フルートの首から下げられた友情の守り石が青く光り続けていました。まぶしくて目も開けていられないほどの輝きです。
光にまともに照らされて、ロキがまた悲鳴を上げました。顔をそむけながら叫びます。
「グーリー! グーリー!!」
声を聞きつけて空から黒いグリフィンが急降下してきました。光をさえぎるように大きな翼を広げると、背中にロキを拾い上げ、次の瞬間にはまた空に飛び立っていきます。
「ロキ!」
とフルートたちはまた声を上げました。青い光に追われるように、ロキとグーリーはたちまち遠ざかっていきます――。
すると、友情の守り石は、光り出したときと同じように突然すうっと光を失っていきました。あたりを真昼のように照らしていた光が薄れて、ただ日の光を返して青く輝くだけの宝石に戻ります。
フルートたちは呆然とそれを見つめました。今の今まで、エルフからもらったことさえ忘れていた石です。こんな力を秘めていたとは想像もしていませんでした。
とたんに、ゼンがその場に座りこみました。握っていたショートソードを雪の上に投げ出し、頭を抱えてうめきます。
「助かった……」
ロキに殺されかかったフルートよりも、ゼンの方が青ざめた顔をしていました。舞い下りきたポチが、子犬の姿に戻ってゼンを見上げました。
「友情の守り石に助けられましたね……。ロキを殺さないですんだんだ」
膝にぐったりと寄りかかりながら、ゼンがうなずきました。石が光り出すのがあと一瞬遅ければ、ゼンはロキを切っていたでしょう。フルートを守るために絶対そうしたに違いないのです。その様子を想像して、ゼンは改めて身震いをしていました。冷たい汗が背筋を流れ落ちていきます。
フルートはグリフィンが飛び去った空を見上げました。痛ましさにまた目を細めます。
「ロキはぎりぎりまで魔王に抵抗していたんだよ……。本当にぼくを殺すつもりだったら、とっくに殺せていたんだ。君たちが駆けつけてくるまで、がんばって魔王の命令に逆らい続けてたんだよ」
ロキが炎の剣をクレバスの中に投げ込んだ理由も、今はもうわかっていました。危険すぎる炎の剣をフルートに向けけないように、自分の手の届かないところへ遠ざけたのです。
「あの馬鹿野郎……」
ゼンが膝に顔を埋めたままつぶやきました。
友情の守り石は、フルートの鎧の胸の上で、静かに光り続けていました。
黒いグリフィンのグーリーは氷の山々の間に舞い下りました。大きな氷河が横たわり、山間の谷を埋めています。
角を生やした黒い姿のロキが、グーリーの背中から滑り降りました。そのまま、グリフィンの首を抱きしめて顔を寄せます。クルル……とグーリーが鳩のように咽を鳴らしました。ロキは声もなく泣いていたのでした。
自分が闇の民でなかったらどんなに良かったのに、とこの旅の間、何百回となく考えたことをまた思います。ただの人間だったら、本物のトジー族だったら。そうしたら、堂々と兄ちゃんたちの仲間になって、兄ちゃんたちと一緒に戦うことだってできたのに――。
けれども、ロキは闇の民でした。額の角も口の端から突き出した牙も、魔法の力で見えなくすることはできましたが、なくしてしまうことは決してできないのでした。
ふぅっとロキは溜息をつきました。グーリーのワシの首を抱きながら、つぶやくように言います。
「これからどうしようか、グーリー……」
もうフルートたちの元へは戻れません。姉のアリアンを助け出す手段も思いつきません。広大な北の大地に、グーリーと二人ぼっちでいるのを感じて、ロキは思わず震えました。北の大地の大気よりも、もっと冷たい孤独でした。
すると、ふいにその目の前の空に男が現れました。黒ずくめの服を着た痩せた男です。
ギィ! と悲鳴のようにグーリーが鳴き、ロキも思わず叫びました。
「魔王!」
「まったく役に立たない奴だ」
と魔王は冷ややかに言いました。ロキを眺める薄青い目には、ほんの少しの哀れみもありませんでした。
「もう一度だけチャンスをやる。奴らの元へ戻るのだ。勇者たちはおまえを捜している。奴らはおまえを相変わらず友だちだと思っているからな。改心したふりをして奴らの元へ行き、今度こそ勇者の命を奪うのだ」
ロキは目を見張りました。フルートたちが自分を探しているということばが、とても信じられませんでした。けれども、魔王が嘘をつくはずはないのです。
兄ちゃん……とつぶやいたロキの目の前に、突然小さなガラス瓶が現れて雪の上に落ちました。中に血のように赤い液体が入っています。
魔王が言いました。
「それを飲め。闇のものに害はないが、人間には即効性の毒だ。それを飲めば、おまえの角や牙や爪が毒に染まる。勇者どもは、まさかおまえ自身が毒を持っているとは考えない。おまえが傷つければ、奴らはたちまち死んでいくだろう」
ロキは真っ青になりました。恐怖の目で薬瓶を眺めます。
「薬を飲め」
と魔王が再び命じてきました。有無を言わせない声です。
ロキは後ずさりました。つられてグーリーも一緒に下がります。それへたたみかけるように、また魔王が言いました。
「飲め! わしに従うのだ!」
魔王の声が圧倒的に迫り、力ずくで闇の少年をねじ伏せようとします。少年の中で二つの心がせめぎ合いました。命令に素直に従おうとする気持ちと、あまりにも恐ろしい裏切りにおびえておののく気持ちです。フルートとゼンとポチの姿が頭の中に思い浮かびました。戻ってきたロキに喜んで駆け寄ったとたんに、毒の角に貫かれ、毒の牙や爪に傷つけられて息絶えていく姿です――。
ロキは震えながら首を横に振りました。まるで赤い液体が自分自身を殺す毒であるように、グーリーにしがみついたまま、いっそう後ずさって行きます。
魔王の声がふいに怒りに充ちました。
「わしに逆らうというのか! ならば、そんな奴にもう用はない。グーリー、その小僧を引き裂いてしまえ!」
ロキはぎょっとしました。かたわらの黒い友人を見ます。
グリフィンは、魔王の声を聞いたとたん、大きく頭を振りました。ロキの小さな手を振り切り、頭を高くもたげて、ギェェェン……と吠えます。それは闇の怪物の鳴き声でした。
「や……やめろ、グーリー!」
ロキは叫びました。グリフィンは狂った目をしています。いつか雪原でロキを襲ったときと同じように、魔王に操られてしまっているのです。グーリーが鋭い爪の前足を高々と上げ、闇の少年をたたきつけようとします。ロキは思わず目を閉じて泣き声を上げました。
「グーリー!!」
とたんに、グーリーが我に返りました。驚いたように飛びのき、前足を下ろして後ずさります。グルル、グルル、と咽を鳴らし続けます。おびえた声でした。
ロキは涙を浮かべた目を開けると、グーリーに駆け寄っていきました。やっぱり、グーリーはロキの親友です。たとえ闇の生き物であっても、生まれたときから一緒に育ってきたロキを殺す命令には絶対に従えないのでした。
魔王の声がますます怒りに充ちました。
「揃いも揃って、わしに逆らいおって……。おまえたちにはもう何の価値もない。勇者どものために温存しておいた光の魔法だが、おまえたちに使ってやろう。消滅するがいい、ロキ!」
ロキは真っ青になりました。グーリーもいっそうおびえた声を上げます。
すると、突然、何もない空間から少女の声が響きました。
「やめて、魔王! 約束が違うわ! 弟には手を出さないで!」
澄んだ声が震えながら氷の山々に響きます。ロキははじかれたように顔を上げました。
「姉ちゃん!」
それは姉のアリアンの声でした。
魔王が見えない声の主に、にやりと笑い返しました。
「約束? どんな約束だ」
「私が協力すれば弟の命は助けてくれると言ったでしょう!?」
少女はすでに泣き声でした。
「さて、そんな約束をいつしたかな。そもそも、魔王であるわしが、おまえらのような下々の者と約束など取り交わすはずがない。役に立たない者は消し去るだけだ。おまえはこのまま使い続けてやる、アリアン・ノックス。おまえほど目の良い奴は、わしの範疇には他にいないからな」
それを聞いて、ロキは歯ぎしりをしました。魔王はロキの夢の中に現れて、ポポロの魔法使いの目を使うことにしておまえの姉を殺してやるぞ、とロキに迫っていました。首尾良くフルートたちを殺せば姉を解放してやる、とも約束しました。けれども、魔王自身が言っているとおり、魔王は最初から約束を守るつもりなどなかったのです。
ロキは泣きながら笑ってしまいました。
「ちぇ、これじゃおいら、姉ちゃんのこともフルート兄ちゃんのことも笑えないや……。一番お人好しで馬鹿だったのは、このおいらじゃないか……」
「魔王!」
と叫ぶアリアンの声が、鋭い悲鳴に変わりました。まるで何かに締め上げられているように甲高い声を上げ、そのまま気配が消えていきます――。
「姉ちゃん……」
ロキは青ざめながらつぶやきました。闇の権化の魔王。闇そのものの彼は、同じ闇の者にも情けをかけると言うことがまったくないのです。
氷の山間に魔王の声が響き始めました。
「ローデローデリナミカローデ……」
ポポロから奪った光の魔法の呪文でした。たちまち青空に黒雲がわき上がり、山々の上空をおおっていきます。
「イオオオラソンウンアベヨオリナミカ……」
呪文が続きます。空気が帯電を始め、ロキとグーリーの回りでパチパチと小さな音を立て始めます。ポポロの最強攻撃魔法のひとつの、稲妻を呼ぶ呪文です。
ロキはグーリーを思い切り突き飛ばして叫びました。
「逃げろ、グーリー!!」
鋭い山々の間を埋める氷の大河。その上を、小さな黒い少年と巨大な黒いグリフィンは、全速力で逃げ出しました――。