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第5巻「北の大地の戦い」

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92.助け

 「魔王!!」

 少年たちは同時に声を上げました。

 黒ずくめの痩せた男が、蛇の鎌首に似た頂の前の空間に浮かんでいました。ポチに乗ったフルートたちを見つめるまなざしは、氷よりも冷ややかで、情けをまったく感じさせません。

 少年たちは即座に攻撃に転じました。フルートは金の石をかざし、ゼンはエルフの弓に矢をつがえます。けれども、同時に発射された金の光と矢は、魔王に前で砕け散ってしまいました。魔王が闇の障壁を張っていたのです。

「王よ! その者たちを今すぐ我々にお与えください!」

 地上からオオカミのリーダーが人のことばで呼びかけてきました。風の首輪を切られて元の姿に戻ったオオカミたちが三頭、その後ろに控えています。それぞれが雄牛ほどの大きさもある雪オオカミです。

「じきだ」

 魔王は短く答えると、片手を少年たちに向けました。フルートたちは、はっと身構えました。魔王の得意技の魔弾が飛んでくるのではないかと思ったのです。

 ところが、魔王は闇の弾を撃ち出しませんでした。代わりに、伸ばした手を宙で握り、ぐい、と何かを引き寄せるような身振りをします。

 とたんに、フルートとゼンの下からポチが消えました。

 いえ、消えたのではありません。巨大な風の犬から突然元の子犬の姿に戻ってしまったのです。子どもたちはいきなり空中に投げ出され、地面に向かって落ち始めました。フルートとゼンが悲鳴を上げます。

「うわーーっ……!」

 ポチは仰天していました。何故いきなり変身が解けてしまったのか、自分でもわかりません。懸命にもう一度風の犬になろうとするのですが、どんなにがんばっても変身することができませんでした。

「ワン、ダメです! 風の犬になれません――!」

 と叫ぶポチの声に、フルートは目を開けました。、自分のすぐ上に小さなポチがいます。フルートもポチも共に落ち続けているので、その距離は縮まりません。ポチの首輪の緑の石が輝きを失って灰色の石ころのように変わっていました。魔王に風の犬の力を奪われたのです。

 かたわらではゼンが彼らと同じように落ち続けています。落ちていく先は雪が固く凍りついた地面です。魔法の鎧を着て金の石を持っているフルートはともかく、ゼンとポチがたたきつけられて無事でいられるわけがありません。フルートは必死に心の中で叫びました。

 ポポロ、メール、ルル! 助けてくれ――! と。

 

 すると、ひゅうっと笛に似た音が鳴り響きました。

 今まで無風だった山間の雪原を、一陣の風が吹き渡っていきます。すさまじい勢いで四頭の雪オオカミをなぎ倒し、つむじを巻いて、空を落ちてくる二人と一匹の少年たちに吹きつけてきます。とたんに、少年たちの体がふわりと浮き上がりました。風に受け止められながら、雪原の上に軟着陸します。

「な、なんだ今の……!?」

 と驚いてゼンが周囲を見回します。突然のつむじ風はもう吹きやんでいました。

 すると、ポチが、はっとしたように顔を上げました。とまどったようにあたりを見回します。子犬は風のおさまった雪原に、ちょっと取りすました優しい友人の匂いをかいだのでした。

 フルートは一瞬ほほえむと、すぐにペンダントを首に下げ、背中から炎の剣を引き抜いて叫びました。

「みんな気をつけろ! オオカミが来るぞ!」

 風に吹き飛ばされた雪オオカミたちが、跳ね起きて走ってくるところでした。

「よっしゃ、来い!」

 ゼンがどなりながら前に飛び出し、エルフの矢を放ちました。百発百中の魔法の矢が、先頭を走るオオカミ目がけてまっすぐに飛んでいきます。

 ところが、矢が突然オオカミの目の前で砕けました。隣でフルートが炎の弾を撃ち出しますが、それも、オオカミたちの前で跳ね返されてしまいます。その瞬間、黒い光の壁が輝いたように見えました。オオカミたちは闇の障壁で守られていたのです。

 ゼンは、ぎろりと空中の痩せた男をにらみつけました。

「この野郎! 手下どもなんか守ってないで、下りてきて俺たちと勝負しろ! 怠慢だぞ! それとも俺たちが怖いのか!?」

 けれども、魔王はゼンの挑発には乗ってきませんでした。ただ、冷ややかに笑いながらこう言います。

「人間はまったく愚かだ。武器が使えなければ、人間ほどこの地上で弱いものはないというのに。野生の獣の恐ろしさを身をもって味わうがいい」

 四頭の雪オオカミが目の前に迫っていました。巨大なオオカミたちです。襲いかかられたら、子どもたちなどひとたまりもありません。

 フルートはまた炎の弾を撃ち出しました。ゼンは空中の魔王目がけて矢を放ちます。けれども、どちらの攻撃も、やっぱりそれぞれの闇の障壁にはじかれてしまいました。

 先頭の雪オオカミがうなり声を上げて飛びかかってきました。フルートとゼンの頭上を越えて、なんと、その先にいるポチ目がけて襲いかかっていきます。風の犬に変身できないポチには、抵抗する手段がありません。

「ポチ――!!」

 フルートとゼンが思わず叫んだとき、また鋭いつむじ風が吹きました。ポチに飛びかかったオオカミが吹き飛ばされ、雪原に転がって悲鳴を上げます。その顔から背中にかけて、刃物で切りつけたような傷がぱっくり口を開けていました。

 ポチは信じられないような顔で宙を見上げていました。ほんの一瞬、そこに懐かしい仲間を見た気がしたのです。それは、風の刃を持つ体を長くひらめかせた、異国の竜のようなルルの姿でした。

 

「走れ!!」

 とフルートが叫んで駆け出しました。攻撃の効かない今、周りに何もない雪原では、あまりにも不利です。少しでも戦いやすい場所を探さなくてはなりませんでした。

 オオカミたちが追いすがってきます。深手を負ったオオカミも、血を流しながらまた追いかけてきます。と、別のオオカミがまた、風に吹き飛ばされて悲鳴を上げました。肩口から血を流しています。

「なんだ……?」

 空中の魔王が疑わしそうに見下ろしてきました。雪原にはフルート、ゼン、ポチとオオカミたち以外の姿は見えません。けれども、そこに何か目に見えない力が働いていることを、魔王は感じ取ったのでした。

 その隙にフルートたちは蛇の鎌首目がけて走りました。氷の山を背にして戦えば、少なくとも背後から襲いかかられる心配はなくなります。百メートルあまりも先にある氷の絶壁目ざして、フルートたちは必死で走り続けました。

 またオオカミたちが追いついてきました。先頭はひときわ大きなリーダーです。しんがりを走っていたフルート目がけて飛びかかろうとします。

 またつむじ風が吹きました。風の中心が真空になる、かまいたちと呼ばれる現象を起こします。

 けれども、リーダーのオオカミはそれを読んでいました。飛ぶと見せかけておいて、一瞬間をおくと、つむじ風が吹き抜けていくのを見計らって襲いかかってきます。フルートの小柄な体がオオカミに押し倒され、金の鎧が凍った地面の上でガシャンと派手な音を立てました。

「フルート!」

 ゼンとポチが振り向きました。すぐに助けに駆け戻ろうとします。

 フルートは、とっさにダイヤモンドの盾をかざしました。顔を狙ってかみついてくる牙を防ぎます。が、その盾も黒い光の壁に跳ね返されてしまいました。逆に、オオカミの顔は難なくフルートに迫ってきます。

 すると、突然フルートの胸の上で、また金の石が輝き出しました。強い光があふれて、上にのしかかっていたリーダーのオオカミを跳ね飛ばしてしまいます。そのとたん、今度はガラスが砕けるような音が響きました。金の光の中で、リーダーの前の闇の障壁が砕けたのです。

「そうか」

 とフルートは気がつきました。金の石の光と闇の光は相対するものです。金の光の方が強ければ、闇の障壁を打ち砕くことができるのでした。

 駆けつけてくるゼンとポチの前に立って、フルートは金の石に呼びかけました。

「オオカミたちの障壁を砕け!」

 とたんにまた金の石が輝きました。雪原を金に染めながら光が駆け抜け、オオカミたちの黒い障壁を次々に打ち砕いていきます。

 ひゃっほう! とゼンが歓声を上げました。あっという間にエルフの矢を放ちます。顔に傷を負っていたオオカミが、同じ顔面に矢を受けて倒れました。そのまま動かなくなります。残る雪オオカミは、リーダーを含めても三頭だけです。

「行けるぞ、フルート! 障壁さえなければ、こっちのもんだ!」

 とゼンが言いながら次の矢をつがえました。フルートも炎の剣を構えて、炎の弾を撃ち出そうとします。

 

 ところが、その時、ポチが空へ吠えました。

「ワンワン、見て――! 風のオオカミだ!!」

 幻のような白い魔獣が、ねじれた山の向こうから姿を現していました。先にフルートの金の石の光で頭が変になり、自分から山に激突していったオオカミでした。消滅したように見えていたのですが、正気に返って、また風のオオカミの姿で飛んできたのです。うなりをあげながら、まっすぐフルートたちに近づいてきます。

「くそ!」

 ゼンが矢を放ちました。フルートも空に向かって炎の弾を撃ちます。けれども、狙いをつける間がなかったので矢は外れ、炎の弾も軽くかわされてしまいました。

「逃げろ!」

 とフルートが叫びました。三頭の雪オオカミにくわえて空からも攻撃を受けるのでは、防ぎようがありません。彼らはまた、蛇の鎌首の山めざして走り出しました。そのすぐ後ろに風のオオカミが迫ります。

 ゼンは真後ろに風の音が近づいてくるのを聞いて、とっさに横に飛びのきました。すさまじい風がかたわらを吹き抜けていって、ジャリッと毛皮の服を削るような音を立てます。吹き抜けて先へ行く風は、白い幽霊のようなオオカミの姿をしていました。

 とたんに、ゼンの腰のあたりから、ばらばらっと何かが小石のように飛び散りました。雪の上に緑の粒が転がり落ちます。それは雪エンドウでした。以前、大男のウィスルがゼンにくれた豆の袋を、風のオオカミが切り裂き、中身がこぼれ落ちたのです。風のオオカミは、ルルと同じ風の刃の力も持っているのでした。

「あっ、くそっ」

 ゼンは歯ぎしりをしました。戻って拾い集めたくても、そんな余裕はありません。後ろから雪オオカミたちが近づいてくるのが見えています。

 

 その時、行く手の風のオオカミがふいに向きを変えました。後ろを振り返って走るゼンに狙いを定めて、まっしぐらに飛んできます。ポチはとっさにゼンの前に飛び出しました。全長が十メートルを超す風の獣に比べると、子犬のポチは馬鹿馬鹿しいほどちっぽけです。それでも、ポチはうなりをあげ、勇敢に風のオオカミへ飛びかかっていきました。

 風のオオカミが、風の刃でポチの白い体を切り裂こうとします。

 すると、突然少女の声が響きました。

「ポチ、危ない――!」

 すさまじい風がいきなりわき起こって、風のオオカミを跳ね飛ばしました。強風は渦を巻いて、風のオオカミを巻き上げていきます。ポチは地面に降り立って、呆然とそれを見上げました。ゼンとフルートも、思わず立ち止まってしまいます。空には、幻のような風のオオカミと、それに絡みついている、もっと淡い風の犬の姿が浮かび上がっていたのです。

「ルル!」

 とポチは叫びました。やっぱり間違いありません。さっきから彼らを助けてくれていた風の正体はルルだったのです。本物の風の犬でさえありません。蛇の鎌首の地下にとらわれている彼女は、心だけでその場所を抜け出して戦っていたのでした。

 風の犬のルルがどんどん風のオオカミを締め上げていきました。心だけの存在でも、信じられないほどの強さです。もがく敵を容赦なく締め上げ続けて、ついにいくつにもちぎってしまいます。とたんに、黒い霧の血が空一面に飛び散り、その中でオオカミが実体に戻りました。雪の上に落ちてきた体はばらばらになっていて、とっくに息絶えていました。

「すごい……」

 とフルートたちが思わず感嘆する後ろから、魔王の声が響いてきました。

「まだ出てくるか! まだ抜けてくるのか! 貴様ら、どれほどの力を持っているというのだ――!?」

 怒りと呪詛を口にしながら、長い爪の生えた手を淡いルルの姿へ向けます。とたんに、キャウン、とルルが悲鳴を上げて消えました。ポチは思わず、あっと叫びました。立った今まで感じられていたルルの気配が突然消えてしまったのです。魔王にまた力を奪われてしまったのに違いありませんでした。

「行け! 勇者どもを肉も骨も残さず食い尽くせ!」

 魔王が命じる声が響き渡りました。様子を見ていた雪オオカミたちが、再び、オン、ウォンと声を上げながら走り出します。フルートたち目がけて迫ってきます。

「来るぞ!」

 とフルートは叫ぶと、炎の剣を構えました――。

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