「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第5巻「北の大地の戦い」

前のページ

80.命令

 「ほぉんと、フルート兄ちゃんは人がいいんだから」

 フルートの体に腕を回し、短剣を顔に突きつけながら、ロキが笑いました。

「こんなに簡単に人を信用しちゃうんだもん。兄ちゃんの寝首をかくのなんて、ホントに造作ないよね」

 ロキの声は乾いていました。さっきまでのすすり泣きも、悲しそうに迷う様子もすべてかなぐり捨てて、冷ややかな笑いだけを顔に浮かべています。

 ロキ、とフルートが声をかけようとすると、短剣が、ぐっと顔に近づいてきました。

「動くな、兄ちゃん! これは黄泉(よみ)の短剣って言ってね、刃全体が毒の塊でできてる魔法の剣なんだ。これにほんのちょっとでもかすられたら、兄ちゃんはたちまち倒れて死んじゃうんだよ。でも、そのぶん、ほとんど苦しまないで逝けるからね。それは安心してよね」

 フルートはロキの顔を見つめ続けました。悪魔のような表情をしている友人の中に、必死で以前の面影を探し続けます。

 すると、ロキがまた笑いました。

「まだ、おいらが改心するのを期待してるの? 無駄だったら。おいらは闇の民。それはどうしたって変えられないことなんだよ。光の戦士の兄ちゃんたちとは、絶対に一緒にはなれない存在なのさ――」

 一瞬、声が揺れました。

 ロキは不本意そうな顔をすると、すぐに、いっそうあざ笑うような口調になりました。

「占いおばばも変なこと言ったよなぁ。闇が光に変わることがあるかもしれない、だなんてさ。そんなわけないのに。闇は生まれたときから闇。絶対に光になんてなれないし、おいらの魔法が北の大地のみんなの役に立つなんて――そんなの夢物語に決まってるのに!」

 吐き出すように言って、そのまま黙り込みます。

 フルートは何も言えずにロキを見つめ続けました。闇の少年の最後の一言は、自嘲の響きに充ちていました。本当は、そうなったらどんなにいいのに。自分が本当はトジー族で、姉と一緒に占いおばばのところへ行って、みんなの役に立つ仕事ができたらどんなにすばらしいだろう。そう思うロキの気持ちが、ありありと伝わってきます。

 どんなに悪ぶっても、ロキはやっぱり幼くて素直です。自分自身の本心を、どうしても隠し通すことができないのでした。

 

 けれども、ロキはまた乾いた笑いを浮かべて顔を上げました。自嘲と怒りと悲しみをごちゃ混ぜにした目でフルートを見上げて言います。

「さあ、もういいよね。これだけ話せば、兄ちゃんも満足だろう? 後はこの剣で刺されて死んでよね――」

 黄泉の短剣が毒の刃を光らせていました。それを握るロキの手は小さく震え続けています。少年の笑い顔は凍りついたように少しも表情を変えません。まるで氷でできた仮面をかぶっているようです……。

 フルートがふいに動きました。いきなりロキの肩をつかんで、ぐいと突き放してしまいます。その動きがあまりに無造作だったので、ロキはびっくりしました。死の短剣を突きつけられたフルートがそんな真似をするとは思わなかったのです。

 フルートの右手が鋭く動きました。ぱん、と音を立ててロキの頬を打ちます。

「……兄ちゃん……?」

 ロキは頬に手を当てて、ぽかんとしてしまいました。痛みはそれほどではありません。ただ、フルートが自分をぶった――あの優しいフルートが自分を殴ったという事実に驚いて、呆気にとられてしまっていました。

 すると、フルートがどなりました。

「いいかげんにしろ!!」

 ロキは思わず飛び上がりました。普段の穏やかなフルートからは想像もつかないほど、強く厳しい口調です。

「闇の民だから悪いことをしなくちゃいけないだなんて、そんなこと決まっているもんか! やりたくもないことをさせられるな! 魔王の命令なんか聞くな! 自分が本当は何をしたいか考えろ、ロキ――!!」

 ロキは本当に驚いていました。フルートがこんなに激しく怒ったりどなったりすることがあるのだとは、考えたこともありませんでした。驚きすぎて、闇の短剣を使うことさえ忘れてしまっています……。

 フルートは言い続けました。

「ぼくたちの共通の敵は魔王だ! ぼくたちは魔王を倒す! そうすれば、君の姉さんだって助け出せるし、君も魔王に従う必要はなくなるんだ! ぼくたちの方に来い、ロキ! 敵に負けるな!」

 ふいにロキの赤い瞳から涙がこぼれました。ぼろぼろと大粒の涙を流しながら、ロキが首を振ります。

「ダメだよ、兄ちゃん……。おいらは生まれついての闇なんだよ。それはどうしたって変わりっこないんだからさ……。魔王は闇の帝王だ。おいらもグーリーも、魔王に命令されたら、絶対に抵抗できないんだよ……」

 ギェェン、とグーリーが鳴きました。ロキと一緒にすすりなくような声です。そんなことはない、とフルートは叫ぼうとしました。絶対抵抗できないなんて、そんなことはないんだ、と。

 

 ところが、そこへまたクレバスの底から声が響いてきました。

「ソウダ。オマエタチハ抵抗スルコトハデキナイ。オマエノ姉ノ命ハ、ワシガ握ッテイルノダカラナ」

「魔王!」

 フルートは拳を握り、あたりを見回しました。魔王は姿を現してはいません。見えない敵へフルートはどなり続けました。

「できるもんか! おまえはロキの姉さんの透視力を自分のものにしている! 大事な目を自分からなくすような真似は、おまえにはできないはずだ!」

「イイヤ。ワシニハ、モウ一組ノ目ガある。見ヨウトスルモノヲ思イサダメレバ、地上ニアッテモ天空ニアッテモ、ドコマデデモ見通セル目――アノ魔法使イノ娘ノ目ダ。アレサエアレバ、ありあんナドモウ用ハナイ」

 魔王の声はほくそ笑んでいました。フルートは思わず息を飲みました。魔王が何を切り札にロキに命じているのか、わかってしまったのです。

 少し前に、魔法使いが何でも見える魔法の目を持ってるってのは本当かな、とロキが尋ね、ゼンがポポロの魔法の目の話をすると黙り込んでしまったのを思い出します。あの時、ロキはもう魔王から迫られていたのに違いありません。金の石の勇者を殺せ、さもなければ、おまえの姉を殺すぞ。わしには魔法使いの目を持つポポロがいる。おまえの姉を殺すことなど、痛くもかゆくもないのだぞ――と。

「姉ちゃん」

 とロキがつぶやきました。涙が止まっていきます。その表情がみるみるまた冷たく凍り始めるのを、フルートは背筋が寒くなる想いで見つめました。必死で叫び続けます。

「聞くな、ロキ! 魔王の言うことなんか信じるな! あいつは君を従わせるためにあんなことを言ってるんだ! 闇の声に耳を傾けるな!」

 サイカ山脈に登り始める直前に、魔王が見せてきた幻が思い出されます。ポポロとメールとルルは黒い闇の触手に飲み込まれて見えなくなっていたのに、ロキの姉のアリアンだけは、逆にこれ見よがしに触手で縛られ、つり下げられていました。あれはロキへの見せしめだったのです。裏切るな。さもなければ姉の命はないのだぞ、と……。

 ふうっとロキが疲れたように溜息をつきました。右手に握る短剣を見つめます。

「無理なんだったら、兄ちゃん……。闇は闇に従うものなんだよ。そういうふうにできてるんだ……」

 乾いた声と顔の向こうに、激しく泣き続ける小さな少年の姿が見える気がします。フルートは首を振りました。もうことばが出てきません。ただ、心の中で叫び続けました。戻ってこい! 戻ってこい、ロキ! と――。

 すると、ロキが口を開きました。穏やかなくらいの声でいいます。

「魔王はその気になれば、本当に姉ちゃんを殺すんだ……。ということは、魔王がポポロの目を使うことにして、姉ちゃんを解放することだってありえるってことなんだよね。魔王は約束したんだよ。フルート兄ちゃんを殺したら、姉ちゃんを自由にするって。だから、さ……おいらは兄ちゃんを殺すことにしたんだ……」

 ロキが静かに心を決めていくのが、気配で伝わってきました。かすっただけで命を奪うという黄泉の短剣を、長い爪が生えた手で握り直します。

「じゃあね、兄ちゃん。悪く思わないでね――。おいらには、ホントに、こうするしかなかったんだよ。だって、おいらは闇のものだから。絶対に、光の中には行けないものなんだから」

 ロキが滑るように近づいてきました。フルートは逃げられません。心と体がしびれたようになって、身動きできなくなっていました。いつの間にか、ロキの声に込められていた闇の魔力に絡め取られていたのです。短剣の切っ先がフルートの顔に迫ってきます――。

 

 そこへ声が響いてきました。空の彼方から近づいてくる者たちがいます。

「フルート!」

「ワンワン、フルート! フルート……!」

 大雪鳥にとどめを刺して戻ってきたゼンとポチが、フルートに凶器を突きつける黒い人物と、そのそばに立つ巨大なグリフィンを見て、血相を変えて駆けつけてくるところでした。

 ロキは短剣を止めると、空を見上げて舌打ちをしました。

「ちぇ、もう戻って来ちゃったか。ちょっと長く話しすぎたかな」

 けれども、いまいましそうに言うその声は、すぐ裏側に、ほっと安堵している響きを抱えていたのでした――。

素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク