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第5巻「北の大地の戦い」

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83.稲妻

 「オン、フルート、お待たせしました」

 氷の山の斜面にぽっかりと口を開けたクレバスの底から、風の犬に変身したポチが飛び戻ってきて言いました。口には抜き身の炎の剣をくわえているので、少しこもった声です。

「ありがとう、ポチ!」

 フルートは歓声を上げ、手元に戻ってきた愛剣を隅々まで眺めました。何百メートルもある氷の裂け目を落ちていったのに、刃こぼれひとつしていません。さすがは魔法の剣です。

 フルートは剣を背中の鞘に収めると、雪の上に座りこんだままのゼンに声呼びかけました。

「行こう、ゼン。ロキを探すんだ――」

 何のためらいもない声でした。ゼンが黙ったままそれにうなずき返したので、ポチが目を丸くしました。

「ワン、いいんですか? ロキはまた魔王の命令でフルートの命を狙うかもしれないんでしょう? それなのに探しにいくんですか?」

 子犬は非難しているわけではありません。ただ、ゼンがフルートに同意したのが意外だったのです。ゼンならば、ロキは裏切り者だから絶対に連れ戻すな、と言い出しそうな気がするのに……。

 すると、ゼンが口を開きました。

「いいも悪いもないだろう。あいつは今頃、行く所もなくてうろうろしてるんだ。放っておけるわけがないだろう」

 憮然とした声でした。

 フルートは小さくほほえみました。仲間たちに向かって言います。

「さあ、早くロキとグーリーを見つけよう。魔王のところには全員で乗り込んで行くんだよ!」

 きっぱりと言い切る友人を、ゼンは黙って見上げました。相変わらず、自分の命を狙われることにはまるで無頓着な勇者です。とことんお人好しだと思うのですが、ゼンにも、その気持ちが何だかわかってしまう気がするのでした……。

 

 ところが、その時ふいに、ポチがぴんと耳を立てました。空の一角を眺めて、背中の毛を逆立てます。

「ワン、見てください! 変な雲が出てますよ!」

 太い氷の針を連ねたような山脈の上空に、みるみる黒雲がわき起こっている場所がありました。信じられないほどの勢いで、山の上が真っ暗になっていきます。

 どっと急に風が吹きつけてきました。いやに暖かく感じられる風です。その中にかすかに声が混じっていました。

「ローデローデリナミカローデ……」

 呪文を唱える魔王の声でした。呪文はフルートたちにおなじみのものです。少年たちはいっせいに顔色を変えました。

「ポポロの雷の魔法だ!」

「ワン、魔王が雷を落とそうとしてる!」

 ゼンも即座に雪の上から跳ね起きて身構えました。

 ところが、黒雲はいっこうにこちらへやってきません。ただ、少し離れた山の上空で、どんどん濃く暗くなっていきます。雲の間に小さな稲妻がひらめき出すのが見えます。

 フルートが、はっと気がつきました。

「魔王はロキを狙ってるんだ!」

「ちくしょう、裏切り者を始末するつもりだな!」

 とゼンも真っ青になります。

 黒い雲はますます大きくなり、地上の山々を暗い影の中に飲み込んでいきます。

 風の犬のポチが叫びました。

「ワン、ぼくに乗ってください! 早く! 助けなくちゃ!」

 ポポロの雷の魔法は強力です。駆けつけても彼らにはどうすることもできません。それでも、フルートとゼンはポチに飛び乗りました。暗雲が渦巻く場所めざして、まっしぐらに飛び始めます。

 風が魔王の呪文を運び続けていました。輝かしい光の魔法のはずなのに、魔王が唱えると、まるで呪いのように響きます。

「イオオオラソンウンアベヨオリナミカ……」

 フルートは唇をかみました。間に合いません。どうしても間に合いません――。ついに呪文が完成してしまいます。

「テウオキロ!」

 行く手の雲の中で激しい光がひらめき渡り、巨大な光がほとばしるのが見えました。

「ロキ!!」

 フルートたちはいっせいに叫びました。

 

 空を引き裂いて光の柱が雲から地上へ落ちていきました。紫がかった光の竜が、天から駆け下っていくようです。まばゆい輝きが雲と地上を照らします。

 と、その瞬間、フルートの胸からもすさまじい光がほとばしりました。青い強い輝きです。フルートは反動で吹き飛ばされて、後ろに座っていたゼンに体で受け止められました。輝きを放っているのは友情の守り石です。再び自分から光り出したのでした。

 少年たちが見守る中、青い光が宙を貫き、雲から落ちてくる稲妻に横からまともに当たりました。二つの光が激しくぶつかり合い、ビシャァァァ、とものすごい音を立てます――。

 いえ、音がしたと思ったのはフルートたちの錯覚でした。実際には、しじまの中で稲妻と青い光が空中でぶつかり合い、花火のように炸裂しただけです。あたりを目もくらむほどの輝きで照らし出し、鮮やかすぎる影を作ります。それから数秒後、ようやく音がフルートたちの耳に届いてきました。

 ガラガラガラガラ……ビシャァァァ……ドカーン!!!

 すさまじい音と衝撃に空気は痛いほど激しく震え、あちこちの山の斜面で雪や氷が崩れました。風の犬のポチも振動に激しく揺すぶられます。

 そして――

 あたりは静かになりました。

 

 上空から黒雲が消えていました。魔王の声ももう聞こえません。フルートの胸の上で、友情の守り石がすーっと光を収めていきました。

「ロキ!」

 フルートたちはまた声を上げると、たった今、雷が落ちていった方角を目ざして全速力で飛んでいきました。

 

 鋭い峰の間の氷河に、大小の黒い影がぽつんと落ちていました。グーリーとロキです。少年は白い地面の上に倒れていて身動きをしません。黒いグリフィンが懸命にすり寄り、小さな主人を起こそうとしていました。

「ロキ! グーリー!」

 風の犬のポチに乗ったフルートとゼンが駆けつけてきました。二人に向かって急降下していきます。グーリーが顔を上げて、グルルルゥ……と鳴きました。威嚇ではなく、助けを求める声でした。

 フルートたちは氷河の上に飛び下りてロキに駆け寄りました。ポチも子犬の姿になって走っていきます。

「ロキ、ロキ!!」

「ワンワン、グーリー! 大丈夫ですか!?」

 ロキは全身にひどい火傷と怪我を負っていました。額の角は根元近くで折れ、黒い服はあちこちで裂けて、そこから焼けただれた皮膚がのぞいています。顔にも大きな火傷の跡があります。守り石の青い光のおかげで雷の直撃は避けたものの、飛び散った雷のかけらに撃たれてしまったのです。まだ息はありましたが、目をつぶったまま、ぐったりと雪の上に横たわっています。

 グルル、グー……とまたグーリーが憐れっぽく鳴きました。こちらは怪我はないようでしたが、心配そうにロキを見つめ続けています。

 ゼンがわめきました。

「どうする!? このままだと死んじまうぞ!」

「ワンワン、ぼくが風の犬になってロキをダイトまで運びますよ! 医者に診せなくちゃ!」

「馬鹿野郎! ダイトの医者が闇の民を治療するもんかよ! なんか……なんか手当てする方法はないのか!?」

 彼らも薬草くらいなら荷物の中に持っています。けれども、ロキの怪我がそんなもので間に合うはずがないのは、見ただけで明らかなのです。フルートが唇をかんでつぶやきました。

「金の石がここにあれば……」

 魔王の命令でバジリスクに奪われてしまった魔法の金の石。旅の間中、何度もそれが手元にあれば、と考えてきましたが、今この時ほど、それがほしいと思ったことはありませんでした。金の石は癒しの石です。きっと、たちどころにロキの怪我を治してくれるのに――。

 

 すると、ふいに小さな声が言いました。

「やめてよ、フルート兄ちゃん……おいらを殺す気かい……」

 黒ずくめの少年が目を開けて、年上の少年たちを見上げていました。力のない声で続けます。

「おいらは……闇のものだよ……。聖なる金の石なんか使われたら……あっという間に、消滅しちゃうじゃないか……」

 そして、ロキは、へへっと小さく笑いました。はかないくらいに弱々しい笑顔でした。

「ロキ!」

 とフルートたちはいっせいにかがみ込みました。

「大丈夫かい? 痛くない?」

「体中痛い……。でもさ、おいらは闇のものだからさ……このくらいじゃ死なないんだ……」

「ワン、でもひどい怪我だ」

 とポチが心配そうにロキの顔をのぞき込みました。片方の頬をおおいつくす火傷の痕は、見ているだけで痛々しく感じられます。

「大丈夫だったら……。消滅さえしなきゃ……じきに治っていくんだよ……。ホントに、おいらたち……めったなことじゃ死なないんだから……」

 そして、ロキはまた笑いました。今度は皮肉な笑い顔でした。

「あのときも、そうだったんだ……。父ちゃんたちが死んで……村を追い出されたとき……。おいらと姉ちゃんと、毛皮の服も着ないで、雪原にいたのに……吹雪が来て……ものすごく寒かったのに……でも、おいらたち……どうしても、死ななかったんだ……」

 フルートは黙ってロキを見つめました。ブリザードの吹き荒れる雪原に、寄り添いながらとまどって泣く、小さな姉弟が見えるような気がしました。悪魔のような自分たちの姿を信じたくないのに、いやでも信じるしかなかった、彼らの気持ちがわかってしまいます。

 すると、ゼンがふいに手を伸ばして、ロキの頭を小突きました。

「なに言ってやがる、この馬鹿。それって、このまま何もしなくても治っていくってことなんだろう? 良かったじゃないか」

「いたたっ! い、痛いよ! さわんないでよ!」

 たちまちロキが悲鳴を上げたので、ゼンは、おっと、と手を引っ込めました。

「悪い。傷にさわったか?」

「まったくもう……ゼン兄ちゃんったら、ほんとに乱暴なんだから……」

 ロキは口をとがらせて文句を言い――ふいに、その目に涙を浮かべました。傷がひどく痛むのかとフルートたちが心配してのぞき込むと、黒い少年が言いました。

「どうしてさ、兄ちゃんたち……どうして、そんなに優しくするのさ……。おいら、裏切り者だよ? 兄ちゃんたちを、殺そうとしたんだぞ……」

 とたんに、ゼンが、ちぇっと舌打ちしました。

「抜かせ。おまえが裏切ったのは魔王だろうが。だったら、やっぱりおまえは俺たちの仲間なんだよ」

 ロキは涙ぐんだ目を見張りました。信じられないように見上げる彼にフルートたちがうなずき返すと、赤い瞳にみるみるうちに涙があふれ出します。

 

 とたんに、ゼンが閉口した顔になりました。

「ったくもう、こいつといい、ポポロやフルートといい、どうしてこう泣き虫ばっかり揃ってるんだ? いいかげんにしろよな!」

 相変わらず涙嫌いのゼンです。たちまちフルートが不満そうな顔つきになりました。

「どうしてぼくまで引き合いに出すのさ。ぼくは今回は泣いてないよ」

「ここまで泣いてなくても、絶対に泣くぞ。おまえのことだ、ポポロを助け出したら嬉し泣きするんだ。間違いねぇや」

「泣かないったら! そう言うゼンだって泣いたことがあるじゃないか」

「お? 俺がいつ泣いたってんだよ。変な言いがかりをつけるなよ」

「言いがかりなもんか! 君だって泣くんだ。人のことを言えるかい――!」

 突然口喧嘩を始めてしまったフルートとゼンを、ロキが涙ぐんだまま、驚いたように見上げていました。二人が喧嘩をするところを見るのは初めてだったのです。ポチがあきれたように言いました。

「ワン、二人ともそんなことを言い合ってる場合じゃないでしょう。この先どうするか、早く決めないと」

 こちらは相変わらず冷静で賢い子犬です。ゼンがじろりとそれをにらみました。

「生意気野郎」

「単純ゼン」

 すかさず子犬が言い返します。

 今度はゼンとポチの間で喧嘩になりかけたのを、フルートがあわてて割って入って仲裁しました。

 呆気にとられてそれを見ていたロキが、やがて、笑い出しました。まだ力はありませんが、明るい笑い声を立てます。フルートたちが思わず振り向くと、ロキが手を差し伸べて呼びかけてきました。

「フルート兄ちゃん、ゼン兄ちゃん、ポチ――」

 フルートたちはいっせいにかがみ込みました。それに向かって、涙ぐんだ目でにっこり笑って見せながら、ロキは言いました。

「魔王を倒して、姉ちゃんを助け出して。お願いだよ……」

 フルートたちは力強くうなずき返しました。とたんに、ロキの目から大粒の涙がこぼれ始めました。フルートが、そっとロキの手を握ります。さすがのゼンも、今度はロキが泣いていても何も言いませんでした。

 彼らの頭上からは魔法の暗雲が消え、また鮮やかな青空が広がっていました。

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