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第5巻「北の大地の戦い」

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97.倒壊

 フルートの目の前に黒い男が浮いていました。薄青い目をした痩せた男です。片手を前にかざし、フルートたち目がけて魔弾を撃ち出してきます。

 フルートは手にしていたペンダントを突き出しました。

「金の石!」

 呼びかけに応えるように、ペンダントの中心で石が金の光を放ちました。光は魔弾を次々に撃ち砕き、魔王目がけてまっすぐに飛んでいきます。

 けれども、魔王の目の前で黒い壁がまた光り、金の光が飛び散りました。闇の障壁にさえぎられたのです。フルートは唇をかみ、また金の石を構えました。

 ゼンとポチは後ろから迫ってくる雪オオカミたちを待ちかまえていました。ゼンは百発百中のエルフの矢を構えています。ポチが豆の森の奥を見据えながら、ウーッとうなり続けています。オオカミの吠える声がどんどん近づいてきます。

 と、森の奥から白い獣が姿を現しました。枯れた豆の蔓を跳び越え、くぐり抜けながら、こちらへ向かって走ってきます。オオカミたちは三頭いました。肩と背中にそれぞれ傷を負ったオオカミと、ひときわ大きなリーダーのオオカミです。

 ところが、ゼンが狙いをつけようとしたとたん、三頭のオオカミは、ばっと散り、豆の蔓や茎の影に飛び込みました。物陰伝いにまたこちらへ迫り始めます。

 ゼンが狙いをつけあぐねていると、いきなりポチが飛び出しました。小さな体で枯れた蔓や茎の間をくぐり抜け、一番手前のオオカミに駆け寄ると、その顎の下にかみつきます。肩口に傷を負ったオオカミは不意を突かれて驚き、思わず飛び上がったところに、ゼンの矢を食らいました。眉間を貫かれて、倒れて動かなくなります。

 他の二頭のオオカミがいっせいにポチに襲いかかってきました。ポチは素早く死んだオオカミから離れると、また蔓や茎の狭い隙間をくぐって、ゼンの元まで駆け戻っていきました。

「よぉし、ポチ! よくやった!」

 ゼンが声を上げます。残る雪オオカミは二頭だけになっています。

 魔王がまた魔弾を撃ち出そうとしています。

 雪オオカミたちがうなりながら迫ってきます。

 フルートとゼンとポチはいっそう身構えました。

 全員がまた、攻撃を始めようとします。

 

 その時、出しぬけに何かが彼らの上に落ちかかってきました。

 べきべきと音を立てながら、数メートルもある大枝が折れて、落ちてきたのです。魔王とオオカミたちは思わず飛びのき、フルートはとっさに金の石を上に向けました。金の光が広がって少年たちを包み、枯れた枝は障壁に激突して、そのまままっぷたつにへし折れました。

「な、なんだ……?」

 ゼンが声を上げました。フルートとポチも周囲を見回します。魔王やオオカミたちでさえ、驚いたようにあたりを見ていました。

 豆の森のいたるところで、次々に枝が折れて落ちていました。完全に枯れた豆の木が、脆く弱くなって自分の重みに耐えられなくなったのです。大小の枝が雨のように森の中に降り始めています。

 やがて、豆の太い茎自体が傾ぎ始めました。大人が腕を回しても抱えきれないほどの大木が、周囲の茎や蔓を巻き込みながら倒れていきます。地響きが森全体を揺るがします。

「ギャン!」

 倒れた木の下敷きになって、雪オオカミが悲鳴を上げました。魔王の姿も、倒壊する森のなかに紛れて、見えなくなってしまっています。ミシミシ、ベキベキ、ズシン、ドドーン……豆の森は耳をふさぐほどの音でいっぱいです。枝や葉や蔓が雨あられと降ってきて、もう何も見ることができません。

 そんな中で、フルートは金の石をかざし続けていました。どんなに太くて重い枝や茎でも、金の光の中に入りこむことはできません。少年たちは光に守られながら、崩れていく森を声もなく見守っていました。

 

 やがて森は完全に崩れ落ちました。

 雪原の上に、枯れた木や枝がうずたかく積み重なっています。飛び散った枯れ葉や埃もおさまってくると、すーっと金の石の光が弱まって消えていきました。あたりは足の踏み場もないほど倒木や枯れ枝でいっぱいになっていますが、少年たちの周りにだけは、何もない円形の空間が広がっていました。

 崩れた森は、しんと静まりかえっていました。魔王もオオカミも、どこにも姿が見えません。

 すると、ふいに、ひょぉぉ……と風が吹き出しました。細かい氷の粒が混じった風です。みるみるうちに風は強まり、ねじれた氷の山々の間を吹き抜けて、女の悲鳴のような音を立て始めます。

「みんな下敷きになったのか?」

 とゼンが言いました。油断なく周囲を見回し続けています。

「魔王まで?」

 フルートは疑わしい声を出しました。森の下敷きになって死んでいてほしいところですが、そんなやわな敵ではないはずです。

 すると、ポチが行く手を示しました。

「ワン、あれを見てください」

 倒れて積み重なった枝の下に、ちらりと白い毛皮が見えていました。雪オオカミです。少年たちはそっと近寄ってみました。

 オオカミは枝の下敷きになって動かなくなっていました。枝の隙間から、仰向けになって、だらりと舌を伸ばした頭が見えています。大きさから見て、リーダーのオオカミのようでした。

 ゼンは肩をすくめました。

「さすがのこいつも直撃にはかなわなかったか。もう一頭の方は――」

 とまた周囲を見回したときです。倒れて動かないオオカミの目玉が、ぎょろりと動いてゼンを見ました。ゼンもフルートも気がつきません。ただ、視線の低いポチだけが、まともにそれを目にしました。

「ワン! ゼン、危ない!」

 ポチが叫んだのと、オオカミが枝をはねのけて飛び上がるのが同時でした。オオカミのリーダーが、鋭い牙をむいてゼンに襲いかかっていきます。

「っとぉ!」

 ポチの警告でゼンはとっさに飛びのき、かろうじてオオカミの攻撃をかわしました。一瞬遅ければ、まともに頭を食い切られていたところです。

 フルートが瞬時に炎の剣を抜いてオオカミに切りつけます。獣は大きく飛びのき、積み重なった枝の山の上から、ウゥゥーッと低くうなりました。

 すると、また別の場所から、枝や葉をはねのけて獣が飛び出してきました。先に背中に矢傷を負ったオオカミです。やはり枝の上で身構えて少年たちを狙います。

 ゼンが顔をしかめてつぶやきました。

「ったく、やたらと丈夫なヤツらだぜ」

 と、またエルフの弓矢を構えます。

 そこへ、出しぬけにまた金の光が広がりました。フルートの胸の上で、金の石が自分からまた輝いたのです。とたんに、彼らの頭上で次々に魔弾が砕けました。はっと顔を上げると、少年たちの頭上に黒い男が立っていて、魔弾を撃ちだしたばかりの手を向けていました。

 ふん、と魔王はいまいましそうな声を上げました。

「古ぼけた石がいつまでも抵抗しおるわ。だが、守りの石の力などたかが知れいている。恐怖におののきながらオオカミどもに食われるがいい、勇者ども!」

 宣言するような声と共に、また魔弾が激しく降りかかってきました。金の光の障壁がそれを防いで砕きます。けれども、それもあまり長くは持たないのです。じきにまた、光の障壁は砕けてしまうでしょう。そのとたん、雄牛のようなオオカミたちが飛び出してきて、フルートたちに襲いかかってくるのです――。

 

 フルートはそばにいる仲間たちに、そっと呼びかけました。

「ぼくのすぐ近くに寄って……できるだけ近くに……」

「何をするつもりだ?」

 ゼンがフルートとぴったり背中合わせになりながら尋ねました。ポチも二人の足下に入ります。

 フルートはささやくような声で答えました。

「雪エンドウは泥炭の原料になる植物だ。たぶん、それ自体、とても燃えやすいはずなんだよ……」

 そう言いながら、静かに黒い魔剣を構えていきます。

 む? と魔王がいぶかしそうな声を上げました。フルートの妙な動きに気がついたのです。即座にオオカミたちに命令を下します。

「下がれ! 離れるのだ!」

 とたんに、フルートは炎の剣を高くかざしました。気合いもろとも、鋭く振り下ろしていきます。

「えぇぇいっ!!!」

 ごおっと大きな音を立てて、切っ先から炎の弾が飛び出しました。オオカミたちが飛びのいた後の枝の山に炸裂します。

 とたんに、大きな火の手が上がりました。枯れた豆の枝が一気に燃え上がり、高々と炎を吹き上げたのです。

 炎は枝から枝へ走り、倒れた茎を次々に飲み込み、枯れた森に燃え広がっていきます。あっという間にあたりは一面火の海になり、天も焦がすほどの勢いで、ごうごうと燃え始めました。

 激しい黒煙と炎を避けて、魔王が上空へ飛び上がりました。火の海へ目を凝らしますが、フルートたちもオオカミたちも、どこにも姿が見えません。

 すると、燃え上がる炎の中からすさまじい声が上がりました。

 ギャオーーォオオォォーーーー……

 いつまでも長く尾を引くその声は、オオカミたちの断末魔の叫びでした。

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