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第5巻「北の大地の戦い」

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86.火山

 それは突然目の前に現れました。

 白一色の雪原が見渡す限り、何キロにもわたって崩れ落ちています。崩れた端は氷の絶壁になっていて、水が激しく流れた跡が鍾乳石のように凍りついています。豪雨に打たれて氷が溶け出した跡です。

 絶壁の下でも、溶けて凍りついた雪が奇妙な景色を作り上げていました。ねじれた形の氷柱がそこここに林立し、ほとばしりながら凍りついた水が、不気味なオブジェに変わっています。

 さらにその先へ進むと、地面はやがて氷から黒い岩場に変わりました。あちこちの岩の隙間から白い水蒸気が上がり、凍りついた水がまた溶け出して、岩の間を音を立てて流れていきます。

「ワン、ここが凍らずの山なんですね……。地面の温度が高いから、水が凍らないんだ」

 とポチがグーリーの背中から身を乗り出して言いました。ゼンも鋭い目で地面の様子を見ながら言います。

「地表のすぐ近くまで熱いマグマが上がってきているから、地表の温度も高くなっているんだな。岩は流れて冷えた溶岩だ。確かにここは火山地帯だぞ」

 とたんに、いきなり音を立てて地面から白い湯気が吹き上がってきました。何十メートルもの高さまで達すると、凍りついて雲に変わり、風に吹かれて流れていきます。驚くフルートたちにゼンが言いました。

「間欠泉だ。岩の間に流れ込んだ水が、マグマの熱で温まって噴き出してきたんだよ」

 猟師を生業としていても、ゼンは地下の民ドワーフです。フルートたちよりはずっとよく地面の下のことを知っているのでした。

 岩場は周囲の雪原から数百メートルも低い場所に広がっていました。行く手に向かって徐々にせり上がっていて、小高い丘を作っているのが見えます。

「山にしては低いんだね」

 とフルートが言うと、またゼンが言いました。

「溶岩の粘性が低いんだな。こういう溶岩を出す山はあまり高くならないんだよ。溶岩が積もらないで、水みたいにどんどん流れていくからな。その分、広範囲に氷を溶かしたんだろう」

 と丘のような山頂の向こうを眺めます。むき出しの岩場は、目の届く限りずっと黒々と続いていました。

「雨のせいもあるよ。噴煙が呼んだ大雨も大地を溶かしたんだ」

 とフルートは言って、密かに唇をかみました。山のこちら側にもトジー族の村や町はあったはずです。噴火する山がもたらした溶岩と雨に氷の地面を溶かされて、人々は逃げ場もなく濁流に飲まれ、流されていったのに違いありません。いったいどれほどの人数が犠牲になったのか……フルートたちには想像もつきませんでした。

 

 グーリーがフルートの指示で低い火山の山頂を越えていきました。黒い溶岩の間に噴火口がぽっかりと口を開けています。噴煙は出ていませんが、白い蒸気が上がり続け、火口の奥深くには赤く輝く溶岩が見えていました。今は噴火はしていませんが、またいつ爆発するかわからない様相です。

「おい、魔王がいきなり噴火させてきたらどうするんだよ?」

 とゼンが尋ねてきました。前の日まで爆発していた火口の上を飛ぶというのは、さすがのゼンにも、少々冒険が過ぎるように思えたのです。すると、フルートが大真面目で答えました。

「噴火させてほしいんだよ。残ってる魔法でね。そうすれば、今日の魔法は打ち止めだ」

 とたんに、ギェェ、とグリフィンが鳴きました。ポチが首をすくめて通訳しました。

「グーリーが言ってますよ。フルートは命知らずだ、フルートを乗せるのは寿命が縮むって」

「まったくだ」

 とゼンも苦虫をかみつぶした顔でうなずきました。

 けれども、そんなフルートの意図を見抜かれてしまったのか、それとも別に理由があるのか、魔王は火山を噴火させてきませんでした。グーリーは何事もなく山頂を越え、その向こうに伸びる溶岩の谷間に飛び込んでいきました。

 谷間の底も流れ込んで冷えた溶岩でいっぱいでした。いたるところから湯気が上がって、谷間の景色を揺らめかせています。その中を、グーリーが黒い翼を広げて飛び続けます。

「ワン、この奥にバジリスクの巣穴があるそうですよ」

 とポチがフルートたちに言いました。谷間の底には直接日の光が差し込みません。フルートとゼンは、ずっとかけつづけていた雪メガネを外して、行く手に目をこらしました。谷は曲がりくねりながらゆるやかに上り坂になり、やがて、その一番奥まった場所に入口が見えてきました。黒い岩壁に自然にできた穴です。

 グーリーが穴の手前に舞い下りました。翼をたたみ、かがみ込んで子どもたちを背中から下ろします。

 

 フルートとゼンとポチは洞窟の前に立ちました。振り向くと、ごつごつと荒くれた黒い岩の谷がどこまでも続いています。上空から吹き込む寒気が、谷の中を通って水蒸気や湯気を冷やし、みぞれ混じりの風になって彼らに吹きつけてきました。まるでロムドの国の晩秋の天気のようです。

 フルートはまた洞窟の入口をつくづくと見ました。奥は深くて、どこまで続いているのか、ここからは見通せません。けれども、フルートには確かに聞こえていました。ガラスの鈴を振るような音が、洞窟の奥から伝わってきます……。

「間違いない。金の石もバジリスクも、この奥だ」

 とフルートは言いました。ゼンとポチがうなずきます。

「行こうぜ」

 とためらいもなくゼンが言います。待ちかまえるのが恐ろしいバジリスクでも、臆する様子はありません。

 すると、グリフィンのグーリーがじりじりと後ずさりを始めました。洞窟から遠ざかろうとするように下がっていきます。ポチが気がついてワンワンと話しかけ、グーリーがそれに答えます。たちまちポチは考え込むような顔になりました。

「ワン、グーリーはこれ以上ここにはいられないんだそうです。穴から金の石の気配が伝わってくるから……。自分は闇の生き物だから、金の石は猛毒と同じくらい危険なものなんだ、って言っていますよ」

 フルートとゼンは驚いてグーリーを見ました。ワシの体にライオンの体をつないだような黒い怪物の姿をしていますが、中身はトナカイの時と少しも変わらないグーリーです。心も決して闇に染まってはいないのに、闇に生まれたものとして、どうしても聖なる金の石とは相容れることができないのでした。

「グーリー」

 フルートは近寄っていって、自由になる右腕を差し伸べました。その手のひらにグーリーが大きな頭をすり寄せます。まるで謝っているようなしぐさでした。フルートはほほえんで見せました。

「気にしなくていいよ……。ここまでぼくたちを連れてきてくれただけで充分さ。ここから先はぼくたちだけで大丈夫だから――」

 ふいに胸が詰まって、ことばが出なくなりました。闇に生まれたグーリー、そしてロキ。彼らが今までフルートたちと一緒にいられたのは、金の石が手元になかったからなのです。聖なる石は闇のものを遠ざけます。それは、グーリーやロキであっても例外ではないのでした。

 ゼンがわめき出しました。

「金の石を取り返したら、もうこいつらと会えなくなるってのか……!? そんなのってありかよ! グーリーもロキも、闇のものでも俺たちの仲間だろうが!」

「ワン、でも金の石に近づきすぎたら、それだけで闇のものは弱ってしまうんですよ。もし金の石が光ったりしたら、それこそ、グーリーたちは消滅しちゃうかもしれないんだ……!」

 言いながらポチは洞窟を振り向きました。彼らを守る金の石。けれども、それは闇の生き物たちには、消滅を意味する死の石になってしまうのです。どうしても越えることができない種族の違いが、彼らの間に横たわっていました――。

 フルートはグーリーの首をひしと抱きしめました。思わずこぼれそうになった涙をこらえながら言い聞かせます。

「また会えるよ。金の石があったって、きっとまた会える。何とかする。必ず何とかするから……君はロキのところへ戻って待ってるんだ」

 グェェン、とグーリーが鳴きました。フルートの小柄な体に、いっそう強く頭をすりつけます。そんなグーリーをゼンがぽんぽんとたたきました。

「しっかりロキを守ってろよ。それがおまえの役目だぞ」

「ワン。本当に、必ずアリアンを連れ帰ってあげますからね」

 とポチも言います。

 巨大なグリフィンはゼンとポチにも次々と頭をすり寄せました。

 

 フルートたちは翼を広げて飛び去っていくグーリーを見送りました。黒い姿が谷間を飛び出し、空の中を遠ざかっていきます。

 少しの間、少年たちは誰も口をききませんでした。何とも言えない想いが、彼らの胸を充たしています。闇のものでありながら光の仲間になったロキとグーリー。彼らを本当にこちら側に引き入れるにはどうしたらいいのだろう、とそれぞれに考えます。けれども、その答えは今はまだ見つからないのでした。

 グーリーの姿が谷の向こうに見えなくなりました。

 フルートは洞窟を振り返りました。奥から鈴のような音がかすかに聞こえ続けています。フルートは仲間たちに言いました。

「行こう。――金の石を取り返すんだ」

 洞窟は深く、中からはまだ怪物の気配は伝わっては来ませんでした。

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