「本当に、何がどうしたっていうんだよ? どうしてバジリスクは破裂しちまったんだ?」
まったく合点がいかないゼンが、フルートに尋ねました。
すっかり元気になったフルートは、笑顔で、かたわらに落ちている自分の盾を示して見せました。
「これのせいだよ――。ぼくの盾はもともと鏡の盾と呼ばれてたくらいだからね。表面は鏡のようになんでも映して反射させるんだ。これでバジリスクの石化の『にらみ』を跳ね返したんだよ」
「ん……? それじゃなんだ、バジリスクは鏡に映った自分自身をにらんじまったってことか? それで石になって砕け散ったってのか?」
「そういうことだね」
穏やかに笑いながら、フルートが答えました。
「ワン、そういうことだね、って――」
ポチがあきれたように絶句しました。バジリスクがうまく鏡の盾をにらんでくれたから良かったようなものの、一歩間違えば、盾を構えるフルートの方が石になって吹っ飛んでいたところです。
ゼンも渋い顔をしました。
「相変わらず危なっかしい真似をするヤツだな……。自分がにらまれたらどうするつもりだったんだよ」
「ぼくが着てるのは金の鎧だからね。盾の外側までにらまれても、きっと鎧で跳ね返せると思ったんだ」
ゼンとポチはまたことばを失いました。フルートの左腕が痛み出したとき、籠手を外そうとしたゼンに「やるな!」とどなったのには、こういう理由があったのです。
けれども、鎧が本当に怪物の『にらみ』を跳ね返せたかどうかはわかりません。鏡ほど反射しているわけではないのですから、鎧だって石に変わったのかもしれないのです。ゼンは思わず頭を抱え込み、ポチはフルートに訴えました。
「ワン、お願いですから、本当に無茶なことはやめてくださいよ。寿命が縮みます」
すると、フルートが急に厳しい顔になってポチを見返しました。
「それは君も同じだよ、ポチ。ぼくたちを守ろうとして、バジリスクの前に飛び出そうとしたじゃないか。風の犬だって、バジリスクににらまれたら石になるんだ。君こそ危なかったんだよ」
「フルート……」
ポチはしゅんとなると、たちまち縮んで子犬の姿に戻りました。尻尾と耳をたらして座りこみます。
すると、厳しい顔を続けているフルートを、ゼンが急に横から小突きました。驚くフルートにゼンが言います。
「俺から言わせりゃ、どっちもどっちだ。ったく、みんな揃って無茶ばっかりしやがって……。だから、俺たちには金の石が必要なんだよな。そら、もう盗られるなよ」
とペンダントをフルートに渡します。ずっと強く弱く輝きながら、鈴を振るような音で呼び続けていた金の石が、フルートの手に渡ったとたん、ぴたりと鳴りやみました。輝きもおさまって、静かな金色に光るだけになります。
「金の石……」
フルートは思わずつぶやくと、戻ってきた石を握りしめました。目には見えない力と勇気が心の中にわき上がってきます。まるで澄んだ朝の光が心の中に差し込んでくるようでした。
フルートは静かに目を閉じ、また目を開けると、仲間たちを見ました。
「さあ、これで本当にぼくらは光の戦士だよ」
ゼンとポチが、力強くうなずき返しました。
金の石を取り戻したからには、こんな場所にぐずぐずしている必要はありません。フルートは手早く装備を整え直していきました。ずっと左腕を押さえていた剣帯を外して、両手を使って胸の上で締め直します。久しぶりに自由に左腕を動かせるのが快感でした。念のために左腕の籠手も外してみましたが、凍傷は跡形もなく消えて、傷ひとつない白い腕に戻っていました。
「おばばの占い通りになったな」
とゼンが満足そうにうなずきました。ポチも嬉しそうに尻尾を振り続けています。
左腕に籠手をつけ直し、その上にダイヤモンドの盾を留め、首から金の石のペンダントを下げれば、装備は完璧でした。フルートは仲間たちに向かって呼びかけました。
「よし、準備はできた。魔王を倒しに行こう――!」
すると、突然洞窟の中に声が響き渡りました。地の底からはい上がってくるような低い声――魔王です。
「愚カナ。金ノ石ヲ取リ戻シタクライデ、ワシニ勝テルト思ッテイルノカ!」
フルートたちはいっせいに身構えました。声が聞こえてくるだけで、実体は現れません。魔王はサイカ山脈の隠れ家にいて、声だけを送り込んできているのです。
ゼンが負けずに言い返しました。
「へっ、凄んでみせたって怖いもんかよ。おまえは今日はポポロの魔法を二つとも使い切っているんだからな。口先ばっかりで、何も手出しはできないだろう。サイカ山脈で首洗って待ってやがれ! 今こっちから乗り込んでいってやるからな!」
「ホウ」
魔王の声が低くうなりました。危険な笑いを含んだ声でした。
「ワシニハ何モデキナイト言ウノカ。面白イ。本当ニソウカドウカ、身ヲモッテ確カメルガイイ」
それきり、魔王の声が聞こえなくなりました。
フルートたちは身構え続けました。どこかで何かがうごめき始める気配がします。数え切れないほどの何かが、次第に激しく動き出し、やがて、蜂の大群を思わせる音でうなり始めます。フルートたちは思わず立ちすくみました。洞窟の岩壁をおおう緑のツタの間で、虫の羽根のように激しく震えているものがあります。それは、色とりどりの花たちでした。
「ワン、花が!?」
ポチが驚いて吠えたとたん、その声に誘われるように、花がふわりと蔓から離れました。小さな鳥か虫の群れのように、ザーッと音を立てながら一箇所に集まり始めます。
「やばい! 花使いだ!」
とゼンが顔色を変えました。すっかり忘れていましたが、魔王が奪っていたのはポポロの魔力ばかりではなかったのです。今度はメールの花使いの力を使って、フルートたちに攻撃をしかけてきたのでした。
フルートが叫びました。
「ポチ、風の犬だ!」
「ワン!」
子犬の体が再びふくれあがり、巨大な風の魔獣に変わります。フルートとゼンはその背中に飛び乗りました。
「振り切れ! とにかく外に出るんだ!」
この洞窟には無数の花が咲き乱れています。花たちにいっせいに襲いかかられたら、フルートたちにはとても勝ち目がありません。
うなりをあげて洞窟を飛び戻り始めたポチの後を、花の群れが追いかけてきました。まるで激しい水の流れのように、ざわめきながら寄り合い、ねじれ合い、白い風の犬めがけて突進してきます。
「ワン!」
目の前に洞窟の曲がり角が現れたので、ポチがとっさに身をひねりました。洞窟のカーブに沿って左へ右へと体をくねらせます。
すると、飛んできた花たちが洞窟の岩壁に激突しました。一瞬崩れてばらばらになり、またすぐに寄り集まって、風の犬の後を追います。元が小さな花の集まりなので、たたきつけられてもダメージを受けないのです。
ポチが飛び過ぎていく洞窟の壁からも、新たな花が次々と茎を離れていました。追いすがり、緑の蔓を伸ばして絡みついてこようとします。ポチは風の体なので、花も蔓も素通りしてしまいますが、その上に乗っているフルートたちはそういうわけにはいきません。うるさい羽虫を追い払うように、両手を振り回して花を振り払うしかありませんでした。
すると、ポチがまた吠えました。
「ワン! あれ!」
行く手に大量の花が集結して、色鮮やかな壁を作っていました。彼らの行く手をはばもうというのです。フルートは即座に背中から炎の剣を抜くと、行く手に振りました。
「はっ!」
炎の弾が飛び出して壁に炸裂し、たちまち火の手が上がります。燃えながら落ちていく花の中を、風の犬のポチがすり抜けていきます――
とたんに、いきなりフルートとゼンは何かに激突しました。二人の体が弾力のあるものに受け止められて停まります。
それは花でできた網でした。花の壁の先にもうひとつ、網が仕掛けられていたのです。
花の網は、フルートたちがかかったとたん音もなく緑の蔓を伸ばし、二人の体にからみつき始めました。あっという間にがんじがらめにされてしまいます。
「この! 放しやがれ!」
ゼンがわめきながら網を引きちぎりました。ポチも飛び戻ってきて、風の力で網を断ち切っていきます。フルートとゼンは洞窟の床に落ちました。けれども、網を振りほどくことができません。どんなに力任せにちぎっても、小さな花の集まりの網はまた寄り集まって蔓を伸ばし、すぐに再生してしまうのです。
花は緑の蔓で二人を完全に包み込むと、そのままじりじりと締め上げ始めました。魔法の鎧を着ているフルートは平気ですが、ゼンの方は息苦しくなってきて猛烈に暴れ始めました。
「くそっ! 放せってんだよ! 花の分際でいいかげんにしやがれ――!」
すると、花が突然また蔓を伸ばし、勢いよくゼンの体を突き刺しました。薄い布の服を着ていただけの手足に、蔓の先が鋭い針のように食い込みます。鮮血が飛び散り、ゼンは思わず悲鳴を上げました。
「ゼン!」
ポチがうなりをあげて花に飛びかかりました。風の牙で網を食いきっていきます。けれども、いくら食いちぎっても、やっぱり花の網は再生を続けます。
すると、そのかたわらで突然金の光がわき起こりました。フルートを絡め取っていた花が、一瞬でばらばらになって吹っ飛んでいきます。同じ光はゼンにも降りそそぎ、花の網を一気に吹き飛ばしました。血を吹き出していたゼンの手足が、金の光を浴びて、あっという間に治っていきます――。
フルートの胸元で金の石のペンダントが輝いていました。澄んだ金の光で彼らを包み込んでいます。その光の中に花は入り込めません。飛びかかり、蔓を突き立てようとするのですが、光は壁のように攻撃をさえぎってしまいます。金の石が障壁を張って、少年たちを守っているのでした。
「うひょう。相変わらず頼りになる石だな」
とゼンが歓声を上げて、傷と痛みが消えた手足をなでました。
けれども、洞窟の奥からは後から後から花の大群が押し寄せていました。あまり多すぎて、狭い洞窟の通路がふさがってしまいます。華奢なはずの花たちが岩壁を削り砕いていく音が響いています。
さすがにこれだけの量の花は、いくら金の石でも防ぎきれません。フルートは仲間たちにまた叫びました。
「脱出しよう! 急げ!」
ポチがさらうようにフルートとゼンを背中に拾い上げ、また洞窟を出口に向かって飛び始めました。花が次々と襲いかかってきましたが、金の光に跳ね飛ばされて行く手に道をあけていきます。
すると、行く手の床にひとかたまりに置かれたものが見えてきました。毛皮の服です。
「おっと、俺のだ!」
ゼンが声を上げ、低空飛行するポチの背中から腕を伸ばして服を拾い上げます。ポチはさらに洞窟を突進していきます。
行く手がひときわ明るくなってきました。出口が近づいてきたのです。
けれども、その手前で花たちがまた壁を作っていました。色とりどりの花が、ぎっしりと行く手を埋め尽くしています。後ろからは大量の花が彼らを追いかけてきています。停まることはできません。
「ワン! 突っ込みますよ。伏せて!」
ポチが言ったとたん、逆にフルートが身を起こしました。手にしていた炎の剣を高々とかざし、気合いもろとも振り下ろします。炎の弾が吹き出して、行く手の壁を一気に燃え上がらせます。その火の中にポチが飛び込み、花の壁を突き破っていきます――。
ついに、フルートたちは洞窟の外に飛び出しました。黒い岩の谷間が目の前に広がり、みぞれ混じりの風がどっと吹きつけてきます。その中を、ポチは空に向かって急上昇していきました。谷の上に飛び出します。
その後を追って、洞窟の中から花の群れが現れました。まるで色とりどりの巨大な竜の首のように、谷の上まで高々と伸び上がってきます。冷え切った空気の中で、太陽の光を浴びた花たちが、きらきらとガラスのように輝きます。
と、花たちが突然、勢いを失いました。上昇するポチとの間が開いたと思うと、ざわっとさざめき、そのまま崩れ始めます。花が極彩色の雪のように、谷に岩山に舞い落ちていきます。
フルートが、すぐに気がつきました。
「この寒さのせいだ。上空の寒気に出くわして、花が動けなくなったんだよ」
「確かにな。俺も服を着ないと」
とゼンが抱えていた毛皮の服を急いで着込みます。その毛の表面には霜が白く凍りつき始めていました。
岩場に降り積もった花は、風が吹いてくるとカリカリと固い音を立てました。寒さに凍りついてしまったのです。その様子を見ながら、フルートは言いました。
「花使いの力はもう心配しなくても大丈夫だ。さあ、行こう」
そこで、ポチはフルートとゼンを乗せたまま、再びサイカ山脈に向かって飛び始めました。めざすは蛇の頭のようにねじれた氷の頂です。その地下に魔王と、とらわれの少女たちがいます。
「ねじれた山が見えたのはあっちだぞ」
とゼンがひとつの方角を指さしました。方向感覚に優れているドワーフのゼンです。その道案内に間違いはありません。ポチは風を切りながら、示された方向へまっすぐ飛んでいきました。
日の光が彼らを照らします。鎧を着たフルートの姿が、空の中で金に光っています。その胸の上でひときわ明るく輝いているのは、やっと正当な持ち主の元へ戻ることができた、魔法の金の石でした――。