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第5巻「北の大地の戦い」

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81.黄泉(よみ)の短剣

 ゼンはポチの背中で歯ぎしりをしていました。巨大な黒いグリフィンが雪の上にいます。黒い人影がフルートに迫っています。あれは闇のものたちの姿です。自分たちがフルートのそばを離れた隙に、魔王が現れてフルートを殺そうとしているのに違いありません。

 ところが、エルフの矢を狙って放とうとしたとたん、ゼンは、あっと驚きました。

「ロキ! おまえ、ロキなのか――!?」

 フルートに短剣を突きつけている人物の顔が見えたのです。

 ロキはゼンを見上げて、にやりと笑って見せました。

「やあ、ゼン兄ちゃん、おかえり。こっちの都合でね、本当の姿の方に戻らせてもらったんだ」

「本当の姿だと……?」

 ゼンは意味がわからなくて呆然としました。角と牙を生やした黒ずくめの少年。どう見ても、闇のものの姿をしているのに、その顔と声は紛れもなくロキなのです。

「そう、闇の民のロキ・ノックスと、闇のグリフィンのグーリーさ」

 とロキがまた名乗ります。ゼンとポチは仰天しました。

「グーリーだと!?」

 と地上に黒くうずくまる怪物を見ます。

 ロキがまた笑いました。まるで、泣き出してしまいそうに見える笑い顔でした。

「そう、おいらたちは、兄ちゃんたちを殺すために一緒に旅をしていたんだよ。――行け、グーリー! ゼン兄ちゃんとポチを倒すんだ!」

 ギェェェン……!

 黒いグリフィンが甲高く鳴いて翼を広げました。巨大な体が舞い上がり、風の犬のポチ目がけて襲いかかっていきます。

「ワン! ホントに――何がどうなっているんですか!?」

 とポチが叫びました。すっかり混乱してしまっています。人の感情を匂いでかぎ取る子犬にも、ロキたちの正体はまったく読めていなかったのです。

 黒いグリフィンが飛びかかってきました。大きな前足の爪でゼンを引き裂こうとします。ポチが懸命に体をひねって、ゼンをかばいます。そこへ、グリフィンの鋭いくちばしが突き出されてきました。ゼンの青い胸当てをかすめていきます。

 

「こンのやろぉ……!!」

 ゼンは、かっとした顔になりました。

「グーリーだか何だか知らないが、俺は攻撃されたら反撃するぞ! 黙ってやられっぱなしでいられるか! ポチ、正面につけ!」

「ワン!」

 ポチが大きく宙返りして、グリフィンの前に出ました。そこからゼンはエルフの矢を射ました。百発百中の矢がグリフィン目がけて飛んでいきます。

「グーリー!!」

 地上から見上げていたフルートが、思わず声を上げました。グリフィンの眉間に白い矢が突き立つ光景が見えた気がします。

 けれども、矢が届くより早く、グリフィンが大きな翼を打ち合わせていました。強い風がどっと起こり、ゼンの放った矢を押し返してしまいます。

「このぉ……」

 ゼンは歯ぎしりしながら弓を背に戻すと、今度はショートソードを抜きました。

「行けポチ! 接近戦だ! あいつを空からたたき落としてやる!」

 ポチはゼンを背に乗せたまま、グリフィン目がけて飛びかかっていきました。ゼンが握ったショートソードの刃が、日の光に白く光って見えます。

「やめろ、ゼン、ポチ! やめるんだ――!!」

 フルートは地上から必死に叫び続けていました。どんな姿をしていても、あれはやっぱりグーリーです。ゼンやポチがグーリーと戦い合うのは、どうしても耐えられませんでした。

 

 すると、そんなフルートの目の前に、また針のような短剣が突きつけられてきました。ロキです。フルートの後ろから、あきれたように話しかけてきます。

「そんな心配してる場合? 絶体絶命でいるのはフルート兄ちゃんの方なんだよ」

 その瞳は血のように赤く、角と牙が生えた黒ずくめの姿は、本当に悪魔のようです。

 フルートは言いました。

「もうやめるんだ、ロキ。君たちとは戦えないよ。君たちはやっぱり、ぼくたちの友だちなんだ――」

 すると、ロキがまた笑いました。悲しそうな、あきらめきった笑いでした。

「言ってるじゃないか。おいらは闇の民なんだって。闇の民と光の戦士が一緒にいることはできっこないんだったら」

「いいや、できるさ! 闇の民だって、元は天空の民だったんだ。心の中に光は持っているんだよ! すべてが闇でできてるデビルドラゴンとは違うんだ! 自分自身がそうしようと思えば、きっと、魔王にも闇にも立ち向かうことができるんだよ――!」

 少しの間、ロキは何も言いませんでした。フルートに短剣を突きつけたまま黙り込んでいましたが、やがて、大きく吹き出して笑い始めました。

「ほぉんとに、フルート兄ちゃんったら……! 兄ちゃんにかかったら、悪いヤツなんて、世界中にひとりもいなくなっちゃうな。そんなこと、あるわけないじゃないか。ばっかみたいだ!」

 フルートは首を振りました。体はロキの闇の魔法に縛られていて動きません。けれども、声だけは出し続けることができました。

「悪いやつはいるさ。闇の国じゃなくても、この地上にも。他人を陥れて自分だけ得をして、それでいいんだと思ってるやつは大勢いる。だって、人は心の中に光と闇の両方を持っているから。心の闇に負ければ、人は闇に落ちる。でも、闇に負けないように光の場所を見続ければ、闇の民だってきっと、光の仲間になれるんだよ――」

 正直、今まで、フルートは闇の民についてそんなふうに考えたことはありませんでした。こうして話していることも、たった今思いついたことなのです。けれども、それは真実を突いているような気がしました。ロキ、そしてグーリー。どんなに闇そのものの姿をしていても、フルートには、彼らが闇の一族だとはどうしても思えないのです。むしろ、光の戦士の自分たちと、とても近い存在に感じられます……。

 

「じゃあ、そんなふうにずっと信じてなよ、兄ちゃん」

 ロキが答えました。なんだか疲れ切ったような声でした。

「おいらは兄ちゃんを殺さなくちゃならないんだ。そうしなくちゃ、姉ちゃんを魔王に殺されるからね。姉ちゃんは、おいらのたったひとりの家族だ。姉ちゃんを助けるためなら、おいらはどんなことだってするんだよ」

「ソウダ、ろき」

 と魔王の声がそれに重なりました。声は低く深く響いてきて、とろりと彼らを包みます。

 黄泉の短剣が宙に振りかざされました。ロキが勢いよくフルートの顔に突き立てようとします。ロキ! とフルートは叫びました。思わず目をつぶりそうになります。

 

 ところが、その刃が途中でぴたりと止まりました。フルートの目の前、わずか数センチという位置です。

 ロキが、ごくりと咽を鳴らしながら、後ろへ目をやりました。その喉元には鋭いショートソードが突きつけられています。剣を構えながら、背後から、ぬっと姿を現したのはゼンでした。

「たいがいにしろ。こいつを殺そうとするヤツは、たとえロキでも俺は絶対に許さないぞ」

「いつの間に……」

 とロキがあえぎながら言いました。ゼンの握るショートソードは、ロキの咽に食い込むほどに押し当てられています。ゼンが恐ろしいほど怒り、ロキを本気で殺そうとしているのが伝わってきます。

 空の上では、風の犬のポチがグリフィンのグーリーと戦い続けていました。ポチは隙を見て、フルートたちのすぐそばにゼンを下ろしたのです。グーリーが主人を助けに駆けつけようとしていましたが、そのたびにポチがさえぎって空に追い返し、戦いに引き戻していました。

 ロキが青ざめながら笑いました。

「さすがはゼン兄ちゃんだよね。やっぱりフルート兄ちゃんを助けに駆けつけてくるんだ……。でも、もう遅いよ。フルート兄ちゃんは死ぬのさ」

 黄泉の短剣は、フルートのすぐ目と鼻の先に突きつけられたままです。

「やれるもんならやってみろ。そのとたんにおまえの喉首かっきってやるからな」

 とゼンが答え、嘘ではない証拠に押し当てたショートソードにさらに力をこめました。ごくり、とロキがまた咽を鳴らします。

「やだなぁ……。闇の民はなかなか死なないようにできてるんだけどさ、それでも咽を切られたら痛いし、下手すれば本当に死んじゃうんだよ……。だけど、おいらは――」

 そのとき、雷鳴のような声が響き渡りました。

「殺セ、ろき! 勇者ヘ、ソノ剣ヲ突キ立テロ!!」

 魔王の声が氷の大地を揺るがしながら命じてきます。ロキは血の気を失って、紙のように白い顔になりました。黄泉の短剣を握る手が震えます。

「ロキ!」

 とフルートは叫びました。

「奴の言うことを聞くんじゃない! 奴はロキの命なんか、どうなってもかまわないんだ! そんな奴の命令を聞いちゃだめだ!!」

 けれども、ロキは答えました。

「ダメなんだよ、兄ちゃん……。おいらには逆らえないんだよ。……たとえ殺されたって、魔王には逆らえないんだ……」

 声が悲しく揺れました。毒の短剣を構えたまま、ちらりと後ろのゼンを振り向きます。その顔が薄いほほえみを浮かべているのを見て、ゼンは愕然としました。

「おまえ――」

 それはゼンに期待している顔でした。ショートソードを自分の咽に突き立て、力ずくで自分を止めてくれ、と言っているのです。宙にかざしたままの短剣が、ためらうように震え続けています。

 その時また、魔王の声が圧倒的に響きました。

「ヤレ、ろき!!!」

 びくり、と短剣が震え、はじかれたように動き出しました。フルートは思わず顔をそむけました。が、顔の真ん中を狙う切っ先をかわすことはできません。ゼンがショートソードを握る手に力をこめます。その手の中は冷たく汗ばんでいます――

 

 その時、猛烈な光がフルートの胸元からあふれ出しました。

 目もくらむような青い光の奔流です。爆発するようにあたりに広がり、少年たちを吹き飛ばして、雪の上に押し倒します。

 その拍子にフルートの体がまた動くようになりました。ジュッと音をたてて、黄泉の短剣が消えていきます。

 ロキはあわてて起き上がると、光を避けるように手をかざしながらわめきました。

「ち、ちくしょう、聖なる光だ! 兄ちゃん、金の石の他にもそんなものを持ってたのかよ――!?」

 フルート自身も、まったく意外なことに驚いていました。光は鎧の内側からあふれてきます。探る指先に鎖が触れたので急いで引き出してみると、たちまち青い輝きが強まり、あたりをまぶしく照らしました。

 金の鎖の先で輝いていたのは、白い石の丘のエルフからもらった、友情の守り石でした――。

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