「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第5巻「北の大地の戦い」

前のページ

第21章 激戦

90.共に戦う者

 「フルート……」

 優しい声にそっと呼びかけられて、フルートは思わずどきりとしました。ポポロの声です。信じられない思いで振り向くと、そこに黒衣の少女が立っていました。赤い髪を淡く光らせ、宝石のような瞳で優しくほほえみかけています。

 フルートは、とっさにあたりを見回しました。自分たちがどこにいるのかわかりません。ただ一面に白い靄のようなものがたちこめていて、まるで見通しがきかないのです。自分はゼンと一緒に風の犬のポチに乗って、魔王が待ち受けるサイカ山脈へ向かっていたはずなのに、仲間たちの姿も見あたりません。

 すると、ポポロがほほえみながら言いました。

「夢よ、フルート。また夢なの……。あたし、やっと魔王の闇の触手をふりきって、ここまで来ることができたのよ。フルートが呼んでくれてたから」

「呼んだ?」

 フルート自身にはポポロを呼んだ覚えはありません。ただ、ずっとポポロや他の少女たちのことは考え続けていました。必ず助け出す、と強く再決心しながら。そんなふうに彼女たちのことを強く想うことが、呼び声になるのかもしれません――。

 フルートは改めてポポロを見つめました。夢でも何でも、彼女にまた会えたことが嬉しくてたまりませんでした。小さな少女は相変わらず、きらめくように綺麗です。

 

 すると、ポポロの体の上を、黒い紐のような影がはい上っていくのが見えました。不気味な蛇の形をした影です。

 フルートはぎょっとして駆け寄りました。影の蛇はポポロの腕に絡みつき、牙を突き立てようとしています。フルートが思わずそれを払いのけようとすると、とたんにポポロが鋭い声を上げました。

「さわっちゃだめ! フルートまで魔王につかまるわ!」

 フルートは、またどきりとして手を止めました。その指先で、影の蛇がたちまち薄れて消えていきます。

 ポポロが真剣な声で言いました。

「何もしないで。金の石も使っちゃだめよ。触手に攻撃したら、あたしがここに来てることを魔王に気づかれちゃうわ。大丈夫よ。闇の触手はあたしたちの中に入りこもうとしてるけど、このくらいなら防いでいられるから……」

「ポポロ」

 フルートは声を失いました。黒い影の蛇は、彼女たちをとらえている闇の触手の力が、目に見える形になったものなのです。消えても消えても、また次々にわき出して絡みつきます。サイカ山脈の地下で闇の触手に飲み込まれていた、現実の少女たちの姿を思い出して、フルートは思わず唇をかみました。

 すると、ポポロはフルートが間違って触れてしまわないように一歩後ずさりました。黒い衣がふわりと揺れて星のきらめきを放ち、一瞬すべての影の蛇が消えました。少女の全身が淡い緑の光に包まれているのが、はっきり見えます。次の瞬間には光は見えなくなり、また影の蛇が何匹も現れるのですが、牙を立てようとすると、とたんに蛇は薄れて消えてしまうのでした。

「ね?」

 とポポロがほほえみました。

「光の魔力があたしを守ってるの……。不思議なんだけど、あたしの中から、本当にいくらでもわいてくるのよ。魔王は必死になって全部奪おうとしてるんだけど、いくら奪われてもなくならないの。あたし、自分にこんなに力があるなんて、思ってもいなかったわ」

 とまどうように、でも、ちょっと誇らしそうに、ポポロが笑いました。

 フルートは、そんな彼女を見つめながら、一番気になり続けていたことを尋ねました。

「君たちは闇の触手に取り込まれてる。このままそこにいたら、君たちはどうなるの?」

 絶対にそのまま放っておいていいはずがない、という直感がありました。具体的にどうなるとまではわからないのですが、一刻も早く救い出さなければ手遅れになりそうな、悪い予感がするのです。

 すると、ポポロが表情を変えました。青ざめて、うつむきます。

「あたしたち……闇の触手に入りこまれたら、闇の怪物にされるわ。魔王の言いなりに動くようになって、きっと、フルートのことも、ゼンのこともポチのこともわからなくなってしまう。闇の怪物にされると、あたしたちの光の力は弱まるんだけれど、代わりに闇の力が与えられるから、命令のままにフルートたちを攻撃するようになっちゃうのよ……」

 フルートはまた声が出せなくなりました。次の瞬間、猛烈な怒りがこみ上げてきて、体中が震え出します。忌まわしい影の蛇は、ポポロの上をはいながら、隙を見てかみつき、体の中に入りこもうとしているのです。フルートは思わず金の石に呼びかけそうになりました。

 すると、またポポロが制止しました。

「やめて、フルート! ここは夢の中だから、金の石を使っても本当の触手は消せないのよ! 魔王に気づかれるだけなの! ……大丈夫よ。あたし、フルートたちが助けに来てくれるまでなら、持ちこたえていられるから。メールやルルやアリアンだって、守り続けていられるわ」

 フルートはまたポポロを見つめました。小さな、本当に華奢な姿の少女です。今にも泣き出しそうに青ざめた顔で、懸命に少年にほほえんで見せています。恐ろしい魔王や闇の怪物の前では、あまりにも弱々しく見えるのに、彼女はその内側に信じられないほど強大な魔法の力を抱えています。その魔力は計り知れなくて、さすがの魔王にさえ、奪いきることができないのです……。

 

 そんな彼女を思わず抱きしめてしまいたい衝動に耐えながら、フルートは言いました。

「助けに行くよ。きっと助け出す。ゼンやポチも一緒さ。必ず、魔王を倒すから――」

 ポポロはうなずきました。

「魔王は今日はもう、あたしの魔法は使えないわ。フルートは気がついていたわよね。魔王が、あたしの魔法を使い切ったってこと。……もともとはね、魔王は凍らずの山を噴火させるために、あたしの二つの魔法を使っていたのよ。噴火させるためにひとつと、それを継続させるためにもうひとつ。あの一帯はとても暑くなっていたから、バジリスクもそれで平気でいたんだけど、今日は魔王が噴火の魔法を控えたから、バジリスクが凍え死んでしまわないように、魔王はあたしの魔法であの洞窟の暖かさを保っていたのよ。それと、ロキに下した稲妻の魔法とを合わせて、今日の魔法は終わり。だから……ねえ、フルート。魔王を倒すならば、今日中なのよ」

 魔法使いの少女の顔は真剣そのものでした。

「魔王は自分自身の魔力で天候を変えたり、魔弾を撃ってくることはできるけど、それは決定的な強さじゃないわ。でも、明日になって朝日が昇ってきたら、あたしの魔法がまた二つとも復活してきてしまうの。魔王はもうバジリスクを守る必要がないから、フルートたちを倒すために遠慮なく使うに決まってる。そうしたら……あたしの魔法だもの……フルートたちは助からないわ」

 ポポロの声が震えました。宝石の瞳に涙が浮かんできます。自分の魔法の激しさを、彼女は嫌というほど知っているのです。

 フルートは力強く言いました。

「大丈夫。必ず今日中に魔王を倒すよ。それはもう、ゼンたちと確認してるんだ。今、ぼくたちは君たちがいる山に向かってる。もうすぐ到着するよ――」

 ポポロは涙ぐみながらうなずきました。

「うん、見えてるわ。アリアンが、あたしたちにもフルートたちの姿を見せてくれてるの。本当に、あともう少しよ。ねじれた山の間の、蛇の鎌首にいるの……」

 気がつくと、ポポロの姿が薄れ始めていました。フルートが思わず手を伸ばしかけると、ポポロはいっそう後ずさりました。

「だめよ、フルート。さわってはだめ……。でも、あたしたち、そばにいるわ。メールもルルも一緒にいるから……だから……」

 少女はにっこりほほえみました。涙もろいポポロです。その大きな瞳から、とうとう涙がこぼれ出しました。

「負けないでね、フルート……絶対に勝ってね……。あたしたちも一緒に戦うから。だから……必ず、魔王を倒してね。北の大地の人たちと、あたしたちと……必ず、助け出してちょうだいね……」

 乳白色の靄の中に、ポポロの姿が溶けて消えていきました。切ない声の響きだけが、余韻のように残ります。

 ポポロ、と呼んだ瞬間に、フルートは夢から覚めました。

 

 ひゅうひゅうと冷たい風を切りながら、ポチが空を飛び続けていました。ゼンがフルートの後ろから、じっと行く手に目をこらしています。そんな彼らの下を、針のように鋭い峰が過ぎていきます。白一色の氷の山々です。彼らはサイカ山脈に再突入していたのでした。

 フルートは何も言わずに、ただうつむきました。金の鎧に包まれた膝の上で、固く固く拳を握りしめます――。

 とたんに、風の犬のポチが振り向いてきました。

「ワン、フルート、どうかしたんですか?」

 ゼンも驚いたように友人をのぞき込みます。付き合いの長い彼らです。普段温厚なフルートが怒れば、すぐにそうと気がつくのでした。

 フルートは青ざめたまま、首を横に振りました。どんなに夢の中のことを話したくても、口にすることはできません。言えば、アリアンの透視能力を通じて、魔王にも聞かれてしまいます。ただ、代わりに仲間たちにこう言いました。

「急ごう。必ず今日中に魔王を倒して、みんなを助けるんだ」

「おう……もちろんだ」

 ゼンが目を丸くしながら答えました。今さら何を言ってやがるんだ、と聞き返すのもためらうほど、フルートの声は真剣だったのです。

 身を切るように冷たい風が吹きつけ吹き抜けていきます。北の最果てのサイカ山脈は、世界で最も寒い場所のひとつです。

 ところが、ふっとその寒さが和らいだような気がしました。なにか優しいものが彼らを包み込んだような感触です。ゼンとポチは驚いてあたりを見回しました。

「なんだ? 急に暖かくなったぞ?」

「ワン、また暖気団に突入したんでしょうか?」

 フルートにはその正体がわかっていました。ポポロたちがまた少年たちのそばまで駆けつけてきたのです。本当に、どんなにとらえられても、力を奪われても、決してあきらめることのない少女たちです。

 フルートは空中に目を向けて、透きとおった仲間の姿を思い浮かべました。笑いかけてくる彼女たちの顔が見えるような気がします。フルートは、それに向かってうなずきました。うん、一緒に行こう。みんなで一緒に魔王と戦おう――と。

 間近に迫っている最後の決戦場。そこへ向かっているのは、二人と一匹の少年たちだけではないのでした。

素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク