蛇の鎌首に似た氷の山。その地下に向かう洞窟を、フルートたちは下りていきました。
初め、洞窟は氷の中を屈折してきた朝の光に充ちていて、進むのにはなんの苦労もありませんでした。けれども、さらに地下に進んでいくと、次第に周囲の光が薄れ始めました。地上の光が届かなくなってきたのです。薄暗がりの中で少年たちは立ち止まりました。
「俺やポチはまだ夜目が利くからいいが、おまえには進みにくいな。大丈夫か?」
とゼンがフルートの心配をします。確かに、さっきからフルートはくぼみや氷の塊に足を取られて、何度も転びそうになっていました。地下へ続く氷の洞窟は、行く手で暗闇に沈んでいて、フルートが灯りなしで進んでいくのは難しそうです。ところが、氷の山中には松明の材料などどこにもないのでした。
すると、フルートの胸の上で穏やかに光っていた金の石が、急にまた強く輝き出しました。澄んだ金の光で氷の洞窟の中を照らし出します。
「おっ、さすがは金の石。気がきいてるぞ」
とゼンが喜ぶと、フルートは難しい顔になりました。
「まずいよ。下にはアリアンもいるんだ。彼女は闇の民だから、金の石の光は猛毒と同じくらい危険なんだよ」
「あ、そうか……まだその問題があったな」
ゼンは頭をかきました。アリアンだけではありません。氷河の上でフルートたちを待つロキやグーリーも、金の石とは一緒にいることができないのです。アリアンを連れ帰って引きあわせることができません。
闇の一族に属しているロキとアリアンとグーリー。けれども、ロキたちは正真正銘、フルートたちの仲間です。彼らと聖なる金の石がどうやったら共存できるだろう、と少年たちは考え込んでしまいました。
すると、ふいにフルートの胸の上で金の石が暗くなりはじめました。金の光が吸い込まれるように弱くなり、あっという間に光が失せて、灰色の石ころに変わってしまいます。
フルートたちは驚き、やがて笑顔になりました。金の石が、フルートたちの想いに応えて、早々と眠りについてくれたのだとわかったのです。
「なんか、バジリスクから取り戻してから、金の石が前より親切になったんじゃないのか?」
とゼンが笑えば、ポチも尻尾を振りながら嬉しそうに言いました。
「眠りについた石は聖なる力は持たないから、これでもう大丈夫ですね」
フルートもうなずき、胸のペンダントを押さえて、そっとつぶやきました。
「ありがとう、金の石……」
「ワン、この先はぼくがフルートたちを運んでいきますよ。ぼくはもう風の犬になれるし、暗くてもちゃんと見えるから」
と言うが早いか、ポチが風の獣に変身しました。洞窟の中を、白い幻のような体が長々と伸びていきます。その背中にフルートとゼンが乗ると、たちまち宙に浮き、洞窟の中を飛び始めます。洞窟は狭く曲がりくねっていたので、ポチは右へ左へ体をくねらせ、そのたびに背中の少年たちも大きく振り回されました。ひゃっほう! とゼンが楽しそうな声を上げます。
暗がりの中を地下深くへ進みながら、フルートは次第に胸の鼓動が速くなってくるのを感じていました。何度も心だけの存在でフルートたちを助けてくれた少女たちと、ようやく本当に再会できるのです。嬉しさと同じくらいの不安がわき上がってきて、胸が苦しくなってきます。ポポロもメールもルルも、アリアンも、みんな無事でいるはずです。いるはずですが――元気な顔を見るまでは、なんだか安心できない気持ちになっていました。
すると、ポチがワン、と吠えました。
「女の子たちの匂いがしてきましたよ! ルルもポポロもメールも、アリアンも。みんな元気そうな匂いですよ!」
そう言いながら、笑うような目でちらりとフルートを見上げます。フルートが少女たちの身を案じて不安になっているのをかぎ取っていたのです。
フルートはちょっと赤くなると、わざと陽気な声を張り上げました。
「よし、急ごう! ぐずぐずしてると、彼女たちに怒られちゃうからね――!」
その部屋は、千メートル以上もある氷の層の、さらにその下の岩盤の中にありました。
部屋の中は明るさに充ちています。部屋の中のあちこちに、灯り石が据え付けられているのです。
以前、占いおばばの水晶玉に映ったとおり、部屋は黒い切り立った岩壁に囲まれていました。その一方の壁には、楕円形の銀の枠がかかっていて、枠の下の床がびっしょりと濡れています。そこに魔法の氷の鏡がかかっていたのです。
同じ黒い石の床の真ん中に、二人の少女と一匹の犬が倒れていました。ポポロとメールとルルです。彼女たちを取り込み、とらえていた闇の触手はどこにも見あたりません。触手の中から吐き出されたとき、メールは黒い粘液のようなものにまみれていたのですが、それもきれいさっぱり消えています。それなのに、少女たちはぐったりと床に倒れたまま、身動きひとつしませんでした。顔色には血の気がありません。
「ポポロ!」
「メール!」
「ワン、ルル!」
部屋に飛び込んでその光景を目にしたフルートたちは、真っ青になって少女たちに駆け寄っていきました。フルートはポポロに、ゼンはメールに、ポチはルルに、まったく自然に別れていきます。
「ポポロ! ポポロ……!!」
「おい、メール! しっかりしろ!」
「ワン、ルル! ルル! 目を開けてください!」
少女たちの体にはぬくもりがありました。懸命に揺すぶったり、鼻面を押しつけたりしていると、真っ先にポポロが正気に返りました。宝石のような緑の目を開いて、フルートを見上げます。
と、いきなりポポロが跳ね起き、少年に飛びついてきました。
「フルート! フルート! 大丈夫――!?」
倒れていたときよりも、もっと青い顔になって金の鎧に残った傷跡を見回し、またフルートを見上げてきます。その表情にフルートは驚きました。
「ポポロ、魔王との戦いの様子を見ていたの?」
ポポロが今にも泣き出しそうな顔でうなずきました。
「あたしは魔法使いの目を持ってるから……。あたし、フルートが魔王にかまれて、死んでしまったかと思ったわ。本当に大丈夫? 怪我はない?」
「ないよ」
胸に熱いものがこみ上げてくるのを感じながら、フルートは笑顔で答えました。この小さな少女が、他でもない自分を心配してくれているのが、たまらなく嬉しく思えました。
ゼンは必死でメールを起こそうとしていました。いくら揺すぶってもメールは目を覚ましません。細い体が力なく揺れるだけです。ゼンは猛烈に不安になってきました。
メールは魔王に人質にされて、今にも闇の触手に突き刺されそうになっていました。フルートの機転でかろうじて助かったと思っていたのですが、ゼンたちの見ていない場所で、触手は魔王の命令に従い続けて、メールを襲っていたのかもしれません。
闇の触手の傷は、外からは見えないことがあります。ゼンはメールの袖なしのシャツに手をかけて確かめようとしました。
とたんに、盛大なメールの悲鳴が上がりました。
「ちょっと! なにすんのさ、ゼン!!」
メールが海の色の目を開き、脱がされかかったシャツを押さえて、真っ赤になってにらんでいました。
ゼンはぽかんとしました。メールがその手を振りほどき、あわててシャツを引き下ろします。色白な細い背中が隠れます。
「おまえが怪我してるんじゃないかと思ったんだよ……触手に襲われて……」
思わず弁解するように言うゼンに、メールは赤い顔のままかみついていきました。
「そんなもん、してるわけないじゃないか! あんたがあんまり振り回すから、返事のしようがなかったんだよ! ホントにもう、あんたときたら!」
目覚めた早々にメールはすっかりおかんむりです。その様子は、以前と少しも変わらず元気でした――。
ルルも目を覚ましていました。のぞき込む子犬を見上げて、一瞬顔を輝かせ、すぐにあきれたように頭を振りました。
「ホントにしょうがないわね、ポチったら……。危ないから来なくていいって言ったじゃないの。私の言うこと、全然聞かないんだから」
けれども、ポチはルルがなんと言っても気にしませんでした。ルルからは、助けてに来てもらえて嬉しがっている、正直な気持ちの匂いがしていたからです。
ポチは笑うように言いました。
「だって、約束しましたからね。ぼくは絶対にルルを救い出す、って。ぼくだけの力じゃないけど、でも、ちゃんと約束は守りましたよ」
ルルはポチを見上げました。自分より二回りも小さな子犬です。なのに時々、自分と同じか、それ以上に年上の犬と話しているような気分になることがあります――。
ルルはとまどうように目をそらして言いました。
「まぁね。あなたもけっこうがんばったと思うわよ。小さいくせにね。割とよくやったと思うわ」
あまり誉めたことになっていない誉めことばに、ポチはまたほほえんで、尻尾を大きく振りました。口では何を言おうとも、ルルが放つ感情の匂いは素直に気持ちを伝えてきます。ルルはポチのことをちょっぴり認めてくれたのでした。
すると、その時、メールがまた大きな悲鳴を上げました。
「ちょ、ちょっと! ゼン! なにすんのさ、放してよ――!」
ゼンが腕の中にメールを抱きしめていました。いきなりのことに、メールがまた真っ赤になっています。そんなメールをさらに強く抱きしめながら、ゼンが言いました。
「この馬鹿! 死んでるのかと思ったんだぞ。あんまり心配させるな!」
怒鳴るような口調ですが、その顔は喜びに輝いています。ますます強くメールを抱きしめます。
「ちょっと! やめてよ! ホントに苦しいったら!」
メールが必死でそれを引き離そうともがきます。
その様子を、ポポロが声もなく眺めていました。顔がわずかに青ざめています。ポポロは密かにゼンにも心惹かれています。ゼンが喜んでメールを抱きしめている姿に、思わず胸を突かれる想いがしたのでした。
そして、そんなポポロをフルートが見つめていました。ポポロが何を思っているのか、フルートには手に取るようにわかります。ポポロに心配してもらって、嬉しさにいっぱいになっていた胸が、急にすっと冷たくなっていきました。
けれども、フルートはすぐにほほえみました。ポポロは無事でいます。メールもルルも元気です。彼女たちさえ助かったのなら、それでフルートは充分満足だったのです。ゼンと同じようにポポロを抱きしめたくなっていた気持ちを、そっと胸の奥深くにしまい込みます。口には何も出しません――。
そして、フルートは、はっと気がついて部屋の中を見回しました。そこには自分たち以外には誰もいません。
フルートは驚いて、思わず声を上げました。
「アリアンは? どこだ――!?」