黒いグリフィンのグーリーは、フルートとゼンとポチを背中に乗せて、サイカ山脈の上を飛んでいきました。
眼下には鋭い針を連ねたような氷の山々が続き、谷間という谷間を氷河が埋めています。ところどころで谷間から白い煙がわき上がっているように見えるのは、風と共に山の斜面を駆け上がっている地吹雪です。
氷の山々はどこまでも続いていて、いくら飛んでも終わりになりませんでした。北の最果てにある山脈は、子どもたちが想像していた以上に広大だったのです。グーリーに乗せてもらってきて正解でした。風の犬になったポチでは、途中で力尽きて飛び続けられなくなったことでしょう……。
風が凍りつきそうなほど冷たいので、子どもたちはグーリーがトナカイだったときのように、その黒い羽毛や毛の中にもぐり込んで、寒さをしのいでいました。やがて、退屈してきたのか、ポチがグーリーの頭の方へ移動して、犬語とグリフィン語で何か話を始めました。ゼンは毛の中から上半身を起こして、周囲を見回し続けています。フルートは、そんな仲間たちの様子を眺めながら、改めて自分たちの装備を確かめていました。
ゼンはいつもの青い胸当ての上に毛皮の服を着て、エルフの弓矢を背負っています。弓矢は狙ったものは決して外さない魔法の武器ですし、矢筒も中の矢が尽きることのない魔法の道具です。腰にはショートソードと青い小さな丸い盾を下げていますが、これもどちらも優れた技術で強化された逸品です。
けれども、ゼンにはもうひとつ、目には見えない武器がありました。すさまじいまでの怪力です。もともとドワーフは怪力の民ですが、ゼンの力は、そのドワーフたちの中でもずば抜けているらしいのです。案外それこそがゼンの持つ最強の武器なのかもしれない、とフルートはずっと考えているのでした。
グーリーと話すポチは、首の回りに細い銀の首輪を光らせていました。ここからではよく見えませんが、首輪には綺麗な緑の石もついています。風の首輪と呼ばれる魔法の道具で、これの力でポチは風の犬に変身することができるのです。
風の犬になったポチは強力です。全長は十メートルを越しますし、風の牙で攻撃したり、風の勢いで敵を倒したりすることができます。フルートやポチを乗せて飛びながら攻撃することもできる、頼もしい存在です。ただ、激しい雪や雨の中を飛ぶことができないのが弱点でした。魔王はこれからも吹雪を送り込んでくるかもしれません。そうなると、ポチには戦いにくくなってしまうのでした。
そして、フルート自身はというと、金の鎧兜で身を包み、黒い炎の剣を背負っていました。炎の剣の剣帯は、右肩から斜めに体にかかっていて、凍傷で動かなくなっているフルートの左腕を押さえています。もう一本、反対側の肩から別の剣帯がしめてありましたが、それには空っぽの銀の鞘がついていました。中身は氷河の上のロキに貸し与えてきたのです。
フルートが着ている鎧兜は、暑さ寒さを防ぎ、あらゆる衝撃を和らげます。これまでずっとフルートを守り続けてきた魔法の防具ですが、ここに来て左腕の守りにほころびが生じてしまったのは、承知の通りです。背中のリュックサックには魔法のダイヤモンドの盾がくくりつけてあって、これも魔法の攻撃を跳ね返せるほど強力なのですが、左腕が使えないフルートには構えることができませんでした。
全体に守りが弱いな……とフルートは考えました。
実質的な攻撃力はまずまずありますが、相手が闇の敵となると、力が及ばなくなるのも目に見えています。闇の敵には聖なる光の武器しか効果がないのです。
やっぱり、どうしても金の石を取り返さなくちゃならない、とフルートは改めて考えました。金の石は癒しと守りの石です。あらゆる怪我を治すだけでなく、光の障壁で彼らを包んで守ってくれます。闇の敵には聖なる光を浴びせて、溶かしてしまうこともできます。その金の石は行く手の凍らずの山にあって、バジリスクが番をしているのです――。
すると、ふいにゼンが伸び上がって右手を指さしました。
「見ろ! ねじれた山だぞ!」
フルートやポチも、はっとそちらを見ました。ゼンの指さす彼方に、遠くかすかにねじれた峰の群れが見えたような気がしましたが、フルートたちにははっきりとはわかりませんでした。
けれども、ゼンは仲間たちに向かってきっぱりと言いました。
「間違いない、あそこが魔王の潜んでいる場所だ。金の石を取り返したら、次に行くのはあそこだぞ」
ゼンは逃げ回る獲物を追う猟師です。視力は人一倍良いのでした。
子どもたちは、魔王が今にも襲いかかってくるような気がして緊張しながらそちらを眺めましたが、その時には特に何事も起こりませんでした。
「ワン、まずバジリスクを倒さなくちゃならないですよね」
と言いながらポチが戻ってきました。
「今、グーリーから話を聞かせてもらっていたんです。バジリスクは凍らずの山の谷間の奥に巣穴を作って、そこに金の石を抱えているんだそうですよ」
「巣穴?」
ゼンがけげんそうな顔になりました。
「なんでそんなものを作れるんだよ? あいつは目で見たものを何もかも石にして砕く怪物じゃないか。あいつが飛んでいった後は砂しか残らなかったぞ。巣穴なんて作ったって、あっという間に崩れるはずだろうが」
「ワン、それもグーリーに教えてもらいました。バジリスクは戦闘態勢に入ったときだけ、石化のにらみが使えるようになるんだそうです。それ以外の時には、いくらバジリスクがにらんでも、石になったり砕けたりはしないんだそうですよ」
それを聞いてフルートは、そうか、とうなずきました。
「確かにそうだよね……。バジリスクだって生き物だから、餌を食べたり、雛をかえしたりしなくちゃならないはずだ。見たものが片っ端から石になるようじゃ、生きていくことも繁殖することもできないもんな……。戦闘態勢に入ったときだけなのか」
「ワン。目印は毒の息だそうです。バジリスクは敵を見ると興奮して毒の息を吐き始めるんだけれど、それと同時に『にらみ』も使えるようになるんです」
「毒の息に『にらみ』か。ったく、やっかいな敵だぜ」
ゼンがぼやきながら自分の弓を外して眺めました。先に赤峰でバジリスクと遭遇したとき、ゼンの矢はことごとく石にされて砕かれてしまったのです。あいつにどうやったら攻撃を届かせることができるだろう……とゼンは考えていたのでした。
フルートは我知らず自分の胸に手を当てていました。いつもその下で彼らを守ってきた金の石を、心の中で想います。何故だか、ことばにできないほど恋しいような気がします。
すると、どこからか、かすかな音が響いてきたような気がしました。シャラララーン……とガラスの鈴のような音が空気を震わせます。
「ワン、どうしたんですか?」
フルートがあたりをきょろきょろ見回し始めたので、ポチが尋ねました。耳の良い子犬ですが、何も聞こえなかったのです。
「呼んでるんだ……ぼくを呼んでるんだよ……」
とフルートは行く手を見つめました。音はそちらから伝わってくるのでした。
ゼンがうなずきました。
「金の石だな。フルートが近づいてきてるのを感じて呼んでるんだろう。忠義な石だよな」
フルートは首を振りました。
「忠義っていうのとは違うんだ。石は自分からぼくと一緒にいるだけで、ぼくに従ってるわけじゃないから。でも――」
かすかな響きに懸命に耳を澄ましながら、フルートは思わず涙ぐみそうになりました。何だか胸がいっぱいになってきます。
「やっぱり、ぼくはあの石と離れちゃいけないんだよ……。それだけはわかるんだ……。あれを取り戻さなくちゃ」
当たり前すぎることをフルートは大真面目で言っていました。石の気配を感じたとたんに、どうしようもなく金の石が懐かしくなります。まるで自分の半身がそちらにあるような感覚です。金の石がこれほど大切な存在になっていたとは、我ながら思ってもいませんでした。彼方の金の石に向かって、心の中で精一杯手を伸ばします。
ゼンがまたうなずきました。
「まあ、当然だよな。フルートは金の石の勇者なんだから」
「ワン、金の石もきっと心配してるんですよ。自分がそばにいないのに、フルートが無茶ばっかりするから」
「違いない! 治してやるからさっさとこっちに来い、って呼んでるんだぞ!」
とゼンが吹き出します。フルートは思わず顔を赤らめると、動かなくなっている左腕を押さえました。
太陽は空で輝き続けていました。一面の青空が広がります。ただ、行く手の空に白い雲が見え始めていました。
ギエェン、とグーリーが振り向いて鳴きました。ポチが、ワン、と答えてからフルートたちに言います。
「もうすぐサイカ山脈を抜けて、凍らずの山に入るそうですよ」
いよいよです。フルートは真剣な目で行く手を見ながら言いました。
「バジリスクから金の石を取り返したら、すぐに魔王の元へ行くよ……。魔王は二つあるポポロの魔法のうち、ひとつを稲妻に使っている。もう一回の魔法をかわせれば、ぼくたちにも勝算はあるんだ。だけど、夜が明けて明日の朝になったら、ポポロの魔法は復活して、魔王はまた二回使えるようになってしまう。そうなったら、たぶん、ぼくたちに魔王は倒せない……」
今回、フルートたちに少女たちの魔法の援助はありません。それどころか、ポポロの魔法そのものが彼らを攻撃してくるのです。仲間の魔力の強さを知っているだけに、絶対に油断はできないのでした。
すると、ポチが首をひねりました。
「本当に、魔王は今日はまだ一回しか魔法を使っていないんですよね……。ぼくたち、近くを通り過ぎているはずなのに、どうして攻撃してこないんでしょう? もう一回の魔法はどうしちゃったんだろう?」
フルートもゼンもそれに答えることはできません。もうひとつの魔法の行方が気になるところでした――。