一歩洞窟の中に足を踏み入れたとたん、子どもたちは驚きました。
暖かいのです。外ではみぞれ混じりの風が吹いていますが、洞窟の中はまるで春のような暖かさです。これまで厳しい寒さの中を旅してきた子どもたちには、暑いくらいに感じられました。
「ワン、どうしてこんなに暖かいんでしょう? 火山地帯だからですか?」
と首をひねるポチに、ゼンが難しい顔で答えました。
「それにしちゃ暑すぎるぞ……。火口からはだいぶ離れているし、洞窟の外にいるときには熱気は感じなかったからな。どうも不自然だな」
すると、フルートがふいに、しっと唇に指を当てて見せました。
「聞こえるよ。呪文だ」
「レーアクカタタア……ヨカナノツクーウドニメタノクスリージバ……レーアクカタタア……」
長い呪文が延々と繰り返されています。それは魔王の声でした。
「魔王がここにいるのか!?」
とゼンがとっさに身構えました。けれども、ポチは首を振りました。
「ワン、魔王の匂いや気配がしませんよ。声が聞こえるだけです」
呪文の声は低く延々と続いています。特に何かが起きてくるわけでもありません。やがて、フルートが急に、そうか、と言いました。
「これがポポロのもうひとつの魔法の行方だったんだ。バジリスクは暖かい南の地方に住む怪物だ。北の大地はバジリスクには寒すぎるから、魔王はポポロの魔法でずっとバジリスクの巣穴を暖めていたんだよ」
「だが、ポポロの魔法はせいぜい二、三分しか効かないんだぞ。なんでこんなに長々と続いてるんだよ」
とゼンが文句をつけます。呪文そのものは彼らにもなじみのある光の魔法なのに、魔王が唱えていると本当に呪いのように聞こえてきて、何とも落ちつかないのでした。
「よくはわからないけど……もしかすると、これは洞窟を暖める魔法じゃなくて、暖かさを保ち続けるための魔法なのかもしれないよ。そういう魔法なら、もっと長い時間、効果が続くのかもしれない」
と考え込みながらフルートが言います。半分以上当てずっぽうの推理でしたが、実は鋭く真相を突いていました。今、岩場の洞窟に響いているのは、継続の魔法と呼ばれる呪文で、ひとつの状態を一日中ずっと継続させる力があったのです。
「ワン、まるで継続の石みたいですね」
とポチが言いました。闇の声の戦いの時に、ポポロをその力で支配して、最後に砕け散っていった魔法の石です。
「もしかしたら、それも関係してるのかもしれないよ……。石は砕けて、彼女の中に消えていったんだもの。彼女に何か影響を与えたのかもしれない。以前は、ポポロはこんな魔法は使えなかったはずだしね」
とにかく読みの鋭いフルートでした。あまり鋭すぎてついていけなくなったゼンが声を上げました。
「何が何だか全然わかんねぇよ! 要するに何だって言うんだよ!?」
「要するに、ポポロの魔法はここを暖めるのに使われていたから、魔王がぼくたちを魔法で攻撃してくる心配はなくなった、ってことだよ」
とフルートが笑いながら答えます。ゼンは目を丸くすると、すぐにまじめくさってうなずきました。
「そういうことなら、よくわかった」
少年たちは洞窟の奥に向かって進み始めました。
冷えた溶岩の中に自然にできた通路です。時々曲がりくねり、驚くほど幅が狭くなりましたが、小柄なフルートたちに通れないほどのことはありません。奥へ奥へと進んでも、洞窟全体がぼんやりと明るく見えているのが不思議でした。溶岩の間に無数の隙間があって、そこから光が差してくるのです。
呪文の声はうなりの音のように延々と続いていました。当の本人がここにいないとわかっていても、魔王の声が聞こえてくるのは、なんとなく気分が良くありません。
「おい、魔王はずっと俺たちを見てるんだよな?」
とゼンが言いました。
「うん、アリアンの透視力でね」
とフルートが先頭を歩きながら答えました。自然の洞窟は、時々道が枝分かれしています。けれども、フルートには金の石の呼び声が聞こえているので、決して迷うことがないのでした。
ゼンが顔をしかめました。
「ポポロの魔法は使えなくても、奴は絶対に何か仕掛けてくるぞ。あいつがここに突然現れるってことはないのか?」
「それはありえないよ。魔王だって闇のものだもの、グーリーたちと同じく、金の石には近寄れないんだ。だからこそ、バジリスクに番をさせているんじゃないか」
「それはそうだが……俺が魔王だったら、絶対になにかしらの方法で、俺たちをここで殺そうとするぞ。それとも、魔王はバジリスクに番をさせておけば絶対間違いないと思ってるのか?」
「ワン、それはそうかもしれませんよ。なにしろ、あのバジリスクだもの。フルート、どうやって金の石を取り返すつもりですか?」
フルートは立ち止まりました。ちょっと足下に目をやってから、ためらいがちに仲間を振り返ってきます。
「ひとつ、作戦は考えてる……。でも、それを言うわけにはいかないんだ。それこそ、魔王がぼくたちを監視してるからね……」
ゼンが、お? という顔をしました。うさんくさそうな目でフルートを見ます。
「また何か無茶な作戦を立ててるんじゃないだろうな? おまえはいつもそうだからな」
「その時になったら指示するよ」
とフルートは微笑するような顔で答えると、それきり、その話は打ち切ってしまいました。ゼンとポチは顔を見合わせてうなずき合いました。間違いありません。フルートはまた、自分に危険な作戦を考えているのです――。
奥に進むにつれて、洞窟の中はいっそう暖かくなってきました。いつの間にか岩壁が緑でおおわれています。ツタのような植物が洞窟中に伸びて葉を茂らせているのです。葉の間では南国を思わせる色鮮やかな花が咲いていて、洞窟の中はむせかえるような花の香りでいっぱいになっていました。
「ああ、もうダメだ! 暑くて我慢できねえ!」
とゼンが突然、勢いよく毛皮の服を脱ぎ出しました。顔が真っ赤になって汗にまみれています。
「ワン、服を置いていくんですか?」
とポチが尋ねました。
「帰りにまたここで着りゃいいんだよ。ああ、せいせいした!」
薄い木綿の服に青い胸当てをつけただけの格好になって、ゼンは大きく息をしました。エルフの弓矢と矢筒を背負い、腰にはショートソードや盾や荷袋を下げたベルトを締め直します。
「ワン、いいですねぇ。犬は毛皮を脱げませんよ」
ポチがうらやましそうに言いました。実はポチもさっきからこの暑さにかなり参っていたのです。特に今は冬毛になっているのでなおさらでした。
一度風の犬に変身して夏毛になろうかなぁ、とポチは考えて、ふと、前にもこんな状況になったことがあったのを思い出しました。あれはロキと一緒に雪原を渡っていて、暖気団に包まれたときです。ロキとゼンが暑いと大騒ぎし、ポチはやっぱり風の犬に変身して暖かさに合わせた体に変わろうか、と考えました。そして、フルートは――
フルートは?
ポチは思わずぎくりしました。その時、フルートに何が起こったかを思い出したのです。
今、フルートは行く手を見たまま、彼らには背中を向けて、ツタにおおわれた壁に寄りかかっていました。特に何も変わりのないように見えます。けれども、その右手は、剣帯で押さえた左腕を強く抱いていました――。
ポチは大あわてでフルートの前に飛び出しました。見上げたフルートの顔は、案の定、苦痛で真っ青に変わっていました。
「ワン、また腕が痛んできたんですね――!?」
ゼンも仰天して飛んできました。痛みに耐えている親友の表情を見て、絶句してしまいます。
すると、フルートが青ざめた顔のまま、ほほえみました。
「ロキにもう一度凍らせてもらったのにね……さすがに、ここは暑すぎたみたいだよ……」
凍傷を負っている腕が、洞窟の暖かさに溶け出して、また耐え難い痛みを引き起こしていたのでした。左腕を押さえる剣帯と籠手の下で、腕がどんどんふくれあがっていくのが感じられます。頭の芯までしびれるような痛みが、絶え間なく襲いかかってきます。食いしばった歯の奥から、思わず小さなうめき声がもれました。
「くそっ! なんでこうなるんだよ!」
ゼンがわめきながらフルートから剣帯と籠手を外そうとしました。
とたんにフルートが叫びました。
「やらなくていい! 外すな!」
さすがのゼンも思わず面食らうほどの剣幕でした。
驚く仲間たちに、フルートは続けました。
「ごめん……でも、このままでいいんだ。今ここにロキはいないからね……どうすることもできないんだよ。金の石を取り返すしか、方法はないんだ……」
痛みをこらえながらそれだけを言うと、青ざめた顔でまた行く手を見ました。
「行こう。だんだん金の石に近づいてるのがわかるんだ……この後はもう、静かに行こう。バジリスクに気づかれるから……」
そして、フルートは左腕を押さえたまま、また先へ進み始めました。よろめきそうになるのを、ことさら注意深く踏みしめて歩くような足取りでした。
ゼンはその後ろ姿をにらむように見つめました。ポチが心配そうに見上げながらフルートについていきます。本当に、彼らにはどうすることもできません。
「畜生……」
ゼンはうなるようにつぶやくと、友人の後を追ってまた歩き出しました。行く手に待ち受けるバジリスク。それがどんなに恐ろしい怪物でも、なんとしても倒して、金の石を奪い返すしかありませんでした。