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第5巻「北の大地の戦い」

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70.炎の渦

 グーリーはロキとゼンを乗せたまま必死で走り続けました。蹄の音が激しく鳴り響き、凍った地面が蹴り砕かれて飛び散ります。

 そのすぐわきを風の犬のポチが飛び続けました。背中にはフルートが乗っています。振り向きながらフルートが言いました。

「急げ! 追いついてくるぞ!」

 氷の蛇の大群が、薄羽根を震わせながら、うんかのように押し寄せてきます。アイスウィングです。けれども、それよりもっと恐ろしいのは、その前を流れるように飛ぶ、光る霧の塊でした。目に見えないほど細かく分裂したアイスウィングの大群が、子どもたちを押し包み、体の中に侵入して、内側から彼らを食い殺そうとしているのです。

「くそっ……!」

 ゼンも後ろを見て歯ぎしりをしました。得意の弓矢も自慢の怪力も、この敵相手には何の役にもたちません。

 ロキは今にも泣きそうになりながら、それでも必死でグーリーを走らせていました。手綱を鳴らし、鋭く声をかけ続けます。けれども、アイスウィングの霧はますます迫っていました。もう十メートルと離れていません。とても逃げ切ることができません。

 すると、ふいに彼らの前にポチが出てきました。フルートが叫びます。

「グーリーを止めて、ロキ!」

 ロキとゼンは驚きました。

「え、そ、そんな……!?」

「早く!」

 フルートはまた鋭く叫び、同時に自分がはおっていたマントを彼らに投げました。魔法の金の鎧があらわになり、日の光に輝きます。

 ロキが必死でグーリーの手綱を引いて急停止させました。半べそをかいています。アイスウィングはもうすぐ後ろまで迫っています。あっという間に自分たちに襲いかかってくるでしょう――。

 すると、ゼンが後ろからロキに腕を回してきました。ドワーフの少年は、大人のように太い腕をしています。

「フルートが止まれって言ってんだ。ヤツを信じろよ!」

 そう言うと、小さな少年を守るために、フルートが投げたマントでロキを頭からおおいかくしました。その上からさらにロキを抱きしめ、自分はフルートとポチを見上げます。

「いいぞ!」

 フルートがうなずきました。すぐ後ろまで来たアイスウィングの霧を見ながら、ポチに命じます。

「つむじ風! グーリーの周りを飛ぶんだ!」

「ワン!」

 即座にポチは風の渦になり、その中心にグーリーを抱き込みました。ごうごうと風がうなり、地面の凍った雪が削れて、シャラシャラと砂が流れるような音を立て始めます。ゼンが押さえているマントの裾が激しくはためきます。

 フルートが炎の剣を高く掲げて振りました。続けてもう一度。さらにもう一度――。

 続けざまに撃ち出された炎の弾が、ポチの風の体に巻き込まれ、あおられて炎の渦に変わりました。ゼンとロキを乗せたトナカイの周りを火の輪が取り囲みます。

 そこへ、アイスウィングの霧が流れてきました。炎の壁に出会い、たちまち蒸発していきます。続いて追いついてきた本隊も、炎の中で溶かされていきます。炎の中心にいるトナカイと少年たちに近づくことができません。

 ポチと一緒に火の渦の中を飛びながら、フルートは剣を振るって、新しい炎を送り込み続けていました。激しい熱気の中、金の鎧が冷たく光って見えます。

 

 すると、アイスウィングの大群が立ち止まりました。渦を巻く炎に守られている獲物を見つめます。まるで一つの同じ生き物のように、一糸乱れぬ動きです。

 と、その蛇たちがいっせいに動き出しました。一箇所に寄り集まっていったと思うと、互いに体にかみつき合って、ひとかたまりになっていくのです。体と体が触れあったとたん、氷の蛇が今度は一つになっていきます。攻撃を受けて分裂したときの逆です。アイスウィングは見る間に合体して、一匹の蛇の姿に変わっていきました――。

「ワン、大きい……!」

 ポチが思わず吠えました。炎の渦が作る壁の向こうで、アイスウィングは二十メートルあまりもある巨大な氷の蛇に変わっていました。風の犬のポチの倍以上もある姿です。氷の羽根を激しく震わせ、鎌首をもたげて彼らに威嚇してきます。

 フルートはポチを止まらせました。

「正面から行くんだ! 頭を吹っ飛ばそう!」

 と炎の剣を振り上げます。ポチは炎の渦を飛び出して、まっすぐ蛇に向かっていきました。フルートが蛇の頭を狙って炎の弾を撃ち出そうとします。

 と、蛇が動きました。人間の目に止まらないスピードで、いきなりフルートたちにかみついていきます。

 次の瞬間、アイスウィングの目の前からフルートとポチの姿は消えていました。

「フルート! ポチ!」

 体を起こしてその光景を見ていたゼンが思わず叫びました。その腕の中で守られていたロキも、マントから顔を出し、目の前に立つ巨大なアイスウィングを見て仰天しました。フルートとポチはどこにも見あたりません。

「フ、フルート兄ちゃんは……!? 食べられちゃったの!?」

 と泣き声を上げます。

 ゼンは歯を食いしばりながらエルフの弓矢を構えました。攻撃すれば蛇はまた分裂します。飲み込まれたフルートたちを助け出せるかもしれません。

 

 すると。

 突然、彼らの目の前で巨大なアイスウィングがのたうち始めました。太い体をくねらせ、氷の羽根を狂ったように震わせて空に飛び上がります。ゼンとロキは目を丸くしました。見つめる先で、氷の蛇の体が水蒸気を上げ始めています……。

 やがて、蛇は全身を真っ白な水蒸気に包まれました。煙のように激しく吹き出し、周囲に流れて氷の霧に変わっていきます。それはもう蛇の形はしていませんでした。ただ、風に乗って流され、やがて雪に変わって地表に降っていきます。

 ちぎれた霧の中からフルートとポチが姿を現しました。フルートは剣を何かに突き立てたような格好をしています。炎の魔剣で内側から氷の蛇を突き刺し、その体を溶かしてしまったのです。

 アイスウィングは尾の先端まですっかり溶けて水蒸気に変わり、地上に新しい雪を降らせました。もうどこにも、羽根のはえた氷の蛇は残っていません。

 ゼンが歓声を上げると、空中からフルートが振り向きました。炎の剣をちょっと掲げてみせて、にこりと笑い返します。

 

 と、ふいにその笑顔が歪みました。まだ剣を握ったままの右手で、左の腕を押さえます。

 フルートのうめき声を聞きつけて、ロキが飛び起きました。空に向かって叫びます。

「フルート兄ちゃん、腕! 今のでまた溶けたんだろう!?」

 ポチが大あわてで仲間の元へ飛んできました。ゼンがフルートをグーリーの上へ引き上げ、素早く剣帯を外して左腕の籠手を外します。思った通り、ロキがかけた冷凍の魔法が炎や水蒸気の熱で溶けて、また腕が腫れ上がり始めていました。

 ロキがいそいでフルートの腕に手を触れます。ゼンは思わず目をそらしました。また魔法で凍らせれば、フルートの左腕の凍傷がいっそう広がって悪化するのはわかっています。それでも、彼らはそうするしかないのです――。

 ロキがフルートの腕にまた魔法をかける様子を、子犬に戻ったポチが、じっと見つめていました。フルートの腕はすっかり黒ずみ、まるで寒さに凍りついた枯れ枝のように見えます。どんなに手当てしたところで、もう絶対に元に戻らないのは確かです。おそらく魔法医でさえ、さじを投げてしまうでしょう。

 ポチは不安でした。これを治せるものは金の石しかありません。けれども、ゼンの胸に残った古い傷痕を消せなかったように、あまり時間がたってしまった怪我は、金の石でも癒すことができなくなるのです。フルートの腕が完全に死んでしまう前に金の石を取り返せるんだろうか、という不安を、どうしても押さえることができないのでした。

「大丈夫、あんたの腕は治るよ……」

 そう言ってくれた占いおばばのことばだけが、彼らの心の支えでした。

 

 再び左腕に籠手を装備し、動かないように剣帯で上から押さえたフルートが、マントをはおりながら言いました。

「さあ、進もう。もうすぐ四日目も終わるよ。エルフが言っていた一週間の期限まで、あと三日しか残ってない。早くサイカ山脈に到着しなくちゃ」

 沈痛な表情をしている仲間たちの中で、ただ一人、当のフルートだけが落ちつきはらっています。

 そんなフルートを、ロキが見上げました。

「ねえ、兄ちゃん……どうしてポポロの魔法に頼らなかったの? 今だって、呼んだらきっとまた助けてくれたのにさ。なんで兄ちゃんばかりが、そんなに無理をしようとするのさ?」

 なんだかまた泣き出してしまいそうな顔をしています。

「ロキ」

 フルートは優しい目になりました。トジー族の少年はフルートを責めているのではありません。ただ心配にひどく心痛めているのです。

「兄ちゃんが金の石の勇者だからなのかい? だったら、そんなもん、やめちゃえばいいじゃないか! そんなにつらい思いばかりしなくちゃいけないんだもの、金の石の勇者なんて全然良くないよ! 勇者なんてやめちゃえよ、兄ちゃん!」

 ロキの口調は、意外なほど激しく響きます。ゼンが驚きました。

「おい、おまえ、何言ってんだ? フルートがいなかったら、俺たちは魔王を倒せないぞ。おまえの姉貴だって助け出せないんだぞ」

「だって……!」

 ロキはうつむいてしまいました。唇をかんでいます。

 すると、フルートが静かに口を開きました。

「ぼくは、金の石の勇者がいいものだなんて一度も思ったことがないよ。ただ、ぼくがやるしかないから、やってるだけなんだ。本当にぼくは大丈夫さ、ロキ。心配ないよ」

「だけど……」

 ロキはうつむき続けています。とうとう泣き出した気配がしました。

 フルートはいっそう優しい目になりました。ほほえむ顔で答えます。

「うん、ぼくはちょっと強がってるんだよ……。わざとポポロを呼ばないんだ」

 ゼンとポチが、おや、という表情でフルートを見ました。ロキも意外そうに顔を上げます。案の定、涙でいっぱいの目をしていました。

「強がってる?」

「そう。呼べばきっとまた助けてくれたのかもしれないけど、呼びたくなかったんだよね。ポポロはもう、今日の魔法を使い切っていたかもしれないし……なにより、ぼくたちを助けようとすれば、きっとまた、魔王に苦しめられるに決まってる。そんな目にはもう遭わせたくなかったんだよ」

 フルートの表情が、いつの間にか真剣になっていました。少女たちがとらわれているサイカ山脈へ目を向けます――。

 ロキがまたうつむきました。泣き声でつぶやきます。

「兄ちゃんは馬鹿だ……」

 そのままフルートの胸に頭を寄せて、声もなく泣き出してしまいます。

 そんな彼らをかたわらから見上げながら、ポチは、ふと首をかしげました。トジー族の少年から、慕う気持ちと恐れ、悲しみと怒りといった、ひどく混乱した感情の匂いが伝わってきたからです。

 ロキは確かにおびえていました。小さな体が震えています。そんなロキを、フルートは心配そうに抱きしめました――。

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