「見えた! 蛇の鎌首の形の山だぞ!」
とゼンが伸び上がって行く手を指さしました。
そこには奇妙な形にねじれた山々が、かたまるようにそびえています。フルートとポチはゼンほど視力が良くないので、すぐには見分けがつきませんでしたが、ゼンの指さす方向へ飛び続けていくと、やがて、山々の中に目ざす形の峰が見え始めました。本当に、獲物に向かって飛びかかろうと低く身構えている蛇の鎌首にそっくりです。周囲の風景も、ロキが魔法で剣に映し出して見せてくれたものと瓜二つでした。
蛇の鎌首の山に近づくと、風がいっそう強まってきました。ねじれた山々の間を吹き抜けながら、まるで女の悲鳴のような音を立てます。その風の中に何か小さく堅いものが混じっているのに気がついて、ポチはあわてて上空高くへ避難しました。まともに食らったら風の体が消滅してしまいます。風が山の表面に吹きつけると、バチバチと小石をたたきつけるような音が起きました。
「風が削った氷のかけらだ……このあたりはきっと、一年中風が強いんだよ。だから、風に混じった氷が山々を削って、あんな変な形を作っているんだ」
とフルートが言いました。
「なるほどな。だが、どうする? これじゃ蛇の鎌首に下りられないぞ」
とゼンが難しい顔をします。ポチも困ったようにあたりを見回しました。氷が混じった風が吹いていない場所を探すのですが、風は山々の間を吹き荒れていて、なかなか安全な場所が見つかりません。
すると、突然、遠吠えが空気を震わせました。ねじれた山の稜線に数頭の白いオオカミが姿を現して、空のフルートたちに向かって吠えていました。空から見ていてもそうとわかるほど巨大な獣たちです。
「ワン、魔王の親衛隊の雪オオカミですよ!」
とポチが声を上げました。以前、雪原でフルートたちを追いかけて襲撃してきた群れの生き残りです。数えてみると、あの時と同じ七頭がいました。氷の岩場の上にひときわ大きく見えているのが、群れのリーダーです。
「ふん。こっちは空中、そっちは地上。手も足も出ないだろう」
とゼンが言い、ポチはオオカミの群れを振り切るように山々の間をすり抜けて、蛇の鎌首の峰へ近づきました。相変わらず地上では氷混じりの地吹雪が続いています。目ざす場所の近くに着陸することができません。
「山の上に下りて、そこからふもとへ下りるしかないかな――」
とフルートが言ったときです、ふいにまた遠吠えが聞こえてきました。振り切ったはずの雪オオカミたちです。声があまりに近かったので、ぎょっと振り向いたフルートたちは、空の彼方から近づいてくるものを見て、また仰天しました。白い幻のような獣たちが、こちらへ向かって飛んでくるのです。その獣たちは七匹いて、異国の竜のように長い体をしていました。
「風の犬だと!? そんな馬鹿な!」
とわめくゼンに、ポチが即座に答えました。
「ワン、違います! あれは雪オオカミたちですよ! 風のオオカミなんです!」
「ルルの力だ! 魔王のしわざだよ!」
とフルートも叫びます。魔王は少女たちの持つ力を自分のものにしています。今度はルルの風の犬の力を親衛隊のオオカミたちに与えて、風のオオカミに変えたのでした。
いきなり山々の間を吹く風がやみました。女の悲鳴のような音が止まります。
とたんに、追ってくる風のオオカミたちが、低空飛行を始めました。山々の間を抜けて、下からポチに襲いかかってきます。風の犬のポチは全長が十メートルもありますが、風のオオカミたちはそれよりはるかに巨大です。鋭い風の牙をひらめかせてポチに襲いかかってきます。
「キャン!」
長い風の尾を食いちぎられて、ポチは悲鳴を上げました。青い霧のような血が吹き出します。風の犬はどんな物理攻撃も平気で受け流してしまいますが、同じ風の獣の攻撃だけは、まともに食らってしまうのです。
「ポチ!」
フルートはとっさに首から金の石を外してポチに押し当てました。みるみるうちに青い血が止まり、長い風の体が復活してきます。
けれどもそこにまた風のオオカミが食らいついてきました。せっかく復活した尾がちぎれ、青い風の血が飛び散って、また金の石に癒されていきます。
別のオオカミが背中に乗る少年たちにも襲いかかってきました。フルートがまともに体当たりを食らって、後ろにはじき飛ばされます。魔法の鎧のおかげで怪我はしませんでしたが、ゼンが捕まえなければ、危なく地上に振り落とされるところでした。
とたんに、ポチがウーッとうなりました。口元がめくれ上がって鋭い牙がのぞきます。
「馬鹿にするな! こっちのほうが風の犬の経験は長いんだ! にわか仕立ての風のオオカミなんかに負けるもんか――!!」
いつもおとなしいポチからは想像がつかないような激しさで叫ぶと、体当たりしてきたオオカミに自分から襲いかかり、背中に飛びついて首元に牙を立てます。とたんに、ブツリ、と鈍い音が響き、オオカミの悲鳴が上がりました。
風のオオカミの巨大な姿がみるみる縮んで、空中にただの雪オオカミが現れました。たちまち墜落して凍った地面にたたきつけられ、そのまま動かなくなります。ポチは風のオオカミの首輪をかみ切ったのでした。
ゼンが歓声を上げました。
「よっしゃ! オオカミでもやっぱり首輪が弱点なんだな!」
さっそく自分もエルフの弓矢を構えて、近づいてくる風のオオカミの首元をにらみます。風の犬のポチの首輪は細い銀糸を編んで緑の石をはめ込んだ美しいものですが、風のオオカミの首輪は黒一色で、黒い石がはめ込まれています。それに狙いを定めて矢を放つと、矢は違うことなく首輪を断ち切って、あっという間に獣を元の姿に変えました。やはり、空から転落しますが、あまり高い場所ではなかったので、雪の上を転がって、また起き上がってきます。
それを見て、フルートが驚きました。
「首輪を切っても死なない……闇の首輪じゃないんだ」
魔王が闇の力で他者を自分に従わせるとき、首には闇の首輪が現れます。それは首輪をした者の体と同化していて、力任せに切ると、その者は大量の血を吹き出して死んでしまいます。ところが、彼らの目の前にいるオオカミは、首輪を切られても死なずに元の姿に戻っただけです。黒い石がはまったそれは、いかにも闇の首輪のように見えるのですが、実は普通の風の首輪にすぎないのでした。
ウォォォーーン……
雪原から吠えたオオカミの声に、空を飛ぶ風のオオカミたちがいっせいに答えました。
アォォォォーーン!
ポチが言いました。
「オオカミたちが本気になりましたよ。総攻撃をかけてきます。しっかりつかまっててください」
言うなり、猛烈な勢いで空を飛び始めます。フルートとゼンは風圧で飛ばされそうになって、あわててポチにしがみつきました。とても剣や弓を構える余裕などありません。その後を五頭の風のオオカミが追いかけてきました。全速力で飛ぶポチに負けないスピードです。地上では元の姿に戻った雪オオカミが、空飛ぶ彼らを追って走ってきます。フルートたちが振り落とされてきたら、すかさず襲いかかるつもりでいるのです。
先頭の風のオオカミがポチに飛びかかってきました。巨大な口を開けて、背中の子どもたちごとかみ裂こうとします。けれども、ポチはその動きを読んでいました。素早く身をひねると、絡みつくようにしてオオカミの背中に回り、逆に黒い首輪をかみ切ります。風のオオカミは見る間に縮んで雪原に落ち、先のオオカミと合流して走り出しました。風のオオカミはあと四頭です。
すると、ポチが空中で急停止しました。行く手の空にひときわ大きな風のオオカミが立ちはだかっています。親衛隊のリーダーです。気がつくと、他の三頭もそれぞれ別の方向から迫って来るところでした。囲まれていて前後左右どこにも逃げ道がありません。上や下さえ、すぐに追いすがられてきそうです。
どちらへ突破口を見つけていいのかわからなくなって、ポチは一瞬立ちすくみました。そこへ、四頭がいっせいに襲いかかってきます。
とたんに、フルートとゼンの声が響きました。
「えぇいっ!」
「そらよっ!」
剣がうなり、弓弦が鳴ります。あっという間に左右の風のオオカミの首輪が燃え上がり断ち切られ、一頭は空中で火だるまになり、もう一頭は雪オオカミに戻って地上に落ちました。フルートとゼンがそれぞれに炎の弾とエルフの矢を放ったのです。
ポチは我に返って、前から襲いかかってくるリーダーに自分から飛びかかっていきました。敵の肩口にがっぷりとかみつくと、風のオオカミの体から黒い霧のような血が吹き出してきます。
すると、リーダーが笑うような声を立てて口をききました。
「無駄だ。貴様らがいくら抵抗したところで、我らが王にはかなわぬ」
ポチは相手がことばを話せるとは思わなかったので、一瞬ぎょっとしましたが、それでも負けずに力をこめて敵をかみ続けました。牙がいっそう深く食い込んで、黒い血が吹き出し続けます。
「無駄だと言うのだ!」
リーダーのオオカミが、ポチを肩に食らいつかせたまま、巨大な牙で背中のフルートたちにかみついてきました。誰を攻撃すればよいのかを冷静に見極めていたのです。とっさに牙を放してフルートたちをかばったポチの胸に、オオカミの牙が突き刺さって青い血が吹き出します。
「ポチ!!」
フルートはあわててまた金の石をポチの体に押し当てました。石は傷を癒しますが、リーダーが牙を放さないので、また新たな血が吹き出してきます。
「こんのぉ……!」
ゼンが怒りの声を上げて、ぱっと立ち上がりました。弓を素早く背中に戻し、フルートを跳び越えるようにしてポチの頭まで来ると、両腕を一杯に伸ばしてリーダーの黒い首輪をつかみます。そのまま有無を言わさず、力任せに首輪を引きちぎってしまいます。
リーダーがひときわ大きな雪オオカミに戻って、地上に落ちていきます――。
その時、フルートの声が上がりました。
「うわっ!」
最後の風のオオカミが、いきなり後ろから飛びかかってきて、ポチの背中のフルートにかみついたのでした。そのまま小柄なフルートの体をくわえて飛び去ります。
「フルート!」
「ワンワン、フルート!」
仲間たちは仰天しました。あわてて風のオオカミを追います。
「くそっ! 放せ!」
フルートはもがきましたが、逃げ出すことができません。口をこじ開けさせようとするのですが、腕が風の頭をすり抜けてしまって、まるで手応えがないのです。風の獣たちは敵の攻撃をくらいません。ただ敵と戦うときだけ、その攻撃が実体化するのです。
けれども、風のオオカミは鎧を着たフルートを食いちぎることができませんでした。金の鎧には魔法がかかっていて、あらゆる攻撃からフルートを守ります。じれたオオカミは、突然フルートの体を行く手の山にたたきつけようとしました。仲間たちが思わずまた声を上げます。
「フルート!!」
とたんに、フルートが手にしていた金の石が輝きました。目もくらむような光でオオカミとフルートを包みます。
たちまちオオカミは狂ったように飛び始め、めちゃくちゃに飛び回ったあげくに、自分自身が山に激突していきました。風の体が氷の山の中にめり込み、そのまま、溶けるように消えていきます……。
フルートは、山に激突する寸前に宙に放り出されていました。それを、飛んできたポチが背中に拾い上げます。どこにも怪我はありません。
「ひょう。ホントに頼りになるよな、その石は!」
とゼンがフルートの握る金の石を見て歓声を上げました。フルートも石を見ました。さっきから、石はフルートが呼ばなくても力を発動しています。魔法の石が持ち主の元へ戻れたことを喜んでいるような気がして、フルートは思わずほほえみました。石は、今は穏やかな金色に輝いています。
と、いきなりその石が、きらり、きらりと奥から輝きを放ち始めました。魔の敵が近づいているのです。
はっと顔を上げてあたりを見回したフルートたちに、低い男の声が聞こえてきました。
「やはり金の石の勇者の一行は一筋縄ではいかないか。やっかいな連中だな」
フルートたちは空中の一箇所を、凍りついたように見つめました。そこに、黒ずくめの服を着た痩せた男が立っていました。薄青い目が子どもたちを見て笑います。どこか獣じみた、ひどく冷酷な笑いです。
ついに、魔王が子どもたちの前に姿を現したのでした――。