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第5巻「北の大地の戦い」

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第23章 最終決戦

98.二つの障壁

 ねじれた峰が集まるサイカ山脈の真ん中に、突然雨が降り出しました。空を低くおおった黒雲から、大粒の雨が風と共にたたきつけてきます。雪原に現れた豆の森が炎上し、その上昇気流が上空で冷えて雲になり、激しい雨を降らせているのでした。

 けれども、雨はやがて北の大地の寒気に凍りつき、雪に変わっていきました。猛烈な吹雪が燃える森に吹きつけ、炎を次第に小さくしていきます。ついに火手が完全におさまったとき、豆の森はすっかり燃えつき、黒い炭と灰が積み重なるだけになっていました。その上を、たちまち雪がおおっていきます。

 焼け跡に二人と一匹の少年たちが寄り添っていました。金の石が彼らを守り続けたので、彼らの周り半径二メートルほどには焦げた跡さえありません。煙を上げてくすぶる焼け跡に、雪オオカミの死体が二つ転がっていました。完全に焼けて消し炭のようになっています。フルートたちはそれを黙って見つめました。

 すると、ふいに近くから声が聞こえてきました。

「やはり勇者は無事か。この役立たずどもめが」

 魔王でした。燃えつきた森の上空に浮かんで、やはりオオカミたちの死体を見ています。役立たずとののしる魔王の声に、哀れむ響きは少しもありませんでした。

 フルートは思わず唇をかみました。敵に同情する必要はありません。けれども、魔王を「我らが王」と呼んで、命までかけて戦ったオオカミたちを、魔王が冷ややかに見下している様子には、どうしても怒りを感じずにはいられませんでした。それが魔王というものなのだとわかりきっていても――。

 

「この腰抜け野郎! 下りてきて俺たちと勝負しろ!」

 とゼンがわめいていました。上空で闇の障壁に守られている魔王には、手も足も出せないのです。けれども、やはり魔王は挑発には乗りませんでした。落ちついた手つきで、少年たちへ魔弾を撃ち出そうとします。

 すると、フルートがゼンにささやきました。

「ぼくが金の光を撃ち出したら、同時に矢を撃て」

 ゼンはちょっと目を見張り、すぐにうなずきました。フルートの作戦力の確かさは、メールを救出する場面で実感したばかりです。即座に弓を構えて、きりきりと矢を引き絞ります。

 魔王が魔弾を撃とうとした瞬間、フルートの金の石が光を発しました。そのとたん、ゼンもエルフの矢を放ちます。

 金の光が闇の障壁に突き刺さっていきました。まるで槍のように研ぎすまされた細い光です。障壁に一瞬で穴を開け、魔王目がけて進んでいきます。魔王が魔弾をぶつけてそれを防ぎます。

 すると、それに一瞬遅れて、ゼンの矢が飛んでいきました。障壁の穴をくぐり抜け、魔王の不意を突いて、その喉を貫きます。

 魔王は大きくうめいてよろめきました。さすがの魔王にもその場所は急所だったのでしょう。上空から地上に落ち、激突する寸前に雪原の上に降り立ちました。呪詛のことばを口にしながら矢をつかみ、気合いもろとも矢と矢傷を消し去ります。

 フルートはその隙を見逃しませんでした。強い金の光を浴びせかけ、ついに魔王の障壁を撃ち破ってしまいます。ガラスの割れるような音を立てて、黒い闇の壁が崩れ落ちていきます。

「ぃよっしゃあ!」

 ゼンが歓声を上げて矢を次々に放ち始めました。魔王が魔弾で迎え撃ちますが、何本かは弾の間をすり抜けて、また魔王の体に深々と突き刺さります。魔王はうめきながら、それを消し去っていきました。矢傷はすぐに治っていってしまいますが、痛みまで感じない、というわけにはいかないようでした。

 

「そのまま援護してくれ!」

 と言うなり、フルートは金の石をかざして駆け出しました。右手には炎の剣を握りしめています。

 ゼンはいっそう激しく魔王を攻撃しました。弓に可能な限りの素早さで、百発百中の矢を連射します。魔王がまた自分の前に障壁を張りました。黒い光の壁が広がり、矢を砕いてしまいます。

 その時、フルートが闇の障壁へ飛び込んでいきました。金の石は光の障壁を張っています。闇と光、二つの障壁が地上で激突し、バリバリと雷が鳴るような音を響かせます。

 と、ガシャーン……とガラスのような音がまた響いて、二つの障壁が同時に崩れました。互いに相手の障壁を砕いてしまったのです。

 ゼンの放つ矢に守られながら、フルートは魔王の間合いに飛び込みました。黒づくめの痩せた男です。決して大男ではありませんが、小柄なフルートからすれば見上げるような長身です。

 すると、冷酷な薄青い目がフルートを見据えました。右手が突き出され、間近からフルートへ魔弾を撃ち込もうとします。

「ワン、フルート――!!」

 ポチが思わず声を上げました。助けに駆け出しますが、距離がありすぎてとても間に合いません。

 魔弾がフルートの腹に向かって撃ち出された瞬間、また金の石が自分から光りました。魔弾を一瞬で砕き、澄んだ光で目の前の魔王まで照らします。

 とたんに、魔王が大きな声を上げて飛びのきました。左手で自分の右腕をつかんでいます。その手は手首から先が消滅していました。強い金の光に溶かされてしまったのです。

 フルートが、金の石を構えたまま、口の端を持ち上げて笑うような顔をしました。

「金の石はぼくが危なくなると守ってくれる。金の光は聖なる光だから、闇のもののおまえにはきっと効くと思ったんだよ」

「こしゃくな!」

 魔王の声が怒りに満ちました。右腕を宙で振ると、消滅した右手がまた復活してきます。

 けれども、それもフルートには計算ずみでした。また魔王の間合いに飛び込むと、今度は炎の剣をふるいます。

 鋭い剣先が男の体を斜めに切り裂き、次の瞬間、傷口が激しい炎を吹きました。炎の剣は、切ったものを燃え上がらせる魔力を持っています。男の黒い細い姿がたちまち炎に包まれます。

「やったか!?」

 ゼンとポチが駆け寄ってきましたが、フルートは素早く手を上げてそれを制しました。まだです。魔王は、こんなものではまだ倒せないはずです。ごうごうと音を立てながら燃え上がる男の姿を見つめながら、フルートは油断なく身構え続けました。

 

 太陽はいつの間にか山の陰に隠れていました。フルートたちが豆の森の中にいる間に、夜が来ていたのです。ほの明るい白夜の中、激しい吹雪はおさまっていましたが、雪はまだしんしんと降り続けています。

 その時、フルートはふと眉をひそめました。いくら燃え続けても、炎の中の人影の形が変わらないのに気がついたのです。まるで、その人影自身が炎の魔神ででもあるように――。

 突然、降る雪がぴたりとやみました。最後の雪の片が音もなく落ちていって、ねじれた山々がまた姿を現します。燃える炎の音だけが、ごうごうと峰の間に響き続けます。

 すると、その炎の奥から魔王の声が聞こえてきました。燃えていても、口調はまったく変わりません。

「なるほどな。勇者どもと戦うには、わしもこの姿では間に合わんというわけか。よかろう。本気で相手をしてやろう――」

 声と共に、いきなり炎が消し飛びました。飛び散った火の粉が四方八方の雪を瞬時に溶かし、白い雲がわき起こります。

 その雲を突き破るようにして、何かがふくれあがっていきました。みるみるうちに高く長く伸びていって、大きな生き物が姿を現します。異国の竜のような長いからだ、犬のような前足、鋭い牙の並ぶ獣の頭。体の中では白い霧が絶えず流れ動き続けて、生き物の姿を揺らめかせています――。

 少年たちは思わず後ずさりました。

「風の犬か……!?」

「違う! 風のオオカミだ!」

 とフルートは叫びました。意外でした。魔王自身が風の獣に変身してくるとは、思ってもいなかったのです。先のオオカミたちよりはるかに巨大な姿をしています。

 すると、ワンワンワン、とポチが急に激しく吠え出しました。

「ぼくとルルの風の犬の力を使ってるんだな! いくら風の犬の力を奪ったって、同じ犬科の仲間でなければ変身はできないんだ! 風のオオカミになっているからには――魔王、おまえの正体はオオカミだ!!」

 とたんに、グアオーーッ! と風のオオカミが吠えました。風がどっと吹きつけてきて、フルートもゼンもポチもよろめきます。あわてて踏みとどまった子どもたちの間を、巨大な風の獣が飛び抜けていきました。風の体がくねったとたん、少年たちは何メートルも跳ね飛ばされ、氷の崖にたたきつけられました。いつの間にか蛇の鎌首のような山のふもとまで来ていたのです。

 フルートが握りしめていた金の石がまた光りました。たたきつけられて打撲を負っていたゼンとポチの体から、痛みが消えていきます。

 雪の上から顔を上げた少年たちの目の前に、小さな家ほどもあるオオカミの頭が浮いていました。牙のずらりと並んだ口を開けて、笑うような表情を作ります。

「いかにも」

 とオオカミが答えました。ごうごうと風のうなるような声です。

「わしはクアローの東にある夜霧の森の灰色オオカミだ。そして、世界中の人間どもを一人残らずこの世界から消し去りたいと思っている魔王なのだ!」

 そして、魔王は巨大な頭をそらし、長い遠吠えを上げました。

 グアォーーオォォオォーー……

 風の咆哮にも似たその声は、氷の峰々を揺るがせながら、白夜の空に響き渡っていきました――。

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