありませんでした。

 一行の下には鋭い針を一面に植え付けたようなサイカ山脈が続いていました。氷だけでできた白い山々の間を、色合いの違う白い氷河が埋め尽くしています。彼らは離れた氷河の上で待つロキとグーリーの元へ急いでいるのでした。

 

 すると、ポチがふと背中のゼンを振り返りました。

「どうしたんですか、ゼン? しょげてるみたいだけど」

 蛇の鎌首の山を飛び立ってから、ゼンはずっと黙り込んでいましたが、そう言われたとたん、強く答えました。

「しょげてる? 誰が!」

 ひどく不機嫌な声です。ポチは思わず風の首をすくめてフルートを見ました。フルートがそっとそれに頭を振り返します。

 フルートも、ゼンがなんだかおかしいことは感じていました。ついでに、メールがいやにゼンにそっけなくしているのにも気がついています。二匹の風の犬の上に別れて乗っているのですが、いつもなら、なんとなく目を見かわしては笑い合っているはずの二人が、今はお互いに顔も見ようとしないのです。

 喧嘩したらしいな……とフルートは考えて、心の中で溜息をつきました。ゼンとメールの間に何があったのか、フルートにはわかりません。聞いたって、二人とも素直に話すわけがないのです。このまま放っておいていいのものかどうか、それさえフルートにはわかりませんでした。

 仲がいいのか悪いのか、仲が良すぎて悪いのか、なんとも判断の難しい二人でした。

 

 その時、ポチがまた声を上げました。

「ワン、見えてきました! あれはきっとグーリーですよ!」

 行く手の山の間に大きな氷河が横たわっていました。その上に、黒い小さな点が見えています。ポチは、ぐんとスピードを上げて飛び始めました。ルルが置き去りにされる形になります。

「ポチ、待ちなさいよ! 勝手に先に行かないで――!」

 ルルは背中に三人も乗せているので、速く飛ぶことができないのです。けれども、ポチは止まりませんでした。氷河の上の点に向かってまっしぐらに飛んでいきます。

「まったくもう、あの子ったら」

 ルルが怒った声を上げ、メールとポポロは思わず笑いました。ルルの口調は、まるっきりポチの姉か母親のようだったのです。

 すると、一番後ろに座っていたアリアンが、ふと首をかしげました。行く手を見たまま、不思議そうな顔になります。その肩から胸へ、さらりと長い黒髪がこぼれました。

 

 近づいていく少年たちの目の前で、黒い点はワシの体にライオンの下半身をつないだような黒い生き物に変わっていきました。やはりグーリーです。ポチがワンワン、と元気に吠え、フルートも歓声を上げます。

 ところが、フルートと一緒に身を乗り出していたゼンが、氷河の上を見渡しながら、けげんそうな声を上げました。

「おい……ロキはどこだ?」

 氷河の上に見えているのはグーリーだけで、ロキの姿はどこにも見あたらなかったのです。白く広がった氷原の上には、身を隠せるような場所もありません。ただ、グーリーの姿だけが黒く浮き上がって見えます。

 そのすぐそばにポチは舞い下りました。子犬の姿に戻ってグーリーに駆け寄っていきます。フルートとゼンもその後を追いました。

「グーリー!」

「おい、ロキはどこなんだ!?」

 すると、黒いグリフィンが振り向きました。大きなワシの頭で近づいてくる少年たちを見つめ――ふいに、くちばしを開くと、大きな声で鳴きました。

 グェ、グェェェェ……ン!!

 まるでむせび泣くような声でした。ポチが、えっ、と叫んで立ち止まりました。

「な、なんだ?」

「グーリーはなんて言ってるの!?」

 フルートたちが焦って尋ねます。子犬は、とまどいながらそれを振り返りました。

「よくわかりません。グーリーは……ロキが消えてしまったって言ってるんです」

「消えてしまった!?」

 フルートとゼンは仰天しました。あわてて周囲を見回して大声で呼びかけます。

「ロキ! ロキ、どこなの!?」

「おい、ロキ! 隠れん坊なんかしてる場合か! ふざけてないで早く出てこい――!」

 けれども返事はありません。小さな闇の少年は、どこからも姿を現しません。

 

 少年たちがすっかりうろたえているところへ、少女たちを乗せたルルが舞い下りてきました。真っ先に飛び下りてきたのはアリアンでした。真っ青になっています。

「ロキ! ロキはどこ――!? あの子の気配がしないのよ。近くにいたら絶対に感じるのに、あの子の存在を感じないの――!」

 悲鳴のような声でした。立ちつくすフルートたちに飛びついて言います。

「私は氷の鏡が溶けてから、戦いの様子はなにも見られなかったの! 何があったの? ロキは何をしたの!?」

 フルートは面食らいながら答えました。

「何って……ロキはぼくたちを助けてくれたんだ。もう少しで魔王に殺されそうになったときに、ここからぼくたちに向かって友情の守り石の光を送ってくれて――」

 

 友情の守り石の光を送ってくれて?

 

 フルートの全身が、いきなりさっと冷たくなりました。顔から血の気が引きます。

 友情の守り石は聖なる石です。その放つ光は、聖なる光。闇の一族のロキには猛毒と同じくらい危険なものだったはずです。

 ゼンとポポロも同じように顔色を変えていました。ポポロは魔法使いの目で戦いの様子を見ていたので、やはり、何があったのか知っているのです。ポチがぶるぶる震えながら言いました。

「ワン、まさか……」

 アリアンが震える唇で声を振り絞りました。

「あの子は……ロキは、自分で友情の守り石の光を呼んだの? 私たちを消滅させてしまう、聖なる光を……?」

 今にも泣き出しそうな顔が、何故だか笑うような表情に見えました。

 フルートたちは何も言うことができませんでした。ただ呆然と立ちつくしてしまいます。

 すると、グーリーがまた鳴き出しました。天を仰ぎ、咽も裂けそうな声で叫びます。

 グェェェン……グェェェェェ……ン……!

 泣きながらロキを呼んでいるのが、はっきりと伝わってきます。

 

「嘘……だろ……?」

 ゼンがこわばった笑顔で言いました。とても信じられません。

 すると、突然フルートが氷河の上を走り出しました。小さな黒い少年の姿を求めながら、大声で呼びます。

「ロキ! ロキ! どこにいるんだ!? 出てきてよ、ロキ――!」

 けれども、叫びながらフルートは次第に理解していました。

 魔王との最終決戦で、友情の守り石は強い光を放って金の石に力を与えました。あれだけの光を呼ぶために、守り石は爆発的に輝いたのに違いありません。聖なる青い光はロキの上にも容赦なく降りかかり、闇の一族の彼を消滅させてしまったのです……。

 白い氷河の上に落ちている物がありました。フルートの毛皮のマントです。そのすぐそばの雪の上には、フルートのロングソードが突き立ったままになっています。マントを拾い上げると、そこから友情の守り石のペンダントが滑り落ちてきました。

 フルートはそれを血がにじむほど強く握りしめました。ロキはもういません。フルートたちを救うために、自らの命と体を聖なる光の中に溶かしていってしまったのです。

 グーリーが天に泣き続けていました。その首をアリアンが抱きしめ、はらはらと涙をこぼし始めます。

 ふいに、ゼンが足下の雪を踏みつけてどなりました。

「言ったはずだぞ、ロキ! 俺たちが戻ってくるまで死ぬんじゃないぞって!」

 明るい茶色の瞳から、大粒の涙がこぼれ出します。ゼンは拳を固く握りしめ、雪を踏みならしながらどなり続けました。

「なのに……馬鹿野郎! ロキの馬鹿野郎!! 大馬鹿野郎――!!!」

 ゼンは大声を上げて泣き出しました。

 アオォォォーーン……!

 とポチが吠え始めます。聞く者の胸を貫く、悲しげな遠吠えです。

「フルート……ゼン……ポチ……」

 ポポロとメールとルルは、少年たちを慰めることも、何をすることもできなくて、ただおろおろと立ちすくんでしまいました。

 

 すると、氷河の上で呆然と立ちつくしていたフルートの脳裏に、ロキの面影が浮かびました。

 ロキはいつものように、へへっ、とフルートに笑いかけていました。少し生意気そうな表情で。甘えん坊で素直な素顔をのぞかせながら。

「ロキ……!」

 フルートは雪の上に膝をつくと、友情の守り石を握りしめたまま、マントを抱きしめました。空っぽのマントはあっけないほど軽くて頼りない手応えです。フルートはマントに顔を埋めると、そのままむせび泣き始めました。

 

 氷河の上には日の光が降りそそぎ、氷でできた鋭い峰々を、おごそかに輝かせていました――。

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